
すっかり元通りに戻ったテント地。かろうじて散らばった木屑でその面影をとどめているくらいだ。
こうして砂浜は静けさを取り戻し、そしてキャンプも過去のものへと変わってゆくのだ・・・。
砂浜で最終荷造りをすると、荷物がすっかり砂に汚染されてしまう。
幸い、テントサイトのすぐ側にはコンクリート舗装されている「はまなす遊歩道」があった。荷物がある程度片付いた時点でいったんそこに移動させ、砂を入念に落としつつパッキングしていった。

午前7時20分、われわれは4泊お世話になったこの砂浜から退却した。
ありがとう。もう二度と来ないだろうけど、一生忘れないよ・・・。そういう感傷に浸ったかは定かではないが、朝日に向かってわれわれは退却した。
アワレみ隊が「アワレみ隊」と名乗る前、高校時代の頃に2回、島で合宿をしたことがある。広島県の大久野島に行き、国民休暇村に泊まるというスタイルのものだった。その際おかでんが例のごとく無駄に分厚い「旅のしおり」を作ったのだが、誤字が多くなかなかの怪しい仕上がりだった。
その最たるものが、「この旅のモットー」として掲げられていた「着たときよりも美しく。」だった。小学時代の修学旅行パンフを丸ごとパロディ化した旅のしおりだったのだが、誤字は単なるおかでんのミス。指摘されて初めて気がついた。男ばかりの宿泊旅行、それで「着たときよりも美しく」って何だ。男色な感じじゃあないか。
あまりに偶然にも面白かったので、以降われわれは「着たときよりも美しく。」をモットーとし、実践してきたつもりだ。
ただ、そうはいっても「来た時よりも美しく」は当然のこと。キャンプ地も、たき火の痕跡すら残さないくらい奇麗にしておいた。木くずは細かいものなので拾いきれず、これはご勘弁願った。

佐渡金山へ行くには両津からバスで70分ごとごと揺られなければならない。何しろ島の反対側にあるのだ。われわれは両津港のコインロッカーに荷物一式を預け、金山ロマンを追求しに行った。
大きな荷物を背負い、抱え、引きずり、バスに乗り込む。
「案外乗れるじゃん」
と意外な声。これだったら、初日にレンタカーをわざわざ借りてピストン輸送する必要は無かった。バスじゃてっきりこれだけの荷物を運ぶのは無理だと思いこんでいた。
両津港でいったん荷物を預けたが、荷物一つ一つが大きいので、コインロッカーをたくさん使うことになった。幸い、大型のロッカーが比較的充実していたので、どうやっても入らなくて困るといったものは無かった。
ほぼ身一つで、両津から佐渡金山行きのバスに乗り換え。
それにしてもバス70分には驚いた。なんという広い島なんだ。というか、島、か?北海道とか九州とか四国と同じ扱いでも良いんじゃあるまいか、というデカさだ。

バスの終点「佐渡金山」で下車すると、そこはもう江戸時代。
建物が昔風になっている。
ご丁寧にも金の作り方を示した巨大パネルがわれわれを迎えてくれた。坑道に入る前に予習をしろ、ということなのだろうか。
ここから先の描写は、観光地を見てきました~、というものなので2009年時点での注釈はあまり書かない。施設や観光スポットの詳細については別途ネットや書籍で調べてみてください。

これが「ゴールデン佐渡」の入り口だ!!何ちゅー名前をつけるんだ、と前々から呆れていたのだが、おやおやいたって普通ですなあ。
俺はてっきり金ぴか悪趣味な建物が観光客目当てにセコい商売やってるのかと思っていたが・・・。
佐渡金山、というのは総延長400kmもの坑道と練金施設の総称。
現在、佐渡金山と呼称されているのは、観光客に一般開放されている300mの坑道とそれに付随した資料館などの施設のことだ。その施設の名勝が「ゴールデン佐渡」。キラキラした名前だ。
ただ、三菱マテリアルの100%子会社というれっきとした企業だ。おふざけで名前をつけているわけではない。

