2002年09月02日(月) 3日目
ヒュッテ大槍→槍ヶ岳→大キレット→北穂高岳→穂高岳山荘
快適な寝床だった。山小屋泊の経験の中では、もっとも心地よく眠ることができたのではないか、というくらいだった。
しかし。
山の朝は早い・・・。気が張っているから目覚めが早くなるということもあるが、例のごとくビニール袋ガサガサ音があちこちでするので、どうしても目が覚めてしまうのであった。ああっ、うるさい!
まあ、そのおかげというわけではないが、きっちりとニッポンの夜明けを楽しめるから結果オーライなのだが。
朝5時15分。東の空から太陽がのぼってきた。ご来光を見ると、いつも「今年もよい1年でありますように」と条件反射でお願いをしてしまうのだが、もう9月なわけでありあんまり時節を捕らえていない内容ではある。
朝日に染まる槍の穂先。
今日はまず、あのとんがったてっぺんを攻略しないといけない。でも、あんなに狭いところに人が登って、足の踏み場はあるのだろうか?
槍の穂先の左側に、平坦な場所があるのが見える。あそこが槍岳山荘。まずは、ここからあそこまで進軍し、そして穂先に向けてハシゴと鎖で岩のぼりとなる。
ご来光といえば、やっぱり富士山がなくちゃ。
富士山、きっちりと拝むことができました。
その右手には、南アルプスの山々がそびえている。
朝5時半から朝食。
さすがに朝食には白ワインは付かなかったか。ちぇっ。
・・・というのはともかくとして、相変わらず山小屋では鮭が圧倒的に強いな、というのをまざまざと見せつけられた朝食であった。
昨晩、あれだけ気合いの入った夕食を提供したヒュッテ大槍「でさえ」、鮭が朝食のメインディッシュとなっているこの事実。やはり、安くて・日持ちがして・メインディッシュの重責を担うことができる食材、として最適なのだろう。
しかし、標高3,000m近い山の中で海のものを食べているというのも不思議だ。
朝食にもキャベツの千切りがついていたり、きんぴらゴボウがついていたり、ポンジュースがついているというところが地味に凄い事だ。普通の山小屋だったら、こんなに朝から品数はつけない。
うれしくなって、ついついご飯を大盛りにしてしまった。昨晩はご飯をついつい食べ過ぎてしまい、ちょっと後悔していたところなのだが・・・まあ、今日はこれからカロリーを消費しまくるということで勘弁。
廊下に貼ってあった注意書き。
こういう文章ひとつとっても、山小屋スタッフの感じの良さがうかがい知れる。
普通だったら、「ゴミの持ち帰りにご協力ください」というお願いになる。だけど、「ありがとうございます」とお礼を言われてしまうと、何かもう持って帰らないと犯罪人みたいな気がしてくるから不思議だ。
5時54分、ヒュッテ大槍を出発。
最後、記念撮影をしようと三脚をセットしていたら、ご主人が「あっ、写真撮りましょうか?」とニコヤカに駆け寄ってきた。非常にきさくな方だ。
それだったら、一緒に写ってもらった方がいい、ということでこうして3人で一緒に。
いやあ、いい山小屋でした。兄貴も僕も、「過去に泊まった山小屋の中でベスト!」と断言してしまった。ありがとう、ヒュッテ大槍。
ここで普通、山小屋に「ありがとう」なんて言葉を言うことはまずあり得ないのだが、そう言いたくなるような、いい小屋だった。
切り立った東鎌尾根を、時々ハシゴや鎖を使いながら進む。槍の穂先直下で道は左に巻いて、そのまま槍ヶ岳山荘に到着した。午前6時27分。
槍ヶ岳山荘はつい先日リニューアル工事が終わったばかりらしく、正面入り口は新しい建物になっていた。
山小屋の屋根のあちこちからホースが下に延びている。そのホースの先はタンクになっており、この山小屋が雨水に頼っている事が伺える。雨が降らなければ、この山小屋はやっていけないという事だ。しかし、650名のキャパを持つ山小屋だから、水を確保するだけでも並大抵の努力じゃ無理だと思うが、一体どうやっているのだろうか。
本当に水不足な山小屋の場合、食事の際の皿が使い捨てだったり、皿にラップを巻いた上に料理を盛りつけて、皿を洗わなくて済むようにしている。それくらい、山の上の水は貴重だということだ。でも、日本人の宿命として、主食がご飯である以上どうしても水を大量に使わなくてはならないわけで、山小屋としては頭が痛いことだろう。よっぽど水不足になったら、「今日から食事は全部パンになります」という事になるかもしれない。
槍ヶ岳山荘の入り口に、何やら小じゃれた黒板が飾ってあったので眺めてみたら。
呆れた。「キッチン槍」だって。朝6時30分にしてもう営業しているらしい。標高3,000mでこんな食堂があるとは驚きだ。
メニューも驚きで、実用的かつ典型的山小屋食である「カレー」や「牛丼」「ラーメン」があるのはともかく、「カツ丼」なんてものまである。カツ丼、といえばカツを油で揚げて、玉子とじにして、ご飯に盛りつけるという手間のかかる料理。よくもまあこんなものを山の上で提供できるもんだ。思わず下界での悪事を洗いざらい白状しちまいそうですよ刑事さん!
・・・でもなあ、牛丼とカツ丼が同じ値段っつーのはちょっと謎だ。
それは兎も角、喫茶メニューまであるのには驚いた。クロワッサンやデニッシュまであるではないか。そういえば、槍ヶ岳山荘では自家製焼きたてパンを始めたって話を以前どこかで聞いた。それがまさしくこれだったのか。あっ、ケーキまであるぞ。山小屋らしくねぇー。
値段だけはきっちりと山小屋していたけど。
と、見て見ぬ振りをしてきたが、メニュー真ん中に赤字でどどーんと書かれている文字列を放置するわけにはいくまい。生ビール、800円。おお、この山小屋は生ビールを出すってか!
