第三回夏季強化天幕合宿in粟島

ふなむしといっしょ。

日 時:2000年(平成12年) 07月20日~23日(3泊4日)
場 所:新潟県村上市 粟島
参 加:ちぇるのぶ、おかでん、ばばろあ、しうめえ、ひびさん、しぶちょお(以上6名)

下見を行ったことにより、アワレみ隊が天幕合宿を張るには最適であるということが確認された粟島。わーっと襲撃してもアワレみ隊で占拠できるほどヤワではないことは分かったが、それでも行く価値がある。自然は豊かだし、魚は美味いし。・・・あ、魚を砂浜の天幕合宿で食べるのはなかなか難しいか。

もともと「粟島で天幕合宿をやる」ということを決めておきながら、だめ押しで6月に下見旅行を行ったわけであり、もうこれで粟島に行かない理由がなくなった。大々的に参加者を募って、粟島3泊4日ツアーの計画を発動させた。

ド夏に砂浜で天幕を張るのは正直馬鹿げている。遮るものがない空、地面からの照り返し。海にでも逃げ込まないと灼熱地獄から避けられない。夏にキャンプをやるなら、標高が高い山でやるに限る。なによりも涼しい。

しかし、アワレみ隊にとって「山で(本格的な)天幕合宿を張る」という経験が乏しかったため、そういう選択肢が思いつかないのだった。そのため、日焼けと酷暑にさらされること覚悟の上で離島の砂浜へと突撃する。今回もしかり。

粟島。新潟県の北端、村上市の岩船港から船で行ったところにある離島。地図上では「佐渡島のおとなりの島」という位置づけになるので、なんだか「じわじわ征服しているぜ感」がするのがうれしい。そうなると、次は山形県酒田市から船で行く、「飛島(とびしま)」がターゲットかな・・・なんて予感がするが、さすがに飛島は遠すぎなので行く事はないだろう。

2000年07月20日(木) 1日目

合宿当日、日本各地からJR村上駅に集結。

村上に全員集合

おかでんはムーンライトえちごで現地入り。しうめえは岡山から車で、途中ばばろあを兵庫で拾い日本海を延々と走ってきた。しぶちょお、ひびさん、ちぇるのぶは愛知からやっぱり車。

おかでんは両手に荷物をいっぱい抱えていたりザックにキャンプ用品を詰められるだけ詰めての参戦。とはいえ、いままでは殆どおかでんの所持荷物で天幕合宿をやってきたことを考えれば、今回は随分と毛色が違っている。車でやってきた連中がそれぞれ自分が持っている天幕用品を持ち寄り、今回の合宿は成立している。時代は変わった。

おかでんは「午後のカト茶」と書かれたTシャツを着ている。どこで手に入れたんだ、こんなもの。

なすとばばろあ

まだ時刻は朝8時。しかし、前日夜からひたすら走ってきた人達はハイになってしまっている。徹夜麻雀やっていると、明け方になると些細なギャグでも妙に面白くなるのと一緒。

どこからか茄子を持ち出し、エヘヘヘと笑うばばろあ。おーい、大丈夫か。

頭には立派な麦わら帽子。過去の天幕合宿の経験を踏まえ、帽子、しかもつばが大きなものを用意するのは必須。茄子持っているし、まるで農家の人みたいだ・・・と言いたいところだが、この呆けた笑いを見ると農家というかなんというか、まあ、訳がわからん。恐るべし徹夜ハイ。

ばばろあ魚吟味中

下見の時同様、「岩船港鮮魚センター」に行く。船の出港までまだ時間があるからだが、朝ご飯をここで見繕うとい考えもある。

魚を見て回る。安い。・・・でも、一匹まるごとなんていらん。

しかし、今回のわれわれには「クーラーボックス」という秘密兵器(今更何を・・・)が登場した。氷さえ詰めておけば、砂浜であっても鮮魚を食べる事ができる!もちろん冷えたビールだって飲むことができる!すげえ!

