登場人物(2名)
おかでん:いや、もう特に書くことはないです。
おかでん兄:上に同じく。定番のメンバーですね。
2002年08月31日(土) 1日目
新宿→上高地→ヒュッテ大槍

今回は、日本の登山愛好家ならば一度は登りたい・攻めたいと願って止まない山・槍ヶ岳、穂高岳に行くのである。へべれけ紀行取材班としても、気合いを入れて行くぞ、と気合いが入っている(変な日本語)状態。
しかし、行けそうで行けないのがこの山。上高地からのアプローチが長いという地理的な理由もあるが、とにかく山小屋が混むという話をやたらと聞くからだ。
実は、昨年劔岳・立山に登った時だって、直前までは穂高岳に登る予定になっていた。しかし、紅葉シーズンだったということもあり、涸沢の山小屋は「1畳につき4名が押し込まれて寝る」という人道上問題があるのではないかと国連人権弁務官に直訴したくなるありさまだということで、断念したという経緯がある。
ではなぜ今回はそんな非道の山に向かうのかというと、ピークとなるタイミングを微妙にずらしたからに他ならない。まず、意外に感じるかもしれないが、8月下旬は登山シーズンとしては「一段落」している時期だ。これは、午後になると夕立・雷雨が襲ってくるため、午後の行動が大幅に制限されるという事と、台風シーズンに突入しているということに起因する。
何しろ3,000mクラスの山になると、あっけなく天気はかわる。沖縄あたりに台風があるだけで、本州の山の天気が影響を受けてしまうくらいだ。だから、天気図を見て、日本近海に台風が無い事を確認した上で山に入らないといけないわけだ。・・・8月から9月にかけて、そんな都合の良い日ってあんまり無い。
そんなこんなで、8月下旬というのは登山屋からするとイマイチな時期なんである。
さらに、今回は念を入れて、土曜日夜の出発とした。行程は2泊3日+行きのバス車中泊1泊なので、帰京できるのは火曜日夜。すなわち、月曜日・火曜日という2日間を有給休暇で確保している。こうすることで、週末ハイカー達の群れから少しでも離れようという魂胆なんである。

さて、ご託はどうでもいい。話を旅に戻そう。
出発は、新宿の東京都庁地下駐車場からだった。「さわやか信州号」という、上高地直行夜行バスに乗る。
ちなみに、上高地は多数の観光客によるオーバーユースを防ぐため、一般車両の乗り入れは禁止されている。観光バスもしくは乗り合いバスで入るしか方法はない(歩く、というパターンもあるがこれは相当面倒)。普通だと、中央本線で松本まで行き、そこから松本電鉄で新島々まで向かい、さらにそこで上高地行きのバスに乗る、という面倒な乗り換えが発生する。しかし、この「さわやか信州号」だと目が覚めたらそこはもう上高地、というわけだ。おお、なんというさわやかさだ。


・・・おい、ちょっと待て。どこが「さわやか」なんだ、どこが。
まず、都庁地下駐車場は熱がこもっており、じとっと暑い。立っているだけで蒸し風呂にいるかのようにべったりと汗をかいてしまう。これはイカンと水分補給用の何かを購入しようとしたが、周囲にはコンビニが存在せず、途方に暮れる。
バスに乗車すればクーラーが効いているだろうと、ほうほうの体で乗り込んでみれば、ああ、クーラーが効いていない。そりゃそうだ、こんな穴蔵みたいな駐車場でバスがアイドリングしていたら、駐車場の人たちが一酸化炭素中毒で集団死亡してしまう。大体、アイドリングは東京都条例違反だ。さすがに都庁の真下で条例違反はできないだろう。
んなこたぁどうでもいい。おい、この椅子は何だ。一列4人掛けっすか。寝られないぞぉ、こんな状態では。隣と肩がぶつかること必至。男同士でそれはイヤだ。うなされそうな予感。山に登るために体力を温存しておきたいところだったのだが、これは恐らく上高地到着時点で相当激しいやつをお見舞いされてぐったりしている事になる。ぐは。
それに追い打ちをかけるのが、出発直後の運転手のあいさつ。
運転手 「このバスは、調布インターから中央高速に乗りまして、大月を過ぎた辺りで下道に下りて、一路上高地に向かいます」
兄 「おい、何だそりゃ。お金ケチらないでさっさと上高地行ってくれればいいのに」
おかでん 「普通、首都高速新宿ランプから入って、松本インターで下りるよな。下道を走るってことは、揺すられるぞぉこりゃあ」
兄 「大体、『一路』って何だよ。遠回りしてるじゃないか」
運転手 「途中、休憩として2回、だいたい2時間おき程度に停まってまいります」
おかでん 「うえええ、2時間かよ。このバス、俺たちを寝させないつもりだぞ!?」
兄 「うとうとしたと思ったら起こす。拷問だな」
運転手 「沢渡でバスの乗り換えがありますので、そこでお荷物を積み替えていただきます」
おかでん 「お、おい、沢渡でバス乗り換えだと。一路じゃないじゃん」
2002年09月01日(日) 2日目

朝5時すぎ。沢渡到着。ここで低公害型バスに乗り換えとなった。
案の定、バスの乗客全員が香ばしく熟成されており、へろへろになっていた。
おかでん 「ただいまのラウンドは10対9で負け、だな」
兄 「その程度で済んだのか。ならいいだろ」
おかでん 「まさか、兄貴はもっとヤラレたのか?」

朝6時、上高地到着。
8月末とはいえ、標高1,500mある場所。ひんやりと涼しい。
新宿出発時点では半袖1枚だった人たちも、この時点では既に長袖を着用している。
これぞ、「さわやか信州」!
・・・なんだけど、夜中にイヤな汗をかいてしまっているので、肌がべとべとするんですけどー。
これから2泊3日、山の中で風呂に入れないことを思うと既に憂鬱だったりする。
まあそれはともかく、腹が減っては山には登れぬ。安曇村営食堂(村営で食堂があるというのがちょっと愉快)で朝食を食べることにする。

