歳を重ねてくると、少年少女のように「満面の笑み」というのは浮かべづらくなるものだな。表情筋が硬くなるのか、それとも「破顔して笑う」という機会が減ってしまい笑い方を忘れてしまうのか。
「久々のますゐ料理を口にご満悦」
というテーマで写真を撮影したはずなのに、なんか微妙な顔つきになってしまった。
でも、こういうのがリアルな「うまさの表現」なんだと思う。「うわァァァァ!おいしーい!」なんて表現は、テレビリポーターの特権事項だ。
これがお酒でも飲んでりゃ、もっと「油断しきった笑顔」になるのかもしれない。でも酒がなけりゃ、こんなものだ。
「大してうまそうな顔をせずにますゐ料理を食べる写真」という、ますゐに対する熱い風評被害。許せ、ますゐよ。
店内の壁に貼ってあった短冊メニューに、「松茸あります」と書かれていた。具体的に松茸がどう調理されるのか、その短冊を見ただけではわからない。
「あるけど、お前には食べさせない」
と言われたらあまりに切ない。
以前、秋にますゐを訪れた際、「松茸のすき焼き」を食べたことがある。
今回も松茸のすき焼きなのかと思って店員さんに聞いてみたら、「松茸をあぶったもの」があるという。いくらだったか、値段は忘れた。
最も値段のことを気にしなくちゃいけない食材なのに、「秋だし!せっかくだし!人数もそこそこいることだし!」というノリで、頼んじゃった。
松茸、きたーッ!
写真では大写しなので量が多く見えるけど、実際はちょびっとだ。小皿に少々。松茸を一本使っても、大した量は取れない。それだけ貴重な秋の味覚。
「何もますゐで食べる必然性はないんだけどな」
全メニュー制覇時代のクセがまだ抜けきっていない。
ますゐを訪れると、どうしても「ますゐソースがかかった料理」を食べないと落ち着かない。寿き焼きを食べたり、ステーキを食べたり、そういうメニューも美味しいお店なのに。
「この松茸をますゐソースで食べたらどうなるんだろう」
などと、余計なことを考えてしまう。やめろやめろ、魅惑の提案だけど、せっかくの松茸の風味がわからなくなってしまう。やりたければ、エリンギかなにかでやれ。
これ、なんだっけ。メンチカツ(700円)だったかな?
2つ乗っていて、ますゐソースがかかっている。
よせばいいのにポテトフライ(380円)も頼んでしまった。
これもまた、「わざわざますゐで食べなくても・・・」料理の一つなんだけど、つい。
「うん、ポテトフライだな」
「そうだな」
それ以上、表現のしようがない。
ますゐソースがディップとして添えられているというわけでもない。当たり前だ。
別に「ますゐTシャツ」を着て、店員さんにアピールするつもりは全く無かった。どうせこんな細かい絵なんて、料理の上げ下げをする店員さんの目には留まらないだろう、と思っていた。すでに色あせているし。
しかし、不穏な奴らが怪しげな集会を開いている、ということで店員さんにロックオンされてしまったらしい。お会計の際、素性が割れてしまった。
中国新聞に「ますゐ詣で」の記事を連載したのは、すでに10年以上前のこと。もうお店の人は遠い昔のことだ、とすっかり忘れていると思ったのに・・・。これは意外だった。天下の「肉のますゐ」のことだ、地元メディアや全国メディアでも、さんざん取材を受けてきただろうに。よっぽど僕らが変人で、印象に残っていたということなのだろう。
接客をしてくださる女性店員さんが、昔と変わらない顔で「あんたら、懲りないわねえ」という苦笑にちかい微笑みでこっちを見ている。いや、お恥ずかしい。まだ覚えていらっしゃったのか。
白い服を着た、普段は厨房にいると思われる男性店員さんがあいさつをしてくださった。お話を伺うと、この方がますゐの専務取締役。
僕が知っている初代社長がお亡くなりになり、精肉部にいらっしゃる息子さんが社長を継いだと聞いていたが、実はその息子さんは兄弟で、次男坊が専務として食堂を取り仕切っていらっしゃっるらしい。頂いた名刺には、まぶしい「桝井」のお名前。僕よりも若い方だけど、思わず土下座したい気持ちになる。僕らにとっては、葵のご紋と一緒だ。
後に桝井専務から聞いたのだけど、ますゐ兄弟にとどまらず、さらにはお姉さんもいらっしゃるそうで、お店の経理を担当しているとのこと。すげえな、ますゐ三兄弟!