これまでのアワレみ隊合宿でありそうでなかったのがこのクーラーボックスだった。理由はただ一つ、かさばるから。天幕合宿当日かさばるのは当然として、普段キャンプのない日常生活においても置き場に困る。邪魔だ。だから、クーラーボックスは用意していなかった。

早速このクーラーボックスの威力を発揮せねば、ということでばばろあ料理長は魚をいくつか買い求めていた。これまでの飯能河原であっても鮮魚、しかも刺身なんてのは手を出したことがないジャンル。それが、まさかまさか離島の旅でお目にかかるとは。ちょっと信じられんな。

クーラーボックス持ち込みの話は事前に議題にあがっていなかったので、おかでんは目を白黒。

こういうことができるのは、今回の参加者が多いからだ。6名いれば、「キャンプで必要な道具(テントとか飯ごうとか)」の運搬の、一人当たりの割り当てが少なくなる。だからこそ、かさばって重たいクーラーボックスなんて代物を運び込めるのだった。3名とか4名の合宿だと、なかなかこうはいかない。

朝食

魚をその場で捌いて貰って、醤油垂らして刺身でも食うかァ!なんて話もあったのだが、売店が開いていて薩摩揚げとか魚のフライが売られていた。こっちの方が手軽なので、売店でそれらを買って食べることにした。もちろんビールも忘れちゃいけない。まだ朝9時前?知るか、そんなこと。みんな徹夜に近い強行軍でここまで来ているんだ、時間の感覚なんて忘れちゃったよ。

薩摩揚げと越後ビール

ビールは自販機に新潟の地ビール「エチゴビール」が置いてあったので有り難く頂く。エチゴビールは「地ビール」の元祖。元祖に敬意を表しつつ、揚げたての薩摩揚げを頂く。うーん、うまい。これだけでも幸せなのに、これから島に渡るなんて。ちょっと精神的にぜいたくすぎるな。

甲板で飲む

粟島行きのフェリーでは、前回の経験を活かしてすぐにデッキにござを敷いて陣取る。6月のときと違って7月ともなればキャンプ、釣り、海水浴のハイシーズン。お客さんがいっぱいだ。ござの場所が取れないんじゃないかと心配したが、かろうじて確保することができた。

夏に粟島に行こうと思っている人は、快適な船旅をするために早めの港到着をお勧めしまする。

と、ビール飲みながら皆様へご報告。おい、また飲むのか。

甲板で飲む2

いやだって、潮風に吹かれながらの船旅ですぜ?これでビール飲むなというのが無理がある。こういうシチュエーションだと、もうその場の空気が肴であり、それ以上のものはいらんな。ぐいっとビールをあおり、そして周囲を見渡しニヤニヤして、「いいねぇ」と仲間同士で語り、そしてもう一度ぐいっと。これ以上何があろうか。

UFO

お酒が飲めないしぶちょおは一人宴会に加わらず、突っ伏して居眠りしていた。そりゃそうだ、愛知から新潟県の北端までのドライブは相当疲れたはずだ。

そんな疲労困憊しているしぶちょおの上に謎のUFOが・・・。しぶちょおをキャトルミューティレーションしようとしている。危ない!しぶちょお!

わっぱ煮

船はべた凪の日本海を走り、粟島に到着。民宿の送迎ワンボックスカーを尻目に、たくさんの荷物をよっこらしょと船から降ろす。

さてわれわれの当初計画では、ここから島の反対側にある釜谷地区にあるキャンプ場に大本営を構えることになっている。しかし、途中標高200mはある山を乗り越えていかないといけないので、正直うっとおしい。しかし、そのうっとおしさ故にキャンプ場が空いているのではないか、というもくろみがあった。

とはいえ、誰しも楽はしたいものだ。この港がある内浦地区にもキャンプ場はあるので、そこが空いていたらいいなあ・・・という気持ちがいっぱい。内浦地区には食材調達ができる売店もあることから、ここが空いていればそれに越したことはない。ただ、混んでいて、隣のテントサイトで子供がちょろちょろ走り回ってます、なんてのはゴメンだ。さてどうしたものか。

とりあえず、「粟島名物わっぱ煮」を食べてみたい、という人は港近くの食堂でわっぱ飯を食べ、さっき飲み食いしたばっかりだからおなか空いていないよーという人は情報収集と食材調達にあたることにした。

写真はわっぱ煮定食。魚が入った味噌水に、アツアツに熱した石を投入し火山噴火のように沸騰させて食べる料理。ぐつぐつが収まってしまうとたんなる魚のあら味噌汁になってしまうので注意だ。熱いうちに食え!