おっ。岩魚炭火焼きがあるのか。
では、炭火焼きでビールを頂こう・・・
と思うのだが、さすがに山に登る直前にそのような不摂生をやると、後で思いっきり痛い目に遭うのでやめておこう。とりあえず、炭水化物を摂取しなくちゃ。

朝6時で既に営業をしている食堂、というのも珍しいが、山の中ということもあって決してそれは特異な事ではないのだろう。その証拠に、次から次へとお客さんが店に吸い込まれていく。
店の入り口で、店員さんに
「朝メニューは、メニューボードに出ているものだけになりますのでご了承くださいー」
と言われた。えーっと。
メニューが豊富に書かれているので、「これは店員さんが言っている『メニューボードに出ているもの』ではないのだろう、と判断。ボードの右に掛けられたホワイトボードに書いてある、あさ定食900円也を注文した。
しかし、後になって気づいたのだが、このメニュー全部が朝から注文できたらしい。札がひっくり返されていて白くなっているものだけが注文できない、というのが真相だったようだ。山の中の食堂なのに、朝からよくもまあこれだけのメニューを提供できるもんだ。

じゃーん。これがあさ定食900円。洋風と和風がセレクトできるのだが、こちらは和風。おっ、定番中の定番である鮭大明神がここにもいらっしゃっています。
さて問題です、この場合メインのおかずは鮭とみなすべきなのでしょうか、オムレツとみなすべきなのでしょうか。悩ましいところだ。
甲乙付けがたかったので、鮭とオムレツを交互に食べてみたのだが、ご飯の友としては鮭の勝ちだったと思う。
ところで「ご飯」といえば、山屋仕様でどんぶり飯が出てくる事を期待していたのだが量は非常にこじんまり。ご飯のお代わりができるのかな、とちょっと期待したが、ライスは別売り300円だそうで。うわあ、高い。
ちなみに、洋風の朝定食は「朝食set」という名称らしい。わざわざ英語を使わなくてもよかろうに。

上高地は、いくら山の中とはいえ観光地。見渡すと、山に登るぞという気合いの入った格好の人と「観光で来ましたー」という裸婦な格好・・・もとい、ラフな格好の人とが混在している。大体半々といったところか。
上高地が持つ独特の雰囲気、というやつで、山屋は観光客をちょっと見下して、「邪魔だよ」と思うし、観光客は山屋を「うわ、臭くて汚い野蛮人」とやっぱり見下していて、お互いがイマイチかみ合っていないんである。こればっかりは永遠のすれ違い。

朝6時半時点での上高地。梓川の向こうに、焼岳が見える。
今日はいい天気。
焼岳は現在も活火山で、噴煙を小さく上げている。

くるりと180度向きを変えるとこの山々。
上高地に到着した人が真っ先に目にする光景だ。
左が日本第二位の標高を持つ山、奥穂高岳3,190m。右が前穂高岳3,090m(+明神岳)。その間の稜線を「吊り尾根」といい、ここで毎年何名かが昇天しているという難所の一つ。
明後日はあの吊り尾根を歩かなくてはならぬ。さて、ちゃんと無事ここに戻ってこれるかどうか。

一方、奥穂高岳から南方に延びる稜線は、デコボコギザギザしている。西穂高岳につながるこの稜線は、国内有数のバリエーションルートとして知られる。「ジャンダルム」とか「ロバの耳」といった奇妙な名前の岩峰が並ぶが、登山のためなら死んでもいいと思っている人じゃないと立ち入らない方が無難。まあ、それを言ったら、今回の山登りで通過する「大キレット」も、死にたくなけりゃ通らない方がいんだけど。

梓川の脇で山登り用の装備にシフトチェンジ。


上高地の名所である河童橋にて出陣の写真撮影。
名所ではあるが、特にすごい橋というわけではない。ただ、上高地のランドマークなので、観光客は100%全員がここにやってくるという仕組みになっているだけのことだ。昼時になると、登山客観光客入り乱れて大混雑する。
でも、山に登る人間からすると、ここは起点であり終点でもあるわけで、感慨深いものがある。

まずは、徒歩1時間先にある明神に向かう。
明神あたりはまだ観光地として一般人もやってくるので、道は非常に整備されている。ほら、ごらんの通り。
これは、「登山道」ではない。「遊歩道」だ。

朝日を浴びながら、ぽっくりぽっくりと進む。
水平移動であり、高度が全然上がらないのでテンションも当然のごとく上がらない。
先ほどは吊り尾根の右手に見えていた明神岳が、次第に横にその姿を移動させている。

午前7時20分、明神に到着。
ここには山小屋・・・というか、旅館というか、宿泊施設が3軒ほどある。上高地から徒歩1時間という距離ということもあり、登山屋にとっても観光客にとっても非常に中途半端な場所にある。一体誰が利用するのだろうか。
しかし、平気で1泊2万円以上する上高地のホテルを嫌い、ここまで足を伸ばして安く泊まるという選択肢もあり得る。上高地観光をしようと思ったけど、値段の高さと予約の取りにくさで腰が引けた人は、明神の宿を当たってみると良いかもしれない。

明神から、さらに徒歩1時間先にある徳沢を目指す。
梓川を間近に見ながら、ちんたらと歩く。

いや、それにしても遠い。
槍ヶ岳の「や」の字すら見えぬ。
このままずーっと川沿いに進んでいくわけだが、あの向こうに見える山のあたりまで歩き進めなくてはいけない。しかも、ほぼ水平移動ときたもんだ。
「バス道を造れ!」という、山屋としてはNGワードとなる言葉が何度出そうになったことか。

