2018年09月16日(日) 2日目

07:35
2日目朝。
月形町多目的アリーナが窓から見える。月光仮面のように三日月がトレードマークらしい。
体育館にしてはやたらと天井が高い。なんでこんなに高いのだろう?と思ったら、
「土間の体育館。冬でも野球・サッカーなど本格的な練習に最適です。」
と公式webサイトに書いてあった。屋内で野球やサッカー!そりゃデカいわけだ。
北国の人からすると「何を今更」と思うのかもしれないが、僕は「冬は雪が降るので、野球やサッカーは屋内でやることもある」という発想がなかった。ちょっと驚いた。

08:11
月形温泉ホテルの朝ごはん。

月形町の航空写真があったので思わず撮影したが、今改めて考えてみるとGoogleマップで見れば済む話だった。

「秋のイベントといえば」ということで、「秋の!鉄道村イベント」というポスターが貼ってあった。この近所だろうか?と思ったら、どうやらちがうらしい。「三笠市幌内町」にあるという、三笠鉄道村で開催だそうだ。
だいたいここから25キロくらい。いや、北海道基準でいったら、この距離は近い部類か。
なんでこんなところに鉄道の展示施設が?と不思議に思う。函館~札幌~旭川を結ぶ北海道の鉄道大動脈・函館本線からずいぶんと離れているからだ。というか、山の中だ。
森林鉄道が走っていたのかな?と考えてしまったが、それってものすごく本州的発想だということを知る。馬鹿なことを言うな、北海道といえば炭鉱、石炭輸送のトロッコ列車に決まっている。すまん、言われてみるとそりゃそうだ。
三笠鉄道記念館によると、日本で三番目に鉄道が敷設されたのが鉄道記念館がある幌内なんだという。へーへーへー。それは知らなかった。新橋-横浜、大阪-神戸の次が幌内-小樽。3番目になると、いきなりやたらと距離が長くなった。石炭輸送への執念を感じる。
石炭を石狩川経由で海に運ぶ、というのはできなかったのだろう。石炭が重たくて、船が川底に当たる。
話が脱線するが、この記事の執筆は本当にはかどらない。つい、Googleマップで北海道の地図や航空写真に見とれてしまうからだ。北海道にあった炭鉱跡を探し始めるときりがないし、自然も、集落も、田畑も、何もかもが興味深い。集落も、「なぜここに人が住んでいるのか?」というそもそものところから考えてしまう。都会だと、「空き地があったので家を建てました」「駅から近いんで」程度の理由しか考えられないけど、北海道の場合はなにか理由があるから、集落ができる。それを、航空写真から推理するのはとてもおもしろい。

09:54
話を戻す。
今日は午前中、月形町の方にご当地を紹介していただくことになった。お昼は、昨日夕ご飯を食べたところでトマトを収穫し、それでピザを焼く。そのあと、札幌を経由して今日東京に戻る人は新千歳。残る人はめいめい解散、という流れだ。
東京から来た、何の先入観も予備知識もない我々御一行。どういうものに興味があるのか、どういう目のつけどころがあるのか、町の人としても知りたいようだった。(なので、この月形町滞在の最後にはアンケート用紙が渡され、いろいろコメントを書いて提出した)
そんなわけで、まずは月形町役場に出頭。

09:54
月形町役場のすぐとなりに、古い建物がある。
平屋建ての、小さいなりに堂々とした建物。

これが「月形樺戸博物館」。
あとになって思うに、月形町における最大の観光施設だ。
明治時代、「月形集治監」として犯罪者や政治・思想犯を収容し、北海道の開拓に従事させた拠点としての監獄。まさか今回の遠足でダークツーリズムを体験できるとは思わなかった。
古い建物は本庁舎で、この建物とは別棟で資料が展示されている博物館がある。

多くの人達が行き来したためにすり減ってくぼみができてしまった石畳がお出迎え。

博物館のほうは、入口に漫画「ゴールデンカムイ」の主人公二人がお出迎え。「北海道はゴールデンカムイを応援しています。」と全面コミットの姿勢を見せている。
この漫画は明治期の北海道の話で、樺戸集治監の話も出てくるらしい。僕はこの北海道遠足から戻ってきて、さっそくAmazon Kindleで読み始めたのだけど、6巻で挫折した。面白い話で続きが気になるんだけど、デジタルの漫画でサクサク読んでいるうちに、一冊600円弱のお金を払っていくのがしんどくなったからだ。
もちろんコンテンツの対価として600円を高いと言ってはいけないと思う。しかし、一晩で何冊もダウンロードして読んでまたダウンロードして、とやっていると、チャリンチャリンと課金されていくのでだんだんプレッシャーになってくるのだった。漫画というのはスピード感をもって読めるからこそ、「一気読み」が物理的にしやすいデジタルデバイスだと費用負担が重荷に感じられてしまう。