リアカー

わっぱ煮、シンプルな料理ではあったが、提供されるまで随分と時間がかかったのでヒヤヒヤもんだった。無理言って「わっぱ煮食べに行くぞ隊」を編成したのだから、さっさと食ってすぐに戦線復帰したかったのだが。何でかというと、わっぱに投げ込む石を入念に熱しないといけないので、それで時間がかかっているのだった。なるほど、そりゃそうだわ。

1時間近くかけてようやくわっぱ煮部隊が元に戻ったら、良い情報と悪い情報の両方が待っていた。

その悪い情報とは、釜谷地区のキャンプ場も内浦地区のキャンプ場もいずれも大混雑しているらしい、ということだった。それはいかんな。

ちょうど役場が開いていたので、「どこかキャンプできるところないですかね、邪魔にならない程度のところで」と聞いてみた。すると、内浦から反時計回りにしばらく進んだところに砂浜があり、そこだったら空いているだろうという予想外の回答が返ってきた。キャンプ場ではないそうだが、水場は近くにあるとのこと。役場公認だからやっちゃって良いのだろう。素晴らしい。

さらに素晴らしいことに、ここではリアカーを借りる事ができるということだ。特に役場に申請しなくても借りることができるあたりがおおらかな島ならではだ。でも、早く借りておかないとリアカーが全部貸し出しになってしまうかもしれない。われわれの分はとりあえず1台確保。

荷物を積んで、いざ現地へ。さすがにリアカー引っ張って現地に向かって、駄目なキャンプ地に到着してしまったら収まりがつかない。事前に斥候を出してみたが、斥候からの回答は「他に誰もいないし、いい場所」とのことだった。それはラッキー。

リアカーを引っ張るのは神島合宿以来のこと。あのときは食材を全部名古屋で調達して、現地に持ち込んだんだっけ。すごい重たかったなあ。ビールなんて1ケース丸ごと、だもんな。今回もクーラーボックスなどかさばるものは持ち込まれているが、リアカー1台で済んでいる。この7年間、無駄にあれこれ荷物が増えていったというわけではなさそうだ。

テント設営

役場の人に教えてもらった場所は、内浦集落から徒歩で10分~15分程度のところで、結構近い。結構広い砂浜が広がっており、それをアワレみ隊で独り占めだ。もっとも、地元の海水浴客は若干いるのだが、夕方になると家へと帰っていった。こんな良い環境に誰もいないとは、完全に盲点だ。

やっぱり、1カ月前に下見に訪れていたわれわれの勝利だな。・・・あれ?下見したときはこの場所について全く知らなかったぞ?下見に意味があったのかどうか、だんだん怪しくなってきた。

一度場所が決まれば後は楽なもんだ。全員慣れた手つきで天幕を設営していく。今回はテントが大中小と3つ並んだ。大テントは毎度おなじみ「ファミリーキャンパー」。中テントはしぶちょおとひびさん用。小テントはしうめえが持ち込んだものだが、これは荷物庫として使われることになった。

丸太を運ぶ

この砂浜のありがたい事は、きれいな砂浜ではあるけど流木も豊富だということだ。

一応ガスストーブは持参してあるものの、基本的に「ガスストーブを使うのは軟弱」というイメージがまだ残っている。だから、雨天用ツールであり、調理は原則薪を使って行われる。だから、流木の有無はわれわれにとって死活問題なのだった。

あと、われわれにとって調理もさることながら、キャンプファイヤーも重要な位置づけ。キャンプファイヤーをするためには、太い材木がそれなりの数量必要となってくる。調理用の短くて細い木とは別だ。とはいえ・・・うわあ、なんだこれは。丸太、と呼んで相違ないでっかい木を転がしてきたぞ。抱きかかえようにも大人二人でも持てない重さなので、転がすしかないサイズ。よくこんなのが流木になって流れ着いたもんだ。