後継者となった皆さんはまだお若いので、肉のますゐはこの先も永遠に不滅だ!きっとそうだ。
専務から、「Tシャツが欲しい」とリクエストを頂いた。「マグカップとかはあるんですけど、Tシャツは持っていないんですよ」とのこと。驚いた!マグカップの存在をご存じだったのか。「ますゐマグカップ」は、Tシャツを作ったときにあわせて作成し、先代社長にも贈呈したものだった。
予想以上に好評で、肝心の僕の手元に1つも残っていない品物だ。だから僕自身、どんなマグカップだったか、あんまり記憶にない・・・くらいのレアアイテム。
そんなマグカップを先代社長は大事にしてくださっていたのだろうし、息子さんにも見せていたということか。ありがたいことだ。
で、僕が着ているTシャツをしげしげと眺める専務、「牛肉さしみがあるのがいいですね」と何度も仰る。今、生肉の提供が厚生労働省の指導で不可能となったため、「時代を感じさせるメニュー」なのだろう。
時代の流れを感じさせるメニューとしては、Tシャツに描かれている「魚さしみ」というのも今は存在していない。でもさすがにこれはますゐとしては思い入れはないと思う(推測)。なにせ、要予約で、予約が入れば鮮魚店?から仕入れている「外注品」だから・・・。
「せっかくなので、現在あるメニューに即して作り直しましょうか?ちょうど今、この絵を描いたヤツ(ばばろあ)がいますんで、彼がオッケーといえば新しく絵を描くこともできますよ」
と提案したけど、専務は「いや、このままの方がいいですねえ」と仰っていた。まあ、そうはいっても、せっかくなので料理の並び順を変えたり、メニューを描き直したりはやりますんでぜひ、と伝えたら、兄弟3名で家族会議をやります、とのこと。
ばばろあに「桝井家で家族会議をやるそうだ」と伝えたら、すごい会議だな、と恐れいっていた。ばばろあだって、「桝井家」というのは神話の神々の世界の方々だ。自分が描いた絵について議論されるとなると、背筋がシャンとするに決まってる。
ばばろあは
「せっかくだから、1枚のTシャツにメニュー一つだけ、みたいにしたほうがええと思うんよ」
と言う。現在のTシャツは、料理が9つ並んでいて、かなり細かい絵柄だ。
「遠くから見ても、『あっ、サービストンカツだ!』ってわかったらええと思わん?」
だって。それはファッションとしてどうかと思うが、かなり面白い。
家族会議だが、紛糾しているのか、それともご多忙で会議日程が決まらないのか、2018年1月時点でまだ結論をご連絡いただけていない。もしTシャツ制作にGOサインが出たら、あらためて大々的に「肉のますゐTシャツ」を作成したい。
オリジナルTシャツ作成は、大量ロットにすれば単価を下げることができる。なので、このサイトでも希望者に実費で頒布することを考えている。
ばばろあは、
「あんまりパースとか意識しないで絵を描いたんだよな。今みると結構歪んでるので、そういうのも描き直した方がええんかねえ」
と僕のTシャツを見ながら語っていた。彼の空き時間と意欲次第ではあるけれど、ひょっとしたら絵がリニューアルされるかもしれない。でも、かなり手間がかかることなので、単なる復刻版にとどまるかもしれない。
広島の思い出をお土産に、ということで、1階の精肉部で「ますゐ特製焼豚」を購入し、食堂部で「ますゐソース」を買い求めた。昔は精肉部でソースを買うことができたけど、今は食堂1階で「トンカツにかけるソースを売って頂きたいんです」とお願いすれば、売ってくれる。
ただし、店員さんに「量はどうしましょう?」と聞かれて、戸惑った。大中小あるのだという。えーと、どうしようか。
写真の容器に入っている「ますゐソース」は、「大」サイズ。確か500円しないくらいの値段だったと思う。昔、僕の記事が中国新聞の連載だった頃は、このますゐソースを買い求める人が大勢来たそうだ。今はどうなんだろう?「持ち帰りできること」が忘れられているか、それとも相変わらず好評なのか。
多分、「好評」なのだろうな。だって、ちゃんとお持ち帰り用の容器があるんだから。
昔なんて、清酒の空き瓶に詰めてもらってたぞ。やっつけで容器を見繕った感満々だったけど、今やちゃんと容器がある。
熱々のやつを鍋からよそったばかりなので、容器は熱い。防腐剤なんて全く入っていないし、熱いので早く冷蔵保存しないと傷む。冷蔵保存でも一週間以内に消費しなくちゃいけない。
・・・つい、とっさに「大」を買ってしまったけど、これ、どうするんだ?