坑道の中は冷えていた。いや、寒い。外とのギャップがもの凄い。みんなぶるぶる震えながら先へと進んだ。
坑道入ってしばらくはこのようなパネルでの説明が続く。なるほど細かい説明が書かれているんだけど、寒くてゆっくり読める状態じゃないんですけどー。
昨日までは「暑い暑い」とうめいていたのに、一転して今度は寒さに耐えることになった。

道を進んで行くと行く手から声が聞こえてきた。何かと思って歩を進めてみれば、わっ!人形が一生懸命働いているッ!ごっとんごっとん水を汲み上げているではないか。
「休むな!しっかり働け!」とカントクが叫ぶと「へいっ」との返事。よくできているなあ。
坑道のあちこちに等身大人形がいて、機械仕掛けで動き、働き、そしてぼやいていた。小さな子供にとってはトラウマになるかもしれん、ちょっと不気味な光景である。

あちこちの坑道跡に人形が仕掛けられていて、それぞれがいろんなことをやっていた。
「あー、早く外に出て馴染みの女にあいてぇし酒も飲みてぇ」
・・・全くごもっとも。おつとめご苦労様です。
確か品川無宿の人だと名乗っていたような気がする。
無宿人ということで佐渡金山に連行されたのですね。
松本清張の「無宿人別帳」という小説に、佐渡島から島抜けしようとする無宿人の話がでてくるが、それを思い出した。

坑道から出るともう終わりかと思いきや、資料館に繋がっていた。
これがまた良くできていて、ミニチュアの人形がいっぱいあって当時の様子を再現していた。
これで入場料600円は安い、と思う。
ちなみに、資料館出口にあった土産物屋や言うまでもなくキンキラキンだった。何から何まで金、金、金。
佐渡の土産物店は一見に値する。もう、ひたすら金だらけ。
金そのものを扱っているのは当然として、金の延べ棒型をした箱に入れてしまえばあらゆるものが土産物として成立していた。
あと、売られている地酒はもちろん金粉入りだ。アイディアの思いつく限り金とヒモづけてモノが売られていた。
両津港のターミナルにも土産物街があるので、まず佐渡に降り立った直後から目がしばしばしてしまうまばゆさ。それにも増して、このゴールデン佐渡はキラキラだ。
当時はご当地キティとか、キャラクターグッズ類をはじめとした様々なバリエーションの土産物はなかった。だからこそ、金一辺倒だったんだと思う。今はどうなっているか、知らない。
なお、佐渡島ご当地キティは、たらい舟に乗っているものらしい。てっきり、お奉行様のような和服を着て、小判を抱きかかえているようなキティを想像していたのだが違うようだ。

相川の町まで歩いて下山することになった。
しばらく下ると別の坑道入り口を発見。何とか入れぬものかと試すわれわれ。ここももの凄い冷気が隙間から吹きでていた。外は34度くらいあるのに、坑道入り口に立っていると寒いくらいだ。
坑道を塞いでいる扉の隙間から、強くて冷たい風が吹き出してくる。天然の冷房だ。
この口を開けておけば、温暖化対策に少しは効果があるんじゃないかと思うくらいだ。

佐渡金山は平成元年(1989年)まで金を掘っていた、ということから近代的な建物もまだ残っていたりする。でも、この建物も既に過去の遺物となりかかっている。
この建物は粉砕場跡だとか。はるか向こうに道遊の割戸が見える。
道遊の割戸とは、写真奥に見える山の事。
山がぱっくり、猫耳状に真っ二つに割れている。
これは、山の表面に金鉱脈が見つかったので、そのまま掘り下げて行ったもの。その結果、山が真っ二つになってしまったという代物。金への執着は相当なものだ。
最盛期、この金山では年間400kgの金が算出していたという。
・・・たった400kg?少ない気がするが、金の量ってどれくらいが一般的なのかわからないので何とも言えない。確か1gあれば東京ドームくらいの広さまで薄くのばすことができるんだったっけ。
金山自体は既に閉山されているので、土産物店で売られていた金銀財宝はあれは輸入もの。なんだか変だが、まあ許せ。旅の思い出だ。