午前8時、徳沢に到着。
それまでの樹林帯から打って変わって、開放的なキャンプ地が広がっていた。
まだ朝なので、ようやく起き出してきた人、テントを干している人がめいめいにうろうろしている。

徳沢の案内。
ハルニレの巨木が点在する明るい草原は、明治初期「上高地牧場」と呼ばれ、昭和初期まで放牧がおこなわれておりました。
入牧の牛馬数は、多い年は4百頭にも及び、まだ雪のある徳本峠を幾日もかけて越えてきたそうです。
現在はキャンプ地として利用され、北アルプスの登山基地として賑わっています。
また、眺望がよく、梓川を前に望んで小説「氷壁」の舞台となった前穂高岳東壁、奥又白等急峻な山々、河原にでれば、蝶ヶ岳の姿もみられます。
・・・だ、そうで。 それにしても、こんな山奥に牧場ってご苦労様でございます。牛を出荷しようにも、2000m級の峠を越えていかなくてはならんのだから。「ドナドナ」のように「荷馬車」に乗せられて子牛が売られていくなんて甘っちょろい光景はあり得ない、なぜなら馬車なんて走ることができる道などどこにも無いからだ。

「氷壁の宿・徳沢園」前。
これはもう、完璧なお宿。入り口を覗き込むとちゃんとフロントがあるし、大きなのっぽの古時計も鎮座していた。
いくら山歩き用の装備がなくても訪れる事ができる場所とはいえ、上高地から徒歩2時間の場所にあるだけに違和感を感じる。ここは明らかに「山小屋」では、ない。
このお宿に泊まる人は一体どんな人だろう?

そういえば、気が付くと周囲には既に観光客の姿は見あたらなくなってきた。必ず、自分の胴体と同じくらいのサイズのザックを抱えた人と出会う。
それどころか、下山してきてすれ違う人たちの何割かは、ヘルメットやザイルを体中にくくりつけ、ピッケルを武器にしてのっしのっしと歩いていた。普通の山とは違う光景だ。われわれがまだ目の当たりにしている光景は、「森林浴ハイキング」の粋を越えていないので、にわかには信じられない姿だ。
これからああいうモノが必要となる場所へと飛び込んでいく訳か。

次の目的地・横尾まであと3.9km。標準コースタイムは1時間10分。

横尾までの道を進む。相変わらずの平坦な道で、いい加減うんざり。登りの時に利用するならともかく、下山時に使うといい加減腹が立ってくると思う。「上高地はまだか!」って。疲労困憊して、家が恋しくなっているときにこの延々と続く水平移動はイライラせずにはいられないはず。
しかも、悔しい事に歩道の左側の河原には、横尾山荘用と思われる車の道があるではないか。風情が台無し。

先ほど横手に見ていた明神岳が、随分と後ろに見えるようになってきた。ゆっくりではあるが、徐々に進んでいるようだ。
・・・ここで「ようだ」と推測でモノを語らないといけないくらい、どうも前進しているという実感がわかない。
この辺りに、「慶應尾根」「早稲田尾根」と呼ばれている尾根があるらしいのだが、全然気づかずに素通り。まあ、「だからどうした」と言われてしまえばそれまで、ということで。

歩くこと45分。川の上に赤い橋を発見。久々の人口建造物だ。どうやら横尾に到着した模様。

真っ正面の絶壁が、屏風岩と呼ばれる場所らしい。その岩の奥を谷沿いに進むこと3時間で、涸沢だ。今回は涸沢には向かわず、そのまま北上を続けて槍ヶ岳へ向かう予定だ。

見えてきました、横尾山荘。午前9時ちょうど着。上高地を出発してから約2時間30分。

いやぁ・・・ここも立派な建物だ。普通の人の足だと、上高地から3時間10分かかる場所だというのに、まるで「青少年自然の家」みたいに立派な建物が建っているではないか。
この写真だけ見たら、「駐車場から撮った写真でしょ?」って言われそうだ。いや、そんなことは決して無く、歩いてしかこれない山奥なんですよ奥さん!
にわかには信じられない光景だが、こういう山奥にもここまで立派な建物を建てられるというのが、上高地(及び北アルプス)の人気って奴なんだろう。大体、ここら辺に人類が跋扈するのは、一部のヘビーな登山屋を除けばせいぜい1年のうち3カ月しかない。要するに、残り9カ月は宿として儲からない時期。にもかかわらず、ここまでデカくて立派なのだから呆れる。しかも、ここには風呂があるという。風呂!山小屋に風呂!羨ましいぜ。・・・いや、この建物を山小屋と呼んではいかんのかもしれぬ。・・・では、何と呼べば?・・・ええと、ええと。
「谷小屋」
・・・・・・。

立派な横尾山荘の隣には、古めかしい建物がズシンと建っていた。中信森林管理署の横尾避難小屋。
こ、これぞ正しい山小屋の姿。
冬にこの地を訪れた人は、この避難小屋を使う事になる。横尾山荘は冬は営業していないからだ。
いや、正確に言うとこれでも「正しい山小屋の姿」ではないような。山小屋にしては非常にデカいから。一体何人収容できるんだ、ここは。
冬季なんて、本当の山野郎しかやってこない場所なのにこのデカさは一体。さすがは北アルプスだ。
夜になると、幽霊が出そうだ・・・なんて考えてはいけない。この場所から半径10キロ以内だと、毎年10名以上の人が死亡事故を起こしているんだから、しゃれにならぬ。
横尾野営場付近案内。
あくまでも「野営場」であり、「キャンプ場」ではないのだ。山男は、「きゃんぷ」などというお気楽な印象を与える言葉などは決して使わないのだ。・・・本当か?
言葉で説明しても面倒なので、上の写真をクリックしてくらはい。写真が拡大します。
梓川下流の上高地(画面左端)から出発して、現在横尾に滞在中。そして、そのまま梓川を遡上していき、今日は槍ヶ岳直下の「ヒュッテ大槍」に向かう予定なのだ。