ビール缶を運び上げるだけでも難儀なのに、わざわざ生ビールをこんな場所でやってるとは!なんという羨ましい事よ。ヒュッテ大槍に昨晩宿泊して、大満足させてもらったけど・・・この山小屋でこうして生ビールがあるという現実を見てしまうと、ちょっとこっちの山小屋にも惹かれてしまう自分。
しかも、缶ビール500mlと同じ値段なんだもんなー、生ビール。ああ、飲みたい。
でも、まだ夜が明けたばかりだし、今日はこれから生死に関わるような難所を通過しなければならないのでアルコールはやめにした。
槍ヶ岳山荘から、槍沢を見下ろした図。
正面に見える人口建造物が、殺生ヒュッテ。なんつー恐ろしい名前だ、と思うが、昔ここは現地の猟師さんが獲物を捌いていた場所だったらしい。だから殺生ヒュッテと。
そんな話を聞くと、動物の怨霊が夜中に出てきそうで、ちょっと怖い。
その殺生ヒュッテから左上、崖のてっぺんに小さく人口建造物が見えるのが分かるだろうか。あそこが、先ほどまでお世話になっていたヒュッテ大槍。
さて。
お待たせしました、いつまでも景色を眺めているわけにはいかない。槍の穂先、頂点を目指そうじゃないか。
槍岳山荘から見上げると、穂先はこんな感じ。
遠くからみた時の尖った感じはなく、ずんぐりむっくりに見える。見上げると分かるとおり、登山道・・・なんて気の利いたものは存在せず、ジャングルジムを登るような形になる。
真っ正面のとんがった山頂の左に、小さく尖った岩場がある。あれが、「小槍」と言われているピーク。
岩場を両手両足使ってよじ登る。劔岳の「カニのタテバイ」「カニのヨコバイ」よりはマシ、という感じだが、いやあ最近健康のために山登りをはじめてねぇ、というオッチャンオバチャンたちはぜひここにやってくるのはやめていただきたい、という難易度ではあった。
あーあ、案の定。下を振り返ると、オバチャンがまんまと足がすくんでしまい、立ち往生してしまってら。おかげで、そのオバチャンの下は渋滞になっている。
おばちゃん 「す、すいませんー、先行ってくださいー」
後ろのおっちゃん 「先行け、ったってアナタがいるから先いけないんだけど」
おばちゃん 「あ、あわわわ。すいませんー。えっと、のきますんで」
おっちゃん 「ああ!危ない!いや、いいです、ゆっくりでいいですからそのまま進んでください」
・・・
登っているうちに、小槍の横に出た。小槍だったら、日本人なら誰でも知っているはず。
アルプス一万尺、小槍の上で、アルペン踊りをさあ踊りましょう♪
さあ、踊りましょう。・・・って誰が踊れるか、あんな岩の上で。そもそも、アルペン踊りって何だ。盆踊りみたいなものだろうか。1尺=30センチなので、1万尺=標高3,000m、ということになる。
ひたすら、崖をよじ登る。もちろん、落ちれば即死。
進む道筋は、岩に白いペンキで○印がつけられているので、それを探しながら進んでいく。ご丁寧に岩を削って階段状にしてあるとか、そういう気の利いたことはされていない。まあ、当然の事だ。
写真だと、右下に○が見える。そこから上に向かって、所々岩場に○がついているのが分かるはずだ。その中腹に、緑色の服を着た兄貴が岩にへばりついている。これで、この岩場のスケール感がわかると思う。
写真ではほとんど潰れてしまっているが、兄貴がへばりついている岩の左上に鉄梯子がかかっていて、そこを登り切れば念願の山頂だ。
6時52分、槍ヶ岳山頂到着。標高3,180m、日本で4番目の高さの山、だったかな?
山頂はちょっとだけ平らな岩場になっているが、それでも20名も山頂に登ると、足の踏み場が無くなるくらいの広さしかない。
しかもこの山、通常の山と違って本当に尖っているので、足下がすぽーんと切り立っていて怖いったらありゃしない。山頂のほこらまで数メートル歩くのでさえ、浮き石に気を付けつつ慎重に歩いた。ずるっといったら、そのまま落下してサヨウナラ、になってしまう。
記念撮影を1枚。おかでん、昨晩のビールとご飯お代わりのために相当顔がむくんでしまっている。(昨日のビールを飲んでいる時の顔と比較すると、別人のようになってしまっている)
空を切り裂くように尖った山なので、これぞ正真正銘の360度大パノラマなんである。
こちらは、笠ヶ岳。この手前麓が新穂高温泉になる。
朝日を浴びて、槍の穂先が大きな影になっていた。
「裏銀座」と呼ばれる山々。
真っ正面のなだらかに高い山が薬師岳。もうこの辺りは富山県だ。
その右側、黒っぽくぼこっと突き出ている山が水晶岳。
・・・といっても、山登りに興味が無い人からすれば、名前すら聞いたことがない山ばかりだ。
この辺りは、恐らく本州でも一番人里離れた場所のはず。日本百名山と呼ばれる山の中で、最寄りの登山口から最も遠い場所となる。(11時間くらいかかるので、事実上2日がかりでようやく山頂に着くことになる。往復最低4日)
もう少し西側を向いてみたところ。
三俣蓮華岳、黒部五郎岳、双六岳。
おお、なんだかこのコーナーが山岳紀行コーナーになりつつある。やばい、趣旨がずれているではないか。
でも、これだけの絶景を見ることができるのは滅多にないので、調子に乗って写真を撮りまくった。
山頂にたたずむおかでん。
足場が悪く、ぐらぐらするのでへっぴり腰になっている。
背後に、今日これから目指す奥穂高岳が見える。
山頂から見下ろした、槍ヶ岳山荘。赤い屋根が目立つ。
増改築を繰り返したらしい造りになっている。この手前側が長野県、奥が岐阜県となる。
さて、この槍岳山荘はどっちの県に税金を納めているんでしょうか?
