2020年6月/三密の山・高尾山&高尾山ビアマウントのwithコロナレポート

2020年春、世界は新型コロナウイルス(COVID-19)蔓延のため、大規模な都市封鎖や経済活動の抑制が行われた。日本も他の国と同じく・・・といいたいところだが、公権力によるロックダウンではなく「自粛の要請」という謎運用が適用された。

4月8日に日本国政府から全都道府県に対して緊急事態宣言が発令され、ウイルスの陽性者数が一旦低い数値で安定した5月25日まで、約2ヶ月間は様々な行動制限が伴った。ただし、自粛、という名のもとで。

5月26日以降も東京都とその周辺自治体は独自の制限を行い、なかでも東京都は「東京アラート」と呼ばれる制限を都民や業界団体に要請した。東京アラート発動中の東京都庁は赤くライトアップされ、「悪の巣窟」などと囁かれたものだ。

そんな東京アラートも段階的に解除され、6月19日から休業要請は終了となった。世の中は徐々に、警戒感を伴いつつも日常生活に戻りつつある。

この文章を書いている2020年6月末においては、街の人々やお店の行動には何パターンかあるように見える。

  • 厚生労働省から提示された「新しい生活様式」に基づいて、比較的しっかりと感染症対策を行っている人やお店。
  • 新型コロナなんてもう終わったんでしょ?とばかりにコロナ前とほぼ同じ行動をとる人やお店。
  • コロナ対策をやっているけれど、実効性が怪しい「単なる様式美」になっているもの。

そんなわけで、今後の展開がまったく読めない状況になっている。

おそらく、「働き方改革」と言われていた世界はデスクワーカーにおいては一歩前進すると思うけど、それ以外の仕事の人たちはあまり変わらないような気がする。世の中の仕組みも、半歩前進くらいはするだろうけど、「今までの世界を延命させる」こと以上にはならないような予感がする。

これを機会に、これまでのしがらみとか悪習を一掃するというのはちょっと難しそうだ。それは日本がコロナで壊滅状態にならなかった良い結果だ、とも言えるけれど、チャンスを失いつつあるとも言える。

とはいえ、今後「第二波」が到来するかもしれないし、しないかもしれない。人々は引き続き警戒しつつも、日々を過ごしていくことになる。人によって温度差があるけれど。

で、その「温度差」が現時点でわからないのが悩ましい。

たとえば、夏休みに人々はどういう行動に出るのだろうか?「自粛明けだ!海に山に遊びにいくぞ!」という人がドバーッと移動するのか、それともしないのか。今年は緊急事態宣言で学校が2ヶ月くらい休校していたため、子供たちの夏休みが短縮されると聞く。それがいつなのかわからないが、おそらくお盆前後が夏休みになるのではないか。・・・となると、お盆はいつにも増して帰省ラッシュがひどくなるのだろうか?

いや、みんな「混雑はイヤだ」ということで、ウラをかいてお盆の帰省は回避するかもしれない。僕自身、お盆時期の帰省はやめようと思っている。そもそも、帰省すること自体決めかねているくらいだ。なにせ、未だにそれなりの感染者が日々確認されている修羅の国・お江戸だ。県外に出ることについてはまだ判断しかねるところがある。

夏の観光地はどうだろうか?

外国人観光客の訪日が激減しているので、観光地の混雑は緩和されるかもしれない。いやでも、日本人観光客が海外旅行に行かないので、むしろ混雑がひどくなるかもしれない。観光地の飲食店は「三密回避のため、客席数を通常の半分で営業しています」などというところが多いだろう。となると、ちょっとした混雑でも「どのお店も入店待ちがすごいことに」という有様になるかもしれない。

ならないかもしれない。

ぜんぜんわからない。

僕もパートナーのいしも、今回のコロナに少し絡んだ仕事に携わった。そんな立場なので、安易に外出して感染しました、というわけにはいかない。慎重に行動したいと思っている。自宅はグリーンゾーンとレッドゾーンを分け、外から帰宅したらお風呂に入らない限りリビングに立ち入れないようにしているくらいだ。

いつも玉虫色の表現で「行間を読んで、自主的に行動してくれ」というメッセージを発する政府や自治体だけど、今回も「県外への移動は徐々に」などと言っている。なんだよ「徐々に」って。

日本企業における幹部社員教育などでよく使われる名著がある。「失敗の本質」という本だ。これは、第二次大戦で日本軍がいかに失敗を重ね、敗戦に至ったかを検証する内容で、読み応えがすごい。反戦とかそういうイデオロギー的なものは含まれておらず、純粋に日本人的なメンタリティや言語感覚がいかに非合理的であったか、をよく表している。名著なので、機会があったらぜひ読んでみて欲しい。

著:戸部 良一, 著:寺本 義也, 著:鎌田 伸一, 著:杉之尾 孝生, 著:村井 友秀, 著:野中 郁次郎

笑えないのが、第二次大戦の日本軍というのが異常な状態であったと過去の話にできないことだ。そこで展開された「行間・空気を読め」的なやりとりや「メンツを潰してはいけないから」的な非合理性、そして精神論は21世紀の日本においても生き続けていて、なんにも変わっていないからだ。

日本における歴史教育というのは失敗している、と思わざるをえない。律令制度がどうだとか、前方後円墳がどうとか詰め込み学習をするのではなく、我々は過去からなにを学び、それを未来にどう活かしていくのかという視座がまったくないからだ。その結果、今回のコロナも微妙な空気になっちゃった。

第二次大戦下における日本人の「忖度」とか「行間を読んで場の空気を理解する」という独特のメカニズムについては、「空気の検閲」という本にも詳しい。こちらも併せておすすめしたい。

(つづく)

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