子供の手から逃れるべく甲板に移動。
見渡す限り360度海また海ってのは、瀬戸内育ちのわれわれにとって珍しいと同時に不気味な存在であった。
おかでん・ばばろあ、しばしの談笑。
見渡す限りの海だが、この船の上はれっきとした「国道」。
国道350号線が、まさにこの佐渡航路だ。
新潟~両津67kmの海上を経て、国道350号線は佐渡島を縦断。その後、小木から直江津までの78kmの海路を経て上越市まで続いている。海にも国道ってあるんですね。
広島出身の人の感覚で言えば、「JRもフェリーを運航している(宮島航路)」のと同じことか。
ジェットホイルが我が「おけさ丸」を抜きにかかった。小さい体のくせに味なことをしおるわい。
2倍近くのスピードで気持ちよさげにわれわれをブチ抜いていきおった。高い金を出してジェットホイルに乗るブルジョア共は遠からぬうちに粛清されなければなるまい・・・なんて。
ジェトフォイルはわれわれの船より1時間近く遅れての出港だったはずだが、あっけなく追い越していった。何なのだ、この圧倒的な差は。
カーフェリーが新潟~両津を2時間半で結ぶのに対し、ジェットフォイルは1時間。さすがとしか言いようがない。ただし、お値段が3倍以上するので(確か、フェリーは2,000円ちょっと、ジェットフォイルが6,000円ちょっとだったと思う)、とてもじゃないが学生が乗る船ではない。
それにしても、2時間半も乗るような長距離フェリーなのに2,000円程度の運賃というのは、今考えると安い。国道扱いなので、国からの援助があるのだろうか?
さすが佐渡汽船。船のシンボルマークが黄金だ!
だてに加山雄三が名誉船長になっちゃいないぜ!(関係ないか?)
でも、金色に塗らないで黄色ってのがせこいというかいじらしいというか。
船内に加山雄三の写真が飾られていたので、なぜかと思ったら「名誉船長」なんだそうで。さすが海の若大将、茅ヶ崎方面だけかと思ったら、日本海の荒波も制しておりましたかそうですか。
そういえば加山雄三氏は越後湯沢にスキー場を持っているな。新潟とは何かとゆかりがある人のようだ。
右手に佐渡島が見えてきた。とにかくデカい。この島を「本土だよ」と教えても誰も疑うまい。この写真の右隅のほうに我らがキャンプ地があるはずなのだが・・・よくわからない。
とにかく言えることは、「佐渡島は雄大なり」
佐渡島が視界に入ってくる頃から、船内では「佐渡おけさ」のBGMが流れ始める。
※注:佐渡おけさの曲自体を知らないので、推測で語っています。単なる佐渡の民謡かもしれん。
延々とそれが20分以上も続くので、正直うっとおしい。カーペットの床に横になって居眠りしている人にとっては騒音でしかない。夜行列車後、早朝の船に乗った身としては「もう少し寝かせてくれよ・・・」と思う。
船尾に日の丸を見つけて大喜びする俺達。
やっぱり大海原に日の丸というのはよく似合う。逆光もなんのその、エーイ写真を1枚ぱちり。
俺のようなニセ右翼が日本を駄目にしていくんだろうなあ。
別に「ニセ右翼」でもないし「本物の右翼」でもないのだが・・・。でも、日の丸があるとなんだかうれしくなってしまったのは事実。この当時、まだまだ日の丸って日教組などから虐げられていたからなあ。
両津港に到着。ただいまの時刻は午前8時30分。
朝5時すぎから歩いたり走ったりしてきたので、気分としては昼前だったりする。
ばばろあがレンタカーを受け取りにいっている間、しばし休息。ちぇるのぶが物珍しそうにあたりをみている。
キャンプ地まではレンタカーによる人と物の輸送を予定している。バスだと運搬ができないと思ったからだ。学生身分としてはレンタカーなんて大層豪華だが、仕方がない。
また、両津からキャンプ地までは距離があるため、神島のようにリアカーで荷物運搬というわけにもいかない。そもそも、リアカーなんてこの両津港周辺には存在していないし。
2回にわたるピストン輸送で人と荷物を全てキャンプ場へ運び込んだ。キャンプ地留守番の俺がはるか彼方でちょこねんと座っているのが見える。
ひとりぼっちの時、地元住民に「キャンプしちゃいかん」とどやされやしないかとヒヤヒヤしっぱなしだった。
ハイシーズンということもあって、レンタカーを飛び込みで借りるのには難儀した。いったん断られてしまい、一同絶句。そうか、レンタカーってそういうものだったのか。冬に下見に訪れた時はローシーズンだったので、余裕で車を借りる事ができたものだが。
なんとか「午前中までには必ず返却する」という条件付きで車を借りることに成功。一安心だ。恐らく、第二便のフェリーが到着した時点で、次のお客さんに車が引き継がれるのだろう。ちょっと急がないと。
