成田国際空港。言わずとしれた「日本の表玄関」だが、その存在は半世紀にわたるドタバタした歴史の上に成り立っているのは有名だ。
空港計画が起こったのが、安保闘争などでまだまだ血気盛んだった時代だったこともあったし、地権者の合意形成を怠り強引に計画を進めた政府のやり方のまずさもあった。そのため、大規模な反対運動が起こり、妥協と強請の結果「日本の表玄関」にしてはいびつな空港に仕上がってしまったのは誰もが知るところだ。
ここ最近、日本各地の空港で国際線が就航するようになった。それに伴い、地方の人が海外に旅立つときは、いったん韓国の仁川に飛んでからトランジットする、という「成田パッシング」が増えてきた。さらに、羽田空港に4本目となる滑走路ができ、国際線ターミナルが新造され、「わざわざ成田に行かなくても海外に行ける」体制は着実に整いつつある。
これまでは、千葉県知事になる人というのは、必ず「県民の犠牲の上に成り立っている成田空港を尊重しろ!羽田に国際便なんてとんでもない」といった論調だった。しかし今では、成田空港をどう魅力的な存在にするか頭を使って考えるようになった。これまでの殿様商売とは大きく風向きが変わった。特に、成田空港が民間会社NAAになったあたりでその動きは顕著になり、いろいろ設備の増強や、周囲の地権者との和解に積極的だ。
とはいえ、あらためて「成田は東京都心から遠い」という事実には変わりないわけで、もっともっと利便性を高める工夫をこれからも進めていかないとダメなのは間違いないことだ。
成田空港が開港したのは1978年。もうそんな闘いは過去の出来事だと思ったのだとしたらとんでもない。未だに、その雰囲気は存分に成田空港とその周辺にはある。
成田空港の計画が立ち上がり反対活動が活発化してからはや半世紀。もう風化してもおかしくない月日の経過だが、まだわだかまりが残っているというのが現実だ。今回は、そんな「わだかまり」の象徴ともいえる場所を覗いてみいて、その後に「時代に即した最新の空港施設」を訪れてみようと思う。
まず向かったのは、B滑走路のすぐ脇・・・というか、滑走路の中とでも言える場所にある、「東峰(とうほう)神社」という場所だ。
地図を見ればわかるが、とんでもないところに神社がある。滑走路を完全に邪魔している。このあたり一帯、未だに反対派が土地を持っているため、滑走路が思うように作れなかったからだ。
成田空港は、カタカナの「ユ」の字型をした3本の滑走路を持っている。南北に並行してA滑走路およびB滑走路があり、その2本に対して斜めに突き刺さるように、横風対応用のC滑走路がある。
・・・はずなんだが、C滑走路は土地買収がうまくいかずに今だに運用されていない。成田空港側も半ば諦めちゃって、今じゃ駐機場スペースとして使っていたりする。
A滑走路は4,000メートルという日本最大の長さを誇る滑走路ではあるが、反対派との調整に手間取り、本来の4,000メートルで運用ができるようになったのはつい数年前、2012年のことだ。それまでは3,250メートルでしか運用ができなかった。
で、東峰神社が間近にあるB滑走路は、2002年に供用開始した新しい滑走路だ。21世紀に入るまで、成田空港ともあろうものが1本だけの滑走路で運用されていたのだから驚かされる。そして、開港から24年経ってようやく2本目、というのも驚きだ。サッカーW杯に間に合わせるためになんとか頑張ったということだが、地権者への説得が間に合わず、当時は2,150メートルの滑走路として供用開始となった。
滑走路の長さは、飛行機の航行距離と深い関係がある。遠くまで飛ぶ飛行機は当然重たい燃料を積んでおり、離陸するまでが一苦労だ。だから長い滑走路が必要となる。客席が多い、大型の機体でも同じことだ。そんな中、2,150メートルの滑走路では、海外路線といっても近距離の便しか利用ができなかった。きょうび、地方空港でもこれよりも長い滑走路を持つところは多く、日本の表玄関としては激しく見劣りしたものだ。
しかも、東峰神社を避けるように、北側に滑走路が延びているため、空港のターミナルから随分と離れている。飛行機が出発してから離陸するまで、地上を延々とタキシングする様は成田ならではの光景だった。
さらに、滑走路の末端まで飛行機が移動するために滑走路と並行して作られている誘導路だが、未買収の土地を避けるために「ヘ」の字型にゆがんでいるところがあった。この「ヘ」の字部分を飛行機が通過する際、別の飛行機が滑走路上を離着陸していたら翼同士がぶつかるおそれがある。なので、他の飛行機が離着陸中は誘導路の飛行機はいったん停止し、待機する・・・という変な運用が行われていた。今ではこの「ヘ」の字部分は用地買収が進み、少し解消はされたが。
