粟島[自称下見]旅行

魚類死刑執行人、粟島に散る

日 時:2000年(平成12年) 06月03日~05日
場 所:新潟県村上市 粟島、群馬県吾妻郡草津町 草津温泉
参 加:おかでん、しぶちょお、ばばろあ(以上3名)

そもそも、粟島に行こうなんて全く考えちゃいなかった。

粟島といえば、椎名誠が「あやしい探検隊」こと「東日本何でもケトばす会」でさんざん蹂躙しまくった場所。その著書「わしらはあやしい探検隊」はあまりに有名で、粟島でキャンプを張るという行為は安直であまりにひねりがなさ過ぎた。いざ現地で天幕を張ってみたら、四方八方に椎名誠に感化されたキャンパーがうごめいていて・・・っていう図を想像するとあまり気分の良いものではない。近親憎悪、なのだろうきっと。

そんなこんなで「まあいつか聖地巡礼的な意味合いで行ってみたいねえ」という話はしていたものの、実際に行くなんて事はこれっぽっちも考えちゃいなかった。要するに黙殺である。また、ここ数年の間でフン族のごとく民族大移動が発生し、東京に多数いた隊員がどんどん関西方面に流浪していったのも、この島が無視される大きな要因ではあった。さすがに、関西方面から新潟県の離れ小島に押し掛けて天幕合宿、というのは憂鬱きわまりない行程だからだ。学生ならともかく、時間的制約の多い社会人ならなおさらだ。

そのまま数年の時を刻んだある日、ばばろあから電話がかかってきた。

「やはりアワレみ隊は原点に戻って砂浜でテント張らんといかんじゃろ。最近そういうのやっとらんけぇね、砂浜にテント張って、でっかいキャンプファイヤーやらんといかんのじゃないんか」

彼の声は、えらくしみじみしていて、さも諭すかのように僕の耳には聞こえた。

彼と同じような事は常々こちらとしても思っていた事だった。最近のアワレみ隊は軟弱すぎる。「別働隊」としての活動が多いのはともかくとしても、車での移動を前提とした各種便利ツールの山。これって、アワレみ隊初期の頃においてはもっとも軽蔑し、アッチ行けコノヤローと寄りつけもさせなかった世界ではなかったのか。社会人として余暇がない事を理由に、「ワイルドであれ」という野蛮精神を忘れてしまっているのではないか。そんな疑問に対しての解が、 ばばろあ言うところの「砂浜でテント」なのかもしれない。

「でもね、場所はどこがある?」

徐々に乗り気になってきた僕は、特に考えもなく尋ねてみた。すると、彼はちょっと考えた後

「粟島にすりゃええんじゃないん?あそこだったらキャンプはできるはずだし、島だから原点に戻れるじゃろ。」
「粟島か・・・。」

粟島。ここ数年、島でキャンプという発想自体がごっそり右脳左脳から抜け落ちていた僕にとっては、目からうろこならぬ頭から大脳皮質な言葉だった。これまで現状に不満を持っていたとはいえ、具体的な策を持っていなかった為に「もやもや感」を常に抱いていた。しかし、今回ばばろあの口から「粟島」に行って「砂浜」で「天幕生活」というキーワードを聞けた事によって、「ああそういう事だったのか」という気になったのだ。「わかった、いろいろwebで情報調べてみるわ」とちょっと晴れ晴れとした気分になって、電話を切った。

早速webで「粟島」を検索してみる。当然、いろいろ出てくる。ああ、粟島って魚がたくさん釣れるんだな・・・ほぉ、鯛か。・・・あ、わっぱ煮って粟島が名物なのか。・・・島一周サイクリングかぁ。楽しいだろうなあ・・・・・・・ぬおおおおお、なんでこんなに熱くなるんだぁぁぁ。まるで、オートレースのCMにおける藤岡弘のように絶叫してしまった。こんな魅力溢れた島を今まで「椎名誠の手垢がついた島」として無視していた自分が悔しい。悔しすぎる!くわっ!それくらい、素晴らしい島だったのだ、粟島は。夢中になって検索エンジンの指示するままにネットサーフィンをしまくってしまった。まるでサルのように。

7月に粟島でキャンプだね、なんてついさっきまでばばろあと話をしていたのだが、こうも粟島の魅力を凝縮してがつん、がつんとぶつけられては我慢ができるわけがない。瞬間湯沸かし器のように沸騰してしまった僕は、勝手に「7月より手前にキャンプ地の下見に行きます」なんて口実をでっち上げ、現地に急きょ飛ぶことにしたのであった。

