2002年09月03日(火) 4日目
穂高岳山荘→奥穂高岳→吊尾根→岳沢→上高地
朝5時17分。八ヶ岳の間から朝日が顔を出した。3日目の朝の始まりだ。
昨晩は、足がほてってなかなか寝付けなかった。筋肉痛にならないように、ストレッチは入念にやっておいたのだが疲労は相当溜まっているようだ。
あまりに火照るので、足首から先を布団から出して寝ていた。すると、頭と足とを交互にして寝ていた(自分の頭の向きと、隣の人の頭の位置が180度交互にならぶ、山小屋やテント泊独特の寝方)隣の親父が、はねのけていた掛け布団とわざわざ掛け直してくれた。
ええ話や。・・・いや、恐らく足が臭くて、耐えられずに「臭いモノにふた」をしたんだと思う。申し訳ない。
それは兎も角、今日で大詰め、奥穂高岳登頂→上高地に下山で全ての行程は終了。最後の最後で怪我をしないように注意しなければ。
とはいっても、今日も難所はいくつかあるので、さてどうなることやら。
5時20分、朝食開始。
核となるおかずが無い、なんだか落ち着かないメインディッシュだった。いつもおなじみ・朝の顔である酒・・・じゃなかった、鮭がいらっしゃらなかった。代わりに、生玉子がどどーんと主食の座を主張している。ほかには、海苔、野沢菜、山菜、切り干し大根、豆。
・・・あれ、机の真ん中で固形燃料で何かを暖めているぞ。よく見ると、これが飛騨高山名物のほう葉味噌。山小屋で固形燃料で暖めている料理が出るなんて初めてだ。
しかし、6人で一つのほう葉味噌を食べろ、といってもこの狭い卓上、手を伸ばすのに難儀する。結局ほとんどみんな手を付けずに焦げるまで放置されていた。
受付にあった料金表。参考までに写真を撮っておいた。1泊3食、というのはお弁当付きという意味だ。
本当はおかでんとしてはお弁当付きでお願いするつもりだったのだが、チェックインの際おねーさんに「明日はどちらへ?」と聞かれ、「奥穂高経由で上高地です」と答えたら「ああ、じゃあお弁当はいらないですね、1泊2食で8,500円です」と言われてしまいお弁当を注文しそこねてしまったのだった。
ま、午後の早い時間に下山できるはずなので、さっさと下山して上高地で生ビールを頂くことにしよう、と気を取り直す。
ちなみにこのお宿、ちゃんと個室まで用意されている。雑魚寝はイヤだ、というニーズにもしっかり答えているというわけだ。しかし、宿泊費に追加して10,000円ということで、決して安くはない。ま、これが安いと誰もが個室を希望してしまうので、高くて当然だろう。
高いだけではない。安い、というのもこの価格表には盛り込まれている。連泊の方は2泊目から2,000円引きなのだった。宿泊料単体だと5,600円なので、それが3,600円と一気に2/3の価格になってしまうというわけだ。これは普通の旅館とかではあり得ない価格設定だろう。荒天で足止めを食らうことも多々ある山小屋ならではのサービスなのかもしれない。
5時42分、山小屋出発。もうしばらくのんびりとしていたら、先ほど朝食を食べた面々が次々と行動を開始し、ただでさえ行き場がない岩場が人だらけになるのは目に見えている。ならば、一足早く行動開始しないと。
まずは、山小屋すぐ脇の岩場をよじ登っていく事になる。
登り切るまではこの岩場のてっぺんが奥穂高山頂だと勘違いしていたのだが、登ってみて全然違う事を知り落胆のあまり滑落しそうになった。