10:58
月形町の方の説明を受けながら見て回ったこともあって、とても興味深く見ることができた。
はっきり言って、周囲にこれだけ何もない月形町の展示なので、もっと地味なものだと思っていた。だいたい、「樺戸集治監」なんて人生で初めて聞いた言葉だし。しかし、内容はしっかりしているし、むしろもっと知りたい、見たい、と思った。
なにしろ、「監獄」という時点で非日常感がある世界だ。衣食住すべてが僕らにとっては謎の世界で、まるでファンタジーの世界のようだ。さらには土地の開拓という要素が入ってきて、そして富国強兵政策、囚人の人となりという話が絡む。面白くないわけがない。
網走監獄に、像まで建てられて紹介されている脱獄の常習犯・「五寸釘寅吉」。盗みを働いて逃げるときに五寸釘を踏み抜いて足の甲まで釘が貫通、それでも追手からしばらく逃れていたという伝説の人だが、この樺戸集治監にも収監されていたそうだ。なんだ、網走監獄だけの人じゃないのか。もっと月形もこの人が収監されていましたよ!と推せばいいのに。
しかし、この人の半生を調べてみると、脱獄した回数だけ捕まっていて、その都度あちこちの刑務所に収監されている。三重、横浜、小菅、空知、宮城、釧路、網走、樺戸・・・。「俺も俺も」と手を挙げだすときりがないし、結局刑期を無事終えて釈放されたのが網走なので、「網走所属の伝説の囚人」という感じになっているのだろう。
それにしてもなんでこんな場所に明治時代の刑務所が?と不思議だったので町の方に聞いてみたら、昔は石狩川を遡上して北海道の内陸部に分け入り、開拓を進めていったのだという。ああなるほど、そりゃそうだ。水運があるところが便利に決まっている。
小樽を起点として開拓を進めていけば、当然石狩川沿いの土地に目が向けられることになる。なるほど、僕ら21世紀に住む人は、当たり前のようにビューンと新千歳空港に飛行機でやってきて、車を使って平気で大移動する。しかし昔の人はそういうわけにはいかない。
本州だって当然これまでに開墾開拓していった歴史があったはずだ。でもそれがかなり昔の話になるし、ジリジリと時間をかけて田畑を広げていっただろう。だから僕らとしても「今ある人里が当たり前の光景で、昔からあり続けているもの」と思いこんでいる。だが北海道の場合、明治以降、かなり人為的にグイグイと開拓をしていてたので、その生々しさが伺い知れる。
ちなみに樺戸集治監は32年でその歴史を終えている。月形から石狩川を挟んだ向かいにある空知にも集治監があって、開拓の拠点が移っていったからでもあり、旭川監獄に引き継いだからでもあるという。
つまり、開拓が進んでいくにつれ、その前線基地的な意味合いもあって監獄も奥地へと向かっていく。
じゃあ、最果ての監獄である網走監獄はさぞや最近にできたのかというと、1890年にできたというから、樺戸と比べて9年遅れだ。さすがに場所が全然ちがうし、同時並行で北海道のあちこちで開拓が進められたのだろう。
こういう、集治監・監獄跡地と北海道の開拓、さらには炭鉱跡を巡るツアーがあったらぜひ参加したい。いや、でもそんなツアーが実現したとして、一体何日かかるんだ?
せめて、「石狩川を河口からカヌーで遡上して月形までたどり着く、当時の囚人がたどった道をたどる旅」というのはやってみたいと思った。それはアンケートに書いておいた。

11:11
現在、月形町には月形刑務所がある。
刑務所がある、ということで町のイメージ低下を懸念する声もあったそうだが、刑務所を維持運営するための人や物が大量に必要となるため、町の財政や経済にあたえる影響はかなり大きいとのこと。
人口3,000人の町に、受刑者が1,500名以上いるので、かなりの存在感だ。
刑務所もセットで見学させてほしかったけど、さすがに刑務所は見学できないようだ。せめて外周だけでも見てみたかったけど、時間がなかった。こういう好奇心は、たぶん刑務所側からすると「冷やかし」とよぶのだろう。行かなくて正解だと思う。

樺戸博物館の裏山が「円山」というそうで、次はここに案内された。
石狩川によって作られた平野が一望できる。

三日月の形をした展望台があるので、そこに登って見下ろす。開けていて景色が良いが、これといって見応えのある山があったりするわけではない。
なんだか、石田三成の陣営から、超巨大な関が原を見下ろしているような感じ。

トンガリ屋根のあるところが、月形温泉。
ここで月形の景色を楽しんだあと、山を下る。
なお、月形の歴史については、町の公式サイトでかなり詳しく紹介されている。
www.town.tsukigata.hokkaido.jp/5525.htm
面白いんだけど、これを実物のコンテンツとして、立派な施設で展示できればもっといいのに・・・とつくづく思う。お金がかかる話なので難しいけれど。
(つづく)
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