あまり山頂に長居をすると、後からくる人が山頂に登ってこれなくなる。長居は禁物だ。下山を開始しよう。
山頂直下の鉄梯子を慎重に下りる。
ところどころ、岩のでっぱりが足場を邪魔するので、一歩一歩を慎重に進めないと危ない。
槍岳山荘に戻ったところで、兄貴がリタイア宣言。持病が悪化したため、緊急下山するという。これから一番危険な場所に突入するというのに、単独行となるのは非常に心配だが、ここまできて兄貴につきあって下山するのはあまりに惜しい。さらに、あの長くてうんざりさせられる上高地までの道をもう一度歩くのはイヤだ。
ということで、二人は翌日昼に上高地で無事合流することを約束しあい、お互いの健闘を祈りつつ別々の方向に向かっていった。
さあ、進路を南に向けて、大縦走の開始だ。
槍岳山荘の前を通り抜けていくと、そこにはキャンプ場があった。ここは標高が3,000m以上ある場所なので、恐らく日本でもっとも標高が高いキャンプ場だろう。
日本最高地点のキャンプ場と言うことだけあって、家族連れのキャンパーでごった返して、、、、ごめんなさい。また同じボケをかましてしまった。
廃材の材木が四角く囲ってあって、そこがキャンプ区画として指定されているらしい。1区画ががっかりするくらい狭いのだが、どうせこういう所に持ち込むテントは一人用もしくはせいぜい二人用なので、なんとか収まるのだろう。
真っ正面に大食(おおばみ)岳が見える。槍ヶ岳を踏破した直後だと、ただ単に通過点に過ぎない雑魚山に感じるのだが、こう見えても標高は3,101mもあってなかなか侮れない山ではある。
大食岳登頂中に振り返った写真。槍の穂先がそびえていて、その横に槍岳山荘が見える。あそこから、ジグザグに標高を落とし、そこから一気にまた登り直しだ。
稜線歩きは眺望が良く非常に楽しいのだが、こうして山のアップダウンにそのまんまつきあわされるので、悔しいのも事実。さっきまで稼いだ位置エネルギーを返せ、と。
この写真に写っている最低鞍部が、飛騨乗越(ひだのっこし)といい、日本最高所の峠となる。標高3,020m。いや、そんな事を覚えたって、地理の試験には絶対出てこないけど。
でも、何はともあれ、「日本最高」を通過したというのは何となくうれしいもんだ。下山したらみんなに自慢しよう。「俺、日本最高地点の峠を攻めたんだぜ!?」って。
・・・「はあ、だから何?」って言われるのがオチか。
午前7時56分、大食岳山頂到着。
大食、というネーミングが非常におかでんにとってはシンパシーを感じさせる。しかし、山自体は非常にあっさりとしていて、脂ぎっているとかぶよんぶよんしているとか、そういう事は決して無かった。
その証拠に、記念撮影をすると、大食岳登頂記念なんだか槍ヶ岳撮影をやっているんだかわからないような仕上がりになってしまった。
やはりここで言えることは、「槍ヶ岳は被写体として非常に素晴らしい」ということ。
大食岳からこれから進む進路を見やる。
馬鹿正直に山の稜線を歩き続け、真っ正面はるか遠くに見えるごつごつとした岩山・・・あれが奥穂高岳だ・・・の手前にある穂高岳山荘に進まなければならない。
「なんだ、標高差があまりなくって、楽そうじゃないの」
とこの写真だけを見ると感じるが、とんでもない。この写真では隠れているが、途中に「大キレット」という難所が控えているのだ。
ボスは最後にならないと出てこない。これはドラマのお約束。
午前8時24分、中岳到着。標高3,084m。
既にこの時間にして気温は上昇し、水分補給が欠かせなくなってきた。
しかし、これから岩場が連続するので、昨日とはうってかわって服装はしっかり長袖・長ズボンになっている。軍手もはめている。
というか、昨日の格好が山をナメすぎ、とも言えるのだが。
快適に歩いていく。
ここら辺は、比較的天国な水平移動。
・・・のつもりだったのだが、ここら辺はゴロゴロした岩の中を歩くことになり、すいすいと歩ける状態ではない。しかも、広い稜線を歩くため、岩につけられているペンキを探しながら歩いていかないと、とんでもなく間違った場所に進んでしまうことになる。案外気を遣う場所だ。
正面奥の山が北穂高岳、そのさらに奥(右端)が奥穂高岳。なーんだ、ほとんどこの後は水平移動じゃーん、と今この段階であっても思わせる。
大キレットはまだ見えてこない。
なだらかな山と見せかけておいて、ところどころこういう崖が出現しだした。
そろそろ、本領発揮というところか。
午前9時24分、南岳到着。標高3,032.7m。
何でピースサインまでして大喜びしているのかというと、30分ほど前に登ったピークを南岳と勘違いしていたからであった。標準コースタイムよりもやけに早く到着してしまったので、「おかしい、そんなはずはない」と首を捻りつつも「ひょっとしたら僕ぁものすごい脚力の持ち主なのでないか」とあり得ない妄想まで開始する始末で。
結果、自分の勘違いであって、今こうしてようやく南岳に到着したので苦笑いしていた、というわけ。
あと、ここに来てようやくご本尊の姿が見えてきた、という事もヨロコビの一つ。そのご本尊とは・・・
南岳小屋。
お前に逢いたかったんだよぉぉぉ。
・・・それは露骨にわかるうそだが、ついに見えてきました、大キレット。毎年何人もの死者を出し、けが人まで含めると2桁は軽く突破するという、日本を代表する難所のひとつ。
大キレットとは、漢字で書くと「大奇麗便所」といい
うそです、ごめんなさい
ええと、「大切戸」と書くわけで、要するに急激に高度を下げ、そして高度を上げるという「位置エネルギーの無駄遣い場所」の事を指す。それだと、単なる峠じゃないかと思うが、稜線の左右がすっぱり切れ落ちていて、一歩足を踏み外すとさよーならー、な場所でなくては「キレット」の称号は与えられないようだ。(正確な言語の定義はおかでんも知らない)
つまり、峠を「小隊長殿」だとすれば、キレットは「大隊長」くらいに位置するわけであり、そして今回「大」という肩書きがついている大キレットは「師団長」くらいの位置づけと考えて良いのではないかと思うわけだが、今こうして思いつきで喩えを使ってみたがますますわかりにくくなってしまった。ううむ。
説明はともかく、ではその大キレットは写真のどこにあるの?という事だが。
南岳小屋から、向かい側の北穂高岳の間。ここが難所「大キレット」になる。そのまま水平に道があれば、北穂高岳までの標高差はせいぜい70mしかない。しかし、この間に大キレットが割って入っているため、一気に300mも標高を下げ、そして400m登り直さないといけないという無駄なアップダウンをしなくてはならないのだった。しかも、それだけの事を水平距離で1.2km程度の間でやってしまうので、崖の斜面たるや相当なものだ。
そのため、鎖と梯子、足場用のボルトを駆使して通過しなければならず、足を一歩でも踏み外すと数百メートルの急降下が待っている。もちろん、急降下が終わった時点では人としての形を成しておらず、ミンチだ。さらに、ここら辺は浮き石が多いときたもんだ。足下の不安定な石に気を付けていたら、崖の上にいた人の落石に直撃してさようなら、という事だってあり得る。
とにかく、上下左右全てに気を配らないといけない、ということだ。
南岳小屋の脇に設置されていた注意書き。
←獅子鼻 大キレット展望台1分
→北穂高岳3時間 ※午後2時以降の通過はお控えください近年、これより先の大キレットでは重大事故が頻発しています。大キレットは難易度・スケール共に日本屈指のハードなルートが続きます。いま一度、天候・体調・装備などを確認の上、事故のないように気を引き締めて!