ちなみに、この崖にはいたるところに転落防止ネットが張られていて、万が一崖から足を滑らせても大丈夫・・・ではないけど、一定の安全策は採られているようだ。デパートやスーパーのエスカレーターには隙間に転落防止ネットがあるけど、あのバカデカ版と思えばおおよそ間違いのないやつが、岩場のあちこちに設置されていた。
山頂が近くなると、南側の景色が見えてくるようになった。昨日一日、槍ヶ岳からずっと南下をしてきたのだが、奥穂高によって隠れていた部分だ。
西穂高方面。山好きな人なら、憧憬をもってこの岩場を眺めるが、山に疎い人だったら「はぁ?単なる岩場ですな」ですまされてしまう場所だろう。
奥穂高岳から西穂高岳までの間は、大キレット以上の難易度の高いルートとして有名だ。ここは、あまりに難易度が高いので逆に近寄る人が限定されてしまい、死者の数そのものは少ない。しかし、おかでんでもこの場には足を踏み入れたいとは思わないくらい、やばい場所らしい。何しろ、大キレットは「浮き石に足下をすくわれる」で済む世界だけど、この西穂高界隈は「浮き岩」がごろごろしているらしく、何の気なしにしがみついた岩場が丸ごとごっそり崩れる、なんてこともあるらしい。「北アルプス最悪の縦走路」とまで言われている。なにしろ、ここを通過するのに水平距離でたった3キロ程度しかないのに、9時間~10時間はかかってしまう。というより、一般の登山ガイド本では所要時間の表記すら放棄しているくらいだ。その間、水場無し、山小屋避難小屋だって当然無しだ。相当の覚悟がないとここには足を踏み入れるわけにはいかない。
真正面に見える一番高い岩場を「ジャンダルム」という。怪しい言葉だが、フランス語で「衛兵」という意味らしい。要するに、奥穂高岳を守っているというわけか。単なる岩山なんだけど、標高が3,163mもあって北穂高岳なんかよりもはるかに高かったりする。そんな高い場所ではあるけど、「山」としては認識されておらず、「日本で標高が高い山ランキング」には顔を出さない。
なにやら人の声が聞こえる。
どうやら、あそが奥穂高岳山頂のようだ。
6時17分、山頂到着。標高3,190m。
富士山、北岳の次に高い山ということになる。
ちなみに北岳の標高は3,192mであり、奥穂高岳とはたった2m違いとなる。それが悔しかった昔の穂高岳小屋主人が、せっせと岩を積み上げて山頂を高くしてしまい、今では御覧の通り。ほこらのある左側と、山座同定板が設置されている右側のがれきの山がうずたかくできあがってしまっている。恐らく、この「上積み」も加えると日本で二番目の山になるんじゃなかろうか。それにしても執念だ。
山頂からジャンダルム方面を見る。ちょうど真っ正面に、西穂高岳への縦走路があるのだがどうやってあんな道を進めるのかさっぱりわからぬ。
何しろ、縦走路の出だしが「馬の背」と呼ばれる難所で、ここは稜線が数十センチの幅しかない、まさに「三角木馬」状態なのだった。「ナイフリッジ」と表現されているが、一歩足を踏み外すと即、滑落、その後昇天という流れになる。
あと、ジャンダルムを真っ正面から見ると、煙突かビルがにょっきりと出ているようであり正直薄気味悪い。
そのさらに奥では、かなり見下ろす位置にある焼岳が今日も噴煙を僅かにあげていた。上高地に着いた時点では、焼岳も恐ろしく見えたのだが、今こうしてみると単なるヒヨッコにしか見えない。
山頂にて写真撮影。
うむ、この人工建造物は179cmの自分よりも背が高い。2mちょっとはありそうだ。ということは、あの上に立てば北岳山頂に立つよりも高いってことになる。
と思っていたら、案の定よじ登っている方がいらっしゃいました。
眺めはどうですか?