ここで軽く栄養補給。さっき朝食を採ったばかりじゃないか!と言う事なかれ。山登りをする際は、頻繁に・少量ずつ栄養を補充していかないとバテる。

とかエラそうな事をいいつつ、焼きそばパンを食べるというのはどうかと思うのだが、東京出発前に立ち寄ったコンビニにろくな食べ物が置いていなかったのだから仕方がない。
「炭水化物はすぐにエネルギーになるのだ」
とかいいながら、一本かぶりついた。

横尾山荘の前にあった標識。
上高地11キロ、槍ヶ岳11キロ。
おかでん 「げぇっ、もう中間地点に来ているのかっ」
兄 「地図上では、な。実際は全然高度が稼げていないのだが」
おかでん 「ええと・・・うわ、まだ標高だと100mしか上がっていないよ。残り標高1,200mくらいあるぜ、山小屋まで」
兄 「まあな、今まで楽させてもらったんだから仕方がないだろう」
おかでん 「いや、そんな事言ったって、こっちにもココロの準備って奴が」
兄 「地図を読んでいれば分かるだろうが」

横尾吊り橋。
立派なのでついついここを渡りたくなるが、この先は涸沢に向かう道なのでパス。われわれは写真右手に向かう。目指すは槍ヶ岳。

横尾を過ぎると、ようやく登山道っぽくなってきた。それまでは「できるだけ道を平らにしよう」「人二人がスムーズに対面通行できるくらいの道幅は確保しよう」という人工的な努力がかいま見えたのだが、ここからは「通れればいいんでしょ?」的な感じに。
そういえば、登山客の数も一気に減った。みんな涸沢に向かったらしい。

午前10時13分、一ノ俣着。
ここでひたすら北上していたルートは90度曲がり、西に向かう事になる。ようやく標高稼ぎの開始だ。
しっかし、徒歩開始から4時間近く経つというのに、いまだに標高が100mちょっとしか稼げていないのだからやってられん。
相当歩いているというのに、イマイチ充実感が無いんである。
さて、ここから山小屋まで4時間20分。頑張りますかね。

・・・と、気合いを入れようとしているのに、相変わらず道は川沿いのイマイチ引き締まらない道なんである。
槍ヶ岳さんは、まず登山者の根性を確かめたいらしい。じらしのプロだ。ああいいとも、じらすだけじらしやがれコノヤロー。今更後には戻れないんだ。そんなじらしでこっちが悦楽の色を浮かべるなんて甘い考えすんじゃねーぞチクショウ。
それにしても、いまだに槍ヶ岳がチラリとも見えないんですけどー。

午前10時31分、二ノ俣通過。
緑が深いし、周囲の山はなだらか(に見える)だし、とてもここが槍ヶ岳の麓だとは思えない。裏山散策といった感じだ。

午前10時54分、槍沢ロッヂ到着。
ここまで来ると、ようやく山小屋「らしい」建物になってきた。
とはいっても、新築だという理由かもしれないが、えらく今風というか小しゃれた造りだ。
世の山を知らない一般peopleの皆さん、今回紹介してきている山小屋たちが「平均的」なものじゃないって事だけは覚えて置いてくださいよ。たまたま「特上」の小屋が出てきているだけなんですから。

槍沢ロッヂ、という名前の通り沢沿いにある山小屋だ。だから、水をタダで使うことができた。ああ有りがたや。
ここから先、さらに山奥になると水が有料になる。しかも、雨水に塩素を入れただけのもの、などと水事情の悪さが露骨に出てくる。顔を洗うなら、今だ。

ここでも栄養補充をする兄貴。
毎度おなじみ、太巻きといなり寿司だ。

いや、暑い。
高度1,800mを越えた地点とはいえ、夏の日差しが照れば暑いものは暑い。これから森林限界を迎え、遮るものがなくなってくると一体どうなることやら。水分補給だけはきっちりやっておかないと。

槍沢ロッヂを歩き出してしばらく進んだところ。
あっ、もちととんらなもいみみみにもにいすなみらくちんちすにみらくらとちのにしいくちみちにのち!
これを執筆しながら、あらためて思い出し興奮してしまい、ローマ字変換をかな変換にしてしまった。ええと、上の文章は
あっ、真っ正面にみえるのは槍の穂先ではないか!(注:槍の穂先→槍ヶ岳のてっぺん部分の事を山屋はこう呼ぶ)
と言いたいのだった。動揺、すまぬ。
午前11時9分。歩き始めてから4時間半で、目指す山の山頂が見えたというわけだ。待たせやがってコノヤローっ。
待たせた事をしらばっくれているのか、それとも恥じてこちらに顔向けできないのか、何ともさりげない登場なんである、槍ヶ岳。もう少し、「じゃぁーん」というバラエティ的なドラの効果音とともに登場しそうな、ふんぞり返った存在なのかと思ったが。
木陰からちょっとだけ顔を覗かせる。至って日本的奥ゆかしさじゃあありませんか。いや、偉いぞその謙虚さは。まあもっと近う寄れ。くるしゅうないぞ。

・・・と、変態的な事を妄想しながら歩く。いい加減どこの山に登りに来たのだかさっぱりわからず、遠い故郷にて待つ年老いた両親にもこれでは顔向けができぬと思っていたのだが、一気に活気づいた。足取りが一気に軽くなった。よし、あと1時間であそこに登ってやる。
無理か。
って、あれれれ。さっきまで見えていた槍の穂先が、見あたらなくなってしまった。「奥ゆかしい」なんて余計な事を言うのでなかった。
安直なおだて文句にちょっと後悔。ちょっと誉めると、すぐこれだよ。