無事に通過されることを願います。南岳小屋
これを読んで、ビビる。 「今更帰るわけにもいかないしな」と思うが、そういう猪突猛進が山岳事故の典型的なパターンなので、やっぱり引き返した方が、なんて真剣に考えてしまった。
獅子鼻から大キレットを覗き込んでみる。
「見下ろす」とか「眺める」という表現があわないくらい、ここから最低鞍部までが深い。まさしく、「覗き込む」という表現がぴったりだ。
手前の崖のように傾斜のきついところをぐいぐいと高度を下げ、奥に見える稜線まで下りる。
最低鞍部付近は緑に覆われているので、何となく穏やかな感じを受ける。何だ、単にアップダウンが激しいだけじゃないか、と。
しかし、視界を進行方向に向けると・・・ああ、何だこの岩山は。
この写真だとわかりにくいので、クリックしたら写真が拡大するようにしておいた。
どこをどうやって登っていけばいいのか、さっぱりわからん。絶壁じゃないか、あれは。
いや、よく見ていけば、道筋はわかる。稜線づたいに進んでいって、北穂高岳に取り付いたあたりで徐々に左側に進んでいって、最後は直登で山頂に着く、と。こうやって口で言うのは非常に簡単だが、いざ登れといわれると、ちょっと憂鬱だ。
呆れるのは、北穂高岳の山頂・・・写真だと、台形っぽく平らに見えている場所・・・に山小屋があるということだ。写真だとほとんど潰れてしまっていて見えないが、肉眼でみると岩にへばりつくようにして山小屋があるのがわかる。冬になったら、そのまま涸沢に転がり落ちるんじゃないのか、と心配になるくらいとんでもないところに位置している。でも、そこにこれから向かわないといけないわけであり、他人(というか他物)を心配している余裕など無いわけだが。
ちなみに、後々でてくる場所の説明をここでやっておきましょう。
写真中央やや右より、緑の稜線の中を進む登山道がたどり着く小高いピーク、あそこが「長谷川ピーク」。その先、わずかに下って北穂高の岩場に取り付くぞ、というポイントが「A沢のコル」、その頭上で岩場がグチャグチャして一体どこを歩けばいいんだ、と頭を抱えてしまいそうな場所が「飛騨泣き」。
さすがにビビったので、携帯で只今下山中の兄貴に連絡をとろうとしたが、電波が入らなかった。どうやら、この山を挟んで信州側は電波が入らず、飛騨側は電波が入るようだ。電話機を飛騨側に向け、「只今から大キレット突入」というメールを送信しておいた。
あと、それだけでは不安だったので、神奈川にいるコダマ青年(過去のへべれけ紀行参照)にも同じ内容のメールを送っておいた。
これから先は、頻繁にこういう形で連絡をしておくことにしよう。もし遭難しても、どこで音信不通になったのかわかるだろうし。単独行登山者のささやかなる自己防衛。
大キレットに突入。
一気に高度を下げる。昨日今日と、あれだけ汗を流してきた努力を返せー、と叫びつつジグザグに下りていく。
ザレた道で、すぐにずるずると滑るし落石が起きるし、油断できない。落石を起こしても問題ない場所ならともかく、ここは自分の足下はるか下まで登山道がうねうねと続いている。うかつに落石を起こしてしまうと、先を行く登山者にストライクしてしまいかねない。自然自然と歩き方が慎重になるし、足に力が入る。これは疲れる。
登山道に看板があった。
「難所終了!南岳まであと10分」
・・・そうか、ここは難所の部類に入らないのか。ちょっとショックを受けた。
しかし、その認識が甘いということに気づくのに、それほど時間は必要としなかった。
何しろ、一気に標高300mを下ろうとした日にゃ、ジグザグに道を作ったくらいじゃ追いつくわけがない。限りなく絶壁に近い箇所も何カ所かあるわけであり、そういう場所は鉄ハシゴを使って一気に高度を下げるようになっている。
ハシゴって言ったって、児童公園の滑り台にあるハシゴなんかと訳が違う。建て付けが悪くてグラグラしている場所もあるし、せり出した岩で踏み段が塞がれている箇所もある。だから、一歩一歩つま先で探りを入れながら下りていかないといけない。
だいぶ高度を下げてきた。
こうして間近で見ても、なだらかな場所にみえるのだが・・・死角には、「待ってました」とばかりに崖や岩場が待ちかまえているからヤラシイ。
先ほどまで「対等な立場」として水平に見ていた北穂高岳が、見上げる位置になってしまった。
近づけば近づくほど、あの岩肌はすごい。あと、その崖の鋭さっぷりたるや感嘆に値する。ありゃあ落ちたら死ぬわ、間違いなく。
思わず、落ちたらどこら辺まで転がっていくのだろう・・・とその先を目で追いかけてしまったが、ぞっとしたのでやめた。
まだ信州側に落ちるならいいが、飛騨側に落ちたら発見してもらえるのかどうか、甚だ疑問。
午前10時25分。最低鞍部に到着。
途中経過をメールで送り、ついでに悪戯心で実家の母親に電話をかけてみた。
母 「今どこにいるの?携帯からみたいだけど」
おかでん 「うん、今大キレット」
母 「え?何?何だって?」
おかでん 「大キレットにいるの」
一瞬、母親は「それは日本なのかどうなのか」すら分からなかっただろう。さらに、
おかでん 「日本の山の中でも有数の危ない所に今いるんだけどね」
なんて言ったものだからますます母親は心配しちゃって、
母 「まぁーー。やめなさい、そんな危ないところに行くのは。怪我したらどうするの」
なんて言う。しかし、怪我で済めばまだマシなんですけど、何て事を言ってしまうとしゃれにならんのでやめておいた。あと、「やめなさい」と言われたって、もう大キレットのど真ん中に来てしまっているわけであり、「途中離脱」なんてできっこない場所なのでどうしようもない。
ま、それはともかく、安否確認はこれにて終了、と。
結局、最後まで母親は「大キレット」なる場所を理解できなかったので、「親父に聞いてよ!親父だったら分かるはずだから」で話を打ち切り。心配させただけの電話になってしまった。申し訳ない。
ちなみに、最低鞍部の写真を見ると、北穂高岳があんまりそびえ立って見えないんですけど、と指摘をうけそうなので。
くるりと180度振り返って、先ほど下ってきた南岳方面。
これだけの標高差を一気に下りてきたわけだ。
これから登りだ、と気合いを入れ直して進む。しばらく進むと、眼前に長谷川ピーク(標高2,841m)が見えてきた。午前10時45分。
