第二回夏季強化天幕合宿in佐渡島

灼熱の佐渡島編

日 時:1994年(平成6年) 07月23日~27日(4泊5日)
場 所:新潟県佐渡市両尾の砂浜
参 加:ちぇるのぶ、おかでん、ばばろあ、しぶちょお(以上4名)

神島キャンプで味をしめたアワレみ隊一派は、翌年度・1994年の夏季強化合宿の地を佐渡島に選定した。すでに半年以上前に現地下見は済ませてあり、確認済みだ。

佐渡島といえば、あまりにも巨大。離島と呼ぶには憚られるくらいの規模で、神島の時のように「わーっと攻め込んじゃえば占拠できるかも」感は皆無だ。それだったら、わざわざフェリーに乗って島に行かなくてもいいじゃん、と思うのだが、「離島に行った」という既成事実こそが当時のアワレみ隊(というか、おかでん)にとっては重要だったのだろう。椎名誠の「怪しい探検隊」がやったことをトレースする事が、目標だったからだ。

今回も神島の時同様、おかでんの手書きパンフレットが3通配布されたようだ。しかし、手元のPCにはデジタルデータとして残っていないので、紛失したか実家の段ボールの中に隠れているかのどちらかだ。パンフの件は省略し、今回はいきなり合宿直前から話をスタートさせる。

なお、参加メンバーは神島合宿時点から一名減った4名。佐渡島下見に参加した蛋白質が、都合により参加できず。また、アワレみ隊東京メンバーであるしうめえ、ジーニアスはこの時点では全く登場していない。彼らが企画に顔を出すようになるのはもう少し後になってからだ。

1994年07月22日(金) -1日目

しぶちょお作業中

今回も、1994年に作成されたアルバムのキャプションと、2009年時点での追加コメントの併記でお届けする。引用形式で記述されているのが1994年の文章。それ以外が2009年のものだ。

一足先、22日早朝におかでん宅に乗り込んだしぶちょお。朝6時の来宅のために、4時半に寝た俺はほとんど寝不足。しぶちょおは元気に「ジークリッパー」の修理にとりかかっていた。

佐渡島へは、東京から夜行快速「ムーンライトえちご」に乗って新潟へ行き、そこから佐渡汽船のフェリーで二時間だ。学生にとって、青春18きっぷは命綱であり、また夜行快速列車は格好の移動手段だった。

そのため、しぶちょおはまず大垣夜行で所沢のおかでん宅にやってきて、1日をそこで潰した後に夜のムーンライトえちごで新潟に移動となる。2泊連続電車の中、というハードスケジュールだ。でも、それを何とも思わないのが学生ならではの体力と、財力と、時間感覚といえる。

しぶちょおが直しているという「ジークリッパー」だが、その存在すら2009年時点では覚えていなかった。なんだっけ、これ。

ネットで調べてみたら、レンズ付きフィルム(当時は使い捨てカメラ、と呼ばれていた)「写ルンです」専用セルフタイマー器具だった。ああ、そういえばそういうの持っていたなあ。バネじかけで、セットして数秒後にバネがぱこんと外れ、シャッターが押されるという仕組み。

飯能河原天幕実習の帰り道、せっかく買った高価な一眼レフカメラを置き引きにあってしまったため、またもや写ルンです生活に逆戻りだ。情けない。

アワレみ隊揃う

夕方6時にようやく全員が集結。全員といっても4名なので、4泊5日を乗り切れるかどうか不安であった。当初の予定だと8人までメンバー増強を図るはずだったんだけどねえ。

六畳の部屋が、人とキャンプ用品で足の踏み場が無くなってしまった。荷造りをしようにも身動きするのに難儀するという効率の悪さ。

とはいえ、今回は食料を両津(佐渡島の玄関口)で買う、という現地調達主義にしている。神島の時のように、奴隷の使役的荷物運搬は今回、存在しない。「現地調達など軟弱の極み。わざわざ汗水垂らして運ぶこそ美学」という考えもあったのだが、物理的に諦めた。新潟までの電車が全席指定なので、荷物の置き場がないからだ。

しぶちょおが手にしているカメラについては後述。

おかでん

今回の立て役者・俺。6月中旬になってようやく「キャンプをやるぞ」との手紙を配布、以降3通もの手紙をほぼ毎週配るという忙しさ。旅のしおりに至っては決行日の直前に届いたらしい。

