「星が見たいんスよ」
そう言って、おかでんは温泉に誘われた。
彼に温泉をあれこれ紹介し、連れ出すことは過去いろいろあったが、誘われるということはなかった。しかも、浅間山の近くにある「高峰温泉」に行きたいと言い出したのだから、どこからそんな情報引っ張ってきたの、と問い詰めざるをえない。ほんの少しだけ知名度が低い温泉だからだ。
尋問すること10秒で、あっけなく容疑者は口を割った。というか、尋問するまでもなく向こうからしゃべった。ではそれは尋問ではないのではないかと言われそうだが、うるさい黙れ。
星を見る → 夜 → 一泊になる → せっかくだから温泉
というロジックで、「星」と「温泉」で検索していたら「高峰温泉」がヒットしたのだという。何で?と思って旅館のサイトを見てみたら、確かにこの宿、毎晩星空の観望会をやっている。それで検索に引っかかったのだろう。
高峰温泉は「日本秘湯を守る会」の会員宿。秘湯を守る会のスタンプを集めているおかでんとしても、この温泉に泊まるのは歓迎だ。双方の利害が完全に一致し、「では高峰温泉へGO」と決定された。
「早速予約を」
と腰を上げようとしたら、
「いやいや、この時期はダメですよ。やっぱり星は冬空の澄んだ空気で見ないと」
とこちらを制止する。まあ、その理屈は分かる。
「僕、嫌だぞ?冬の夜空を観察して、冷え切った体をお互いで温め合うなんて。『なんだ、すっかり冷たくなっているじゃないか』なんて凍えた手を温めてあげる・・・うわあ」
「何言ってるんですか。そのための温泉じゃないですか。体が冷えたら温泉に決まってるでしょう」
いちいちごもっともだ。成長したな、お主。おしめを換えてやっていた頃が遠い昔のようだ。
「いや、出逢ってまだそれほどつきあい長くないです。いつのまに幼なじみになってるんですか」
ああそうですか。
そんなやりとりがあったのが半年前。この話題はそのまま放置されていたのだが、日本列島各地で春の胎動が感じられるようになってようやく思い出した。いけねぇ、もう春だぜ。慌てて宿に予約を入れた。
高峰温泉。標高2,000mの山中にある一軒宿。冬季は完全に雪に覆われてしまい、宿へのアクセスルートは消失する。そのため、雪上車での送迎があることで有名。雪上車に乗る機会なんて、日本では滅多にないので貴重な体験ができる。
群馬県と長野県の県境にあるが、かろうじて長野県に属している。アクセスは、小諸市からエンヤコラと標高を稼いでいく。群馬県は嬬恋の方からも一応アクセスできるのだが、道が非常に悪い。実質、長野からのアクセスのみと考えた方が良い場所だ。
2009年03月28日(土) 1日目
当日、彼と中野駅で合流したのち高峰温泉を目指す。
特に途中どこかに立ち寄って観光したり遊んだりする予定はない。せいぜい、小諸市街で蕎麦を食べようと考えている程度だ。
なぜなら、高峰温泉は大変に良心的かつ機敏なフットワークで、チェックインが13時から可能だからだ。老いたおかでん、最近は「温泉旅館泊の最大の楽しみは、夕食までの時間をまったりと過ごすこと」と公言してはばからない。昔は夕飯ギリギリの時間にチェックインするのが常だったのだが。
13時にチェックインしたら、時間にどれだけゆとりができる事よ。夕食が18時だとしたら、それまでの間5時間ものんびりできる。ゆっくりできる分、その間にイチャイチャするも良し。
「いや、良くないです」
助手席のお前、まあ落ち着け。冗談に決まっているだろうが。
なんにせよ、ただいま年度末でお仕事の方はドタバタ気味、ウィークデーでは受注計上がどうだの納品がどうだの殺気立ち真っ最中。だからこそ、せめて週末くらいはひたすら弛緩しまくろうと思う。そのためには13時チェックインは必達目標。ほれ、頑張って早い時間に長野入りすっぞ。
上信越道に入ってしばらく進むと、前方に白い山が迫ってきた。
あれが浅間山。
手前の山々はすっかり春めいてきているのに、あの山だけが意固地になって雪をまとっているのが異様な光景だ。
「あの山のてっぺんに行くんでしたよね、オレら」
「キミね、自分で提案した宿なのに地理感ないでしょ。浅間山のてっぺん、火山活動のために入山禁止だ。あの山の脇が、今晩の宿の場所」
「そうかー、でもやっぱり周囲は雪だらけなんでしょうねぇ。雪合戦しますか?」
「一対一でやって、『合戦』と言えるのか?もしやるなら、『しゃらくせぇ』ってキミを押し倒して、雪で窒息させてやる。その方が手っ取り早く勝敗が決まる」