てっきり灌木の影に隠れているのかと思っていたのだが、ババ平に到着しても何も見えない。ここは、槍沢キャンプ場であり、昔はここに槍沢ロッヂがあったらしい。写真左の石垣がその名残だ。
雪崩で崩壊してしまい、ここから徒歩20分の先ほどの場所に移転したということだが、現在ではキャンプ場になっている。
周囲には、「今晩はキャンプファイヤーだね、パパ!」なんてはしゃいでいる子供、「よし、ちょっと買い出しに行って来るぞ」とランドクルーザーに乗り込むお父さんがいっぱいいる。
・・・んなわけ、あるかぁ!
何しろ、宿泊許可をとるためには往復40分歩いて槍沢ヒュッテまで出向かないといけない。そんなスパルタクスなところに天幕を張る奴らだ、きっとマッチョでクールな山男に違いない。間違っても、「よし、今晩はダッチオーブンでローストビーフだ」なんて事をやる奴はいない。男は黙って、α米にレトルトカレーだよ、と言うとニヤリと同意の笑みを浮かべる、そんな奴らに違いない。
そんな男たちに敬意を示そうと、テントサイトをうろうろしてみたのだが誰もいなかった。そりゃそうか、この時間は山に登っているに決まっている。なぜなら、山男だから。
ここからしばらく谷を遡上し、90度左に曲がる。

森林限界を迎え、がぜん高山を登っているという充実感が溢れて参りました本日、皆様如何お過ご(以下略)
こうやってみると、ハイキング気分でるんるんとなだらかな坂を上っていけるように見えるのだが、さにあらず。結構これがきつい。
方向としては、真っ正面に進んで、右奥に向かうというルートとなる。
これだけ眺めが良くなっても、相変わらず槍の穂先は見えない。どこに消えた?

炎天下、全く遮るものがない中を歩く。
黒髪が灼ける。
頭の上に生玉子を落としたら、下に垂れて落ちる前に目玉焼きができるんでは無かろうかと真剣に心配になる。
でも、しばらく考えて、目玉焼きは無理そうなのでスクランブルエッグだったら何とか、と考えを改めた。
・・・どっちにせよ、発想がイカレている。ちょっと日射病気味かも。

ここから先、登山道沿いに遮蔽物がなさそうだったのでここで大休止決定。12時17分。
栄養補充用に買って置いたチョコレートを食べようか、とも思ったのだがこの炎天下。開封する勇気が無く、一度ザックから出しかかった容器を元に戻した。
ここでの一番のぜいたくは、水。
しかし、面倒だからと東京で汲んできた水を、この大自然の中で飲むというのはなかなか皮肉が効いていてよろしいのではないかと。ああ、まずい。

こういうのをヤラセ写真といいます。指摘される前に自白しておきます。許してください刑事さん、でき心なんです!
おにぎりを食べようとする瞬間の写真だけど、やらせ故に「目線をどこに向ければいいのかわからない」ため、遠い目をしている。
何を達観しているんだ、お前は!

12時50分、活動再開。
登山道は、テラス状になっている場所の直下にさしかかっている。写真おかでんの頭上に見える空と地面の境界線が、テラスの張り出した部分。
傾斜がきつくなり、さっき摂取した炭水化物が早くエネルギーにならないものかとじれる。
数歩進んでは、「いやあ、大絶景ですなあ」といいつつ立ち止まり、風景を見渡した。へばっているのは内緒だ。

しばらく進むと、わき水がでている場所があった。しばしの休憩・・・
と言いたいのだが。
「がはははは」
何やら、下品な笑い声が聞こえる。
「うひょーっ、この水、最高!世界で一番美味いね、この水は!甘露!まさしく、甘露だ!」
オッサンが、わき水を飲んで相当ご満悦になっているようだ。
「おい、みんなも早く!早く!ほら!こんなにおいしい水を飲まなくちゃ、何のためにここまで来たの!」
大声で、相当うるさい。あの水の中にはアルコールでも入っているのだろうか。しまいには、登山道を見下ろす位置にある岩の上から
「おーい!おーい!ここに世界一美味いわき水があるぞぉーっ。急げ!」
なんて赤の他人にお勧めしだす始末。
いや、元気が良いのは大いに結構なんですけど、何か夜が更けたころの赤提灯、って感じになってしまって風情もへったくれもあったもんじゃない。
そんなに好きならば、今ここでタライを用意しますのでそこに水をためて、顔を押し込んで溺死させてあげましょうか、と言いたかったのだがこれもまた山に不釣り合いな物騒なセリフなので我慢。
・・・というより、山に登りながらしばらく無口でいると、ろれつが回りにくくなる事から↑のセリフを言い切る自信が無かった、というのが真相。
もう一つ言うと、このオッサンと山小屋で相部屋になる可能性があるわけであり、というか結構可能性が高いわけであり(この先、槍ヶ岳までの山小屋は3軒)、ここで敵を作るとわれわれの安眠を妨害される可能性があり、言えなかったっていうのも事実。
食事から帰ってきたら、自分たちが寝るために確保した僅かなスペースが無くなっていた!とか、寝具に水がかけられていた!とか。山に来て眠れなかったら、翌日以降の行動に影響が出るので致命的だ。ぶるぶる。

「あのオッサンの声から逃げよう」
と兄貴と示し合わせ、急ぐようにしてわき水から先に進んだ。
テラス壁の上部で大地と格闘していたところ・・・
あっ!
出てきた、槍の穂先!約3時間ぶりにその姿を拝むことができた。ナムナム。
さあ、もうここまで来たら逃がしませんぞ、あとは一分一秒たりともこのまなじりから逸らさず、ぐいぐいと登っていくだけだ。これ以上「奥ゆかしい」とかそういう細かい芸は不要だ。

テラスを登り切ると・・・
きたーーーっ。
真っ正面に、槍の穂先!(ここで、槍ヶ岳!と叫んではいけない。なぜなら、てめえが踏みしめているその大地こそが槍ヶ岳そのものだからだ)
この感動、文章にはちょっとできないな。ピラミッド状にそびえる穂先は、凛として、そして自信に満ちて、しかし「待っていたぞ」と登山者に呼びかけているような、そんな感じを受ける。明日、あの山に登るのかと思うと、山登りをやってきて良かったと素直に思える。そのような、素晴らしい山だと思った。
・・・文章が硬いな。
でも、本当にそう思ったのだからしょうがない。並大抵の山だったら、「何を生意気な、後でションベンひっかけてやるザマーミロ」とか失礼なセリフを吐きそうだが、この山ばかりはそんな気にはなれない。
真っ正面にその姿をみたら、しばし呆然と立ちつくしてしまうくらいだから。

ここで登山道は分岐。
真っ正面が槍ヶ岳及び山小屋の「殺生ヒュッテ」「槍岳山荘」に向かう道。右が山小屋「ヒュッテ大槍」に向かう道だ。
真っ正面の、平らな部分が「槍の肩」と呼ばれているところで、ここに槍岳山荘がある。収容人数も多く、槍ヶ岳に登る人の多くはここに泊まる。標高3060m、収容人数は650人。こんなところによくもまあ・・・と思うが、それでもハイシーズンだとおなじみの「寝場所確保合戦」が繰り広げられ、「1畳に人は何人寝ることができるか?」というギネスにも何にも認定されない不毛なバトルが展開されることになる。
そんな人混みがイヤなので、われわれは進路を右に逸らし、ヒュッテ大槍に向かう事にした。

ヒュッテ大槍はメイン登山道から外れている事もあり、ハイシーズンでも比較的楽に宿泊できる穴場だと聞いている。ならば、山頂に近いけど混んでいる山小屋よりはるかにいい。
しかも、燕山荘のオーナーが道楽でやっているという噂があり、「夕食にワインがサービスされる」とか「飯が山小屋にしては異様に良い」とか、しまいには「サラダバーがあった」などという話が出てくる始末。これは、行かないわけにはいくまい。ところで、サラダバーって本当か?うそだろ?
・・・だけど、谷から一気に東鎌尾根のてっぺんまで登るので、急登につぐ急登。ただでさえバテ気味なのに、ますます疲労困憊。
写真を見ると、楽そうに見えるでしょ。ふざけちゃいけません、メチャきつい坂です、これ。緑の下草のおだやかな色にだまされてはいけませぬ。
下の方から、さっきのガハハハ親父が相変わらず大きな声でしゃべりながら登っているのが聞こえる。呆れた、あのオッサン登っている最中もしゃべりを一切やめようとしないぞ。登山道の分岐点に親父がさしかかり、僕は「こっちくるな光線」を2割り増しで送りつけた結果そのまま直進してくれた。ほっと一安心。

先に進んでいた兄貴が、崖の上で立ちつくしていたので「まさか、ひょっとしたら行き止まり?」と心配させられた。
しかし、たどり着いてみたら、いきなり目の前がヒュッテ大槍だった。本日の最終目的地点。無事、到着。 15時ちょうどだった。歩き始めて、8時間30分。

「ほら、見て御覧」と兄貴が指さすので、背後を振り向くと・・・
眼前に、自分の目の高さに槍の穂先が。
深く、静かに感動した。そして、圧倒された。

ヒュッテ大槍。
さっきまでの山小屋とは一線を画した、これぞ山小屋!な造り。ぼろいとか言ってはいかん。立派なもんです、これで。
標高2800mを貫く「東鎌尾根」上にあるので、岩にへばりつくようにして建っている。何でこんなところにわざわざ、と思うがこうして泊まりにくる登山客がいるんだから問題なしだ。
真ん中の出っ張った箇所が入り口。宿泊棟は右側、厨房や従業員スペースは左側になる。
えっ・・・?右側だけ?確か、ここのキャパシティって150人だったはず。おい、あの中に150名押し込めようってか。殺す気か。
ただ、実際は比較的空いている日が多いので、あまり最大キャパを気にしなくても良いようだ。ほっ。

ヒュッテ大槍入り口にて。
ここで「どうもぉー」と、すぐに暖簾をくぐってもよいのだが・・・おっと、山小屋だから暖簾はないか・・・、そうすると今までの緊張した時間が終わってしまうようで、ちょっと悔しい。
だから、後でいいのに、と兄貴に愚痴を言われながらも写真を撮る。
中では、既にテーブルに酒を広げている人たちがいる。おお、この姿こそまさに山小屋の景色。同士よ!

入り口脇にかけられていた黒板。
非常に可愛らしく、アットホームな感じに書かれている。わざわざ天気を絵で描いているあたりがうれしい。
結構山小屋っていうのは無骨で、気むずかしい主人にビビったという事も多い。そりゃあそうだ、週末なんて人が短時間の間にどかっと押し寄せて、やいのやいの五月蠅いのだから気が立って当然。
しかし、この山小屋はそんな雰囲気はなさそうだ。なんとものんびりとしているではないか。うれしくなってしまった。
もうこの段階で、ここに泊まりに来て正解だ、と思った。

入り口から中に入ると、そこは土間になっていてテーブルが何脚か設置されていた。そこから靴を脱いで上がると、そこは食堂。珍しい造りだ。
珍しいといえば、食堂にチェック柄のテーブルクロスがかけられているというのもしみじみと見慣れない。料理が良いという、かねてから聞いていた噂は本当っぽいぞこれは。
受付で、一泊二食+翌日のお弁当を注文。8,500円+お弁当代600円で、しめて9,100円なり。
お弁当が妙に安い。普通、山小屋でお弁当を頼むと、1,000円はするものなのだが・・・ものすごいデフレだ。一体何が出てくるのだろう?