情報収集、資料作成、印刷、コピー、封筒に住所記載、郵送費・・・。

ここに至るまで非常に金と手間がかかっている。おかでんはこういう星の下に生まれついているようだ。だから、貯金が苦手。ぜいたくしているつもりはなくても、気がついたら残金が減っているという日々をいまだに過ごしている。

ジークリッパー動作確認中

しぶちょおに修理してもらった「ジークリッパー」を利用して「写ルンです」で全員の記念写真でも・・・と思ったが、結局直っていなかった。おかげで、百数十枚もキャンプ中のの写真があるというのに、全員が仲良く一枚に収まっている写真が全くない。ジークリッパーはゴミ箱行きとなった。

この合宿の後、みかねたしぶちょおが自分のカメラを譲ってくれた。「写真やさん45」という写真店のものだという。確か、カメラ自体はフラッシュ付きで3,000円程度のものだったと思う。安い。

そして、このカメラの凄いところ、というかビジネスモデルが凄かったのは、このカメラで撮影したフィルムを「写真やさん45」に持ち込んで現像を依頼したら、新しいフィルムが無償で貰える、という事だった。お客は無料フィルム目当てに、必ず現像を「写真やさん45」でお願いするようになる。顧客囲い込み戦略だ。しかも、お客は「フィルムが無料だから」とついついたくさん写真を撮影するようになる。お店にとっては現像代がより一層儲かる、という好循環にもなる。よく考えたものだ。ただし、デジカメ時代の今となっては全く通用しなくなってしまったが。

新潟に向けて出発

19時過ぎに、ばばろあの家に移動。これからのキャンプに期待感を募らせ、みんな笑顔で出発。それにしても俺のザックのウエストベルト、本来の位置よりかなり上の上腹に鎮座していて何か変。(正しい位置はちぇるのぶのベルト参照)

当時のばばろあの家は、新宿から歩いていけるところにあった。今晩乗車する「ムーンライトえちご」は新宿駅発。ちょうど都合が良かった。

ただ、実際のところは一部の天幕合宿用品がばばろあの家に保管されていたからだ。飯能河原でお気楽天幕合宿できる装備はおかでん家に全てそろってあったが、ばばろあ宅には大型やかんなど、長期合宿に耐えうる大型用品が保管されていた。そいつらを絡め取らないと、佐渡へと旅立つことができない。

電車の中でばばろあ

ばばろあがサングラスをかけるとその筋の人にし見えないから愉快だ。でもその怖い兄ちゃんが飯ごうやランタンを持っているんじゃあ一体何がなんだかわけがわからんっちゅーの。
SRCの黄色い袋が何かとってもムナしい。

今見ると、取り立てて「愉快」でもないんだが、まあ当時は面白いと思ったんだろう、ということにしておく。あと、この程度では「その筋の人」にはみえない。

さらに、SRC(アウトドア用品を取り扱っているお店)の黄色い袋がなぜ虚しいのかもわからん。多分、当時は「できれば全部トートバッグに」という願望があったのだろう。

しかし、結局予算が足りなくて「トートバッグを買った際にお店で商品を詰めて貰った袋」を使っているという現状が虚しかったんだと思う。

ばばろあの家

今度はばばろあの家に移って荷造り。なぜかみんな風呂屋に行ってきてさっぱりしてしまっている。出発まで時間がないというのに皆リラックス中。
しぶちょおは早速足にまめができて今後に一抹の不安を残す。

新宿から徒歩で20分以上歩き、ばばろあ宅へ。そこで、もう一度ガラガラポンで全ての荷造りをやり直し。できるだけコンパクトにまとめないといけないので、全ての用具がそろったところで、パズルのようにザックや袋に詰め込み直しだ。

ばばろあの家の近くには銭湯があったので、荷造りが終わったところでひとっ風呂浴びておいた。これから先当分は、風呂に入れないからだ。というか、この時点で荷造りと徒歩で汗びっしょりだったということもある。

結成式

午後10時、ばばろあ宅前で結成式。みんな「これからキャンプなんだ」という実感が今ひとつわいてきていなかったので、どうもしまりのない結成式だった。大声でキアイを入れたくても周りは寝静まってるし。

「儀式的」「お約束」が好きなおかでんは、いざ出発となる際に結成式だ!と意気込む。とはいえ、特に何をやるかはノーアイディアだったし、夜の住宅街の中で大声を出すわけにもいかなかった。「まあ、とりあえず頑張って佐渡島を占拠しましょう」と適当な事を言って結成の言葉とした。

