その潮風だが、陸風になろうか海風になろうか考えあぐねているらしい。フラフラして風向きがいっこうに安定しない。ちょっと気分を害するとどひゃーっと火の番をしている人の顔面に煙を吹きつけやがる。そのつど人間はオロオロとにげるしか術はない。
かまど番は結構大変な作業だ。
とはいえ、火をいじるのは、楽しい。特に男はその傾向が強いと思う。火が大好きな動物というのは生物界において珍しい。恐らく、野獣に囲まれて「いつ襲われるか分からない」中で生活している猿から進化した祖先が、唯一安心できる夜の過ごし方が「火を焚く」ということだったのだろう。その遺伝子を引き継いでいるのかもしれない。
・・・なんて数百年前に思いを馳せる余裕などはない。かまど番はその仕事の性質上、火の間近にいないといけない。そのため、煙の影響をもろに受け、咳き込みながら、涙を流しながら逃げまどう事になる。
もちろん、かまど作りの定説として、風下側に口を開けるという事はしてある。しかし、一日中同じ方向に風が吹くわけではないので、時にはひたすら顔に煙が吹き続ける事もあった。結構過酷だ。
昼メシ時は風の向きが一番安定しているので、傾向と対策さえつかめば煙害は防げた。しかし、その時間帯は「日陰が全くない灼熱地獄」であり、そんな中で火と対峙するのは根性論の世界だった。
1日目。夕食がこれだ!
担当:ちぇるのぶ
料理名:野菜炒めのビーフンあえ
おすすめ:塩辛い野菜
評価:3.75(3,4,4,4)※考えてみればこの日、一日朝から晩まで麺ばっかだったような。
(朝:ラーメン、昼:そうめん)
初日夜は「野菜炒めのビーフンあえ」。要するにビーフンなのだが、野菜が案外多かったのと、野菜に塩味をつけすぎてインパクトが強くなりすぎた。その結果、「野菜炒め」の「ビーフンあえ」という自虐的な命名が行われた。
また、火力調整に慣れていないため(というか、技術がないため)、調理は困難を極めた。おかげでビーフンがへろへろだ。
今日は昼ご飯といい、夕ご飯といい、自虐的なネーミングが続いたな。
とっぷりと日も落ちて、俺達の時間がやってきた。まずはキャンプ地到着を祝って乾杯だ。今日はキャンプファイヤー無しの日に設定したので、落ち着いてお酒が飲めるし飯も食えるってもんよ。酒が飲めない連中は箸を手に持ち、いまにも飯にかぶりつかんとしている。
今回の天幕合宿では、「1日おきにキャンプファイヤー」を予定していた。4泊のうち、2日目と4日目を「明の日」とし、1日目と3日目を「暗の日」と分けた。暗闇で過ごすのも案外悪くないもんだよね、という発想からだが、薪の発掘が難しいかもしれないという事情もあった。神島は荒波に晒されている砂浜だったので、流木の収集は容易だった。しかし、今回の佐渡島は日本海に浮かんだ島であるが、われわれの居場所は湾内。至って波が穏やかだ。そのため、流木もあまり漂流してこないようだ。
調理で使用する薪の数はたかが知れている。最も消費するのがキャンプファイヤーなので、実施回数を間引くだけで随分と労力が節約されることになる。
3リットル樽のビールを手前に置いてすっかりご機嫌な俺。一人で2リットル以上がぶがぶ飲んでしまった。キャンプに来ると酒への欲求が高まるのは仕方ないでしょうが。
どっかとビールの前にあぐらをかいて決して動こうとしなかった。
3リットル樽の缶ビール、あったなあ。今じゃ滅多にお目にかからないが、当時は2リットル以上の大容量缶が結構出回っていた。注ぎ口がおまけでついていて、例えばキリンのビールの場合は麒麟の人形が注ぎ口になった。もちろん、麒麟の口からビールが出てくる。その際、「ひょひょひょひょ・・・」と音がするのが、ちょっと楽しい。ただ、そんなものが出回っていたのはおかでん達がまだ子供の頃だったので、結局一度も「麒麟の口からはき出されたビール」を自らが飲む機会は無かったが。
実はデカい缶ビールはコストパフォーマンスが悪い。
普通、「デカい容量のものほど、単位あたりの価格が安くなる」ものだ。米2kgよりも、5kgを買ったほうが100gあたりの価格が安いのなんて、その典型例だ。しかし、缶ビールだけは違う。500mlがもっともコストパフォーマンスが良く、750mlや1リットルといった大容量になるとお得感が無くなってしまう。これは、炭酸飲料の内圧に耐えられる強くて大きな缶を作るのにコストがかかるからだ。缶代の分、コストパフォーマンスが悪くなる仕組み。