宿泊スペースに移動してみる。廊下のあちこちにストーブが設置されていることから、夜は相当冷えるらしい。
確かに、直射日光に照らされている間は大汗をかいたが、こうして日陰にいるとけっこう涼しい。こういうところにも、標高が高いという現実が見え隠れする。
山に登らない人からすれば、「標高2,800m」といえば酸欠で死にそうになるんでは、と危惧するかもしれないが、よっぽど運動不足な人でない限りは、この程度の高さでは高山病にはならないし酸素が足りねぇ!と思う事はない。平地と全く同じ感覚。

なるほど。
今日、お世話になる寝床の造り。二段ベッド形式だ。
もちろん、1段に一人というわけではなく、おおよそこの1畳につき一人が寝る事を想定しているんだろう。上下二段で6名。向かい合わせになっているので、1部屋12名。
これが、6部屋だったかな?、あったので全部で72名といったところか。ただし、それは1畳1名で計算した場合の話であって、1畳に2名を押し込んでみるとキャパは倍になって144名。ああ、なるほど。この山小屋のキャパ150名って、そういう計算になっていたのねと今頃納得。1畳2名が標準的許容量、というわけだ。
そういう計算式が当たり前になっているのはある意味恐怖だが、でもそれが山小屋なので仕方がない。「個室に泊めろ」とか「ベッドでないと寝られぬ」という奴はアッチいけ、というわけだ。

宿泊スペースのどん詰まりに、洗面所・乾燥室・お手洗いがあった。
水は、谷底のわき水を引っ張り上げているようだ。天水を大事に大事に使っているというわけではなさそう。
早速、兄貴がズボン一丁(あれ?パンツをその下に履いているのでズボン二丁、か?)で全身を拭いていた。

お手洗いの窓から見た光景。
槍の穂先さん、こんにちは。
こういう光景を真っ正面に見ながら用を足すというのはぜいたくな話だ。思わず、下半身に気合いが入る。
小便器、窓、そしてその先に見える槍の穂先・・・という、何ともシュールな写真を一枚ゲットしたかったのだが、うまいことフレームに収まらず、断念。なかなか面白い写真になると思うのだが。

荷物をほどいて一息ついたので、外に出てみた。
稜線にある山小屋なので、360度見放題!な状態。こちらは山小屋から北東を眺めたところ。真っ正面の図体のでかい山が「大天井(おてんしょう)岳」。そこからずっと、こちらまで東鎌尾根が続いているわけだ。「表銀座」と呼ばれる、槍ヶ岳登山ルートの王道の一つ。ただし、ハシゴや鎖があちこちにあるルートなので、初心者は若干危険。
手前の人々は、どうやらテレビの取材できているらしく、テレビカメラを構えたまま撮影するでもなく、ぼんやりしていた。隣で、アンテナを構えた人が右へ左へとアンテナを振り、音が大きくなる方角を調べていた。発信器を取り付けた雷鳥でも探しているのだろう。

東を向くと、常念岳がピラミッドのようにそびえていた。
この山は、松本や安曇野からもよく見える山なので、知っている人は知っているだろう。

足下に目をやると、今日炎天下でへろへろにさせられた槍沢が見えた。
この写真を見て分かるとおり、沢はずーっと右奥のほうに延びている。ここを本日、延々と歩いてきたわけだ。
こうして上から見下ろしていると、自分が創造主になったような気になる。杖か何かを高らかに差し上げて、「大地に水を!」なんて叫べば、たちどころに槍沢に水がどばーっと流れ、大地は潤い・・・っていう妄想をしてしまう。
いかん、酒を飲んでいるわけでもないのになんというばかばかしい妄想だ。
ん・・・酒?さけ・・・おお、忘れていた。
何かが足りないと思っていたら、到着記念のびーるを怠っているではないか。

店の売店でビール500mlを購入。800円なり。高いが、いい加減慣れた。こんな価格に慣れちゃ本来いけないんだけど、山なので許す。
大体、この絶景、この槍の穂先様を眼前にして、ビールを飲まないなんて一升の後悔だ。あ、間違えた、一生の後悔だ。あまりに酒が飲みたくて、誤変換した。たとえ、「ビール1杯1,000円です」と言われても、僕はニコヤカに買っただろう。否!1,500円でも買ったに違いない。
・・・とまあ、山の上におけるビールの需要と供給の接点というのはとてつもなく高い価格帯にあるんである。こればっかりは仕方がない。
ホテルや旅館の酒が高い!価格を下げる為にもボイコットせよ若人よ!と叫ぶ事は僕も文句はない。酒を外から持ち込めばいいから。でも、山ではそうはいかんのだから、もういくらでもお金払いますけん飲ませてください状態なのだった。
でも!みよ、この写真を。
こんな羨ましいシチュエーション、ちょっとやそっとじゃありませんぜ、旦那!
へべれけ紀行ファンの皆様、お待たせしました。恒例のシーンでございますよ。



ビールをぐいーーーっ。
穴蔵のような居酒屋で仕事帰りに酒を飲むっていうのもいいけど、こういう開放感溢れる場所で酒というのはそれよりもはるかにいいもんだ。
全国の酒好き諸子よ、本当に美味い酒を浴びたかったら、山に登れ!