「殺す気ですか。ならこっちは、下駄箱にあるおかでんさんの靴に、雪をこっそり入れておきます」
「地味にイヤな事してくれるね。そういう陰険なこと、よく思いつくな」
「雪で窒息死させるという案よりは平和的だと思いますがね」
お昼ご飯として、小諸を代表する名所「懐古園」そばにある「草笛」で蕎麦を食べる。くるみ蕎麦を食べて、ああ長野に来たなと実感。
そういえば、長野を代表する食べ物といえば野沢菜だが、「野沢菜そば」というのは見かけないな。
懐古園では既に桜が咲いていた。満開とはいかないまでも、すっかり長野も春めいている。
これから向かう高峰温泉が、一面雪に覆われているなんて信じられない。相当溶けまくって、だんだら模様のありさまなんじゃなかろうか。雪上車、ちゃんとお迎えに来てくれるかな?
「大丈夫でしょ、雪がない場合は戦車みたいに動くはずですよ」
あたかも見たことがあるような事を言っているが、適当な発言だ。根拠はない。
高峰温泉を目指す。
「チェリーパークライン」という道を上っていくのだが、その標高差は1,300m近くある。一気に駆け上がる事になるので、その道は極限までのウネウネの連続。日光いろは坂以上の急ターンが続く。
しかし、標高がぐいぐい上がっていき植生が変わるのを見ているのは楽しい。高度が上がるにつれて、木が低くなってくるので眺めもよくなるし
・・・と助手席の人が言ってます。運転席のわたくし、ただいまハンドルさばきに必死でそれどころじゃないんですが。ドラテクを磨くにはここを毎日往復するに限るな。
この道が凍結していたら相当イヤだが、幸い春めいている長野、全く問題はなかった。しかし、高度が高くなるにつれて、雪がちらほら見えはじめたぞ。
確かに、唐松林だった植生が白樺が増えてきて、標高が上がってきているのを実感できる。雪が溶けると、この強烈な上り坂であるチェリーパークラインを走るヒルクライム自転車レースがあるというから、すごい。普通の人なら、開始10分でギブしそうだ。頑張ってゴールしたとしても、一週間くらいはケツの筋肉が痛くて、椅子に座れないんじゃあるまいか。
チェリーパークラインの最高点である、車坂峠に到着。標高は・・・えっと、webで調べてみたらなぜか情報バラバラ。1968m、1973m、1974mなど諸説ある。何だこれは。まあ、ざっくりと「約1970m程度」ということにしておこう。
車坂峠は、日本百名山浅間山の登山の起点となる場所。とはいえ、浅間山は現在火山活動の影響で登頂禁止なので、その手前まで行って、折り返す事になる。「そんなの、登ったうちに入らないじゃないか。何のための登山なんだ」と呆れるが、百名山ピークハントを趣味にしている人にとっては「行った」という事実が重要。なぜなら「スタンプラリー」をやっているのと同じ感覚だから。なんとも不思議な世界だ。
さすがにここは標高が2,000m近いので、雪の世界。路面も一面の雪になってしまった。雪上送迎車が来るASAMA2000パークスキー場はもう少し先だ。しかし、ここから先は山の北側斜面になるので、完膚無きまでに道が雪で覆われていた。これは・・・さすがにノーマルタイヤで行くには厳しい。
「凄いっすねえ、本当に雪だらけですよ!」
と助手席の彼はこの光景に興奮している。運転席のワタクシも同様に興奮したいのだが、ハンドルを預かる身としては単に喜んでもいられない。チェーン付けるしか、ないか・・・。
あとほんの数百メートル、進んだらゴールなんだが。チェーン、面倒くさいのぅ。「トランスフォーム!」なんて叫べば、タイヤにチェーンが装着される仕組みになっていたらどんなにありがたいことか。
「あのカーブ曲がったところが目的地のスキー場ですよね?」
「多分な。だから、この直線200mくらいと、カーブ一発さえこなせば大丈夫なんだが・・・」
「ボーゲンでこの車、ターンできないんですか?」
「そんな機能、車に備わっていたら凄すぎだ。まだ、パラレルターンの方が実現しやすいだろ、常識的に考えて」
悔しいが、諦めてトランクからチェーンを取り出して装着開始。
「いやあ、男らしいっすねえおかでんさん」
などとおかでんの荒々しいチェーン装着姿を絶賛されたが、そんなものはどうでもいい。チェーン巻くの、嫌い。手や服が汚れるし。
しばらく地面にはいつくばってゴソゴソやっていたら、すれ違いの車が停まり、窓が開いて同行者に何か話しかけていた。