新宿駅を歩く

偵察部隊を新宿駅地下構内に向かわせる。もうちょっと汚い服を着ていれば地方から家出してきた子供みたいだ。
憲兵にしょっぴかれないように広い通路のすみをこそこそと歩く。

先ほどよりもさらに重い荷物を抱え込み、ばばろあ宅から新宿駅に移動する。今回、食料は現地調達なので楽。しかし、徒歩移動がやたらと長い。この翌日も延々に歩くことになる。

「地方から家でしてきた子供」なんて実際には見たことがないし、1994年時点でそんな子供が現存していたのかどうかなんて知らない。当時のおかでんによる完全な妄想だ。ただ、昔は時々「家出して都会に無一文で出てくる」子供がいたのは事実。2009年時点だと、恐らくそんなガッツがある子供って殆どおらず、「家出」ではなく「引きこもり」という真逆の行為に出ているのだから興味深い。

なお、ATOK2007では、「いえで」で検索すると、変換候補15件のうち一番最後に表示された。滅多に使わない言葉だと認識しているのか、それとも差別用語として認識しているのか、謎だ。

快速ムーンライトを待つ

快速ムーンライト号は中央線特急ホームから出るため、あたりはアルプスに向かう山男がひしめいていた。山に登るようなザックを持っているくせに、でっかいテントやランタンを持ってうろうろしている「偽物」のわれわれは、少々肩身が狭いぞ。

今でこそ、「湘南新宿ライン」が走り、新宿・池袋方面からでも上越線に抜ける手段は確保されている。しかし、1994年当時は「東北・長野・新潟に行くなら上野始発」という認識が強かったので、新宿から「ムーンライトえちご」が始発すると知って仰天した記憶がある。一体どういうルートを辿るのか、と。

夜の新宿駅中央線特急ホームは、夏ともなると何本もの「急行アルプス」が走っていた。夜行で松本・白馬方面に向かう列車であり、山屋にとっては大変重宝された電車だ。朝イチで北アルプスや南アルプスにアプローチできるので、効率が良かったからだ。金曜夜の急行アルプスに乗れば、土日の2日でアルプスのある程度の山なら登ることができた。とはいえ、山登りという体力を消耗する一戦の前の夜行列車なので、相当にヘロヘロになるのは事実。

そんなこともあって、なおかつ登山客の高齢化(=お金と時間がある)に伴い、この急行アルプスは廃止されてしまった。今では快速「ムーンライト信州」が走るのみだ。

ホームには、山の猛者どもが集っている。7月末は、一年のうちもっとも登山に適した季節だ。梅雨明け後で天候が安定しているし、台風が日本を直撃することも少ない。だから、ホームは満員御礼。

そんな猛者どもを前に、デカいテント類を担いでいるわれわれは少々肩身が狭い。いや、「われわれ」というよりおかでんに限って、だと思うが。おかでんの頭の中では、

山屋>アワレみ隊のような非キャンプ地キャンパー>キャンプ地キャンパー>オートキャンパー>日帰りBBQ家族

というヒエラルキーができていた。山屋がアウトドアの中では最上級の扱いだったのだった。とても狭い了見だが、知識も経験も浅い当時では、そういう考えだったのは事実。

特に、山屋たちが「できるだけ食料を軽量・小型化したい」と、人参やジャガイモなどの野菜を刻み、天日干しにして「乾燥野菜」を作っているのを見たときは素直にすげぇと思った。それに比べれば、アワレみ隊のやってる「大量物資輸送」なんてのはなんともチョロいもんだ、と。

ムーンライトえちごに乗る

全席指定なので、山のような道具類の置き場に困る。
ちなみに席は完全に満席となっとりましたです、はい。

ムーンライトえちごが入線。座席を前に、しばし全員で思案。

まさか盗難に遭うとも思えなかったが、荷物をデッキに置くのは感心しない。とはいえ、荷物が巨大であるが故に網棚に置けるものは限られている。結局、「できる限り荷物は抱き枕にして寝る」事になった。

あと、車内をくまなくチェックし、万が一空席があったらそこに荷物置いちゃえ、と偵察を頻繁に出した。季節柄空席があるとは思えなかったが、急な予定が入った、とか乗り損ねたといううっかりさんがいるかもしれないからだ。