しかし。
さも美味そうにビールを飲んでいるけど、舞台裏はちょっと違うって事を写真で1枚。
しゃこっ、とプルタブを開けた直後の写真がこれ。
そう、標高が高いので気圧が低くなり、ビールは必ず泡が溢れてしまうのであった。だから、慌てて「おっとっと」と泡を啜るという行為が乾杯の前にあるわけであり、即ち「乾杯!」の声をと共に乾ききった喉を通りすぎる爽快なビールの味わい、というわけでは決してなかったということ。
ついでに言うと、冷蔵庫なんて存在しないので、ビールがぬるい。ビールそのものの旨さという点においては、イマイチなのであるが、その減点ポイントを景色でごまかしているっていう感じか。

槍の穂先から北側に延びている稜線。
通称「北鎌尾根」。
一般の登山地図には、ここを通る登山道は記載されていないが、登る人は登る「バリエーションルート」だ。
ただし、登山地図に記載されないだけの理由はきっちりあるわけで・・・。
時々、ルート脇に靴の片方だけが転がっていたりとかするらしい。靴を履いていた人はどうなったかって?・・・まあ、そういうことです。合掌。
あと、数年前にルートを指示するために岩肌にペンキで矢印を書いてあったものを勝手に改竄した輩がいて、道に迷いやすくなったとも言う。(ちなみにこの不届きモノは後ほど逮捕された)

夕方になると、がぜん寒くなってきた。
屋内ではストーブに火が灯った。
それにしても、寒い。
ついさっきまでの暑さはどこへ行ったのだろう。
思わず、ストーブの前で手をかざす、という「真冬の定番ポーズ」をとってしまった。

外に出てみると・・・ああ!
これが本当の「雲隠れ」ってやつだ。槍の穂先がすっぽりとガスに覆われてしまっていた。
この山を肴に乾杯したのがつい1時間前。あの時はきれいに晴れていた。北鎌尾根の写真を撮ったのが15分前。あの時も晴れていた。
山の天気がいかに早く変わるかという事だ。

とか呑気に他人事のような事を言っているうちに、あっという間にこっちまでガスが下りてきた。所用時間5分。
一面、ガスで真っ白。17時51分。
もうこうなると外に居ても寒いだけだ。そろそろ小屋に戻りますかね。
あっ、そろそろ夕食の時間ではないか。
チェックイン時に渡された夕食券を手に、食堂へと向かう。

じゃーん。ヒュッテ大槍、本日の夕食なり。
こ、これが噂に聞いていた夕食ですかご主人!
まず、何よりも先に目に付くのが、写真右下のグラスだ。山小屋でグラスが出てくること自体非常に特異なのだが、中に入っている黄金色の液体は、まごうことなき白ワイン!やっぱり、噂は本当だった。この山小屋、ワイン出してるぞオイ。
普通、こういうアルコール類は山小屋サイドからすれば「重要な収入源」なわけであり、わざわざサービスで提供する事などあり得ない。にもかかわらず、気前よくワインを振る舞うのだから、ここの経営者の心意気は凄い。
料理は、鶏肉のトマト煮、フランスパン(!)、きのこのバター炒め、イカリングフライ、大学芋、生野菜(キャベツ千切り、キュウリ)、ほうれん草のお浸し、オレンジ、コンソメスープ、ご飯。
山小屋料理としては、信じられない構成だ。何?チープくさい?黙れ。山だとこれはぜいたく中のぜいたくの部類に入るはずだ。何しろ、メインの大皿の上に調理法が異なる料理が何品も乗っているのだから。しかも、冷凍品ではなく手作りのものも結構ある。そもそも、こんなに品数があるのは初めてだ。こりゃ、絶対ここの経営者は道楽でやってるに違いない。
恐らく、あんまりお客が来にくい場所にあると言うこともあって、「少々原価率が高くなってもいいや、もうけ度外視で山小屋をやったらどうなるか試してみるか」という事でやっているに違いない。ありがとう、その心意気や大いに良し。では、その心意気に応えて、さっそくビールを飲みながらこれら豊富なおかずを頂きましょうかね。
・・・ワインがあるのに、さらにビールっすか。
うん。やっぱりこれはこれで。
などとニコヤカに食事を進めていたら、ここのご主人らしき人(若い人なので、ご主人かどうかは不明)が「サラダお代わりありますので、よろしかったらどうぞ」と野菜を盛りつけたバットを持ってきた。
驚いた。サラダバーというのは大げさな噂だったけど、本当に野菜はお代わりできたのだった。
まあ、野菜といってもしょせんキャベツの千切りなのだが、この「お代わり用」にはトマトの輪切りが追加になっていた。有り難く頂戴。
こういう生野菜が提供できるということは、頻繁に生鮮食糧品の荷揚げが行われているというわけであり、時代は流れたなあと感じさせる。ヘリコプターがなかったら、とてもじゃないけどこんな豪勢な食事はできない。せいぜい、レトルトカレー止まりだろう。

普通、山小屋での食事は狭い中で時間限定でとらされ、何となく居心地が悪いものだ。時には、「エサを支給されている」という気分になることだってある。
しかし、このヒュッテ大槍ではそれほど混雑していなかったこともあり、ウェルカムワインがあったこともあり、非常に愉しんで食事を採ることができた。
食後、外に出てみると辺りは真っ暗だった。
ガスは晴れたようで、周囲を見渡すとところどころに明かりが見える。
あの明かりは槍岳山荘、あの明かりは殺生ヒュッテ、ええと、あの遠い山にあるのは北穂高小屋・・・。人口建造物があるところには、明かりがある。

食堂の片隅に、明日の天気が掲示されていた。
こういう心配りも、うれしい。
明日も晴れらしい。しかし、「一時雨か雷雨」ってのは気になる。早めに進軍しなくては・・・。
よく見ると、「ヒュッテ大槍」の文字の上に「ナマステー」という文字とインド人女性と思われる絵が描かれているのはしみじみと謎だ。
21時、消灯時間になったので就寝。結局、1.5畳に一人という配置になった。うん、ぜいたくぜいたく。これなら熟睡できそうだ。
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