さすがに2,180メートル滑走路では短すぎる、ということで、成田空港側は「南(東峰神社側)に滑走路を伸ばせないんなら、北に伸ばしちゃえ」と方針を変換した。そのため、2009年に北側に320メートル延伸し、合計2,500メートルの滑走路へと進化を遂げた。これにより、ますますターミナルから滑走路末端が遠ざかってしまったのだが。
そうまでさせてしまうのが、この東峰地区だ。これまでさんざん強請代執行やら裁判やら持ちかけられただろうに、それでも居残っているというのは本当にタフなことだと思う。強い信念がないとできないことだ。なにしろ、空港の中にぽつんとある場所なので、やかましいし、何より不便だ。
そんな中にある東峰神社は、物好きな人たちの間ではとても有名な場所だ。場所が場所だけに警備が厳しく、この地に足を踏み入れたら即座に警察だか警備員だかがやってきて、職務質問をされる・・・という話は枚挙にいとまがない。
でも、最近は反対派との対立が随分落ち着いてきたということなので、この警備もマイルドになったといううわさも聞く。そういえば、2015年の春から、鉄道で成田空港に訪れた人に対して身分証明書の確認アンド手荷物検査、というのが基本的には無くなったはずだ。以前は「戒厳令空港」、と揶揄されたほどの厳重警戒空港だった。場合によっては、「空港関係者及び搭乗者以外は空港に入ったらダメ」という措置もとられたらしい。お見送りの人すら入れないというのだからすごい時代もあったもんだ。
そんな厳しい時代にほいほいと物見遊山で東峰神社に行くというのは良くないと思うが、今ようやく警備がまろやかになったのならお詣りしてみたいものだ。この神社のことを知って10年来の念願がようやく果たせるときがきた。
なお、この神社はあくまでも神社であり、もちろん誰でも参拝することができる。立ち入り禁止地区に勝手に足を踏み入れるというわけではない。
東峰神社は、空港脇のローソンを目印に、県道44号線からわき道にそれて突撃だ。
誘導路の下をトンネルでくぐっていくのだが、この時点で尋常ならざる緊迫感があたりに漂っている。というのも、道路の周囲を白い無機質な壁が覆っているからだ。勝手に滑走路内に侵入され、破壊活動をされたら困るからだろう。恐らく、このあたりには多数のセンサーや監視カメラが設置されているはずだ。
トンネルをくぐると、そこは塀に挟まれた状態の場所だった。空港ということもあり、周囲にビルなどの建物がない。だから、開放的な空の青さと、不気味な塀とのギャップが相当ある。
塀なんか圧迫感があるんだから、フェンスでいいのに・・・と思うが、よく見るとこの塀の奥には鉄条網付きのフェンスがあるようだった。二重で滑走路をガードしている、ということだ。たぶん、フェンスだけだったら、その隙間から何か投げ込まれるんじゃないか・・・という警戒からなのだろう。
そんな場所を少しだけ走ると、右手に「東峰神社 この先行止まり」という看板が出ているのを発見した。ここはT字路になっており、右折すれば目指す東峰神社、ということになる。
ただし、白い塀がのっぺりと続いている道なので、少々この分岐はわかりにくい。遠近感が掴みにくく、分岐があることを最初から知っていないと、うっかり見落としかねない。
「行止まり」と書いてあるのは、親切心ともいえるが、「あんまりこっちに来て欲しくないなあ」という設置者の思惑も感じられる。
「すまんね、ちょっとお参りさせてもらいますよ」といいつつ、ここを右折する。
右折した先の道路は、道幅が狭くなっている。塀が両側に迫っているので、より異常な空気を感じさせる。
軽くドキドキする。
「監視カメラ、なかったよね?」
助手席にいる相方に聞いてみる。すると、そういうものは見かけなかった、という。また、このT時路の左側には空き地が広がっているのだが、そこに機動隊の車などが待機しているということもなかった。
やっぱり、今はそういう体制にはなっていないのかもしれない。そりゃそうだ、場所が場所とはいえ、普通の神社だ。
東峰神社への一本道をそろそろと進んでいくと、右側に車の待避所があった。道が狭いので、車がUターンするならここをどうぞ、という配慮だろうか。親切だな。その分だけ、貴重な空港スペースをちょっとだけ消費している。
斜め左に曲がっていくと、鳥居が見えてきた。道路の行止まりに、東峰神社。
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