なぜ本番まで待てないかって?粟島は「わっぱ煮」やら豊富な魚介類がおいしいところである、ということが十二分にwebで伝わってきたからだ。晴れて念願の天幕生活を粟島でやりました、となっても、果たして「夜、冷えたビールを飲みながら新鮮な刺身を頂く」なんて事ができるだろうか?即答。できるわけがない。灼熱の砂浜のおかげで魚は傷むしビールは温いし。だから、「こうなれば宿に泊まって粟島の味覚を満喫するしかあるまい」というわけだ。

であれば、話は早い。すぐさまメールで隊員に「粟島関連のURLリンク集」を送り、「これを見て粟島に行きたいと思わない奴は人間ではない」だの「粟島が好きになれないなら頼む、死んでくれ」などと狂気じみた発言を繰り返し、この日本海に浮かぶ離れ小島をPR。結局、新鮮な魚が食えれば死んでもいい、と思っている節がある連中・・・ばばろあ、しぶちょおが賛同。ここにアワレみ隊別働隊は結成されたのであった。

いざ行かん、粟島へ。

2000年06月03日(土曜日) 1日目

前日夜、新宿23:09発快速「ムーンライトえちご」に乗車。直前まで仕事をしていて、危うく乗り遅れるところだった。「電車ってのはだなあ、始発駅から乗って出発までの間に『さあこれから旅が始まるぞ』というわくわく感を楽しんでこそ旅情ってぇもんだ」なんて思っていたのに、時間がなくてぎりぎり池袋駅でムーンライトえちごをキャッチ。間一髪だった。

こんな慌ただしい状況だったので、流れ行く窓から見える夜景を愛でつつお酒をちびりちびり、なんてこちらの期待はどこへやら、車掌さんの検札が終わった直後にもう寝てしまった。

熟睡できないまま、うつらうつらとしていればもう夜明け。気が付いたらもうそこは新潟だった。電車は、予定では朝6時過ぎに終着の村上駅につくことになっている。われわれが乗る粟島行きの船は10時発なので、4時間も余裕がある。ならば、新潟で途中下車して時間を潰そうか、と思ったがやめにした。こちらとしては、新潟駅のキオスクで売られているというエチゴ地ビールを購入したかったのだが、それだけのために2時間近くキオスクが開くのを待つというのも如何なものか、朝から酒買うために待つのかおまえは、アル中かコラと各種ご批判を頂戴したときに自己嫌悪に陥るのもイヤなんである。

ということで、エチゴ地ビールの魔の手に後ろ髪を100本ほど引っ張られながら予定時刻通り村上駅に到着。まだ朝6時10分。うへえ、寒い。やっぱり東京と新潟では気温が違うらしい。半袖しか持ってきていなかった自分の思慮の浅さを恨まずには居られない。

車中泊ばばろあ

村上駅前には、既にばばろあとしぶちょおが到着していた。神戸に住んでいるばばろあは、名古屋のしぶちょお宅まで電車を使ってやってきて、それからしぶちょおと共に車で村上までやってきた事になる。さすがに夜を徹しての移動だったため、二人ともへろへろ。いい感じに熟成されていて、半分とろけていた。きっと、ぐるぐる回すとバターになるに違いない。その彼らは駅前に止めた車の中で、難民のようにぐったりと寝ていたらしいが、ちょうど車が朝日の方角に向いていたために眩しくて仕方がないとのこと。そこで、車の駐車場所を村上城趾前に移し、比較的元気な僕は村上城趾に登り、残り二人は僅かでも睡眠時間を確保することにした。

村上城趾は、村上駅から車で数分のところにある小高い山の上に位置している。徒歩10分程度、ちょっとだけきつい坂を登る必要がある。全く体力がない人が「時間つぶしに行ってみるか」と軽い気持ちで行くと、「こんなはずじゃなかったのに」となるかもしれない。まあ、そういう場所にあるからこそ、城として機能するんだろうけど。

村上城趾看板

丘の上には、石垣しか残っていない。しかし、自然公園として非常に気持ちのいい空間になっていた。 なんでも「新潟の森100選」なるものに選ばれているんだとか。「森100選」という存在が妙に面白い。選ばれたら何かステータスがつくのだろうか、とか森を「1つ、2つ・・・」とどうやってカウントしているんだろうとか。

何でも、20年がかりで村上城を再建するプランがあるらしい。できあがったら一体どうなるのだろう。楽しみではあるが、そのままでもいいんじゃないか、という気もする。

村上市街地

天守閣があったところから村上市街地を眺めてみると、登ってきた甲斐があったと大満足させられる光景が眼下に広がっていた。早朝のやや寒い空気と相まり、「あー、いいなあ。。。」とため息をついてしまった。人間、真に気持ちが良い場所に来ると「やっほー」と叫ぶのではなく、「ああ」とか「うう」といった嘆息に近い声を出してしまうのだな。

しばらくその場に立ちつくしてヒーリングをしていたら、突然「これから神の声をお伝えします」という声が街のどこかから聞こえてきた。な、なんだ?町内放送か?

「神を侮ってはいけない」だの、「神を信じるもののみが神の国に入ることが許されるのです」とか「裁きの時は近い」といった放送がスピーカーを通じて延々5分くらい流れ続けている。どこかの教会がやっていることなのだろうけど、まだ時刻は朝の6時50分。寝ている人だって居るだろうに、この大音量は一体何事だろう。まさか、町内の人皆がキリスト教信者で、この朝の説教を楽しみにしているわけではあるまいに。反対運動は起きないのだろうか。

ようやく放送が終了し、静寂が街に戻ったのでほっと一息つくことができた。ああいう放送が流れていると、まるでこの街がアラブかどこかにあるんじゃないかって気になる。なんなんだろう、一体・・・とか思っていたら、わわわっ、また放送が再開されちゃったよ!「それでは聖書の一節から。マタイ伝第4章・・・」。無言の時間はフェイントだったのか。

結局、この放送は僕が村上城趾から下山している最中も断続的に続けられていた。時間にして30分程度といったところか。村上市、侮りがたし!結構奥が深い街のようだ。「なめてかかったら一発で仕留められるな」とわけのわからない独り言をつぶやきつつ、居眠りをしている二人の元へ戻った。

村上城趾をひととおりみて下山して、寝ている二人に遠慮してそこらへんをぶらぶらしても、まだ時刻は7時半。船が出るまで2時間半も残っている。嗚呼、なんたる中途半端だ。「どうする?」「どうしようかねえ・・・」みんな、思案に暮れてしまった。城跡巡りが趣味のばばろあはちょっと遠いところにある城に行こうと提案し、僕は村上の北にある「笹川流れ」に行こうと提案。しかし、いずれも時間的に難しいために却下となった。しゃーないので、とりあえず岩船港に行って、とりあえず船やら港湾施設の様子を窺うことにした。

岩船港

岩船港前には、粟島に行く人のための駐車場がどかんと用意されている。無料だ。非常に太っ腹である。その無料駐車場は、まだ朝早いというのに人が結構集まっていた。みな一様にでかい荷物を抱え、引きずっている。どうやら粟島で釣りをするつもりらしい。まるで民族大移動みたいな状況になりながら、クーラーボックスやタックルケースを乗船口まで運んでいた。

高速船

粟島航路は、夏と冬では便数が大幅に違う。11月~3月までは一日2便しかなく、夏休みのピーク期間は一日5便にまで増便される。また、平日と週末ではダイヤが違う時もあり、事前の時刻チェックは欠かせない。岩船港から粟島の内浦港へは、高速船で55分、普通船で90分。以前は2時間かけて渡っていたというから、ずいぶんと時間が短縮されたものだ。

2000年 粟島汽船運賃
高速船/普通船 一等/普通船二等
おとな 3,690円/2,750円/1,830円
こども 1,850円/1,380円/920円

この高速船、普通船と比べて値段が倍違う。た、たけぇ!こんなの乗れるかよ冗談じゃねぇよ普通船でお酒ぐいぐい飲んだ方がまだ安いじゃねぇかよなんてついつい言ってしまいそうになるが、便の大半が高速船による運行で、普通船は1日に1便程度しか走っていない(時期によりけり)。ビバ普通船!なんて言ってると、なかなか粟島に行かせてもらえないんである。

しかも、高速船は定員が173名であり、悪口を言ってる暇があったら座席予約をしておかないと乗りそびれる事だってあり得るので怖い。幸い、この季節は予約がいるほど混雑はしていないようだったが、夏休み中は事前の予約が必須だろう。ちなみに普通船は定員が487名であり、予約なしで乗ることができる。まあ、粟島の島民が全員緊急離島!粟島クライシス!なんてことになっても487名の定員だとまだ余裕があるくらいだから、予約が必要ないというのも頷ける話だが。

岩船港で船をひととおり見たあと、僕らは2キロほど村上市街に戻ったところにある、「岩船港鮮魚センター」に移った。最近、よく漁港そばに「お魚センター」とか「鮮魚センター」といった施設を見かけるが、ここもその一つ。捕れたての魚を取り扱っている巨大な鮮魚店だ。朝は8時半からの営業で、船を待つわれわれにとっては格好の時間つぶしの場。そして、鮮魚に飢えているわれわれにとっては「ぴちぴちの魚を食い尽くしてやるぞ」という決戦の場でもあった。