だから、3リットルなんてバカでかい缶ビールはまったくもって無駄、というか貧乏学生身分が飲むものじゃあない。ただ、当時はそういう事実を知らなかった。また、「デカい缶を抱えてガツンと飲むのは豪快で良いじゃないか」って思っていたので、有り難く3リットル缶を飲んでいたのだった。
ばばろあもお酒が入ってきたからなのか、なーんかうっとりした目つきをしているぞ。
今回のキャンプ、4人中2人がお酒を飲めないという苦境のため、われわれ酒飲みは立場が苦しい。
ちぇるのぶは、今でこそお酒がいける口だが、当時は積極的に飲んでいなかった。
しぶちょおは一家総出でDNAに刻み込まれた下戸。
というわけで、参加4名中飲むことができるのはおかでんとばばろあの2名だった。
お酒を飲む人と飲まない人とでは、食事のペース配分が全然ちがう。飲む人はちびちびと食べ、饒舌にしゃべり、そして飲み続ける。飲まない人は、さっさとご飯を食べ終わってしまう。
あ、いかんいかん、随分ペースが遅い、と慌てて食事のペースアップをすることになる。
ばばろあは「食中でも、食後でも酒が飲める」人間。だから、ご飯をとっとと食べ、その後だべりながら飲む事ができる。しかし、ビールを嗜好するおかでんは、食中食前でないと飲むことができない。満腹後、ビールを飲んでも美味くないからだ。その結果、全員の中でもっともちびちび食べ、周りが既に食事を終えてもまだ1/3も食べていない、なんていうありさまだった。
この日のようにキャンプファイヤーが無い日はそれでも良いのだが、キャンプファイヤーがある日となると、食事が一段落した時点で場所を移動し、そこでたき火を囲む事になる。一人食べ遅れると、何かとやっかいだ。そんなわけで、「立場が苦しい」と上では表現しているのだと思う。
空が晴れていたので、星に詳しいばばろあの解説による自然プラネタリウムショーの始まりだ。が、月が徐々に昇ってきたので星は次々と消えていった。
ばばろあの頭上の怪しげな二つのあかりは車のヘッドライト。別に野犬がこっちをニラんでいるわけではない(多分)。
ランタンの明かりを消し、空を眺める。
暗い夜も、これまた楽しい。
神島キャンプではサンダルを流され、飯能河原キャンプでは眼鏡を流され・・・回をます度に損失額が大きくなるちぇるのぶ。今回は一体何をなくしてくれるのか、期待は大きく膨らんだ。
結論からいうと、彼は今回何も無くさなかった。期待はずれ、というか一安心というか。
彼は大学で「昔の中国における経済」を専攻して学んでおり、よくジーニアスに「そんなものは中国に任せておけばいいんだよ。なんで日本の税金が投入されている大学で中国の研究するんだよ」と突っ込まれていた。しかし、後に彼は南京に1年留学するという驚きの行動に出た。何で南京?と思うが、何か研究テーマになるものがそこにあったのだろう。
月明かりが山の向こうから見えてくるので、月が出るまで起きている事にした。
まるで平安貴族のようだが、待っているわれわれはというと替え歌を歌ってわーわー騒ぎっぱなし。
月は10時頃出てきた。
砂浜のすぐ脇に、ちょっとした山があった。形がよく、佐渡富士と名付けても良いくらいだ。その向こう側に月があり、われわれからは見ることができなかった。しかし、少しずつ明るくなってきたことで、月が昇ってきていることは分かった。
我慢比べで、いつ月が山の背後から出てくるか、待ちつづけた。
1994年07月24日(日) 2日目
朝6時前。朝飯当番の俺は5時過ぎに起きていたが他の人はまだ寝ている。2番手のしぶちょおはマメができて痛い足を砂にまぶしながら、起き出してきた。今日も快晴。雨が降る様子は全くない。
今回も早稲田の旗がテントのひさしにはためく。
地元の人たちは早稲田大学のサークルの人たちかしら、と思うかも知れないが、そんなものとは縁もゆかりもない。全く意味がない旗だ。
ただ、旗がぱたぱたとはためいていると、何だか楽しかった。だから、とりあえず旗は立てっぱなしにしておいた。あと、風向きがこの旗で分かるので、かまど番は「煙から逃げる」際の参考になった。とはいっても、旗の向きで判断する前に、とっくの昔に煙にやられて涙目になっているのだが。
2日目・朝食
担当:おかでん
料理名:もちもちプリーン
おすすめ:本場備長炭未使用
評価:2.75(3,3,3,2)※しぶちょおは餅が好きではないということを考えていなかった。炭火で焼くどころか、直火であぶるという大失態もあり。
朝食はおかでんの当番。