その結果、空き席を見つけたのでそこに荷物を全勢力で押し込んだ。検札にやってきた車掌さんには「席の人がやってきたらすぐ片付けますんで」と念押し。

誰か来たらまずいな、ということで大宮を過ぎるあたりまではキンチョーして身構えていたのだが、結局空席が埋まることはなく、新潟までその席は荷物様がご着席と相成った。

ふと思ったのだが、「荷物のためだけに指定席券を確保する」ってのは有りなんだろうか?でも多分駄目なんだろうなあ。そんなことが許されたら、JRは商売あがったりだ。

1994年07月23日(土) 1日目

早朝の新潟駅

朝の5時12分、新潟駅1番ホームに入線。
体の節々が痛い中、新潟港フェリーターミナルまでいざ進軍である。
俺はビールが体に入っていたために、一度も起きずにぐっすり眠ることに成功。

あ、ビール飲んでたのか。記憶に残ってないなあ。

電車の中でビールを飲む、なんて習慣ができたのはこの頃からなのだろう。

「なぜ中央線ホームから出発する電車が、新潟に行けるのか?」という謎を解き明かすためにしばらくは車窓からの風景を睨み付けていた。結局、山手線の駒込駅を過ぎた辺りでわけがわからなくなり、気がついたら上越線の線路になっていた。どういう手品なのか、と当時は不思議で仕方がなかった。途中までは、「さては上野駅でスイッチバックか?」とまで想像していたのだが。

熟睡したおかでん以外の3名は、荷物に挟まれて満足に眠れなかったようだ。

新潟駅を前に

あこがれの新潟駅を前にして、感極まった人々は思い思いに万歳をしたり、敬礼をしたりしていた。新潟・・・とっても旅情をそそる名前だ。「遠くまで来たなあ」としみじみとなる。

学生という立場上、そんなにお金は持っていない。だから、日本海、新潟、というキーワードを前にただただ「おおおお」と感嘆の声を上げてしまう。非日常感丸出しの場所だからだ。苦労してきた甲斐があったもんだ、と感慨ひとしお。

ばばろあは、5月の飯能河原天幕実習の際に発掘された「謎の早稲田旗」を手に、万歳している。いつの間にか、この旗はテント収納袋の中にその居住を移していた。そのため、天幕合宿の都度この旗が登場するようになる。

テントがキャリーカートにくくりつけられているのが写真に写っている。

初代キャリーカートは神島にて、20kgの水の重さに耐えかねて崩壊。よって、これは二代目ということになる。ばばろあからの供出品。さすがに、飯能河原合宿よりも荷物が増えているので、こういう輸送手段が必要。

フェリーターミナルに向かう

人気のない駅前の大通りを進軍する我ら。早朝の静けさ、涼しさがとても心地よい。われわれを遮るものは何人たりとも許さぬ。

新潟駅から佐渡汽船のフェリーターミナルまでは結構な距離がある。普通は徒歩ではなく、バスに乗っていくべきだろう。ただ、早朝ということでバスが走っていないのと、そもそも貧乏学生にバス代なんて払う余裕はないぜ、ということで乗る気はさらさら無かった。

佐渡島・両津港行きのフェリーは朝6時10分。まだ50分ほど時間があるので、てくてくと歩いていく。

東大通

新潟市街には変なものが結構あった。その1つ、この駐車場。最初、「東大通」を「とうだいどおり」と区切って呼んだので、ここら辺に東京大学の研究施設があるのかと思ってしまった。しかし何のことはない、ここは「ひがしおおどおり」、だったのね。

特に追加コメントなし。そういうことです。

しあわせぎん

われわれがいっせいに「あっ」と目を疑った、「しあわせぎん」。「しあわせぎん」とは何ぞや?
調査によると、「しあわせぎんこう」の略らしい。なんちゅー名前だ。岡山の「トマト銀行」というネーミングが話題を呼んだのをみて便乗したのかもしれないが、よくぞまあこんな名前をつけたもんだ。ちょっとこっちが照れる。

せっかくなので。2009年1月時点で「しあわせ銀行」をしらべてみた。ネット時代様々で、愛称「しあわせぎん」の正式名称が「山形しあわせ銀行」であることが分かった。山形の第二地銀だったのか。

それにしてもしょーもない写真を何枚も撮影しているのが今回の旅の特徴。これまでには無かった傾向だ。それだけ、おかでんが大量に写ルンですを買い込んでいたということが伺える。記録写真を撮りまくろうという気満々だ。

船でへたりこむちぇるのぶ

俺が道を間違えたために06:10発のフェリーに危うく乗り遅れるところだった。最後は全員全力で走りに走って、すべりこみセーフ。出航時間を2分ほど遅らせてしまった。他の乗客の視線が冷たいっす。
重い荷物を持って走ったため、ちぇるのぶダウン。生ける屍となった。それに対してしぶちょおの平然とした顔を見よ!