金をけちったので借りた車は小さかった。マーチだったような気がするが、覚えていない。当然全員+荷物を一度に輸送するのは無理なので、ピストン輸送で対応することになった。まず第一陣は、車の免許を既に持っているばばろあが運転し、唯一現地を知っているおかでんが便乗。後部座席には詰めるだけの荷物。その間、しぶちょおとちぇるのぶは両津港で待機だ。
第二陣で、残されたメンバーと荷物が輸送されてきた。
キャンプ地とした場所は、両津から車で10分~15分程度離れたところにある、小さな浜辺。周囲に民家はない。ただし、歩いていける距離に小学校、そしてさらに歩けば小さな集落がある。
ここは完全に穴場。「怪しい探検隊」の真似でもない、オリジナルの場所だ。
レンタカーを返却しに行ったばばろあ。ちょっと砂浜で仕事をしただけだというのに汗だらだらでぐったりしてしまった。両津に戻ってきたらまずはとにかくジュース!ジュース!いくら飲んでも飲み足りぬわ。
荷物運搬が終わったところで、いったん車を動かして両津とキャンプ地の間にあったスーパーにて食料調達。そしてキャンプ地に運び込み。
その後、レンタカーの返却。ばばろあとおかでんの2名で両津に戻る。キャンプ地に残されたメンバーはテント設営に着手。
交通手段を失ったおかでんとばばろあは、バスに乗ってキャンプ場に戻った。幸い、キャンプ場近くにバス停があるので、公共交通機関に困るということはない。
テントサイトから三田海。はるか彼方に佐渡汽船が新潟へ戻っていく姿が見える。ここしばらく雨が降っていなかったために、遠くがかすんでみるのが少し残念。
水は、この砂浜に流れ込んでいる川のものを利用するつもりだった。しかし、ばばろあが一見するや「これ、使えんで。田んぼがあるじゃないか」と言った。農薬が混じっているかもしれないので、飲み水に使えるものではない、というわけだ。
さて困った。今日はとりあえず既に両津で水を確保したので良いが、明日以降どうしたものか。
平田の股間にやかんが食い込んで取れなくなった!?
悶絶する平田、絶対離れまいと力むやかん。
いやぁ、平田ってすごいのね。うっとりしちゃうわ~ん。
マニアック&エンドレス。
何を書いているんだ、1994年の自分。
このやかんは神島以来の登場。飯能河原では使われなかったものだ。やかんは「麦茶専用」として使われており、これだけのでかいやかんが必要となるのは炎天下天幕合宿に限られたからだ。普段はこんなデカくてかさばるものを持ち歩きたくはない。
ただ、この佐渡島合宿ではあまりお茶を沸かさなかったような気がする。水がとても貴重だったせいもあるし、ジュースを比較的よく飲んでいた記憶がある。買い出しには比較的不自由しなかったからだろう。
二人のナイスバディギャルが泳いでいる。
われわれは横目でその姿をちらちら見ながら「こっちに来ないかな~」とぶつぶつ。二人がちょっとでも動くと「あっ、奴ら海に入ったッ!」「おい、奴らどこに消えた?見あたらないぞ」と大騒ぎ。
ナイスバディギャル→死語
横目でちらちら→へたれ
テントもとりあえず建設終了。
とにかく一日で一番暑い時間帯に作業をやったのでみんなフラフラになってしまった。
日陰はほとんどないし、砂浜からの照り返しがあるしでテント周りは42度くらいはあったのではないか。
寝泊まり用テント、荷物テントの設営をはじめ、かまど作成と昼ご飯用の薪の調達が優先順位の高い作業。
その他にも、持参した用品類で必要なものをあちこちから探し出すのが面倒。
「テント周りは42度くらいあった」と述べているが、実際に42度もあったら熱中症で倒れていると思う。ちょっと大げさだ。しかし、相当の灼熱地獄だったのは間違いない。
名誉ある第一回目の食事。
担当:ばばろあ
料理名:「おいしいダシと小麦粉もどき」
おすすめ:だし
評価:2(5段階評価)
※そうめんだったのだが、多量の水を使うことでひんしゅくを買う。また、炎天下のためそうめんが伸びてしまい自戒の意味を込めてこのような投げやりな料理名となった。
今回は、神島の時と違い食事担当が輪番制となった。こんだて作成と調理はその時の担当者が決める。
一発目は、料理に定評があるばばろあでスタート。彼の作戦としては「キャンプ地に着いて早々だし、暑いし、簡単なものを。」というものだった。そこで選ばれたのがそうめん。
ただ、そうめんはゆでるのに大量の水がいる。そして、ゆで湯はさすがに飲み水などに再利用するのはいやだ。水の調達方法が現時点で全く目処がたっていないので、この手の調理は不評を買った。
ゆで上がった素麺を前にばばろあが固まる。「水で締めたいんだけど・・・これ以上水はつかえんしなあ」
確かに、素麺は冷水できりっと引き締めてこそ美味だ。ゆでおきはよろしくない。とはいえ、水をこれ以上使うわけにもいかなかったので、そのまま湯切りしてザルのまま全員の前に供された。
各自、取り皿にめんつゆを入れ、しゃがんで食べる。
麺がまだ暖かい。暑い時に、炎天下で食べるもんじゃあないな、これ。
しかも、冷水で締めなかったために麺はぐずぐずになってしまい、しまいには麺同士がくっつきあってしまった。おなかはふくれないしあまりおいしくないし見た目は悲惨だし、なかなかに哀しい料理でこの天幕合宿は幕をあけた。
あまりの暑さに耐えかねて、海に逃げる。
海水は適度にあたためられていて快適なのだが、一歩陸に上がるともうイカン。勝手に体がバネになってぴょんぴょんはね回る羽目になる。砂が鉄板と化しているのだ。
今日は初日ということもあって、キャンプファイヤーを実施しない方針にした。キャンプファイヤーをやろうとすると、大量の流木集めが必要となる。そういう力仕事は日が昇りきる前に済ませておくべきであり、今日のようにもう情け容赦なく太陽が照りつけている時間帯にやることじゃない。
大人しく、午後はフリータイム。
砂浜にいても生き地獄なので、一同、海に逃げ込む。
新兵器のシュノーケルとフィンを装着して悦にいっている俺。しかし、花柄パンツとたるんだ腹はどうもしまりがないよなあ。いくらカッコエエポーズを決めててもコメディにしかならんやんけ。
こんなものをわざわざ持参したので、余計荷物が増えてしまっている。シュノーケルは兎も角、フィンが相当かさばった。
銛を持ってきているわけではないので、この装備があるからといって食料調達ができるわけではない。単なる娯楽用品だ。
すっかりシュノーケルに取り憑かれてしまった俺は一人で海の底を眺め続けた。ひとりでぽつねんと泳いでいるが、誰も遊んでくれないからではない。放っておけば2時間でも3時間でも入っていられる。息継ぎしなくても良いということは何と素晴らしい事なんだろう。
「すごいすごい」と一人興奮しながら、泳いでいる。
今回のキャンプ地では、ちょうど手頃な板が転がっていたのでありがたく食卓にさせて頂いた。
なんだかんだいっても、いつも机になるものが見つかるってのが不思議。
日が傾き始め、ようやくみんな日なたをうろつき始めた。
神島の時にも書いたが、砂浜でのキャンプはまさに、「灼熱」と「砂」との戦いだ。特に砂がやっかいで、全てのものが砂に汚染された。食器類や食材に砂がついてしまうと、ジャリジャリしたものを食べる羽目になるのでとてもいやだ。とはいえ、念入りに砂を洗い落としても、食器が乾く前に風に飛ばされてきた砂でまたやられる。すぐに必要としないものは、できるだけ荷物庫に片付けて砂からの被害を防いだ。
また、机というのは砂浜キャンプでとても重要だ。やはり、砂の上に直に鍋や食器を置くわけにはいかない。ましてや、まな板を使って調理する時などは絶対に机に相当するものが欲しい。
その点、今回はなぜかパレット(フォークリフトで荷物を運ぶための、木でできた格子状の台)が浜辺で発見されたので、有り難くそいつを机に流用させてもらった。ただし、格子状であるが故に、うっかりするとモノをパレットの下に落としてしまうので要注意だった。
しぶちょおがいじっているカメラは単価が2,800円というおもちゃみたいなカメラであるが、これがどうして凄い。
フラッシュもちゃんとついているし、このカメラを使っていればフィルムはタダでもらえるし、写るンですよりよっぽど良かったりする。このアルバム中、小さめの写真は全てしぶちょお提供による。
あ、ここで写真やさん45カメラの話がでている。
なるほど、今回の合宿は写真がやけに多いと思ったが、しぶちょお撮影版とおかでん撮影版の二方面作戦の結果だったのか。
なお、「小さめの写真はしぶちょお提供」と記されているが、スキャナで写真をデジタル化したため、写真の大小はわからない。
バス時刻表と格闘する俺。1日にバスが10本しかないので、1本逃すと大変な事になる。効率の良いスケジュールのお膳立てが必要。
明日から一日一回、買い出し部隊が2名選抜されて両津に行くことになっている。そのため、行きのバスの時刻と帰りのバスの時刻をチェックしている次第。便数が多くないので、タイミングを誤ると当分の間キャンプ地に戻ってこられない。
この頃になると潮風がとても気持ちよくなってくる。昼間は単なる拷問と化すキャンプもだんだんと平静を取り戻し、イライラした気持ちを抑えてくれる。キャンプの24時間中もっともナイスな時間帯。
確かに、夕方が一番気持ちの良い時間帯だ。朝は寝汗かいている上に潮風を浴びているのでけだるい空気だ。昼は言うまでもなく猛暑。そして夜は視界が非常に限られるので何かと不自由。薄暮の時間が一番楽しい。
それに、ディナーを待ちわびる気持ち(+酒に対する渇望)も相成って、楽しいんだと思う。
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