今回の天幕合宿における最初の朝食ということで、どこまで力を入れて良いのか測りかねた。料理を決め、買い出しした時点ではかまどができていないし、薪の確保もできていない。
朝から手間暇かかる料理を作るのはあまり喜ばしくなかろう、と思い、シンプルなものにした。その結果が、この餅だ。
しかし、案外これが難敵だった。なかなか餅に火が通らない。うんともすんとも言わないので、火力を強くしてみると、今度は火が強くなり、直接餅を炙ってしまった。そんな事を繰り返しているうちに、なんだか表面は焦げるし、長時間の格闘のせいでぱさぱさになるし、なんとも悲惨な料理となってしまった。味付けは醤油のみ。
アワレみ隊一の米食いであるしぶちょおだったが、餅は得意としていない事がこのとき判明。ちょっと驚いた。
この突き抜けるような空の青さを見よ。しぶちょおのカメラのフィルムは色を大げさに捉えるらしく、青はさらに青く、緑はさらに緑となってしまっている。実際はというと、この日の朝イチの写真から見ても分かるように、雨がしばらく降っていない為にくすんだ青空。
写真ってあてにならんな、と思う。
浜辺と我らが食卓。
「とりあえず」食器や食材を転がす場所がないため、机の上にはモノが乱立している。地べたにおいておくと、たちどころに砂まみれになってしまうのでしょうがない。
この汚い雑然とした机とバックの広々とした自然とのコントラストが良いねえ。
限られた机の上には、優先的に食器類が置かれた。
地面に置いたら砂の被害にあうし、テントの中でも床に置く限りは砂の影響から逃げられない。できるだけ、高いところに。それが、砂被害を防ぐ最良の方法だ。
料理に砂が混じっていて、食べた瞬間にじゃりっとした瞬間のむなしさは相当なものだ。
われわれのキャンプになくてはならない独特のもの・・・そう、それはかまどの神様。神島では偶然、石に顔が描かれた「神様」を見つけたが、今回は自らの手で制作することになった。ばばあろあは運慶・快慶のように一心入魂で神様を制作中。
かまどはわれわれの生命線だ。神聖なものであり、粗相をするととんでもないお仕置きをされそうな気がする。全然火がつかない、とか。
だから、偶像化した神をかまどの脇に添えた。かまど番は点火をする前に、毎度そのかまどの神様にお祈りを捧げた。「無事、火がつきますように。火力が安定して持続しますように」と。
できあがった神様。
そのたおやかな笑顔がわれわれのココロを和ませてくれる。この裏側には怒った顔も描き込まれており、シチュエーションに応じて使い分けが可能となった。ばばろあ、日陰でぐったり。
かまどの神様は女神様になった。
怒った顔と笑った顔のモード切替がどのように行われたかは、覚えていない。
この日光に強さ、写真からでも十分に伺い知る事ができるだろう。
この強さでまだ時刻は8時過ぎ。先が思いやられる。しかし今のうちに薪をやっつけておかないと後ではやるチャンスがない。
急げや急げ。
昨晩、月が山の裏側から昇ってきたように、太陽も日の出直後は山に遮蔽されている。とはいえ、夜明けが早い夏のこと。あっという間に高いところまでのぼってきて、われわれを容赦なく照らしつける。
ばばろあが「火の神様」を石に描いている時、荷物用テントには人が一人隠れることができる程度の日陰があった。しかし、午前8時時点で、既にその陰がほとんどなくなっていることが写真からわかる。
砂浜キャンプの特徴、灼熱地獄の幕開けだ。
神島の教訓から、午前10時を回れば肉体労働は無理。なんとしても、早い時間帯に薪を集めておかないといけない。今晩はキャンプファイヤーが予定されているし、明日以降もまだまだ合宿は続くので、薪は多ければ多いほど良い。
薪集めに奔走する人、ノコギリで裁断する人、ナタで木を割る人。各自役割分担して、黙々と作業を進める。何かの強制労働のようだ。
キャンプ地のすぐ裏手にある宇賀神社へお参りに行く。キャンプ中の安全を願いに・・・。ばばろあは境内の中に水場があるかもしれないと願いつつペットボトルを持参。頭下げて水をもらいにいくのはイヤだ。
昨晩、「佐渡富士」と形容した山には神社がある。
テントを張っている砂浜から、比較的立派な鳥居が見えるから、それと分かる。
お膝元まで来ておきながら、ごあいさつの一つもしていないと神様に失礼にあたるかもしれん、と全員でお参りすることにした。