この木は「御柱(おんばしら)」と名付けられ、最終日のキャンプファイヤーのシンボルとなった。

火おこし

16時過ぎから食事の準備開始。「日が傾いたら準備開始」だと、遅すぎる。もっとも、谷間にあった飯能河原での天幕合宿ほどシビアではないのだが。飯能河原は谷ゆえに日没(というか薄暗くなる)タイミングが相当早い。

かまどを作ってご飯を炊くしうめえとちぇるのぶ。一人がふいご、一人がうちわなので風ばっかり薪にあたって、むしろ火がつきにくいというジレンマ。

米を炊く

まだこんなに早い時間なのに飯炊きをやっているあたり、調理の順序立てがあまりうまくない。もともと、早い段階から米を炊くのは、さっさとご飯を作ってかまどを明け渡し、メインの料理を調理するためだ。しかし今回はメインの料理は特設ステージで調理されるということなので、それほど意味がある行為じゃなかった。

意味がない、といえば飯ごうの裏側。思いっきり殴られてごっぽりと凹んでいる。しかも二つとも。もともと、飯ごう調理では米が炊けた後「蒸らし」があるので飯ごうをひっくり返す。その際に底に張り付いている米をふた側に落とすためにポンポンとたたく必要がある。そう、「ポンポン」程度で、十分。それが何をどう間違ったか、軍手をはめた拳でゴツンゴツンと殴る人が現れ、だんだんエスカレートして岩で殴る、薪で殴るといったバイオレンスに。バイオレンスである必然性は全く無いのだけど、気がつかないうちに「そういうものなんだ、飯ごう炊さんって」と思うようになってしまったのだった。意味がない。

調理中ばばろあ

今回はばばろあが料理長復帰。毎食毎に料理人がかわる「佐渡島方式」ではなく、ばばろあに全部の食事を一任する「神島方式」が採用された。

料理をする際、さすがに砂地の上で調理するわけにはいかない。しかし、海沿いには都合が良いものが転がっているもので、いかだ状になっているすのこを発見。ずるずると遠方から引きずってきて、それを調理台とした。もちろんすのこなので隙間がいっぱいあり不安定ではある。でも、地べたで調理することを考えればこんなにありがたいものはない。

そんなばばろあは自分ちからわざわざ持ち込んだ包丁とまな板で魚を捌き中。お刺身を作るんだという。

「2000年のアワレみ隊はここが違う!」

感心する一同。今まで、生鮮食料品を天幕合宿で使うなんてできたもんじゃなかった。しかも砂浜で、だ。海に360度取り囲まれた離島に来て何をやってるの、と言われそうだが、魚なんて季節柄危なくて料理に使うのは困難だった。

せいぜい、飯能河原の時にちょろっと魚が登場したくらいだ。

しかも今回はお刺身。クーラーボックス様々だ。これがあることによってかさばるとか重いとか制約がつきまとうが、あると可能性が広がるもんだなあと感嘆しっぱなし。

じゃあこれを買うか?というと、多分買わない。かさばりすぎて、ちょっと取り扱いに困るから。

料理長ばばろあ渾身作のお刺身だったが、あまりに渾身だった故に途中でひっくり返してしまい、砂まみれになってしまった。結局そのお刺身は廃棄処分となった。「なんてことをしてくれたんだ!」急にばばろあの立場、弱体化。

女性ならではの特権

ひびさんがふらふらしていたら、通りすがりの釣り客から「たくさん釣れたからあげるよ」とお魚(主にベラ)とさざえをプレゼントされた。

「さすが女性がいると違うな。一グループ最低1名は女性がいないと損するな」
「オレ明日から女装する」
「それはやめろ」

ばばろあが岩船で手に入れたお魚よりもさらに鮮度のよい魚、ゲット。でも、ばばろあ料理長は「こんなんどうやってさばけっちゅーんや。ようさばけんで」と嘆いていた。確かに、面倒くさいのは事実。

食事会場

夕食

丁度ナイスタイミングで、日没と同時に食事開始。

「特設ステージ」となった第二かまどの上に炙りものを乗っけ、みんなはそれを取り囲んで食事をとった。昼間見つけてきた太い材木(御柱など)はこの時点で椅子にされている。よく短時間でここまで都合の良い木材を見つけてきたもんだ。

うちわを扇ぐ

岩船で買ってきた大あさりを炙っているところ。炙る手間の割には一人頭の配分量が少なく、なんだか損した気分。でもキャンプ初日、屋外での食事ともなればそんなのぁどうでもいいんだよ。雰囲気がすべて。特にビール飲んでご機嫌のおかでんにとってはなおさら。

調理中ばばろあ2

なお、この日のご飯は炊き込みご飯だった。蟹を豪勢にバラして、ご飯にまぶしたもの。それもこれもクーラーボックス様々だ。悔しいけどその実力は認めざるをえない。

2000年07月21日(金) 2日目

2日目朝

朝5時過ぎに全員起床。テントの中が容赦なく明るくなって睡眠を邪魔するのと、日が差すのと同時にテント内室温が急上昇するので寝ていられない。

もちろん、「日が昇りきる前に力作業を終えておく」という事が重要であり、朝早く起きるのは非常に合理的ではある。

ばばろあ

全員がテントから逃げ出したら、料理長ばばろあだけかまどに向かい、残りの隊員は薪拾いと薪割りに取りかかった。拾ってきたはいいけどそのままでは大きすぎて使い物にならない薪がいっぱいある。のこぎりとナタで細かく刻んでいかないと。

手分けして流木を運ぶ

そんな中、4人がかりで運ばないといけないような大捕物あり。

「これを燃やすだけでキャンプファイヤーが成立するな」

という代物。こういうのがゴロゴロ転がっているのがこの砂浜のありがたいことだ。

砂浜を眺める

少し離れたところからわれわれのいる砂浜を眺める。テントの位置がわかりにくいが、電柱のそばに並んで立っているのがわかるだろうか。

遠浅の白砂海岸、というわけではない。浜辺こそ砂だが、海に向かっては岩場になっている。だからこそ、ここがキャンプの穴場スポットになっているのだろう。結局われわれが滞在した3泊4日の間、一組たりともキャンプ客はやってこなかった。

テントといえば、神島から使っている「ファミリーキャンパー(ファミキャン)」と呼ばれているテント。これがなんだかだんだんとんがったシルエットになってきている。「まるでインディアンのテントみたい」という声が挙がったくらいだ。これは、テントの竹製ポールが経年劣化のためにゆがんできて、折れそうになっているからだった。1993年から使ってはや7年。そろそろ寿命かもしれない。

一段落

薪拾い部隊は大捕物をしてきたので一段落といったところ。あれを本格的にばらすには相当な労力と時間がかかるので、朝ご飯の後にやることにした。

朝ご飯の完成を待つ一同。

茄子と葱の味噌汁

朝ご飯。たっぷり茄子と葱の味噌汁。

たったこれだけで手間どったな、と言うこと無かれ。薪の火をおこし、火力調整をし、食材を準備していたら結構な時間がかかる。昔の人は調理にものすごく手間暇かけていたんだな、ということを実感させられるのがかまど調理の天幕合宿なり。

取っ手にアルミホイルがつけられているのは直火に炙られて取っ手が持てなくなるのを防ぐため。この鍋を使うようになってからは必須の処理となった。

朝食中

お味噌汁とご飯の朝ご飯。シンプルだけど、これで十分。

神島の頃なんて、朝ご飯はジャガイモ一個だけ、だったもんな。それを考えたら同じ料理長なのに随分と進歩したもんだ。

一同、ジュウシマツのようにお行儀よく並んで食事。ちょっとでもお行儀悪いことをしたら、すぐに砂が舞い上がって何かと支障がでる。危ないのが料理が入ったお皿で、うっかり地べたに置いたりしたら確実に砂の餌食になった。だから、どんなに狭くても板の上にお皿は置く癖がついた。