買ってはみたものの、使い道を全く考えていなかった。まいった。
そこで、サバイバルゲームでお世話になっていて、このサイトの愛読者でもあり、さらに「ますゐ」に強い憧れを持っている「軍曹殿」に電話で連絡してみた。
明日東京に戻りますが、戦利品でますゐソースがあります。どうです?・・・と。
すると、二つ返事でオッケーという連絡があったので、翌日、品川駅で「ますゐソース」の密輸を行った。駅のコンコースで、大の大人が、謎の茶色い液体を容器から容器に移し替えているという絵面はかなりシュールだった。
軍曹殿とお会いするのは1年以上ぶり。ますゐのおかげで、わずかな時間ながらも再会するきっかけができて本当に良かった。
肉のますゐ。人と人とを、時間を越えてつなげてくれる大事な存在。
最後、肉のますゐ店頭で記念撮影。
後から遅れて参加したのが、写真左端のぜうじ、左から三番目のけじん。
けじんはアワレみ隊メンバーではないけど、準メンバー的な存在として、一時はアワレみ隊の飯能河原天幕合宿に参加していた人だ。
たき火にガソリンを注いで炎上させるのを楽しんでみたり、倒木を薪にするためにノコギリを衝動買いしたり、飯能河原ではずいぶんと盛り上げてくれたヤツだ。多分15年ぶりとか、そんな久しぶりだと思う。
「どうだ?また飯能河原でキャンプとかやるとなったら、来られる?」
と聞いてみたら、即答で「無理!」と言われてしまった。彼には嫁子供がいて、キャンプみたいな泊まりがけの自由行動ができる状態ではないのだという。
そんな彼が遅れてやってきたのは、マツダスタジアムに行って広島東洋カープのグッズを大人買いしていたからだ。うれしそうに、戦利品であるカープのユニフォームを見せてくれた。娘に着させるのだという。
「ええ?年頃の娘さんなのに、そういうのを着るの?」
「多分着る。成長したらカープファンになるように教育しようと思っていたけど、勝手にカープファンになってくれた」
と言う。彼は関東に住んでいるのだけど、娘さんは父親の影響を受けてカープ女子へとすくすく成長中。素晴らしい。
広島出身者、というのはこうやって地元をずっと愛し、誇りを持って全国各地で生きている。
一方、ぜうじはアワレみ隊のメンバーでもないし同級生でもない。しうめえと同じ会社に勤めている、という共通項があるくらいだ。でも、彼も「全メニュー制覇プロジェクト」の時からの古参兵。今回、しうめえがぜうじに連絡を取ってくれ、久し振りの再会となった。
彼はスゲーいい奴で、「アワレみ隊の新隊員として是非参加して欲しいものだ」と昔はよく話題になった好青年だ。しかし、アワレみ隊が広島界隈で企画をやるのは「ますゐ詣で」くらいなので、なかなか彼をアワレみ隊に引きずり込めないまま今に至っている。
聞くと、今は山口に住んでいるのだそうな。今回到着が遅れたのは、山口からはるばるやってくる際に時間がかかったからだ。わざわざありがとう。
「広島に家が空いてますんで、是非広島に来た際は使ってください」
なんてありがたい言葉を貰った。広島に拠点がない僕にとっては、こういう提案はすごくありがたい。恐縮してしまうけれども。
ぜうじの車で広島駅まで送ってもらった。
広島駅は駅構内が変わっただけでなく、駅前も大きく変わっていて仰天した。これ、僕が知っている広島駅じゃないぞ?