「この先すぐで到着するから、チェーン巻かなくてもなんとか行けるんじゃないか、って言ってましたよ」
と彼から報告があがる。
「冗談じゃない、あんなデカい四駆のRV車に乗っている人にはわからんのです。ここから下り坂だから加速しちゃって、カーブのところで曲がりきれずに雪壁に突き刺さるか、派手にくるくる車が回転してしまうのが目に浮かぶわ。それだけならまだしも、カーブのところで対向車と出会ったら、一緒に巻き添えだ。そんなリスクは負えんよ」
実際、厳冬期に奥鬼怒に行った際、「チェーンを巻いていても雪の坂道なら車はあっけなくスピンする」という事を体験している。チェーン巻いていてさえ信用できないというのに、ノーマルタイヤで突撃なんてできっか。ほれアンタ、見てないで手伝え。
チェーン装着後出発となったが、出発直後に片一方のチェーンが外れてしまい再装着、という手間もかけつつようやく危険地帯を通過。実際、その危険地帯はあっけないくらい短かった。距離にして300m程度か。いやでも、これは仕方がない。
ASMA2000パークスキー場に到着。
「標高2,000m近いところにあるスキー場」なので、スキー場の名前に2000という数字が入っている。実際、標高が高いだけあって雪質はなかなかなものらしい。
駐車場に車を停める。駐車場も当然一面の雪なのだが、周囲の車を見るとチェーンなど巻いているのはほぼ皆無だった。当たり前のように、スタッドレスタイヤだからだ。やっぱりそうか。
眼前には、スキー場のゲレンデが臨める。
「おー、スキー場だ」
「凄いな」
と、なぜか二人して感動する。別にスキー場なんて珍しくないし、当然過去に何度も見てきているし滑っている。しかし、「今回は温泉と星空」という目的でこの地に降り立ったら、「雪と、スキー場」という本来趣旨とは外れる非日常が見えたので、思わず感動した次第だ。
この雪山の中に、目指す高峰温泉があると思うとわくわくする。
高峰温泉からの雪上車送迎は、だいたい1時間に一本くらいで運行されている。宿泊予約の電話を入れる際に、宿に「○時の送迎でお願いします」と伝えておく必要がある。
スキー場の第三駐車場から出る、ということだが・・・われわれが指定された駐車場に行っても、よくわからない。まさか、普通のスキー客の車と並んで、何食わぬ顔して雪上車が駐車されていることはあるまい。どこにいるんだろう。
時刻はちょうど13時。ひょっとしたら、われわれを待たずして既に出発してしまった後ではないかと若干焦る。
二人で手分けして手がかりを探していたら、駐車場脇になにやら立て看板を発見した。「雪上車出入口駐車禁止」と書かれている。あ、これだ!その脇には、時刻表の看板もある。ここが雪上車乗り場というわけだ。それにしても分かりにくい。何しろ、回りは全部雪。この小さな立て看板以外には目印が全くない。
「なにやら秘密の場所に連れて行かれるみたいですね」
ごもっともだ。ただ、その秘密の場所に連れて行ってくれる、カボチャの馬車だかなんだかはどこにあるんだ?定時になるまで、この駐車場で待機しているものだと思ったのだが、どこにもいない。
しばらくすると、高峰温泉方面とは逆から、ガルルルルとなにやら激しい音が近づいてきた。振り返ると、なんのことはない、ワンボックスカーだ。
「いや待て!あの足回りを見ろ!」
そんなこと言われるまでもなく、どうみても「普通の車」じゃない。魔改造が施された、怪しい車の登場だ。
「あれ・・・トヨタのハイエースだよな」
「でもタイヤ付いてないですよ。戦車ですよあれは」
「戦車か!どこに砲塔があるんだ?」
「いやそこは、カボチャを煮込んで」
「それは甲州名物のほうとうだろうが」
ガラガラ音を立てているのは、本来タイヤがあるべきところに三角形の無限軌道が付いているからだった。なんだこれ。これも一応、雪上車なのか。
「まあ、一応雪の上を動いていますからね」
そうだった、動いている事実を認めないといけない。てっきり僕ら、南極観測隊が使っているようなゴツい、専用車が登場するとばかり思っていたのでびっくりしてしまったのだった。こういう雪上車も、ありなんだな。
われわれの前で、「どうだぁぁぁ」とばかりにターンし、横っ腹の「高峰温泉」というステッカーを見せつける。恐れ入りました。アナタがわれわれのお出迎えですね。でも何で既にお客さんが乗っていたり、逆方向から現れたの?
