舎人公園BBQオフ2014

いい色に焼けてきた牛タン(丸ごと一本)

最初は火力が心もとなかった炭だが、だんだん安定してきた。それに伴い、我らが牛タンもいい色に焼けてきた。ゴロゴロ転がしながら表面に火を通していく。

こげる直前・・・くらいが一番いい。「タンは軽く火を通すだけでいい。」というのは焼肉屋で食べる、薄いタン塩の場合だ。こんな塊を、軽くあぶっただけでは全然中まで火が通らない。

表面をこそげ落とす

焼けたタンを包丁で削ってみた。

なんか、鉛筆の削りカスみたいになった。ううむ、なかなか難しい。あんまりざっくりと削ると、奥の火が通っていない生々しい部分まで切り取ってしまう。それはあまり嬉しくないので、できるだけ薄く。

なぜタン塩が薄切りなのか。それはケチっているからではなく、肉としての食感が弾力に富んでいるからだ。分厚い牛タンステーキもお店によってはあるが、必ず隠し包丁のひと手間が加えられている。そのままでかいのをがぶり、とやるとグミグミして食べるのに難儀する。

そんなわけで、「塊で焼く」のはワイルドでテンション上がることなのだが、結局食べる際には薄く切らざるをえないのだった。「肉は塊で焼いたほうがいい。なぜなら肉汁を塊の中に閉じ込めることができるから」というけど、こと牛タンにおいてはそれは難しいと思う。

だんだん小さくなる牛タン

火力が強いので、どんどん牛タンが焼けていく。包丁で焼けた部分をこそげ落とすのはかなり難しいので、途中からキッチンバサミに持ち替えた。はさみでチョキチョキ肉を切ったほうが、圧倒的に便利だ。

ただはさみだと、どうしても大ぶりに切れてしまう。で、切れた肉は再度網の上に並べられ、生焼けの部分に火を通してから各自に供された。・・・薄切りのタンと結果的には一緒じゃないか!って?いやいやいや、最終的に口に入る段階ではそうかもしれないけど、「今目の前で焼かれている塊が削られているゥゥゥゥ」感が重要なのですよ。ストーリー性というか、トレーサビリティというか。

アヒージョも出来た

アヒージョも完成していたので、箸休めとしてぐいぐい食べていく。圧倒的に簡単にできた料理だったけど、これがいい感じで美味しかった。「折角のバーベキューなんだし、ホタテとか海老とか焼こうぜ」というのは悪くないけど、殻の始末が邪魔だよね、とか手が汚れるよね、という面倒くささがある。その点このアヒージョは、手は汚れない、調理は楽、そして何よりも「ちょっと普段の食卓にはなじみが薄いよね」というよそ行きの雰囲気が素敵。

玉ねぎのホイル包み

さりげなく、玉ねぎが丸ごと一個ホイルにくるまれて炭火の中に投げ込まれていた。そろそろ頃合い、ということでサルベージ。

僕は今回のバーベキューが喰い地獄になることがあらかじめわかっていたので、「バーベキューの定番だから、という理由だけで野菜などの食材を漠然と買うことを禁止」としていた。そういう惰性の買い物を許容できるほど、我々の胃袋は無限ではない。今回は既に塊肉が大量にあるからだ。カボチャ、玉ねぎ、ピーマン、とうもろこしあたりが僕にとっては「惰性の極み」という認識だ。

しかし結果的にはピーマンがパプリカになり、玉ねぎは「キャベツ大爆発」用に1/2玉だけ必要だったのに「折角だから」と3玉になった。ただし、玉ねぎの輪切りを単に焼のはあまりに惰性すぎるので、そこでホイル包みとなったわけだ。こういう「一工夫」があると、場が華やいで面白い。ホイルに包むだけで、「惰性」感が払拭される。カラフルなパプリカも、「焼肉」ではない「バーベキュー」であることを主張して、嬉しい。

ただし、結果的に食材の量が増えてしまったのは紛れもない事実で、最後は結構余らせてしまったのだけど。

1 2 3 4 5 6 7 8

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください