長崎の過去と今【軍艦島・池島】


吉野ケ里遺跡をあとにした我々は、柳川にやってきた。

筑後川河口近くにある、水郷の町だ。観光用の川船が水路を行き来する景色が美しい。

我々も、もちろんその川下り船が目的でやってきた。

町中に入っていくと、風情のある水路が見える。車中一同、「おお、ええねえ」と思わず声を上げる。思った以上に、いいぞこれ。倉敷美観地区の船みたいに、せいぜい2~300メートル移動するだけというのとはわけが違うっぽい。

柳川

15:18
わくわくしながら、船着き場に向かう。

柳川

「えっ?」

チケット売り場で、途方に暮れる一同。

川下り料金が1,600円というのはまあいいとして、次の船が出るのはあと1時間近く先なのだという。ありゃー。毎時2本の定時運行で、確か次は16時10分の便だったと思う。そこから所要時間一時間なので、川下りが終わるのは17時過ぎ。

「うーん、どうしようか。解散時間もあるし、このあと久留米に行ってモヒカンラーメンだし」

写真を見てもわかるが、ばばろあはサイフからまさにお金を出そうとしている。そこまできて、躊躇してしまった。

後で知ったが、この観光川下り船は柳川には何社もある。乗り場があちこちにあるので、そのどこかに行けば「ちょうどよいタイミングで乗れる船」があったかもしれない。しかし、予備知識をほとんど持たない状態でこの地にやってきた我々は、そこまで思いが至らなかった。

「しょうがないな、またの機会にしよう」

と出したサイフを引っ込め、受付を後にした。

柳川

橋の上から見下ろす、川下り船。

ヤケになって、船に乗っている人に手を振る。向こうも手を振り返してくれた。

両岸を新緑が覆っていて、いい景色だなあ。

またこの地を訪れる機会は今後あるのだろうか?

柳川

「川下りをしたってことにして、記念撮影をしておこうぜ」

と無茶な事をいい、橋の上で3人記念撮影。

いちおう、水路と、船と、アワレみ隊3名が写っているということでオッケー。柳川を満喫したぜ!という証拠写真は出来た。何一つ満喫はしていないのだけど。

柳川

さて、どうしたものか。このまま退路というのはちょっと早いけど、さりとて代案があるわけでもない。僕は20時過ぎの福岡空港発のANA便を確保してあるので時間に余裕はあるけど、蛋白質が18時すぎ新鳥栖発の新幹線の予約をとっているはずだ。それに間に合わせないと。

「いや、新幹線の予約は取っとらんのよ」

蛋白質が今頃になって衝撃の発言をする。

「えっ、取ってないの?」

蛋白質は、「翌日仕事があるので、5月5日中に大阪に戻るようにしたい」とメールで言っていた。なので、ばばろあがわざわざ新幹線のダイヤを調べて蛋白質に伝えてあった。この便に乗って帰ればちょうどいいぞ、と。『さくら』に乗れば、新鳥栖から直接新大阪に向かうことができる。

特にこの件について蛋白質からは反応がなかったので、当然その予約を確保したものだと思っていた。それで、その時刻を意識しながら今日一日は行動していた。しかし、今になって新幹線の予約はしていないという。

予約をする・しないは個人の自由だけど、それならちゃんと言ってほしい。今日一日の行動全てが、蛋白質が乗るであろう新幹線の時間から逆算して計画されていたからだ。

「お前メール見とらんのか?道理で返事が全然返ってこんやら、そもそも今回どこに泊まるのかさえよぅわかっとらんかったわけだ。ちゃんと言えや、決めとらんなら決めとらんで。コミュニケーションをちゃんととろうや」

蛋白質は今回、始終ボンヤリとしている印象だったが、計画段階の頃からそのまんまだったらしい。4月から仕事が忙しくなったようだし、そっちに気を取られてしまっていたらしい。

場所検討中

「どうする?時間はまだあるようだから、川下りに戻る?」
「どうしようかねえ?」

車に戻っている途中だった我々はいったん立ち止まり、そこで検討を始める。今更、「やっぱり川下りの船にのりまーす」というのも、いまいち気分がさえない。

「モヒカンラーメン、混むかもしれんし早めに食っておいたほうがええと思うんよ」

ばばろあがあれこれ考えながら言う。なるほど。うーん、とはいえ、夕ご飯を食べるにはさすがにまだ時間が早すぎる。モヒカンラーメンがある久留米に向かう途中で、どこかに何か立ち寄る場所があればよいのだけど。

「そうだ、鉄橋があるぞ、鉄橋」

ばばろあが変なことを言う。何やら、独特な形状をした鉄橋があるのだという。鉄橋?ということは山の中にあるのだろうか?