行く先々で写真を撮ったり、コンビニで朝食を買い出ししたりしていたのだが、その余裕の根拠は「俺は一度フェリーターミナルまで歩いた。その時近道を発見したのでそこを通れば早い」とおかでんがのたまったからだ。しかし、曲がる交差点を間違えてしまい、フェリーターミナルがある埠頭を素通りしてしまったのだった。「おー、フェリーが見えるぞ」と眼前に見えたフェリーは、海を挟んだ対岸だった。そこでようやく事の重大さに気付いた次第。

直線距離は近いのだが、その間にはどうにもならない海。ぐるっと回り込むしかない。時間がないので全員全力疾走だ。重くてかさばる荷物もなんのその。ここで乗り損ねると、次の便まで数時間の足止めとなる。そうなると、今日のテント設営やら食材、薪調達に支障が出てきて大変にまずい。

フェリーターミナルに到着した時点で、出港のドラが鳴り始めた。そのため、100m競走をやってるかの勢いでチケット売り場に。

本来、この手の大型フェリーに乗る場合は、出港時間から十分余裕をもっていないといけない。乗船そのものに物理的に時間がかかる上に、乗船券を購入する際には住所や名前などを書いたカードを提出しなければならないからだ。ドラがなっている時点で「あの船に乗りたいんですけど!」なんて言ってるのは、完全に場違い。

とはいえ、あまりの形相と大汗だったのに職員さんがびびったのか、ドラは鳴りやむことなく延々と鳴り続けた。結局われわれが船に飛び込むまで鳴り続け、助けられた。ご迷惑をおかけしました>佐渡汽船と乗客の皆様

その結果、しぶちょおを除く全員がバテてぐったり。夜行列車→長い距離の徒歩→全力疾走のコンボだ、疲れない方がおかしい。

新潟港に敬礼

出征するわれわれを見送りに来た人々に敬礼。ほんと何かあっちゃあすぐ敬礼するわれわれであった。
服が汗でびっしょりになっている。いかに走ったかがわかろうってもんだ。隅に写っているしぶちょおの服も汗で変色しているのが分かる。(二人とも汗っかきだという説もあり)

webに掲載している写真が小さいので、男汁感に満ちあふれた様子をうかがうことはできない。まあ、見て楽しいもんではないのでそれでもよかろう。

なお、「隅に写っているしぶちょお」という記述があるが、しぶちょおは写っていない。一枚前の、「コーラを飲んでいる」写真のことだろうか。

護衛艦を眺める

停泊している軍艦に見とれる二人。
北からの攻撃に対抗すべく、静かにたたずむそのシルエットにわれわれはしばし感謝と期待の眼差しを送った。

訂正があります。日本には軍隊は存在していないので、「軍艦」ではありません。

戦艦(おい、これも軍艦同様使わない言葉だぞ)については詳しくないので、停泊しているのが護衛艦なのか巡洋艦なのか駆逐艦なのかよく知らないが、とにかく海上自衛隊新潟基地がありますね、ということでご容赦。米軍の空母も停泊できるほどの規模をもつ基地らしい。

多分、この当時「北」と表現しているのはソビエトの事を指しており、北朝鮮の事ではないと思われる。時代を感じる。

漫画家ばばろあ

去りゆく新潟の風景をスケッチに収めようとして、ペンをふるうばばろあ。しかし、しばらくすると悪ガキどもが集まってきて「サイン頂戴」だのなんだのとわーわー騒ぎ出した。どうやら漫画家と勘違いされたらしい。

ばばろあは単に船をメモ帳に描いておこうとしていただけだったのだが、それがとてもアーティスト然としていたようだ。漫画家といえば子供にあこがれの職業。「わー、漫画家だ!サイン頂戴」とあっという間に子供に取り囲まれてしまった。ばばろあ、予想外のでき事にうっとおしがることしきり。適当にあしらってその場を逃げ出した。

それにしてもサインを欲しがる子供たち、「この漫画家がどんな作品を描いているのか」には興味ないんか。「何か絵を描いている→漫画家に違いない→サインちょうだい!!」という非常に短絡的な発想で微笑ましい。