長崎の過去と今【軍艦島・池島】

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吉野ヶ里遺跡

空がとても広い。

住宅街の中に忽然と現れた遺跡、というわけではないので、昔ながらの面影をよく残しているのだろう。これだけ広大な土地があるからこそ、100ヘクタールを超える公園整備を計画できるんだ。

そういえば、この吉野ヶ里遺跡の近くには「バルーンさが」というオモシロな名前のJR駅がある。年に一度、アジア最大の熱気球イベントがここで開催されるとのことだ。これだけ広大な場所だったら、さぞや高度感を味わえて楽しいだろう。

それにしても、やぐらが多くて民家が少ない気がする。そこまで厳重に警戒しないと、住んでいられなかったのか?それとも、「全部再現するのは無理なので雰囲気だけでも」ということで省略しているのか?

吉野ヶ里遺跡

集落はあちこちに散らばっている。

別の集落まで歩いて行く。それにしても広いし、日陰がないし、こりゃあ夏は地獄だ。冬もまた地獄だが、冬のほうがまだましだろう。5月の時点で「うへぇ、暑いなあ」と感じるくらいだから、8月ともなれば一体どうなってしまうことやら。

ここは、先ほどよりも柵がより厳重な作りになっている。建物も、かなり立派なものが見える。

「さすがにあの屋根の上についている飾りは、想像だよな?」

疑わしい目で建物を見る。何しろ、書画で記録を残すなんて文化がない時代だ。せいぜい、お隣中国の「魏志倭人伝」にちょこっと出てくるくらいだろう。それだって、文字で残っている記録であり、絵の記録ってあるんだろうか?「銅鐸(どうたく)」に描かれた絵や、ハニワで想像を補っているのだろうか。

吉野ヶ里遺跡

いや、でもわからんぞ?僕らが歴史を教科書で学んだのは、今から30年近く前の話だ。その間に研究が進んで、新事実が発見されたり、これまでの常識が覆されたかもしれん。

風のうわさでは、「大化の改新はなかった」とか「イイクニ作ろう鎌倉幕府、というのは間違いだった」というのが今の定説らしい。マジか。知識はどんどん陳腐化する。たとえ「既に起きた出来事」であったとしても。

仮に僕らが、当時の試験で「大化の改新なんてありません!」と解答用紙に書いたとしても、バツにされていただろう。真理を書けばいいってもんじゃない。「学問」というのは、その時代において正しいとされることを書かないといけない。

こうやって歴史ってのは歪んでいくのだよ。政治的イデオロギーが歴史教育に相当混じってしまうのは、近隣諸国を見てのとおりだし。

話を戻すと、看板には遺跡の航空写真が掲示されている。たくさん穴ぼこがあいているのがわかるが、その全てに建物を建てたわけではない。なんで?そのほうがゴージャスな集落になるのに?と思ったが、「同じ時期の穴だけを選んで再興した」のだそうだ。ああそうか、この遺跡にずっと人が住んでいたなら、後になって建物を増築したとかいろいろありそうだ。そうなるとややこしい。

吉野ヶ里遺跡

巨大な建物、主祭殿へは中に入ることができる。三階建ての立派なものだ。吉野ヶ里遺跡で最大の建物だという。

発掘されたのは、どうやら「ほぼ正方形に並んだ、16個の穴」だったようだが、その穴の深さとか同時代の中国の建物を参考にして、「こういう建物が建っていたんじゃないか?」とこしらえたのが現在の建物だという。随分思い切ったな。

「柱の配置から楼閣のような建物と考えられています」

ということだが、ひょっとしたらそもそも楼閣でさえない可能性だってありえるわけだ。

吉野ヶ里遺跡

二階に上がると、弥生人の皆様お揃いで、宴会の真っ最中でした。すいませんお邪魔しちゃって。

これもすべて想像に基づいた再現だけど、どこまで正解なんだろう?