ばばろあは名前を思い出せず、悶絶している。蛋白質がタブレットを取り出し、場所と名前の確認をはじめた。

「ええと、柳川、鉄橋で調べてくれ」
「・・・筑後川昇開橋?」
「そう!それだ」

筑後川にかかる橋らしい。ばばろあによると、船の往来にあわせて橋が上がったり下がったりするのだという。ほほう、東京でいうところの「勝どき橋」のようなものか。

筑後川昇開橋

15:43
柳川市街からさほど遠くないところに、筑後川昇開橋はあった。この鉄橋の傍らには、こじゃれたカフェなんぞもある。川風に吹かれつつ、カフェで一杯・・・というのは楽しそうだ。

川の堤防から眺めると、まるでクレーンのような形をしている。あれが橋なのか!ええと、どういう仕組になっているんだ?

筑後川昇開橋

筑後川昇開橋を眺める一同。

「どうしてこんなところに鉄橋を作ったんだ?」
「最短距離だったんじゃろ」
「いや、でももう少し上流に行けば、陸地があるのに」
「そういえばそうじゃね」

首をひねる。

筑後川昇開橋

15:45
全長507メートル!長い!よくぞまあ、こんな橋を作ったものだ。かなり細いので、車一台通ることさえできない。なので今は遊歩道だ。

筑後川昇開橋

船の通過のために橋が昇降する場所にやってきた。

通りすがりの男性観光客が、

「ついさっき橋が上がってましたよ」

と教えてくれる。えっ、しまった、見そびれた。橋が上がっていないと、単なる橋だ。上がってこそナンボだったのに。

(あとで写真を見返してみると、2枚前、3枚前の写真ではちゃんと橋が上がっていた。単に我々が気がついていなかった。それくらい駆動音が静かだった、ということだ)

筑後川昇開橋

15:48
昇降橋のたもとには、職員さんが二人控えていた。とても弁が立つ方で、我々がどこからやってきたかを聞くと、「広島!広島といえば・・・」と立て板に水で喋り倒してきた。きっと、この調子で全国各地のご当地名物について語ることができるのだろう。

ご機嫌な職員さんは、「橋が上がるところ、せっかくだから見ていきます?」という。えっ、そんなに簡単に動かしちゃっていいの?我々3人しかいないのに。

びっくりする我々を尻目に、スイッチポンで橋は動き始めた。ひゃー。

筑後川昇開橋

上昇していく橋。

巨大な鉄の塊が動くのだから、ミシミシきしんだりグオオーンと音がしそうなものだ。でもとこいつは手入れが行き届いているのか、下手なエレベーターよりも静かに上昇していった。しかも思った以上に早い。

「おーい、船が来たから橋をあげてくれー」

ということになっても、

「待っとくれ、あと30分かかるわい」

ということはない。ものの数分だ。

筑後川昇開橋

15:51
ほれ、上がりきった。

干満の差が激しいことで有名な有明海の近くだ。水面から何メートルの高さに橋があるのか、って、満潮のときと干潮のときでは数メートル単位で違うだろう。干潮のときでは通れた船も、満潮だったら全然駄目、ということだってあるだろう。

とはいえ、今どれくらい船の往来があるのだろう?

筑後川昇開橋

そうこうしているうちに、橋が下りてきた。

筑後川昇開橋記念マグネット

職員さんの軽妙なトークにつられて、ばばろあは記念のマグネットを購入していた。3枚で500円。これ、どうするんだよ。冷蔵庫の扉に貼るしかない。ばばろあから1枚もらったので、実際我が家では家の冷蔵庫にこいつを貼り付けてある。

稼働時間表

橋のたもとに、昇開橋稼働時間表、という時刻表があった。へー、今でも定時に上がったり下がったりを繰り返しているんだな。我々の場合、職員さんが気を利かせてくれて臨時に上げ下げをしてくれたのか。

面白いもので、「月曜定休」だったり、年末年始休みがあったりする。橋にも定休日があるとは!

解説

筑後若津駅跡地

また、橋のたもとには「筑後若津駅跡地」という看板があった。えっ、この橋って鉄道路線だったのか。どうりで幅が狭いわけだ。単線だったんだな。

1987年まで国鉄佐賀線として運行されていたというから、そんなに昔の話ではない。そうか、ここもまた「失われた時代」の一つなのだな。

偶然だが、今回の旅では本当にいろいろな古い建物を見てきた。軍艦島や池島のように、朽ち果てていく建物。外海の教会のように大事に守られ続けて残されている建物。そして弥生時代の吉野ケ里遺跡、今目の前にある昇開橋。建物というのは時代とともに生きながらえ、消えていく。諸行無常であったり、そうでなかったり。建物を通じていろいろ考えさせられる旅だ。

諸行無常といえば、先ほど昇開橋の記念マグネットを撮影した写真を見てほしい。背景に、上流の陸地が見えていて、そこに大きな建物が建っているのがわかる。ちょうど中洲にあたる部分の先端で、さぞや眺めが良いだろう。しかしあれはなんだろう?

職員さんに聞いたら、「昔は結婚式場で、あそこで結婚式を挙げるのが地元民の憧れだったんだけど、今は老人ホーム」なんだそうだ。ああ、これも時代の流れ。

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