翌日、帰り道にて知ったのだが、この雪上車の起点は、この駐車場から少し離れたところにあるバス停だった。公共交通機関を利用した人がいれば、その人を迎えにバス停まで出張するというわけだ。
運転している方に「どうもどうも」とあいさつしながら乗り込む。通常のタイヤ装着時よりも相当車高が高くなっているので、乗り込むのには若干足腰の力がいる。お年寄りは無理だ。冬季の訪問は諦めてください。
「凄いな。こんな雪上車もあったのか」
「夏になったら普通のタイヤに履き替えればいいですもんね。便利ですね」
「そんなに簡単なもんかなあ?シャフトごと入れ替えないといけないような気がするぞ。キャタピラ、相当フェンダーからはみ出ているけど」
間違ってもこの風体で公共の道路を爆走したら、一発で道路交通法違反だ。巷のヤンキーどもが、いかに「フェンダーの中にワイドタイヤをしまいこもうか」とやっきになっているのに、この車はモロだしだもんな。あ、そうか、タイヤではなくて無限軌道だから法規制にひっかかりませーん、という論理か?
「でもそれを言い出すと、この車のナンバーは8ではなかったな」
「どういうことです?」
「改造車の場合、8ナンバーになるんだよ。パトカーとか救急車なんかを見てみ。大抵、8ナンバーだから。陸運局の許可を得た改造車である証拠。でもこの車、普通の3ナンバーだった」
「ということは?」
「車検の時は、普通の車としてタイヤをつけて陸運局に持ち込むんだろうな」
「それって、今現在は違法って事じゃないですか」
「多分ね、ここはスキーゲレンデであって公道ではないので、道路交通法の適用外なんだろうな」
われわれが乗り込んだところで高峰温泉に向かってGO。
もの凄い揺れだ。無限軌道を組み込んだ時点でサスペンションも取り払ってあるので、揺れるったらありゃしない。
「もうこうなると、揺れなんてレベルじゃないですねー」
「えー、何を言ってるのか聞こえない?」
揺れもさることながら、音もすごい。さらに、タイヤじゃないので、向きを変える時なめらかに曲がらない。運転する楽しみ、とは無縁の世界だ。むちゃな運転をして逮捕された暴走族に、「お前一生雪上車しか運転しちゃダメ」という刑を与えると、相当こたえると思う。
しばらくはゲレンデと併走して進む。緩斜面のゲレンデを横目に見ながらなので、子供連れの家族の微笑ましいスキーレッスンなどが見られて楽しい。
「おっと、もちろん若い女の子の初々しいスキー風景なんてのもグッドだ。内股でおそるおそるボーゲンやっている様ほど美しいものはない」
と言い、ガタガタ揺れながら目標物を探してみたのだが、結局一人もいなかった。このゲレンデに来るのは地元の人が多いのか、ワカモノでへたくそなのは誰もいなかった。くっそぅ。
そんなゲレンデも終わりがくると、雪上車はそのままゲレンデを横断しはじめた。
「え?おい、ゲレンデ横切ってるぞ。なんて強引な。なんてジャイアニズム?」
乗っているこっちが動揺する。
「ここでスキーヤーが激突したら、キャタピラでミンチにされますね」
なんて相方は暢気な事を言ってるが、いやホント実際そうだ。もちろんスキーヤーが猛スピードで突撃してくる場所からほど遠いところを雪上車は慎重に走り、安全は確保されているのだがびっくりな光景だ。乗客のこっちが緊張するわ。
道なき道を進み、しばらく山の上に向けて登っていった先が高峰温泉。
さすが雪上車、坂道でもびくともせずにぐいぐいと登ってくれた。その姿に思わずばんえい競馬の馬を重ね合わせてしまった。アンタ凄いや。ただ、燃費は相当悪いと思う。リッター数キロしか走れないんじゃなかろうか。