相川に降りる途中に見つけた作りかけのトンネル。
いくら金山に近いからといってこれはちょっとないんじゃないの?というデザイン。土木の勉強をしているしぶちょおはえらくイカっていた。「センス無いよ!」
佐渡金山は「山」と名が付くだけあって、山の中だ(坑道は海底まで伸びていたのだが)。集落は山から下りた海沿いにあり、相川と言う。
歩くには少々遠いので、普通ならバスで移動する。もしくは相川を素通りする。
われわれはバス代がもったいないし、時間は余りまくっているので、歩いて下山することにした。
しぶちょおが怒ったというトンネルは、入口脇に小判がレイアウトされていた。
「こういうところに金かけるセンスが許せん」のだそうだ。

金山の面影を探して歩く。
ここは時鐘と鐘楼がある味噌屋町。200年間時を告げてきたカネがある。ここら辺は相川の町を見下ろす高台にあり、ふるい町並みを保っていてとても良い感じである。
手元にあるJTBのガイド本を見ながら、相川の古い街並みを見て回る。
ただし、予備知識が無いので、「なるほどねえ」とつぶやいておしまい、という事が多かった。
とはいえ、鐘楼に続くこの通りは風情があって良かった。塀もレンガ積みで良い感じ。

遊郭跡を見たり、南沢疎水坑を見たりしたが、言われない限り判別不能なものばかりだった。
最後のスポット、大安寺の「大久保長安逆修塔」を見終わった後、われわれは相川の町へと向かった。
目指すは佐渡前の寿司屋、「力すし」だ。
「ふーん」で終わった最たる例が、この「大久保長安逆修塔」だった。
初代佐渡奉行の大久保長安が死ぬ前に自らの墓を作った、というものだ。
ただ、当然「普通の墓」であり、大久保長安なる人物について詳しくもない。光栄の「信長の野望」あたりに出てくるキャラだったらまだ印象に残っていると思うが。
昼食として「ぜひここに行きたい」とおかでんがプッシュしたのが、ガイド本に載っていた「力すし」だった。「江戸前」ならぬ、「佐渡前」の寿司を提唱した店として名高いんだとかなんだとか。
寿司なんて回転寿司すらまともに食った事があまりない学生連中がぞろぞろ押しかけたって、「やっぱ佐渡前は違うねえ」なんて言える立場にあらず。当時は今ほど「鮮度」なんて言わなかった時代だったと思うし、少なくとも学生にはそんな発想は皆無だった。「閉店間際の半額シールのお総菜(しかも揚げ物)ゲット」なんかに喜んでいたくらいだから。
有名店だからと気取っているかと思ったが、特にそういう事は無し。学生でも普通の握り一人前を十分に払える金額だったと思う。4名は、握りを頼む人と、ちらしを頼む人で半々に分かれた。
ちらしを頼んだ人(確かしぶちょおだったと思う)に、「せっかく寿司屋に入ったんだから握りを食べれば良かったのに」と退店後聞いたら、「いや、最初はそのつもりだったんだけど、すぐに握れるように既に魚が刺身状におろされているのを見て、辞めた。佐渡前とか言ってても、あんなことやってたら鮮度は落ちるよ。だからちらしにした」と言っていた。学生の癖に生意気な。でも「スゲー」と感動したので、今でもこのやりとりははっきりと覚えている。
ついでに言うと、おかでんにおける「ちらし寿司」は家庭で食べる「永谷園のちらし寿司の素・すし太郎」の印象しかなかった。れんこん、にんじん、かんぴょう、椎茸などが入っていて、母親が錦糸玉子を追加してくれるものの「ショボい食い物」という認識。子供心に、嫌いな料理の一つだった。そもそも酢飯をおいしいと思わなかったから。それが、このお店で「うわ、生魚がたくさん載ってる!」というのを見て仰天した。世の中まだまだ勉強しなくちゃいかんことがいっぱいだ。

