業務:雪だるま制作班見習い【SOボランティア記録】

2005年03月05日(土) 10日目 最終日

翌朝、ヘルプデスク班はSOタウンの片づけとPC類の搬出、そして会場での機器整備業務にあたった。

大量のリンゴ発見

SOタウン片づけ中、何やら巨大段ボールいっぱいのりんごが出てきた。よく見ると、りんごにはSOのロゴが描かれていた。こんなのがあったのは知らなかった。アスリートの食事用に用意されていたのだろうか。他にも、熟成が進んで、辺り一面に強烈な臭いを発散しているバナナも発掘。

会場で各業務から回収してきた無線機の整理と数あわせを行った。数えてみたら、全部で無線機は100台近くあった。最終日にしてあらためて、この大会の規模の大きさを教えられた。

しかし会場は既に人の気配が少なくなっていた。業務によっては今日のお仕事が無いところが多かったし、仕事があってもそれほど量はないので、班長クラスの人だけが居残って後は自由、というところもあった。

昨日まで熱戦が繰り広げられていたとは思えない、がらんとした会場の中で作業を進める。初日、到着した時点では  先発部隊が準備をある程度整えていたので、「会場ってもともとこういうものだったんだ」と思いこんでいた。しかし、いざ最終日になって手当たり次第片づけてみると、そうか、今まで見慣れてきた光景ってのは「当たり前じゃない」んだ、ってことに今更気づく。

宴の終わり。

まさに、そんな感じだった。夢から覚めたような、とか比喩表現はいくらでもできるけど、あまり目の前の現実をそういう喩えで表現したくない。しかし、まさにそんな感じ。今までの日常が非日常に変わっていく瞬間。そして、急に思い出されてくる、東京に戻ってからの会社と自宅の往復という「本当の日常」。

特に感傷はない。ただ、今まで非日常空間でありながら、さも日常空間のように勘違いして生活してきたことって人生で無かったので、このギャップには相当なオドロキがあった。そもそも、10日間もの間家を空けるなんて経験が無かったし(実家への帰省を除く)、長期で旅行に行った経験があったとしても、あくまでもそれは「非日常空間であり続ける」毎日だった。今回のように、朝早く起きて、通勤バスに揺られて、現地で働い・・・といってもほとんど働いていなかったが・・・て、そして夕方宿に帰るという規則正しい生活を送っていたら、何だかそれが日常に感じられてしまったのだろう。

今回のボランティア参加の醍醐味(だいごみ)は、まさにこの点に尽きただろう。もともと、「知的発達障がい者のイベントに協力しよう!」なんて気はさらさらなく、代わり映えのしない日常を打破したいという利己的な動機で参加したわけだが、その思惑が見事一致したと言える。非日常を日常として過ごす。いろいろな人との出会い、そしてあれこれと考えさせられたし、自分自身悩んだし、笑ったし、走り回ったし、踊った(SOタウンの人の間では、おかでんは「音楽にあわせて踊りまくっていた人」という認識らしい)。今まで生きてきた人生の中で、一番密度の濃い、充実感のある時間を過ごしたのかもしれない。何しろ、出会った人の数は何百人だ。その人達としゃべるだけで、人の数だけ新たな発見がある。

そう考えた時、あることに気がついた。「なーんだ、ボランティアってそんなもんなんだ」と。今までは、ボランティアっていうのは崇高な志の人が、仏頂面でやるものだと思っていた。しかし、実際はボランティアに参加することによって、自腹な部分以上に得られるものがある、ということだ。他人のために何かをしよう、なんて考えると足がすくんでなかなか参加できない。でも、自分のために何かをしよう、と考えてボランティアに参加すれば何ら難しい事はない。簡単なことだ。

そんな考えを後押ししたのが、ボランティアの人たちの年齢の若さだった。文中で述べたが、平均年齢は20台前半だったのではないか。スタバ軍団が相当バイトを送り込んでいたので年齢層を下げたのは事実だが、それ以外でも若い人が非常に多かった。てっきり、ボランティアというのは人生に達観した中高年の人がやるものだと思っていたが、今やワカモノも率先して参加するようになっていた。ボランティアに対するハードルは、確実に低くなってきている。

今回、9泊10日で純粋にボランティア参加のために要した費用は、宿泊費+交通費+その他で大体8万円弱。おかでんが勤務する会社がボランティア参加には寛容なので、有給を消化しないで参加することができた。しかも欠勤による収入減はなし。ということで、支出8万円と、大会期間中得られた「いろいろなもの」とをてんびんにかけて、どっちが上だったか?というと、もうダントツに「いろいろなもの」なんである。ボランティアって、そういう無形のものを手に入れ、自分のものにするきっかけ作りなんだと思う。

あれこれ考えながら、長野行きのバスに乗り込んだ。昨日までは1時間に1本のペースで運行されていたバスだが、今日からは2時間に1本に格下げされていた。これに乗れないと、2時間後だ。

雪におおわれた野沢温泉村を後にし、車は長野市街に向かって走る。車窓から見える光景は、どんどんと雪が消えていった。車中、全員が驚きの声をあげる。雪が積もっていて当たり前だった日常から、雪がない日常へ。僕らのココロを少しずつリハビリしていくかのように、何もかもがありきたりな日々へと変わっていった。

最後、長野駅に到着。まだこの辺りはボランティアがたくさんいる。今日は閉会式があるし、まだ選手やボランティアが長野市街には多い。バスの誘導ボランティアが一生懸命仕事をしていた。バスから下車するや、誘導していた人に「野沢温泉村スノーシューイング会場、ボランティア業務全て完了して引き上げてきました!」と声をかけたら、「あ、そうですかお疲れさま」とあまり興味のない返事が返ってきた。なるほど、地域が変われば温度差もあるか。

珍しく、帰りの新幹線ではビールを飲まずに今回のイベントを振り返りつつ、これからの自分についていろいろ考えた。余韻に浸れるほど、いい企画だったということだ。

それからしばらくして、おかでんのもとに一通のメールがきた。

スペシャルオリンピックス日本です。
お問合せ有難うございます。

(中略)

ぜひSOへご参加ください。お待ちしています。

新しい体験は、まだ続きそうだ。怠惰な毎日を「日常」とは呼びたくない。常に新しい何かがある「日常」を送ってこそ、人生は面白い。

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