20分ほど休憩して、下山開始とする。
初日、上高地で見上げた「吊尾根」を進み、前穂高岳経由で上高地に下山する予定だ。
吊尾根方面からもう一度ジャンダルムを振り返ってみる。いや、やっぱり不気味な岩だ。
はーい、種も仕掛けもございません、足を踏み外すととんでもなく落ちてしまうってのはこの写真を見ればよくわかってもらえると思う。
これから進もうとする吊尾根。吊り橋のようにアーチを描いているからこの名称がついたのだろう。正面に見えるのは前穂高岳。稜線の右側が上高地側、左側が涸沢側になる。
涸沢側からヘリコプターがばばばばと上がってきて、吊り尾根のすぐ上空を乗り越えて上高地へと抜けて行った。
朝早くヘリが飛ぶとは一体どうしたのだろう。誰か怪我でもしたのかもしれない。
ヘリコプターは物資輸送の要だが、それと同時に災害救難の時に使われるものでもあり、その音を聞くとちょっと憂鬱になる。特に、この山域の場合、山小屋近辺ではなくて山の中腹あたりでホバリングしているヘリがいた場合は「ああ、やっちゃったか」と気が滅入る。
尾根から上高地方面を見下ろす。平野部で、白い部分が広いところが上高地のビジターセンター周辺だ。これからあそこまで降りていかないといけない。
こうやって写真を撮ると、全然怖くないように見える。しかし結構ここも怖い。場所そのものの恐怖ではなく、過去2日間の疲労で自分の足下がちょっと不安定になってきていて、足を踏み外すんじゃないかという恐怖だ。だから、必要以上に慎重になって、一歩一歩確認しながら歩いた。現に、ここで滑落して死亡している人は、大抵が中高年登山客であり、それまでの登山での疲労困憊でうっかり足を滑らせてしまったというパターンが多いらしい。大キレット越えを完遂しておきながら、こういうところで足を滑らせたんじゃ、救われない。生きて帰らなくちゃ、と自分自身に言い聞かせる。
ひょいと左手を覗き込んでみる。
涸沢がそこにはあった。秋になると紅葉の名所として、ここの緑が赤や黄色に染まるのだが、まだ一カ月早かったようだ。
涸沢小屋、涸沢ヒュッテの2つの山小屋が見える。
ここは、おでんが名物ということで、おでん+生ビールを愉しむのが定番らしい。くそ、いつか泊まってみたいものだ。しかし、北アルプス最大の激混み山小屋だということで、寝場所争奪合戦の悲惨な話は枚挙しだすときりがないらしいので、敬遠している場所でもある。
7時50分、吊尾根通過終了。前穂高岳の登り口となっている紀美子平に到着。
ここから前穂高岳までは標高200m程度で、上り30分・下り20分のコースとなる。しかし、おかでんは足が自由に動かなくなりつつあり、これ以上疲弊するのは御免だということで登頂を断念することにした。
周囲の登山客は、みな一様にザックをこの地にデポ(置いていく事)し敢然と山に立ち向かっている。途中抜きつ抜かれつで一緒に歩いていた人からも、「あれ?前穂高、登らないんですか?」と聞かれたのだが、「ああ、いやちょっと休んでからにしようと思っていまして」なんて言ってごまかした。「じゃあ、後ほど」といってその人と別れた後、そのまんまおかでんは下山開始してしまったんだから、「後ほど」も何もあったもんじゃない。
紀美子平から奥穂高岳を見上げた写真。
いや、この山はなかなか人相悪いですな。どどーんと構えている。イタズラしたら、「コラッ」と思いっきり怒られて、ゲンコツで殴られそうな感じがする。
前穂高岳をキャンセルするには訳があった。ここから、上高地までは「重太郎新道」という道を使って下りていくのだが、平均斜度45度という笑っちゃうような斜面を下っていかなければならないのだった。
平均斜度45度って・・・源平合戦の鵯越じゃないんだから。
早速、登山道は鎖、ハシゴの連発。そりゃそうだよな、ハシゴを多用しないと、そんな斜面を一気に下ることなんてできないよな。
8時38分、「岳沢パノラマ」と岩場にかかれた場所に出た。なるほど、岳沢がよく見える。
はるか下に、これから向かう場所である岳沢ヒュッテの赤い屋根が伺える。
「わあ素敵」「よく見えるなあ」というのは簡単なのだが、なぜこのようによく見えるのか、というと途中遮るようなものが全くないからだ。ビルの屋上から下界を眺めるのと一緒。おいおい、岳沢ヒュッテまで水平距離だと数百メートルしかないんですけど、標高差はその倍くらいありそうなんですけど。
案の定、これでもかこれでもかと急傾斜が連発されていった。へろへろになりながら先ほど見下ろしていた岳沢ヒュッテに到着。9時39分。先ほどのパノラマからちょうど1時間かかったわけだ。