当時、こんなカラフルに生地を染める技術って日本にあったのかどうか、というのがそもそも怪しい。いくらここにいるのが高級官僚だったとしても、中国からの舶来品は相当高くつくだろう。

さすがに歴史考証としてありえない再現はしていないと思うけど、「ここまでは想像の範囲です、これはガチです」という線引きは教えてほしい。・・・まあ、そんなことを言い出したら、きりがないのだけど。

吉野ヶ里遺跡

宴会というか打ち合わせをやっている最中の二階をすり抜け、三階に上がる。

ここでは巫女さんが神に祈祷してらっしゃった。

朝のテレビでやっている、軽薄な占いカウントダウンなんかとは気迫が違う。豊作を祈り、天変地異が起きないよう願っているのだから。「今日のラッキーアイテムは○○!」なんて言っているのとは訳が違う。

それにしてもこの三階はとても暑い。窓がまったくない建物なので、熱がこもる。夏になるとサウナになるだろう。

吉野ヶ里遺跡

公園内を歩いていくと、何やらイベント会場があった。

先ほど、我々が「駐車場が満車だ!」と仰天した、臨時駐車場向かいのエリアだ。市の広場、というらしい。何やらテントが並んでいて、ステージでは地元のダンスグループ?なのか、ちびっこたちが音楽にあわせて踊っている。

なんだか楽しくなって、僕と蛋白質も曲にあわせて肩をゆすり、「ヘイ!」とか声をあげていたら、ばばろあから「やめとけ。変な人と思われるで」とたしなめられた。悲しい。多分僕があと20歳若ければ、「ノリがいい兄ちゃん」という体だったのだろうけど、40歳を過ぎてしまうと、「ロリコンおやじ」にしか見えないのだろう。

年甲斐もない人生を送りたい、とは思っている。それが独り身の特権だし、独り身の希望の星としてやるべきことだと思っている。しかし、「キモい」と思われることをやるのは違う。ちゃんとTPOをわきまえないと。

吉野ヶ里遺跡

うわあ、いろいろ売ってるぞオイ。いいなあ、いいなあ。

食欲をそそる・・・が、先ほどお昼ごはんを食べたばっかりなのよ。今更何か食べたいというわけでもないので、残念。

でも、「ここにお店があることを知ってれば、そうめんを食べなけりゃよかったー!」とは思わない。だってそうめん、うまかったんだもん。家に帰ったら、そうめんを近所のスーパーで買おう。久しぶりにしこたまそうめんを湯がいて食べたくなった。

吉野ヶ里遺跡

「ありゃ、流しそうめんもやってるぞ」
「なに!?」

神崎そうめん組合のテントだった。へー。「そうめん流し」と書かれたのぼりがはためいている。そうか、こっちでは「流しそうめん」ではなくて「そうめん流し」と表現するのだな。

吉野ヶ里遺跡

「あっ、小城羊羹!」

ばばろあから、「小城」というところでは羊羹が有名だ、という話を聞いていた。その羊羹が今目の前に。ラッキーだ、せっかくだから買っていこう。

ちなみにすぐとなりには、八女(やめ)茶の新茶を売るお店があったのだけど、新茶は買いそびれた。自信たっぷりの店員さんに、「新茶は鮮度が命ですから、できるだけ早く飲みきっていただかないと」と言われたからだ。

「いやあ、一人暮らしなので、なかなか・・・これから暑くなるし、100グラムだったら飲みきるのに一ヶ月以上はかかりそうです」

と言ったら、「鮮度が命」との答え。「すぐに飲めないなら、買わなくていいぞ」という、商売っ気のない思い切りの良さにむしろ惚れた。暑いお茶が美味しい冬に新茶ってできないものですかねえ。そりゃ無理か。

小城羊羹

並ぶ小城羊羹。いろいろあるんだな。

小城羊羹

「昔風羊羹がおすすめですよ」

と店員さんから勧められた。ノーマル羊羹よりも一回り小さい。なにそれ?

小城羊羹

昔風羊羹とは、外側を溶かした砂糖でコーティングしてある羊羹なんだそうだ。外側はシャリシャリしていて、中は柔らかいという。へえ、それは面白い。昔の羊羹ってそういう食べ物だったの?

「ちなみに、普通の小城羊羹っていうのは一般的な羊羹とどう違うんですか?」
「一緒ですよ」

あれ?そうなんだ。小城羊羹、というのは何か独特な製法なのかと思ったけど、そうではないのだな。ええと、どうしようか。今更普通の羊羹を買ってもなあ。

でも、昔風羊羹との対比のために、両方買ってみた。

まさか、長崎・佐賀旅行のおみやげが羊羹になるとは思わなかったぜ。あ、あと長崎中華街で買った「よりより」も買ったっけ。

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