第二回夏季強化天幕合宿in佐渡島

海中

何が「海中透視」船なのかというと、船の真ん中が透明になっていて、海中を見ることができることだった。
観光目的で魚を放流しているということで、タイなんかがあっちこっち平気な顔で泳いでいたりした。海中見たり岸壁を見たりと忙しい忙しい。

ハトのように首をきょどきょどさせる。下見て、上見て、また下。

後でしぶちょおに言われた。「こんなのは水中見る必要ないんだよ。水族館でも見られるだろ?」と。なるほど、確かにそうだ。尖閣湾の風景はここでしか見られない。水上の景色に集中するべきだった。

尖閣湾1

今度は陸から尖閣湾をせめてやる。
先ほどは下から見上げていた岸壁の上に探勝路があるので、そこをてくてく歩いてみる。うーん、何回見ても凄いなあ。
真正面に見える白いアーチ状の端は「まち子橋」というらしい。そこまで「君の名は」にこだわるのかっ。

先ほど、造成中のトンネルをこき下ろしていたしぶちょおだったが、この「まち子橋」についてはお気に召した模様。夏休みのレポートの題材にしようか、なんて言いながら写真を撮影していた。

尖閣湾2

ここまでゆっくりしていられるのも相川行きのバスが当分無いから。探勝路を見終わった後、お土産物屋をさんざん冷やかしてもまだ時間に余裕があった。
相川に戻ると、ジャンピングおけさが17時からという事が判明。両津行きのバスは16:45。ああ、残念っ!見られなかった。

相川から先、佐渡島北部は「外海府」と呼ばれる地帯で僻地だ。佐渡の玄関口である両津や小木から遠いし、集落も少ない。そのため、バスは1日7便程度しかなかったはずだ。日常生活の足として使うには相当厳しい。

尖閣湾という、佐渡金山からほど近い景勝地を抱えていてこの状態。佐渡でレンタカー観光を考えていないのであれば、公共交通機関の時間はよく調べておいた方が良い。

あまりに島がでかいのでうっかり忘れがちだが、ここは「離島」であることを思い出さなくちゃ。

相川に戻り、両津行きのバスに乗り換え。その際、今日の話題の中心だった「ジャンピングおけさ」がギリギリ見られない時間から開始であることが判明。悶絶するばばろあ。「うわあああ、見たいぃぃぃ」と頭を抱えていた。

もう一便バスや船を遅らせられないか、と検討したが無理だとわかり、泣く泣く断念。

両津を発つ

午後6時40分発新潟行きフェリーが両津を離れた。
佐渡島に着いてからほぼ5日、楽しい思い出をありがとう。
ばばろあもデッキに立って去りゆく両津の町並みを目に焼き付けていた。次にやってくるのはいつの日か・・・。

両津に戻り、またあのうんざりする莫大な荷物とご対面。各自手分けしてフェリーへと乗り込んだ。

途中、ゴールデン佐渡に負けないキンキラ土産物屋が並んでいたが、お土産なんて買ってる余裕は無かった。

写真を見ると、離岸する船のデッキにばばろあがいるのだが、その手すりには例のごとく手帳が開かれている。当時はよっぽどあれこれ記録する性分だったのだろう。

遠くなっていく佐渡

船からキャンプ地を見る。
全員で「あそこじゃないか」「いやあそこだ」と口論の末、ようやく特定。いつもキャンプ地から佐渡汽船を眺めていたのだが、今回に限れば逆である。この写真は暗くてよく見えないのが残念。

いくら宇賀神社がある山が美しいシルエットだとはいえ、標高100m程度の小さな山だ。沖合からは目立たない。「多分あそこだろう」という目星をつけ、「きっとあそこだ」→「あそこ以外ありえん」と発想をポジティブかつ強引に切り替えた。

佐渡にあいさつ

お世話になった佐渡島、キャンプ地、両尾の人々に感謝の意味を込めて全員で敬礼。まるで宇宙戦艦ヤマトだ。
この後、俺は一人残って佐渡島が見えなくなるまで見届けようとしたが、30分以上かかってしまい後で後悔した。

