13:57
開けた場所に出た。衣張山から続いている山の終端に近い場所。航空写真で見ると、このあたりの地形の入り組み具合がよくわかる。
だけど、かなり宅地造成が進んでしまっているので、実際の山のかたちは今となってはわかりづらい。
案内看板が出ている。ここは「お猿畠の大切岸」という場所だという。へんな名前だ。
鎌倉を追われた日蓮聖人が、三匹の猿に助けられた場所だという。柿をカニにぶつけて、日蓮聖人を助けたのだろうか。
鎌倉防衛のためのものだという説があったけど、今では「石切場だったらしい」ということになっている。
なるほど、人工的と思われる壁が続いている。「絶壁」と呼ぶには高さが低い。
長年の風雨で、あちこちが削れてしまっている。あまり頑丈な岩ではないようだ。ということは、ここで切り出した石で作った建物も、同じようにボロボロになってしまっているのだろう。それはまだ鎌倉のどこかで現存しているのだろうか?礎石に使っていたら、多分家は倒れているだろう。
14:01
謎の洋館の裏側を通った。
ハイキングコースは洋館の北側を通っているため、日当たりが悪く若干じめっとした感じがある。なので、洋館が不気味に見える。
「廃墟?」
「いや、廃墟にしては、防犯カメラが付いているようだし、人がいるようにも見える」
「その割には住んでいる気配がしないけど・・・」
「教会じゃないですかね?」
みんなで推測する。山の中に忽然と現れた家。怪しい。童話に出てくるような、そんな雰囲気がある。
後で航空写真を見てみると、本当に立派な洋館だった。これは怪しすぎる。
だいたい、この家にアプローチする道路が見当たらない。・・・いや、よく見るとあった。建物の南側に、どうやらエレベーターらしきものが付いている。陸橋や駅のコンコースに後付けで取り付けられているような、外付けのものだ。そして、そこから先、この家専用の道と思われる私道が150mくらい南の集落まで伸びているっぽい。
なんだこの家。本当に怪しい。
いろいろ調べてみたら、地元では「サリーちゃんの家」と呼ばれているらしい。下界からもよく見えて、その独特な風貌から耳目を集めているそうだ。
廃墟とか幽霊屋敷と勘違いされているようだけど、別荘地としてちゃんと人が住んでいるとのこと。すごい家だ。
なので、間違っても「廃墟探検だ!ウヒョー!」とかいいながら、不法侵入しないように。
野良猫がうたた寝中。
この界隈は本当にお墓が多い。歴史がある町というのは、必然的にお墓も増える。死んである程度経ったら輪廻転生するのが仏教の考え方なんだろうから、古いお墓は壊しちゃおうぜ!といわけにはいかない・・・よな、さすがに。
歩いていると、山の下から何やら独特な匂いがする。
見下ろすと、近くに何かの建物があって、そこの排気ダクトから匂いが漂ってくるようだった。
香ばしいような、そうでないような、嗅いだことがない匂いだけど、あまり気持ちの良い匂いではない。なんだろう?と思ったら、火葬場だった。ああ、道理で。これ、人が焼ける匂いなのか。
火葬場は当然煙突にフィルターをかまして、匂いが外に出ないように工夫はしているだろう。でも、完全に除去できるわけではなく、こうやって匂いが漂ってしまう。
これまで火葬場には何度か行ったことがあるが、お骨になるまでの間は館内の待合室で待機だ。なので「人が焼ける匂い」というのは当然嗅いだことがなかった。今回、焼き場の上を通過したことで、人生で初めてその匂いを嗅いだ。
14:10
ショッキングな体験をしながら歩いていると、「国史跡 名越切通 まんだら堂やぐら群 限定公開」という張り紙がフェンスに貼ってあった。
先ほどから、何で山中にずーっとフェンスが張り巡らされているのか?と不思議に思いながらそのフェンス沿いを歩いていたけど、ここから中に入ることができるらしい。
リーダーが
「やった!中に入れる機会なんて滅多にないから、これはラッキーです」
と喜んでいる。
14:10
ややや!
中は、埼玉県の「吉見百穴」のようにたくさんの穴が開いていた。これぞまさに「やぐら」だ。まるでガンダーラのように、びっしりと岩肌に穴が開けられている。
これはすごい。
近くで見るとこんな感じ。
マンションの遺構かな?ラーメン構造かな?と思えるくらい、丹念に掘られている。
こりゃー、フェンスを作って立ち入り禁止にするわけだ。若者たちが「肝試し」だとか「秘密基地」だとかで遊び場にしてしまうに決まってる。
ボランティアガイドの方に、リーフレットを貰った。
特別公開の期間中は、ボランティアが常駐している丁寧さ。でも、「どうぞご自由に」としてしまうと、このもろくて崩れやすいやぐらに侵入する輩が出てくるだろう。お目付役の立場としても、ボランティアの常駐は必須なのだろう。
このあたりは切通しが3つも連なっている。三浦半島と鎌倉を結ぶ通路で、敢えて両側が切り立った狭い道にすることで、防衛の要としたそうだ。
でも、三浦半島方面から攻め込んでくる兵力って、当時は想定されたのだろうか?
やぐら。
五輪塔がむきだしになってしまっているのは、周囲の岩が崩落してしまったからだ、とガイドさんが教えてくれた。
こちらのやぐらは、上段は完全にむき出しになってしまっている。下段も、随分日差しに照らされている。
毎年、どんどんトンネルが後退していき、せっかくのやぐらが失われているのだそうだ。惜しい話だけど、岩が削れていくのを遮る方法はない。このあたり一面、体育館の屋根みたいな覆いを作るという手もあるけれど、それはそれで風情がない。
ただ、中国の兵馬俑が保存されているところもドーム型屋根で保護されているので、可能性としてなくはないだろう。ただし、そんな巨額をここに費やせるかどうか、だ。兵馬俑は観光資源として儲かるけど、五輪塔では正直儲かる気がしない。
とはいえ、かなりの迫力があるのは事実。
五輪塔は供養のために建てるものなので、仏像とは意味合いが違う。つまりここはお墓だった、というわけだ。お墓のアパートだ。
岩肌を貫通して、トンネル状になっているやぐらもある。
よくぞここまで掘ったものだ。間近で見ると、迫力を感じる。
別に穴を掘らなくても、野ざらしでいいじゃないか?と思うのだが、当時の価値観では「屋根付きのほうが快適じゃん」ということだったのだろうか。
どんどん崩れているやぐら群。
あと数十年もすれば、さらに崩れているのだろう。諸行無常なので、これはこれで見守っていくしかないのだろう。
さて、やぐら群を後にしよう。
(つづく)
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