緑に覆われているので、なだらかに見えていた場所だったのだが・・・間近で見ると、岩がごろんごろんしているではないか。これは難儀しそうだ。岩にへばりついて、両手両足を使ってよじ登らないといけない。
あちこちに白ペンキで○の印がされているので、それを頼りにルートを決めていく。時々、×の印があるので要注意。そっちには間違っても入ってはイカンという合図だ。
長谷川ピークは、槍ヶ岳側(北)は比較的なだらかなのだが穂高側(南)はご覧の通り。なんだか、三角木馬の上に立っているような気がしてくる。やっぱりこういうときは、「堪忍してください」って言うべきなんだろうな、と場に不釣り合いな事を考えてしまった。
おかでんのように背が高い人間だと、崖を下りるときは壁面を背にして仰向けで下りることができる。これだと、視界が広くて次の一歩を踏みだしやすい。逆に、背が低い人や傾斜が本当にきつい場合は壁面と向かい合わせになって進む事になるが、これだと視界が狭くなりなかなか次の一歩を決めにくくなる。
さすがにここの壁は傾斜がきつく、壁にへばりつきながらそろそろと足を進めたが、途中何度足を伸ばしても足場が見つからない場所があり、恐怖を感じた。足でいくら探っても、すかっ、すかっと空振りする。何しろ、その空振りしている足の下は相当の断崖なわけであり、それを思い出すと足がすくむ。
さっき通りすがりの登山者と雑談していたときに、「飛騨泣きは気が張っているからかもしれないけど、思ったより怖くはなかった。それより、長谷川ピークでどこに足場があるのかわからない場所があって、そっちの方がよっぽど怖かった」という話を聞いたのだが、まさしくこのことだった。
長谷川ピーク通過後、ビビったココロを落ち着けるために小休止。
別に技術的に難しいわけではなく、恐怖で足がすくむほどの事ではない。しかし、ここで過去に多くの人が命を落としているという事実と、目の前に広がる絶壁を見ると精神的に疲れてしまう。
絶壁の下から、死者がおいでおいでをしているような気がする。だから、「いや、僕はお亡くなりになった方に対しては非常に同情申し上げるものであってですね、2ちゃんねるの登山キャンプ板で『パンパカパーン、また死にました』スレに『DQN中高年珍登団また遭難』なんて書き込みしたりなんかしていないですし、しようとも思ってもいませんから」と言い訳をひとしきり行っておいた。
道が三角木馬状態なのは相変わらずで、まだまだ三角の頂点を歩かせようとする。ここには、鎖がついていた。
普通だったら、こういう「てっぺん部分」は歩く場所ではない。その脇を通っていく。
しかし、「脇」の部分が絶壁なので、そんな歩く道を造る事ができないのだろう。だから、「てっぺんを歩け」と。
午前11時33分、A沢のコル直前から今きた道を振り返ったところ。
この壁面を、岩にしがみつきながらてっぺんからここまで下りてきた。これまたルートファインディングが面倒で、次にどの足をどこの岩に乗せれば良いのかで頭を悩ませる。
体力もさることながら、頭脳も必要となる知的なゲームだ。
この時点で結構疲れてしまったので、A沢のコルで昼食を採ることにした。大休止。
ヒュッテ大槍で用意してもらったお弁当。
なるほど、600円とえらく廉価だなあと思っていたら、おむすび2個+沢庵というわけだ。これなら、山上価格としても納得いくものだ。
でも、育ち盛り(もっぱら体重のみ)のおかでんとしては、これだと少々物足りないような気もするが。
添えられていた名刺大の紙には、夜明けの槍ヶ岳が描かれていた。今朝見た光景と同じだ。
何気なくひっくり返してみると・・・あれ、手書きで何か書いてある。
この度はヒュッテ大槍をご利用いただき誠にありがとうございました。
素敵な思い出がつくれたでしょうか?
またのお越しをお待ちしております。
楽しい旅を・・・2002.9.1 ヒュッテ大槍スタッフ一同
だって。わざわざ手書きでお礼文だなんて!これには面食らってしまった。しかも、日付入りだ。今日このためにわざわざ書いたということだ。いやぁ、山小屋でここまでやるとは思わなかった。感動した。
でも、逆に「やりすぎだろう、これは」とも思ったのも事実。うれしいことはうれしいが、そこまでやらなくってもいいのに、と思う。
午前11時42分、お昼ご飯。
コンビニのおむすび程度のサイズだったので、ぱくりぱくりと食べてしまえばあっという間に無くなる。
中高年の方々にとっては、疲れていて食欲もなくてこのサイズでちょうど良いのかもしれないが、やっぱり若者にとっては少ない。
これからは、ますます中高年登山客が増えるので、お弁当も「若者向け(量多いです)」と「中高年向け(量は控えめ)」の二種類、用意してもらえないものだろうかと思う。
それにしてもこの写真、奥にある岩肌がえらい角度だよなあ・・・。こんなところを、さっきまで上り下りしてたわけだし、これから先しばらくそれが続く。
これから進もうとする、飛騨泣きを見上げたところ。
一体どこにルートがあるのか、さっぱりわからん。
というか、何でこんなところをよじ登らなければならんのか、という根本的なところに既に疑問を抱いてしまっている自分。
何しろ、目の前にそびえ立つ岩山が見えてきて、「ああ、さすがにあれは横に巻き道があってよけていくんだろう」と思っていたらそのまんまズンズンと直登を始めるんだから。よけようという発想は無いのか、この道は。
↑の写真の岩山を乗り越えて、裏側から振り向いて見た図。
・・・なるほど。巻き道なんて造ることができる状態じゃないな。信州側(右手)も、飛騨側(左手)もいずれも絶壁。
しょうがないので、馬鹿正直に県境となっている稜線を登って、降りるしかない。しかし、その稜線だってやっぱり崖になっているわけで、巨大なアスレチックで遊んでいるのと一緒だ。でも、「遊んでいる」という気分にはとてもなれないが。
この岩山のサイズは写真下部からてっぺんまでで、大体40mから50m近くある。
12時12分。太陽が頂上に来ているので、直射日光を遮るものがほとんど無くなってしまった。水の消費が激しく、2リットルのペットボトルの水が不足がちになってきた。これからまだ行程は長いので、節制しないと・・・。
今取り付いている岩山の斜度はこんな感じ、ということで写真を1枚。
こういう斜面のところを、ジグザグに登っていかなければならないからたまらない。
只今飛騨泣き通過中。