宇宙戦艦ヤマトを例えに出すあたりが古い。

今だったら、「敬礼している側から、おかでんは『マチルダさ~ん!』と泣き叫んだのであった」と書くだろう。

・・・あんまり時代が進化していない気がするが。お前の漫画脳は1970年代でストップかい。

新潟駅に向けて歩く

新潟=本土に戻ってきた。
2時間船で揺られて来たのでどうも地上での安定感がない。
この後、「ひよこ」なる居酒屋とも定食屋ともつかない料理屋で打ち上げ。鶏肉が素晴らしくおいしかった。俺一人ビールをかっくらってご機嫌。

本土に到着後、真っ暗な中を徒歩で行軍。

行きの時のように「ショートカットルート」をとるのはやめた。また間違えたら間抜けだし、暗いので遠くまで見通せない。慣れない土地柄、迷うのがおちだ。

半年前、佐渡島下見の際にも同じ船便に乗って新潟に戻ってきている。その際、夕食は新潟の繁華街である万代に繰り出したのだが、今回はさすがにやめた。万代はフェリーターミナルから見て駅とは逆方向になるからだ。大荷物を抱えてまで行くところじゃないだろう、と。

結局あてもなく新潟駅前をうろつき、「ひよこ」というお店に入った。

なぜその店を選んだのか記憶が定かではないが、鶏肉が旨かった。「半羽」という単位で、その名の通り鶏肉半分を使った丸ごとグリルや丸ごと唐揚げが出てきて、一同大満足。おかでんはさらにここでビールを飲んでよりご満悦。

「ひよこ」というお店についてネットで調べてみたが、一件もヒットしなかった。店の名前を間違えて覚えてしまったのか、それともネット時代が訪れる前に閉店したのか、不明。

ただ一つ分かったことは、新潟の三条には「ひな鳥金子」という、半羽唐揚げを出す名店があるらしいということ。その影響で、新潟県下には「半羽」料理を出す店が何軒もあるそうで。

その時食べた写真が残っていないのが惜しいのだが、「クリスマスの時に食べる」鳥もも肉の丸ごとな奴とはちと違う。その名の通り、「半羽」だ。これが豪快。そして、値段も学生が気兼ねなく頼める価格帯だったと記憶している。

また食べてみたいものだ。やっぱり肉は塊が一番旨いな。

ばばろあ

ばばろあはすっかりひげが生えて野蛮人になった。
快速ムーンライト新宿行きに乗り込んでホッと一息入れているところ。あとは目が覚めたらもうそこはいつもの生活への回帰だ。旅のエピローグ。

あー。

この「佐渡島編」連載終了直前の今この段階で気がついた。
これまで、往復の電車は「ムーンライトえちご」であると表現していたが、それ、間違い。今でこそこの名称に落ち着いているが、当時は単なる「快速ムーンライト」だったんだった。

この後、「ムーンライトながら」が東海道本線に登場したので、紛らわしいので名称変更したんだっけ。

1994年07月28日(木) 宴の後

早朝の西武線

池袋から西武池袋線の始発でおかでん邸へ。まだ朝の5時過ぎだ。
おかでん邸で荷物をとき、シャワーで体中の塩を洗い流してから三々五々家路へと向かっていったのであった。

東京に帰り着いて、そこで解散・・・というわけにはいかない。
とにかく荷物をいったん所沢まで運ばないといけないからだ。

新宿駅から歩いて帰ることができるばばろあや、名古屋組であるしぶちょおとちぇるのぶには申し訳ないが全員所沢まで連行。荷ほどきまでやってもらった。

荷を下ろしたあとの真水のシャワーの気持ちよい事よ。体中、海水と潮風と汗とでべたべた。目からウロコ、ならぬ体から粘膜、といった感じだった。

これにて解散。

何事も無くてよかった。そして、また次への闘志がかき立てられる合宿だった。第三回も離島で開催したいものだ。

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