鮮魚センターはちょうどシャッターが開いたところだったが、既に駐車場には結構車が溢れていた。意外に人気が高い場所らしい。すぐお隣の瀬波温泉の宿泊客も含まれているようだ。これは期待できそう。

中はそれほど広いスペースではないものの、お魚がたくさん無念そうな顔をして並べられていた。うむ、さすがに「冷凍マグロ」とかは置いていないな。もしそんなものを置いていたら、ちゃぶ台ひっくり返すところだったがまずは第一関門は突破だ。

ざっと見て回ったが、値段が安い。ウニ5匹で500円とか、でかいイナダが一匹450円とか、おまえどうしてこんなに大きくなっちゃったの、という真鯛が4000円とか。「おっかしいなあ、普通こういうところって観光地物価で高いはずなのになあ」と首をかしげるしぶちょお。過去、彼は何度となくこういった鮮魚センターで外れくじを掴まされて来ているだけに、「そんな馬鹿な」という気持ちが強いようだ。

われわれは、今回の粟島旅行で万が一に備えて包丁とまな板を持参してきていた。ご丁寧に、わさびまでもが懐に隠されていたくらいだ。さて、こうなったら今日の朝食はとれとれで安いお魚をさばいて、刺身で頂くしかないでしょう。うひひ、こりゃ朝から豪勢ですな社長。

しかし、あろうことか誰も醤油を持参してきていなかった事が発覚。醤油がなければ、お刺身など食べられない!この事実に3名ともあぜんとしながら、「醤油を村上市街まで買い求めにいくかどうするか」ということを真剣に議論してしまった。朝からなんとも間抜けな内容だ。結局、醤油は諦める=魚をさばいてお刺身にする、は断念となってしまった。ぐはぁ、こんなはずではなかったのに・・・。

なにやらゴソゴソしているばばろあ
ウニをさばいている最中

とぼとぼと鮮魚センターの外に出てみると、駐車場の片隅にばばろあの姿があった。さっき買い求めていた岩かきとウニをナイフでさばいているのであった。端からみるとなんとも怪しげな光景ではあったが、本人は至って真剣だ。どこから用意したか、軍手を片手に装着して「これでもかこれでもか」とウニをぐりぐりしていた。

おかでん酒盛り中

お刺身を完全に諦めた僕は、仕方なくつぶ貝の串焼きと薩摩揚げみたいなやつ(正式名称は忘れた)を買い求めることにした。ちょうど、薩摩揚げを売っていた軽食コーナーには醤油がおいてあったので、「これはお刺身に使える!とトレイにどばーっと醤油を流し込み、ばばろあのいるところへ。しかし、ばばろあはなぜか不在。「よし、それならば今のうちにビールを仕込んでおこう」とビールを買い足し、一人串焼きを片手に朝からビールをごきゅーっ。嗚呼、美味也。

朝から宴会

一人悦楽の境地に至っていたら、ばばろあが串焼き片手に戻ってきた。「ああーっ、何飲みおんや!わしも買うてくるわぁ」なんて事になり、駐車場の片隅という場所柄を全くわきまえない、朝の酒宴の始まり始まり。

最後までお刺身に未練を持っていたしぶちょおがやってきた。「あ!しぶちょお、醤油が手に入ったぞ、これで刺身を食べることができるよ!」と、ふと彼の手元をみると、彼の両手には薩摩揚げと海老の揚げもののトレイが。「遅かった!」。

うーん。

宴会の食卓

よりにもよって、バス駐車スペースの背後で宴会をやっていたものだから、時折やってくるバスの排ガスにまるごとスモークされながら飲み、食べた。ああ、あては外れたけどこれはこれで幸せな朝食であるよ。さっきまでは寒かったのだけど、ようやく暖かくなってきたし、潮風が心地よい。あと、空がすかっと晴れているというのが何をさしおいても良い。ただ、冷静になって考えるとこんな朝食風景って別に岩船でなくってもどこでもできる。しかし、旅情って奴な
んだろうね、妙に気持ちいい。細かいことを考えるのはやめにしよう。

氷を拾うばばろあ

食事がすんで「さてそろそろ岩船港に戻りますか」という頃、ばばろあが鮮魚センターの裏にうち捨てられた氷をかき集めていた。「食えんかったウニが傷まんように氷入れとくんよ」とのこと。結局、彼は買ったウニ5個のうち1個しか口にしようとしなかった。曰く、「味が薄くてまずかった」。なるほど。でも、氷詰めにして粟島に持っていっても味がよくなるわけじゃないと思うんですけど?