薪は予想以上に集まり、ひとまず目処がついたので本日の作業終了。そうなると、調理と買い出し以外は全くやることがない砂浜だ。こういうイベントがあるだけで、時間がつぶせてうれしい。
ばばろあはペットボトルを持って行こうとする。なぜかと聞いたら、「神社だから水があるかかもしれん」という。なるほど、神社には手を清めるところがある事が多いので、水がある可能性はある。実際、昨年行った神島では、当初は神社で水を確保していた。
それにしてもかなりキツい坂だ。うっそうと繁った林の中を急登する。こんな山のてっぺんになぜ神社など作ったのだろう。資材はどうやって運んだのだろう。不思議だ。
でも、ま、とにかく涼しいからどうでもいいやー。
結構急な石段を登る。
「小さな、富士山の形をした山」が海抜ゼロメートルからぴょこんとそびえているのだ、そりゃ急坂になるよな。
道中は木々に覆われている。砂浜の、「逃げ場の無い日陰」とは大違いで、とても快適だ。
登ること10分強で山の頂上にある神社へ。予想していたよか数倍も立派な建物にびっくり。ほこら程度と思っていたのだが。
奥に水洗トイレを発見したが、折りしの水不足のためここまで水は来ていなかった。
山頂に神社はあった。後で知ったが、600段の石段で、標高100mだそうだ。山の上によくぞこれを作ったもんだ、という立派な建物。
早速お参り・・・とならなければならんのだが、われわれの関心はゲス心丸出しで「水!水はないか!」という一点。これだけ立派な神社なのだ、水道くらいはあるんじゃないか。
しかし、結局水は発見できず。大変に失望し、そのがっかり感丸出しの状態で、神様にお参りした。そんなお参りされても、神様としては全然うれしくなかったと思う。
とにかく山のてっぺんなので風通しがよく気持ちよいし、日陰があるしですっかり長居してしまった。のんびりとした昼下がりである・・・いやいや、まだ朝の10時台。
下に広がる大海原がまた素晴らしい。
これも後で知った話だが、宇賀神社のご本尊は白蛇で、商売繁盛の神様として県外にも知られているらしい。
何も知らなかったわれわれは、この山の上にある神社を「きっと船の往来の安全を祈念する、海の神様が祀られているに違いない」と勘違いしていた。
それだけ、海の眺めは素晴らしかった。
とても快適なので、「あの灼熱の砂浜に戻りたくない・・・」と一同、ぐだぐだとこの神社で時間を潰した。しかし、昼ご飯の調理が開始となる前に「本日分の水の確保」という重大な作業を片付けないといけない。さてどうしたものか。
この合宿が行われた1994年は全国的に記録的な水不足の年だった。離島はもともと水の供給が難しいというのに、水不足となるとそれに拍車がかかる。日本全土で、節水のために断水が頻発していた年ともなると、島でどうやって水を確保すれば良いのやら。
砂浜の近くに、小学校があったのでそこに行ってみる事にした。小学校だったら校庭に水道が必ずある。ここなら間違いあるまい。(ただ、神島の時は、蛇口が取り外されており使えないようにしてあったが)
ところが、学校は夏休みということもあって門が閉ざされていた。これには参った。
「乗り越えて中に入るか?」
などと、物騒な事を真剣に議論するわれわれ。しかし、さすがにそれは水泥棒なのでマズいという事になった。さらに、物理的に、20kgにもなる水タンクを担いで柵を乗り越えることができないというのも断念した一因。
結局、小学校からさらに歩いたところにある集落まで行き、そこの商店の人にお願いして水を分けて貰うことになった。アイスクリームなどを各自買い、その後「すいませんが水を・・・」と本題を切り出して、了承を得た。
この日以降、アワレみ隊は必ずこの商店で何らかの買物をし、その「ついで」に水を分けてもらうようになった。とりあえず水確保の問題はこれで解決。
昼飯作りが三食のうちもっともハードである。動くだけで汗が出てくるからだ。
しかし、何もすることなく横でじっと見ているのはもっとつらい。
日陰がどこにもないのだから。
今回はみんな日焼け止めクリームをばっちり塗ってあるのでまだましなほうだ。
神島の教訓をふまえ、各自日焼け止めクリームは確実に持参していた。
朝、夜が明けると共にまずはクリームを塗る事で一日は始まる。しかし、すぐに汗だくになるので、常にクリームを補充し続ける必要があった。汗と、クリームと、潮風のせいで肌は全員どろどろだ。
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