本当はもっとヤバイシチュエーションの写真を撮りたかったのだが、そういう状態だととても写真を撮る余裕などないため、結果的に「それほどすごくない」写真ばかりになってしまっている。実際はこんなもんじゃないぞー、顔が引きつるような場所だぞー。
さてこの岩山、まさかこんなところをよじ登るわけがないと思うでしょう。・・・いや、馬鹿正直によじ登って、乗り越えていきます。もちろん、乗り越えた後は下りが待っているわけで。
即ち、大キレットという「位置エネルギー無駄遣いの王様」がある中で、さらに細かくアップダウンがあるのでエネルギーの無駄は積み重ねられるというわけだ。
しかも、岩山なので登るのにも、下るにも体力を相当使う。ああ、しんどい。
さて問題です、この岩山はどうやって登るのでしょうか。
[答]
根性で登ります。
というのはともかくとして。写真中央下から、左上に鎖が設置されているので、左端の岩場の上まで鎖を使いつつよじ登る。そこから、水平に右に移動し、岩の裏側に回る、というルート。足を一歩でも踏み違えると人生サヨウナラだ。
とにかく、うかつに休憩する場所がない。立ち止まる程度しか場所がなく、荷物を投げ出して座り込む事ができない。で、立ち止まって振り返ってみると足下はすぱーっと数百メートル・・・場合によっては1kmくらいあるのかなあ・・・と切れ落ちていて、逆に怖いというよりも「このまま身を投げ出したら、ボクは鳥のように空を飛べるのではないか」という気になってしまうくらいだ。
ひいひい言いながら進んでいるうちに、陰険なアップダウンが続く岩場から解放されてきた。どうやら、北穂高岳の本体に取り付くことができたようだ。
見上げると、太陽に照らされながら北穂高小屋がおいでおいでをしている。ちくしょう、距離としては近そうなのだが、疲労困憊しているのでなかなかたどり着くことができない。13時3分。
途中、若い女の子が彼氏と一緒に登っているのを追い抜いた。すごいもんだ、こんなところを若い女性が登るなんて。彼氏にうまいこと言いくるめられてつきあわされているのか・・・とも思ったが、そんな軽率な事でこんな山に来るはずはなく、お互い熟練者なのだろう。
13時17分、這うようにして北穂高小屋に到着。
崖をよじ登ったらすぐ目の前にひょっこりと小屋が現れたので、ややびっくり。本当に、崖のてっぺんに小屋がある。
疲れ果てていて思考能力が鈍っていたらしい。小屋の前で到達記念写真を撮る際にばっちり小屋の表札を己の体で覆い隠してしまっていた。これじゃ、単なる家の軒先で写真を撮っているのと変わりない。
疲労状況や到着時刻次第では、ここ北穂高小屋に泊まる事も想定していた。ここから先、穂高岳小屋まで標準コースタイムは2時間15分。どんなに遅くとも山小屋には16時に到着するスケジュールを立てていないと山では危ないので、ギリギリの時間配分ではある。しばらく悩む。
何しろ、この北穂高小屋は山のてっぺんにある小屋。だから、眺めが素晴らしい。ここでこれから午後の間、景色を眺めながらビールってのは最高だろうなあ、と考えるとこれ以上先に進む気力が萎える。
でも、どっちにせよとりあえずビールを飲むんでしょ、ということで缶ビール800円なりを購入。絶景を背景に、それ行け。
ぐいーっ。
結局、しばらくビールを飲みつつ、関係各位にメールを送ったりしているうちに「先に進む」という事に決定した。ビール1本飲んで、人間として最低限の欲求を満たしてしまうと「これから先どうやって時間を潰せばいいの?」っていうのががぜん不安になってきてしまったのだった。
なぁに、たかが2時間ちょっと。どうにかなる。
山小屋のお手洗いを使わせてもらったが、よっぽど水不足らしく、出入り口脇に洗面器が二つおいてあった。片方が消毒液で、片方が真水。それぞれに手を浸して、洗えというわけだ。さすがに、山のてっぺんだと水は雨に頼るしかないので非常に厳しいのだろう。
そういえば、食堂での軽食の提供も「11時~13時の間」だけだった。商売っけよりも水の方が大切というわけだろう。水を買おうとすれば、1リットル200円する。持参した水は底をつきかかっているが、200円払って水を買うのも馬鹿馬鹿しいので、やめておいた。まあ、500ml分ビールを飲んだから大丈夫でしょう。
北穂高小屋の裏手の階段をとんとんとん、と上がるったところがすぐに北穂高岳山頂だった。標高3,106m。大キレットでの岩ゴロゴロでとんがった山肌からするとうそのような、広い広場になった山頂だった。ここで、記念撮影。
はるか後ろに槍ヶ岳が見える。あそこから歩いてきたんですよぉ、僕はぁ。
13時37分、出発。
山頂から、またもやがっかりする下りが待っていた。この辺りは、涸沢から登ってきた人が多く、登山道も混雑気味。
そんな中、何人かの中高年集団が何やらもめている。オバチャンが「もう私疲れたわぁ、今日は北穂高小屋で泊にして、穂高岳小屋に行くのは明日にしよう」と言っている。しかし、体力がまだ余っているらしいオッチャンは「ええ?何を言ってるんだ、ここまで来ておきながら。ほら、○○さんはもう先に行っちゃってるんだぞ、今から戻るわけいかないじゃないか。もう少しなんだから、頑張れよ」なんて言っている。ああ、典型的な珍登団。遭難するぞ、あんたら。
しまいにはオッチャン、「穂高岳小屋まで2時間もかからないんだから。あともうちょっと頑張れ」なんて無責任な事を言いだした。無理だと思うなあ、標準コースタイムで2時間15分なんだから、疲れたオバチャンにあわせたら恐らく3時間くらいかかる。ヘタすりゃ日が暮れてくるぞ。しかも、今日は午後雷雨があるかもしれない、という予報だというのに。
この方々が結局先に進んだのか、引き返したのか、遭難したのかは知らない。興味もない。
さて、俗っぽい世界から視点を変えると。いよいよ真っ正面に大きな奥穂高岳が見えてきた。そのごつごつとしてどっしりと構えている山容は、そこに登ることができる自分に対して恍惚感を与えると共に武者震いがしてくる。ごつさ、インパクトからいうと劔岳の方が上だったが、あちらは何となく見た瞬間びっくりさせられたというか、ゲンコツがそのまま山になったというか、とにかくあぜんとしてしまう山だ。それにくらべて奥穂高岳は、「よーし、登ってやるぞ」という前向きな姿勢になれる気がする。