高峰温泉はゲレンデ脇のちょっとした丘にあった。小諸側はすぱっと切れ落ちているが、群馬側はなだらかな丘陵地帯。なぜこんなところに温泉が、と思うが、なにせすぐ近くに活火山の浅間山があるんだ、温泉が出てもなんら不思議はない。
ただ、本当は温泉の常道として谷沿いに建物があったらしいのだが、災害で埋まってしまい、今の位置に引っ越ししたらしい。だから、温泉は800mの引き湯となっている。
移転先である現在の位置も、冬は雪に閉ざされてしまうので到底便利な場所とは言えない。しかし、「雪上車のお迎えがある宿」ということで、プレミアがつくのだから世の中分からないものだ。不便であること、それがぜいたく。
宿の玄関に入ると、スノーシューがたくさん並べてあった。このスノーシューは大胆にも宿泊客に無料レンタルしてくれる。どうぞご自由にお遊びください、というわけだ。明日はこれでトレッキングをすることにしよう。
宿の人はみな一様に、「温泉旅館の従業員」という感じではない。山屋、という風情。接客も体育会系なノリで、ハキハキ、てきぱきしているのが心地よい。写真を見て貰えば分かるとおり、きちっとそろえられたスリッパと、お客がいつ来ても良いようにと仁王立ちで待ちかまえる従業員。これがこの宿の雰囲気。こちらも背筋がついつい伸びて、「よろしくお願いします!お世話になります!」と腹式呼吸であいさつをしてしまう。
玄関脇の下駄箱。
場所柄、長靴で訪れたり、スキーブーツで訪れる人もいるので、高さのある棚になっている。実際、スキー場でさんざん滑って、そのまましゅいーっとこの宿まで滑りながら到着、じゃあチェックインね、という人もいた。いいなあ、それ。
フロント脇にあった謎の装置。何かの戸棚かと思ったのだが、中では水がわさわさと攪拌されているし、大きなダクトから風が出ている。新手のバイオテロ用兵器か?
「なんですか、これ?」
と案内の従業員に聞いたら、
「ああこれ?加湿器。場所柄、常に加湿していないと空気がもの凄く乾燥しちゃうから」
とのことだった。なるほど!気温が低いところだから、空気がばしばしに乾燥してしまうんだな。加湿器って、USB接続でペットボトルの水を蒸気にします、みたいな奴しか普段みていないので、この巨大さにはびびった。
部屋に案内してもらう途中、吹き抜けの横を通る。ランプがぶら下がっており、彩りを添えている。「ランプの宿」を名乗るだけのことはある。・・・まあ、この建物、電気はちゃんと通っているので、このランプは電気で光っているのだけど。
電気供給にせよ、加湿器にせよ、この宿は「こんな山奥だから仕方がないです」でおしまいにせず、できるだけ下界と同じよう快適に過ごせる工夫と投資をしているのがすごい。
通された部屋は、六畳一間で小諸側を向いている部屋「烏帽子」。
お手洗いは備わっていない。これは、他の部屋も全て共通。男性だけの宿泊なので、それで全く不自由はない。
コタツが部屋の真ん中に鎮座しているのがうれしい。
縁側は無い。六畳のすぐ外側が窓になっており、小諸方面の景色が美しい。・・・といっても、特に遠景が臨めるわけではないので、近くの木々を見るのに適している。
話はずれるが、日本旅館の多くで見受けられる縁側、あれって必要だろうか?使いこなした事がある人、一体どれだけいるんだろう。一度アンケートをとってみたいくらいだ。少なくともおかでんは、畳の上にある座卓を専ら使い、縁側の椅子などは使わない。使ってみたいなー、外の景色を愛でながら時間を過ごしたいなーと思いつつも、いまだに果たしてはいない。
同様に、二間以上ある部屋というのも正直、もてあます。過去何度かそういう宿に泊まったことがあるが、入口近くの部屋というのは単なる「荷物置き場」になってしまった。あれ、必要か?金持ちの皆さん、あれは単なる「金持ちステータスシンボル」なんですかね?
そんなわけで、おかでんにとっては結局、2~3名で泊まるんなら六畳一間で十分、という結論に落ち着くのだった。カネがもったいないから狭くていいや、ではなく、これくらいのサイズが居心地良いと真剣に思っているから、六畳を選ぶ。
縁側が無い分、こたつから窓の距離が近い。おかげでこたつに入ったまま外の景色が楽しめるのだから、むしろこの方がありがたいくらいだ。
部屋に案内された際、従業員の方から簡単に施設の紹介があったのだが、その際に「何じゃそりゃ?」と思ったのがこちら。
「こたつ寝を希望します。」と書かれた札。こんなのがこたつの上にひょいっと置いてある。
「夕食に行かれる際にですね、こちらの方で布団は敷きますので、その際にこたつ寝を希望するならこの札を表にしておいてください」
という。このラミネート加工の札を裏返すと、「こたつ寝を希望しません」と書かれていた。なるほど、表裏どちらを上にするかで、態度表明というわけだ。
「これはアレだな、玄関に置いてある木彫りの熊が横倒しになっていたら今晩はOKという意味、みたいな」
「何ですかそのたとえは」
そうか、最近は木彫りの熊(昔は北海道土産の定番だった)なんて家では見かけないもんな。じゃあ今の夫婦はどうしているというのか。YES/NO枕なのか。
で、「こたつ寝」とはなんぞや、というと、札によると「こたつの中に足を入れてお休みいただけます。朝まで温かくお休みいただけます・・・。」ということだ。湯たんぽ代わりにこたつをどうぞ、というわけだな。
「でもこれ、なんかヤラシイですよね。こたつの中で足を絡ませあったり、いろいろできちゃいますよ」
「待て、できるかできないか、という話と、実際にやるかどうかは別だぞ?」
「分かってますよ、当然じゃないですか」
それにしても独創的なアイディアで面白い。こんな提案を宿側からされたら、そりゃもう当然今晩はこたつ寝だ。
お手洗いを見てみる。
清潔なお手洗いで感心する。「それくらい当然だろ?一泊14,000円くらいする宿だぞ?」と思うかも知れないが、ここは山の中だということを忘れちゃいけない。当然下水道なんて完備されているわけがなく、汚水処理は宿として悩ましいところだろう。そうなると、どうしても水洗にできないとか、臭いが、とか問題が出てくるわけだが、この宿はさらりとそんなことをこなしている。さりげないけど凄いことだ。
あと、ちょっと気を許せば、この季節だとすぐに上水下水ともに凍ってしまう。凍らないようにあれこれ対策が打ってあるはずだ。極地で居住する、というのはなんとも大がかりな話なのだった。
こういうのを見るにつけ、南国の人の性格がおおらか(悪く言えば大ざっぱ)なのはよくわかる。北国の人は、生活全てがサバイバルだから、神経質にならざるを得ない。
旅館内の探検などいろいろしたいことがあるが、まずは温泉に入ることにした。
まだ14時前なので、この時間に風呂場に行けば貸し切り状態だ。夕食前の時間帯が一番混むので、それは避けたいところ。特におかでんの場合、浴室の写真を撮りたい人なので、「人気の無い風呂場」は大好きだ。・・・これだけ読むと、盗撮マニアみたいだが。
この宿は風呂場が二箇所ある。泉質が異なっているわけではないし、片方が露天風呂というわけでもなく眺望に変化はないのだが、なぜか二箇所。ひとまず、片方の大きめの風呂に行く。
なお、この宿で露天風呂は無理だ。寒すぎて冬季は完全閉鎖せざるを得ない。足元が凍結して、滑って頭打つ人が続出だろうし。
風呂場の手前に、休憩スペースがあった。本棚にいろいろな本が置いてあったり、この宿の歴史を物語る写真が壁に掛けられたり、ザイルやアイゼン、ピッケルといった登山用品がつり下げられていたり。午後のうららかな日差しを浴びていて、なかなかに居心地が良い空間だ。
そこに、「源泉命の水」というのがあった。飲泉できるように、源泉がちょろちょろと流れているのだった。有り難く頂戴する。