水をがぶ飲みする。今日はいくら飲んでも大丈夫だ。あともう少し。
岳沢ヒュッテから先は、低木の樹林帯の中を比較的なだらかに下っていく。なだらかとはいっても、上高地まではまだ標高差700mあるのでそれほど楽な道ではないのだが。
岳沢から上高地はちょうど真っ正面で、その姿がよく見えるので歩いても歩いても近づかないような気がする上高地に対して、ちょっとイライラしてしまう。
10時57分、岳沢名物:天然クーラー風穴、という場所に到着した。岩の間にぽっかりと穴が開いていて、そこから冷気が出ている場所だった。
こちらの勝手な思いこみで、冷風機のごとくぶおーっと冷気が出てくるのだとばかり思っていたのだが、さすがに天然ということもあってそんな不自然な状況はあり得ず、何やらひんやりとした風がやってきますな、程度だった。手で仰いで仰いで、なんとか顔に冷気を呼び寄せる。
しかし、手をぱたぱたやっていたので余計汗をかいたような気がする。
11時26分、完全下山完了。自然重力に任せて一気に標高を下げる(=滑落する)事無く、自力で登り、そして下山することができた。うれしくて、ついつい笑みがこぼれる。
死なずに済んだ・・・
正直な気持ち、そう思った。
あとは、上高地観光に来ている観光客の中で、通り魔がいないことを願うだけだ。まあ、その確率はこれまでの登山道で足を踏み外す事の100万倍くらいは低いだろう。
先ほどまでの険しい山とうってかわって、非常にのどかな観光客を横目に見ながら河童橋に向かう。山を見上げて「わぁ、きれい」なんて言っているのを微笑ましく感じる。
しかし、「あんな山、何で登るのかしらね」「えー、あの山、登れるのォ?」という会話を聞いて、しばき倒してやろうかと真剣に思った。
11時39分、上高地河童橋到着。
12時河童橋集合、と1日前に別れた兄貴と約束していたのだが、ちょうどジャストタイミングだった。
兄貴と再会し、お互いの無事を祝福した。
兄貴は、昨日あのまま槍沢を下り、上高地の西糸屋山荘に一泊していたらしい。暇でしょうがないとボヤいていた。
さて、祝福と言えばやはりビールが無いと始まらないでしょう。上高地温泉ホテルの温泉に浸かってから祝宴とするつもりだったのだが、日帰り入湯はまだこの時間はやっていないということだったので、ビールを先にした。
初日、朝ご飯を食べた安曇村営食堂へ。
生ビール、中ジョッキ600円。こんな値段ひとつとっても、下界に降りたんだなあと実感させられる。
しかも、見よこの泡を。山の上の缶ビールだと、とてもじゃないがこうはいかない。開栓直後に泡の1/3は溢れてしまって、残りの泡もぬるい為に泡の粒子が粗い。
うひひ、では、頂きましょうか。ぐいーーっ。
生きていて良かった、というのがビールを飲み込んだ瞬間思ったこと。一歩間違えれば、本当に簡単に死ぬことができる場所を通過してきたからこそ、真剣にそう思う。単に、ビールが美味いことを大げさに形容しようと思っているわけでは無い。
一口目は、自分自身良くやった、というご褒美として。二口目は、通過した危険地帯で死んでいった登山者の鎮魂のために。三口目は、生きていて良かったという安どのために。
久々登場の兄貴なのだが、酒はそもそもそんなに飲まないタイプである上に、おかでんのように「下山ほやほやでビール飲んでうひゃーっ、うめーっ」状態とはほど遠いので、ビールは飲んでいなかった。注文したカツ丼をもくもくと消費。
「ちょっと丼がでかいような気がする」
「確かにでかいな」
「山男仕様、ということだな」
「そういうことだな」
やっぱ、山の食堂はこうでなくっちゃ。頑張れ、若者登山者。若者が下支えしていかないと、山の食堂(山小屋含む)はどんどんご飯が少量になっていくぞ。中高年の人たちはご飯あんまり食べないんだから。
さて、おかでんはというと、上高地定食1,600円なりを注文。相当高いが、「お弁当1,200円」とか「ビール800円」で物価が相当麻痺してしまったため、この程度なら何とも思わなくなってしまった。
岩魚の塩焼き、山菜そば(これがまたボリューム満点)、根野菜の煮物、笹寿司、野沢菜。幸せな昼食。
さっきまで生ビールを飲んでいたはずなのに、なぜか瓶ビールが置いてあるのは見なかったことにしてください。
この後、温泉に浸かり、「さわやか信州号」に乗ってそのまま新宿へと向かったのであった。さらば、上高地。さらば、危険な岩場たちよ。
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