マツダスタジアムができた頃までは知っていたのだけど、それすらすでに「ずいぶん昔話」のレベルになってしまっている。今や広島駅前は、すっかり近代化してしまった。
「何を今更」と思うかも知れないけど、ほんと広島駅前って混沌としてたんだから。闇市の名残なのか、迷路というより「魔窟」という表現が近いくらいの商店街があったりして。
僕が子供の頃から駅前再開発の話題は出ていて、じわじわと時間をかけつつ進んでいたのだけど、数十年がかりでついにここまで来たか!ということで感慨深い。
傍らにいるばばろあも、驚いている。おいばばろあ、何を今更。お前、ちょくちょく広島の実家に帰省してるんだろ?
「いや、わし帰省するときは車じゃけえ」
あ、そうか。車で直接自宅に乗り付けてしまうか、たとえ電車だったとしてもわざわざいったん広島駅で下車することはないか。
駅前目の前にビックカメラができていたことに相当びっくりしたが、その建物の上が住友不動産のタワーマンションになっていたことも驚いた。おい、仮にも100万人都市の表玄関だぞ?こんなところにバーンとマンションが建っちゃうのか。すげーな。
後でこのマンションのお値段を調べてみたら、おおよそ4,500万円からスタートらしい。広島の相場からいったらスゲー高い部類だけど、東京に住んでいる僕からすると「むしろ安い」と感じてしまう。だって、新幹線のぞみ号が全列車停車する駅に直結(地下通路がある)だぞ?
・・・いや、ごめん、「むしろ安い」と興奮のあまり書いちゃったけど、そんなお金は僕にはない。
ちなみにこのタワマンの右隣は、地元の有力デパート「福屋」がある。その点でも非常に便利だ。
広島駅からマツダスタジアムの間にあった「魔窟エリア」がすっかり新しくなっていた。しかも、ここには家電量販店のエディオン、しかも「蔦屋家電」という形で入店していた。
蔦屋家電!驚いたなあ、広島にもそんな小洒落た店ができたのか。
「さすが広島じゃね、腐っても100万人都市だ」
ばばろあも感心しっぱなしだ。「広島が腐ってる」という意味ではない。「腐っても鯛」という格言を転用しているに過ぎない。
地方が過疎・高齢化が進んでいると言われて久しい。でも広島はまだ中国地方の中核都市として、周辺の小さな町や市から人を吸い集めている状況なのだろう。とにかく、あっちこっちが新しくてびっくりだ。
蔦屋家電は、さすが蔦屋プロデュースということで普通の家電量販店とは違う、面白い品揃えと陳列だった。
「広島には似合わん」
とばばろあと顔を見合わせたが、僕らが知っている広島と2017年の広島は、すでに別物になってしまったのだろう。
しかし今も昔も変わらないのは、カープ愛の強さだ。
なにしろ、このカープがリーグ優勝したことを祝う巨大看板、どこがスポンサーなのかというとJR西日本だという有様で。カープ坊やがJR駅員の制服を着ている。
そして、Jリーグの「サンフレッチェ広島」がカープ愛に押し出され、いまいち盛り上がっていないかのような扱いだ。サンフレッチェ広島だってファンは大勢いるし熱気があるのだけど、カープがすごすぎるということだ。特にここ最近はカープが強いので、目立つのだろう。
変わった広島、変わらない広島、変わらない人たち。いろいろな2017年の瞬間を心に刻み、僕は数年ぶりの広島を後にした。次、この地を訪れるのはいつになるだろうか。できるだけ早く、また戻ってきたいものだが。
(この項おわり)
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