今晩のお宿は、その奥穂高岳と手前の山(涸沢岳)の間に挟まれた場所にある、穂高岳小屋。写真だと、峠の部分にほんの少し人口建造物が白く見えるのが分かる。
涸沢カール上部。
がれ場の中に金魚の糞のように延びている細い岩場、これがザイテングラートと呼ばれている。支稜、という意味らしい。このように、山用語はところどころドイツ語が混じっているから面白い。
涸沢から穂高岳山荘に登る際は、このザイテングラートに取り付いて登っていく事になる。
すいません、山に興味のない人にとってはどーでもいいことですよね。
いや、完璧にナメておりましたぁ。
大キレットという日本有数の難所を乗り越えた登山屋(仮称)おかでんとしては、後はもうカスみたいなもんよ、オラ、お前ら邪魔だ、って感じでぐいぐいと先に進めるものだとばかり思っていた。
しかし、この涸沢岳周辺。めちゃめちゃ道悪っ。浮き石だらけで、慎重に歩かないと落石を起こす。しかも、信州側も飛騨側も切れ落ちているので、危ないったらありゃしない。右見ても絶壁、左見ても絶壁。長谷川ピークが延々と続くといった感じだ。
あーあー。
例のごとく、馬鹿正直に道は稜線の真上をずずずぃと進む。避けよう、という発想が全くない。おかげで、登っては降り、登っては降りの繰り返しだ。
完全に水が無くなってしまった。14時30分、まだまだ日は高い。喉が渇く。ここで、はたと気が付いた。そういえば、喉が渇いている時にアルコールを摂取するって逆効果だったんじゃないか、と。
お酒を飲んだ後、無性に喉が渇くことがある。これは、アルコールを分解する際に水を必要とするからだ。
・・・水分不足の時に飲んじゃダメじゃん。
風呂上がりにビール、なんていうピースフルな状態だったら問題は無いだろうが、こうやって全身を使って岩場に張り付いている時だと、結構致命的だ。しまった、おとなしく1リットル200円で水を買えば良かった。ビールに払うお金で、4リットルの水が買えたのに。
足が慢性的に疲れてしまい、鎖場では腕力を使うことが増えてきた。本来、鎖は手を添える程度に使うものであって、ぐいぐいと引っ張って体を押し上げて使ってはいけない。逆に危険だからなのだが、疲労で足が前に出づらいので仕方がない。「ああ、初心者のオバチャンっぽくていやだなあ」と思いつつ、腕に力こぶをつくりながら山に登る。
涸沢岳に取り付くと、崖はより傾斜がきつくなり鎖場の連続となる。あみだくじのように、ひたすら直線的に、水平移動後に直登、そして水平移動と高度を稼いでいく。
かなりスリリングな場所であり、大キレットよりもはっきりいってゾクゾク度は高い。大キレット越えは、何カ所か「ありゃ!?これはマズい」という場所があるのだが、それ以外は疲れるだけでそれほど厳しくはない印象がある。転じてここは、ヤバイ場所はほとんど無いのだけど、スリル平均点が大キレットよりも高くなっているので、神経がすり減る。
せめて、「これが山登りのスリルだ!」という写真を公開したいんだけど・・・そういうスリル満点なところは、岩にしがみついている事に気を取られてしまい、写真どころじゃなかったりする。
で、やっと撮れたのがこの写真。崖の傾斜は御覧の通り。この傾斜をよじ登っていくのだから、そりゃ疲れて当然だわな。
岩場のあちこちに白いペンキで道を示しているのがわかる。
いい加減水分不足で、汗もかかなくなってきた。これはやばい、まずいと思いつつ、足よりももっぱら腕で高度を稼いでいたら・・・おや、人だかりが見える。どうやら、涸沢岳山頂があそこらしい。(写真左真ん中のピーク)
後ほんのもう少しだ、頑張れ。
と勇気づけたが、ここからあの山頂にたどり着くまで5分かかった。浮き石だらけで、道が悪いったらありゃしない。
山頂到着、15時40分。
涸沢岳山頂から南側を臨む。
奥穂高岳がもう何も遮るものなく、真っ正面に見えるようになった。その配下に、目指す穂高岳山荘がある。
ようやくだ。干からびて死なずにすみそうだ。
涸沢岳山頂で記念撮影をしようとしたのだが、ガレた岩場なので三脚を固定できる場所が無かったのでやめにした。
普通だったら、執念で撮影するのだがとてもそういう精神状態ではなかったということだ。肉体的にもへろへろだったし。
16時ちょうど、穂高岳山荘に到着。実は、標準コースタイムよりも時間がかかったという事になる。
登山用ガイドブックに掲載されている標準コースタイムは、途中の休憩時間を含まずに歩き通した場合の時間が記載されている。だから、余計に時間がかかって当然なのだが、おかでんくらいの年頃だと体力があるので、休憩時間込みでも標準コースタイムを短縮することができる。にもかかわらず、タイムオーバーしてしまうとは少々ショックだ。よっぽど疲れていたのだろう。
疲れは写真の撮り方を見ても分かる。北穂高小屋の二の轍は踏まぬ、と小屋の看板と離れて撮影しているのだが、斜めから撮影しているので肝心の看板の文字が全然読めないんでやんの。不覚。
山小屋は比較的新しく立派で、やっぱ北アルプスの山小屋は違うなあと感心させられる。しかも、山小屋前は石をコンクリートで固めた、広いテラスになっている。フットサルくらいはできるんじゃないか、という広さがある。
とりあえず、チェックインだ。
山小屋内部にあった、ロビーみたいな場所。ストーブを取り囲むように椅子が用意されている。
日没と日の出を両方見ることができる場所なので、「太陽のロビー」と呼ばれているらしい。
チェックインの際、部屋名と番号が書かれた札を渡された。番号が27番だったので「・・・ということは、一部屋に30人近くは入るってぇことだな」と分かる。
指定された部屋に行ってみた。
なるほど、部屋の一カ所がロフト状になっていてかいこ棚状態になっていたのだった。壁に沿って、番号札が打ち付けてある。どうやら、指定された番号は「お前はここで寝ろ」という事を指しているらしい。
もちろん、番号札は畳一畳につき2つ割り振ってある。おお、一人あたり0.5畳の割り当て、か。
当たり前なのだが、畳が敷き詰めてある部屋だ。いや、何が問題ってアンタ、って事は足の踏み場が無いって事になる。今この瞬間はまだ人がいっぱいではないので歩くことはできるが、夜になって布団が敷かれると、歩くのに非常に難儀する羽目になった。また、よりによって自分のポジションがロフト二階だったということもあり、夜中部屋の外に抜け出すのがどれだけ大変だったことか!