相川の町はちょうどこの日「金山まつり」があるらしく、えらくにぎわっていた。
いろんなイベントがあるようだが、われわれがあッと目ん玉をひんむいたのは「ジャンピングおけさ大会」。一体何をしようというのか・・・?われわれの想像の域をはるかに超えていた。
金山まつり、というイベントが相川では毎年夏の恒例行事となっているようだ。
いろいろ企画されているようで、佐渡おけさもその一つ。
佐渡おけさはまだわかるが、仰天したのが「ジャンピングおけさ」。一体何なんだこれは。
「キョンシーみたいにぴょんぴょん跳ねながら踊って歌うんだろうか?」と議論は尽きない。とくにばばろあが過剰反応し、「うわああ気になって夜も眠れん」と悶絶していた。この後数年くらい「ジャンピングおけさ」に拘っていたので、よっぽど脳裏に焼き付いたのだろう。
ちなみにネット時代となった現代では、ジャンピングおけさがどのようなものかはすぐに調べることができる。時代は変わったね。

風~まかせ~♪ということで、午後いっぱいは尖閣湾揚島遊園で過ごす事にした。なんでも「君の名は」のロケがここで行われたとのことで、こんなモノまであったりする。とりあえず一枚。真知子が気持ち悪い。
ここにはわざわざ「君の名は」資料館まであった。
尖閣湾は、相川からさらに北に進んだところにある断崖絶壁が美しい湾。相川からバスが出ているのでそれに乗ることになるが、便数が非常に少ないので要注意。
君の名は、というのは随分昔にラジオドラマ及び映画化されたものだ。1950年代くらいのものだと思う。もの凄い聴取率だったという。当然70年代産まれのわれわれには全く縁もゆかりもない話だ。
・・・と思ったら、1991年にNHK連続ドラマ小説に起用されてたらしい。知らん、その時間は通学していてそんなものは高校生には無縁だ。
まあ、要約すると「会おう会おうとする男女だけど、会う直前に何かのトラブルが起きて毎回すれ違う」といういらつく展開らしい。面白いんか、それ。

なぜかたらい舟がこんなところに置かれていたりするので、こちらもとりあえず1枚パシャリ。あとでパンフレットを調べてみると、「たらい船ブランコ」としてあったもののお古で放置されているらしい。・・・それにしても、この「吾作」「お光」って一体誰の事だ。
たらい舟とは、ご覧の通り浴室にあるたらいを巨大化したもので、これに乗って浅い海に乗り出し、海中の海草や貝類を採取するもの。佐渡島南部の小木地区で使われていた独特の乗り物だ。
当然バランスは非常に悪いので、ちょっと姿勢を崩すとそのまま転覆する危険な乗り物。でも今は観光用の大きなたらい船なんかもあって、観光客でも乗ることができるらしい。

すごい絶景だ。ノルウェイのハルダンゲル峡湾の景観に匹敵するということだが、ここまで素晴らしい景観とは思っていなかった。
みんな口々に「すげぇ」と漏らしていた。
「ノルウェイのハルダンゲル峡湾の景観に匹敵する」(棒読み)
観光ガイドに書かれている事をそのまま読んだだけだ。
でも一同、「すげえ。ハルダンゲル峡湾よりも凄いかも」なんて適当な事を言っていた。

リポビタンD「ファイト!一発!」状態の俺。
うまい具合に岩を登っているように見えるけど、実は下の通路から岩を抱えて手を伸ばしているだけ。顔がにやけているのでどうも緊迫感がない。
それにしても水が凄くきれいだ。海底のすみずみまではっきりと見ることができる。キャンプ地とは大違いだ。
ちなみにこの尖閣湾、入場料がかかる。400円だったか、500円だったか。
景観を見るだけにお金を取るのか、と思うが、施設維持が大変なんだとか。

たまらずわれわれは予定外ながら海中透視船に乗り込んだ。400円也。
近くで見るこの岩肌はまたものすごく、そそり立っている。なんたる姿だ。
船長に「もっとゆっくり運転してくれ~」と願いつつ、じっくりと眺める。
思いの外この地を気に入ったわれわれは、せっかくなので海からこの景色を眺めよう、と遊覧船に乗船。天幕合宿というストイックな生活から開放されたので、やや懐が緩んだようだ。昼にはお寿司を食べているし。
とはいえ、乗船費は400円。安い。
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