「・・・で、これ、何の効能があるんだっけ?」
「えっと、さっき部屋にあった宿の案内に書いてあったと思うんですけど、よく読んでないですねえ」
「まあいいか。とりあえず効能があるってことで」
「いいんじゃないですか」
なんともいい加減だ。
この宿の気が利いているのは、飲泉所の足元に空のペットボトルがたくさん用意されていて、「ご自由にお使いください」と案内されていることだ。ペットボトルに詰めて、部屋で飲むもよし、自宅に持ち帰るも良しだ。よくこういう細かいところまでアイディアが湧くもんだ。宿の人、結構なアイディアマンだ。
男性風呂は「高峰乃湯」、女性風呂は「四季乃湯」と名前がつけられている。
「じゃあ、ここで。そうだな、1時間後くらいにさっきの休憩所で集合を目安に」
「ちょっと何処へ行くんですか。その会話、男女カップルの時に使う台詞ですよ」
「え?ああそうか、一緒に入るんだっけ」
「おかでんさん止めてくださいよ、ただでさえカメラ持ってるんですから、間違っても女風呂に近づいたら通報されますよ」
確かに、この手の冗談はあまりしゃれになってないかもしれない。気をつけよう。
「でもさ、ちょっと気になったんだが」
「はい?」
「通報されて、警察に連行される時って、やっぱり雪上車で護送なのかね」
「まあ・・・そりゃーそうでしょうけど、それが何か?」
「いや、別に」
脱衣場はシンプルな棚で構成されていたが、なぜか足元に丸太が置いてあった。これは一体何に使うのだろう。踏み台・・・でもないし、衣類をかける場所でもなさそうだし。
「御柱祭でつかう予定のもの」
とその場では結論づけておいた。
なお、その御柱の奥には、オイルヒーターが設置されている。先ほどのお手洗いもそうだし、廊下も、部屋もそうだが、いたるところにオイルヒーターがあった。ちょっとでも暖房を怠ったら、一気に冷え込む。人類はこの地で生きるために必死だ。
安宿の場合、厳冬期ですけど廊下は全く暖気されておりません、というところもある。別にわれわれのような壮年期の人間なら全く問題はないのだが、血圧に難ありの高齢者だと一気にぽっくり逝きかねないシチュエーションだ。宿としても廊下で倒れられたら大変なので、暖気には注意を払っているようだ。
なお、これだけの大がかりな暖房のため、この宿では冬季には暖房料金として1,050円(一部屋あたり)が別途必要になる。結構なお値段だが、部屋だけじゃなくて建物全体を暖気しないと生命維持が困難なので、これはやむを得ないところだ。
長野県にある温泉は、情報開示が進んでいるのがうれしい。
白骨温泉の偽装温泉問題(草津温泉のハップを使って意図的に白濁させていた)が発生して以降、加水・加温の有無や循環・かけ流しの情報をきっちり表示するようになったのは大きな進歩だ。悪評高い田中康夫元知事だが、少なくともこの点は大いに評価されても良いと思う。
今では温泉法改正により、各種温泉情報の開示は義務づけられるようになったが、その中でも長野県の統一フォーマットによる表示は非常に読みやすく、良くできている。(写真のものは統一フォーマットではない)
温泉成分は「カルシウム-ナトリウム-マグネシウム-炭酸水素塩温泉含硫黄」ということになる。源泉温度25.9度なので、加温しないと凍え死ぬ。
面白いのは、「殺菌処理の状況」の欄で「有:強力磁石使用 塩素は泉質が変わってしまうので使用していません」という記述があったこと。塩素くさい風呂はフィットネスクラブのスパやスーパー銭湯で十分なので、この配慮はありがたい。しかし、磁石に殺菌効果があったとは知らなかった。ひょっとして、ピップエレキバンを水虫の箇所に貼ったら、水虫退治!なんてことがあるのだろうか。気になる。
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