洗面所に行ってみる。
各個室には、「エベレスト8,848m」などと世界の名だたる山の名前が付けられていた。
それくらいもりもりと用を足せ、ということなのだろうか。妙にファイティングスピリットをかき立たせられるなあ。
外に出て、ビールを飲むことにした。もう、干からびそうだ。
・・・ここで水を飲む、という選択肢はやっぱりなかったようで。またもや、500ml800円也のビールを山小屋受付で購入。
こういう大きな山小屋に泊まると、つくづく不思議なのだが「えっ、なんでこんな高地にこんな人が?」ってくらい若くてきれいな女の子が店番をしていたりする。
山小屋バイトは早朝から働きっぱなしの仕事で相当忙しいと聞く。しかも、時給換算にすると非常に安い(1日あたり6,000円~8,000円程度。だけど勤務時間は12時間を超える事がざら)。しかし、山にいるとお金をほとんど使わなくて済むため、がっちり貯金はできちゃうらしい。
とはいっても、山になんか登りそうにもないような女の子が、「いらっしゃいませー」って山小屋で登山客の接待をしているのは非常に不思議な光景だ。見かけによらずに山好きなのだろうか。そうでもないと、こんな標高3,000mまで登って来るはずがない。まさか、ヘリコプターにつり下げられて輸送されたわけではなかろうし。
ひょっとして、山賊に誘拐された・・・わけないよな。もしそれだったら、山小屋は山賊の巣窟じゃないか。
まあ、それはともかく。眼下の涸沢を見下ろしながら、豪快にビールをぐいーーーっ。
ぷはあ。
思ったよりおいしくなかった。人間、喉が渇きすぎるとビールっておいしく感じないもんだ。写真を見ても、何やら憂鬱そうな顔になってしまっている。これまでのニコヤカな笑顔はどこへいったのやら。
受付脇にあった、水道の蛇口。
何でも、「天命水」と名付けられているらしい。こういうネーミングの仕方を見ても、いかに水が貴重かというのがわかる。
ただ、この山小屋の場合、涸沢岳の雪解け水を引っ張ってくるパイプが設置されているらしく、山のてっぺんにある北穂高山荘よりはまだ水事情は楽らしい。
宿泊客以外は1リットル150円、宿泊客は無料、となっていた。
17時、食事の準備ができました、とのアナウンスが館内に流れた。みんな、ぞろぞろと食堂に向かっていく。
部屋名ごとで区切っているようだ。食堂のキャパがあるので、交代制で食べるようにしているのだろう。
おかでんは到着が遅かった方なので、恐らくこの後の回だろう・・・ということで、吹き抜けになっている2階から食堂の混雑状況を見下ろしていた。
まるで給食だ。こうやって上から山小屋の食事を見下ろすシチュエーションなんて滅多にないので、見ていて面白い。ご年輩の方も多いので、ご飯を盛りつけようとして立ち上がった際に足下がふらついて、隣の席の人にのしかかってしまったり、醤油を取ろうとして隣の人の目の前を塞ぐ形で手を伸ばしてしまい、思いっきり煙たがられてみたり。なんとも微笑ましい。
・・・ははは、じゃあ僕は部屋に戻ってゆっくりくつろごうか。
と、部屋に戻ってみたら、もぬけの殻だった。誰もいない。しまった、ということは僕もあの連中と一緒に食事をしなければいけなかったのか。
あわてて食券をひっつかみ、食堂に走る。
末席を与えられて、ようやく食事にありつくことができた。はーい、これが穂高岳山荘の夕食。
メインディッシュは・・・ええと、どれがメインのおかずになるのかな、恐らくあんかけ揚げ餃子なのだろう。あと、揚げ焼売、キャベツとトマトのサラダ、スパゲティサラダ、芋、大根、人参の煮物、高野豆腐、ひじき。そしてご飯とみそ汁だ。
割り箸入れに、ちゃんと「穂高岳山荘」とプリントされているのが珍しい。山小屋でこんなところまで気を遣う必要ってあるのか、と思うのだが記念品にする人も中にはいるだろう。
ご飯は、3,000mの高地で炊いたとは思えないくらい、きっちりと炊けていた。圧力釜で炊いたのだろう。やはり日本人の主食は米。米がしっかりしていると、がぜんうれしくなってくる。ご飯も進むってもんだ。
とかいいながら、やっぱりここでもビール1本を仕入れておいたので、ビールを飲みながらもっぱらおかず攻略に勤しんだ。
次々と先に食べ終わった人たちが離席していく中、ビールを飲んでいたおかでんは完全に立ち後れ。ご飯をお代わりしようとしたら、既にテーブル上のおひつにはご飯が残っていなかった。同じテーブルには既に自分一人しかいない。むー、でもせっかくだからお代わりさせてもらおう。
「すいません、ご飯お代わりお願いします」
・・・しばらくして、お兄ちゃんが持ってきたおひつを覗いてみて仰天。
なんじゃ、これは。
テーブルの状況を見れば、あとご飯を食べるのはおかでん一人しかいないってのは分かっているにもかかわらず、このボリューム。どう見ても、一般成人の6膳くらいはあるボリュームだ。
よーしよーし、その心意気や良し、だ。だったら食べてやろうじゃないの。
妙にファイティングスピリットを掻き立てられ、このおひつを平らげてやることにした。一人土下座バイキングの始まりだ。
・・・だったのだが、周囲にほとんど人が居なくなってしまい、小屋の人たちは片づけを始めている状態であり、なんだか長居するのが申し訳なくなってしまい半分食べたところで中断することにした。
ちっ、闘いの決着はまた今度だ!
18時を過ぎると、付近に夕闇が迫ってきた。
山小屋のすぐ脇で、飛騨側を見下ろしながら夕日を眺める。この山小屋は南北に延びる稜線上にあるので、夕日も朝日も見ることができてお得だ。
こうして、無事に夕日を拝むことができるというのは非常にありがたいことだ。ナム~。
なんだか、柄にもなくセンチメンタルな気分になる。
なんでこんなに切ないんだろう、と考えてみたら、さっきご飯を食べ過ぎておなかがぱんぱんだからだ、ということに気がづいた。何だ、そういうことか。
周囲には何人か夕日を眺めに来ている人がいるのだが、それと同数くらい携帯電話でしゃべっている人がいる。山小屋周辺だと、この辺りが唯一携帯電話の電波が受信できるところだからだろう。
「ああ、今?うん、標高3,000mにいるんだけどね」
「違うって、違うってば。飛行機に乗ってるんじゃないよ。飛行機で3,000mだったら墜落寸前だよ。そう、山、山だって」
何て会話をしている。やっぱり、普段では来ないような場所に来ているので、みんな少しだけ興奮気味だ。しかも、その「3,000m」という標高は自分の足で勝ち取った高さなので、電話口で報告する時はちょっと自信満々だったりする。
小屋に戻ったが、すぐにあのかいこ部屋で眠るわけにもいかず、食堂吹き抜けの上でストレッチをしていた。足に疲労物質が蓄積し、明日あたりは筋肉痛になりそうだ。入念にケアしておかないと。
・・・と、ふと下の食堂を見下ろすと、ちょうど山小屋スタッフ達がまかないの準備をしているところだった。全部で10名くらいいるスタッフがてきぱきとお皿をテーブルに並べている。
おや、お皿の種類からして、われわれが使ったものと違うのだな。われわれはプラスチック、そしてまかない食の方は陶器だ。まあ、そりゃそうだ、われわれはたった1日の滞在だけど、彼らは数カ月間の滞在となるわけで、お皿一つとってもある程度しっかりしたものじゃないと、寂しくなってしまう。料理だって、登山客と同じものを食べていたのではウンザリしてしまうだろう。
遠くだったので、どんな料理が用意されているのかまでは確認とれなかったが、みんなで「頂きます」をしておいしそうに食べていた。大家族みたいな感じで、ちょっと羨ましい光景だった。
でも、おなかはいっぱいだったので、用意されている食事を見てムラムラしなかったが。
コメント