岩船港に午前9時半前に到着。そろそろ乗船手続きが始まりそうな気配だったので、急いで普通船二等のチケットを買い求める。住所、氏名などを用紙に記入の上、窓口に提出しなければならない。瀬戸内海の隣島に行くのとは違うのだな、とあらためてこの「儀式」で実感。おお、いよいよ旅っぽくなってきたじゃないの。

乗船手続き開始、のアナウンスが流れ、たくさんいたお客はぞろぞろと船に吸い込まれていった。われわれも急いで行かねばいい席が確保できぬ、とえっさえっさ船に移動・・・しようとしたら、目の前にビールの自動販売機が。ああ、神よ、これは私に船の中でビールを飲めという思し召しですかぁ!と一人勝手に合点し、ビールを購入。うーむ、ますます旅だ。北へと向かう船で、男は黙って酒を傾け寂しげに去りゆく港に一瞥するのであった・・・なんて最高じゃないですか。ん?でもビールじゃ様にならん?いや、いくらなんでも朝から清酒は勘弁してください、体が持ちません。

甲板は人でいっぱい

われわれが人の流れに巻き込まれながら甲板にあがってみると、そこには先着のおじちゃんおばちゃん達がござを敷いて既に宴会の準備を始めていた。おお、ござを用意するなんてよく思いついたなあ・・・なんて椅子席に腰掛けながらうらやましがっていたら、次から次へとみんな同じござを持ってきて床に敷いている。よくよく調べてみると、ござは「ご自由にお使いください」状態で甲板の片隅のボックスに格納されている事が判明。われわれも皆様に習って、ござの上でくつろぐことにした。

ウニは外

出港はまだか、まだかと時計を見ながらどきどきしている僕の傍らで、ばばろあは先ほどのウニが入っている袋を片手に甲板の端まで行き、おもむろにウニを海に投げ出した。「あれっ、捨てるの?」「どうせ食わんし、捨てるのも可哀想じゃけぇ海に返してやることにするんよ」。

ウニは外~と言ったかどうかはともかくとして、4匹のウニはこうして海へと還っていった。港の中なので、ウニが生息できる環境かどうかは至って怪しい限りだ(ウニにとっては、「食われたほうがまだマシだった」と思うかもしれない)が、うまい具合に生き延びる事ができたら数年後にはばばろあのもとにお礼に来るかもしれない。竜宮城にご招待、とか。

船中で乾杯

出港まで我慢に我慢を重ね、午前10時の出港と共に缶ビールの栓をあけて乾杯だ。この時間にして、今日二度目の乾杯なんて堕落していて最高だ。あらかじめ断っておくが、普段から僕は四六時中お酒を飲むということは決して無い。ただ、旅行中は「お酒を飲む=非現実的な世界=むちゃしてナンボ」ということで時間を問わずお酒を飲むことにしている。僕に言わせると、これも一つの旅を思い出深くするための演出に過ぎない。ただ、他人から見ると単なる酒好きの大馬鹿たれなんだろうけど。

甲板でお昼寝

しかし、上には上がいるもんだ。僕らはせいぜいビールを飲んでうひゃひゃ言っているだけだったが、隣の4人くらいのおっちゃんグループは一升瓶をどこからか持ち出し、90分の船旅の間に全部飲んでしまっていた。これは明らかに「酔っぱらうぞモード」であり、僕らのやっている「旅を盛り上げるためのお酒モード」とは似て非なるものだった。でも、甲板ではそういう「朝でも昼でも関係ないもんねお酒だもんね」グループが散見され、「うーん、船といえばやはりお酒なのだな」と半分間違った認識で納得してしまった。

潮風にあたる

ちょっとお酒が入ってきたこともあるし、船に久しぶりに乗ったこともあるし、何よりもここ一カ月恋焦がれてきた粟島が接近していることもあり、妙に気分が高ぶってしまった。ばばろあやしぶちょおがうつらうつらしている間も、舳先に行って近づいている粟島の姿を確認して「粟島が迫っているっスよ先輩!」なんてにこにこしてしまった。

普段、車で旅先に向かうことに慣れてしまっていると、「目的地に近づいている自分」という高揚感はなかなか味わえない。目の前の光景がくるくると変わっていくからだ。しかし、船は違う。はるか彼方に島影が見え、まだかまだかとその姿を見てやきもきしながら僅かずつ目的地に近づいていく、この感じ。いいなあ。思わず、意味もなく島に向かって手を振ってしまった。

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