13:48
東京アート・アンティーク2019、ひたすらお店巡りは続く。
出窓に、うやうやしく抹茶茶碗が飾られている。お店にとって「とっておきの商品」なのか、それともとっておきの商品ならば表に出すとヤバいので、二番手・三番手くらいの商品なのか。こういうお店の流儀というのがわからない。
13:53
こちらのお店は、店頭のディスプレイとして壺が横倒しで置いてある。エジプトかギリシャかわからないけど、これもお店としては「どうだ!」という品物に違いない。
立てて展示されていない、ということは、立てるとバランスが悪いとか壊れそう、とかいろいろ問題があるのだろう。
・・・これ、誰が買うんだ?買っても、どういうところに飾るんだ?
少なくとも、年収数百万の家の人が買うようなものではなさそうだ。広い家で、よっぽどの趣味人でないとこの良さはわからないし買えない。
そういう作品でさえも、今回間近で拝見できるのだからありがたい。
14:00
こちらは個展をやっているギャラリー。現代アートだ。
僕にとっては、むしろ抽象的な現代アートを見るほうが気が楽だ。
古美術を見ると、自分の知識や審美眼を問われているような気がする。「これ、いいね!」というエモーションよりも先に、左脳がどう反応するか、みたいな。しかし、現代アートは、その作家さんのことを知らなくても恥ずかしくないし、その作品をどう評価するかは、今をまさに生きている自分自身だ。そんなわけで、過去の人たちの評価に引きずられない分、気が楽と感じる。
14:05
そろそろ昼食にしないと。どのお店もランチ営業が終わってしまう。
もう時刻は14時を回ったところ。まだ全体の半分も巡っていない。こりゃもう駄目だな。コンプリートはできなさそうだ。
「どうせコンプリートできないなら、どこで妥協するのか」ということを気にしだすと、急に腰が重たくなる。というのも、パンフレットを見ても、どのお店に行きたいと思えるのか、全然わからないからだ。「このお店と、このお店は外せない」というのがあればまだ頑張れる。でも、それがないとなると、「もういっそのこと、今やめてしまってもいいんじゃないか?」という気持ちがチラッとよぎってしまう。
いずれにせよ、なにか食べるとなるとガツンといきたいところだ。蕎麦みたいにつるつるッと、さっぱり食べるんじゃあ気分が晴れない。いや、憂鬱ってわけじゃないけれど、さすがにここまでストイックにお店を巡っていると、スカッと一発、食べたいわけですよ。
過去、アワレみ隊でストイックな企画を決行すると、大抵その途中は肉料理を食べに言っている。「日本三大巡り」とか、「サイコロの旅」とか。
今回もそう。やっぱり肉が食べたい。
そんなわけで、「エドグラン」内のお肉が食べられるお店にいく。ニュージーランド国旗が店頭に掲げられたお店だ。
まるで夕食か?というくらいの肉を食べる。
スキレットには、牛肉、ソーセージ、ハンバーグが乗ってるぞ!おい!
そして、ダメ押しのライス+スパゲティ。炭水化物をダブルで摂るぞ!おい!
スキレットに盛り付けられていることで、「俺たちは今、まさに野蛮に肉を食い散らかそうとしているんだ」という実感が湧いてくる。こういうときこそ、ウキウキしこれまでのストレスが発散されるのだった。
いや、ストレスなんだったらこの企画やめとけよ。・・・違う違う、「適度なストレス」ってやつだよ。悪い意味でのストレスじゃないってば。
それにしてもふたりとも、ちゃんとメシが食える体調で良かった。
これがもっと歳をとってくるとだな、「延々とギャラリーを巡るというのは肉体的にキツい」ってことになるし、「疲れたときに油っぽいのを食べるのは胃がもたれる」ってことになるし、極めつけには「しまった、持病の薬を持ってくるのを忘れた。どうしよう」とかなんとかになる。
45歳にもなると、「いつまでこういうことがやっていられるのだろう」というのは深刻な問題だ。30代の人には理解できないだろうが、自分の回りの様々なことがカウントダウンが始まっている。長寿にはなったけれど、気力と体力がみなぎってあれこれできる、という時期は死ぬ直前までではない。場合によっちゃ、死ぬ10年も20年も前から体調を悪くし、忸怩たる思いで人生を送らないといけないかもしれない。
ズイズイとあれこれ企画するなら、今がラストスパートだ。そう思いながら日々生活している。
14:50
肉を食べて気力を取り戻し、またギャラリー巡りを始める。
とりあえず行けるところまで行くけれど、まあ行けて日本橋駅あたりまでかな、という雰囲気になった。三越前の方に行くのは、多分ムリ。
14:50
こういうギャラリーにお邪魔できる企画ってすげえな、と改めておもう。
だって、「OPEN」って木札がドアにぶら下がってるけど、普段だったら「ちわっす、通り沿いのお店の看板見て、ふらっと立ち寄らせてもらいました」っていう感じでここには入れない。
(つづく)
14:58
過去、僕がもっともアートギャラリーを巡っていたときは「1日に12か所」くらい見て回ることがあった。もっと多い時もあったかもしれない。
スケジュールは30分刻みで事前に念入りに練り込まれ、「15分で見て、15分で移動」を繰り返したものだ。
その頃は時間があったので比較的たくさん見て回ることができたけど、ギャラリー巡りの計画を立てるだけで小一時間かかるシロモノだった。お店の場所を確認し、「今日はこの辺のギャラリーを一筆書きするぞ」と決めたら、行く順番をだだだーっと決める。しかし、定休日があったり、営業時間が変則的だったりするのでこれがパズルゲームのようだ。そして、飲食店と違っていつでも営業しているわけではないのがギャラリーの特徴だ。展示替えの期間は当然営業をしていない。
見たいものを選り好みしなかったとしても、ギャラリー巡りはとても知的な娯楽だ。
それはともかく、僕がもっとも精力的な時でさえ、「30分に1ギャラリー」がやっとだった。しかし今日はどうだ?30分あれば3ギャラリーは回れているぞ。なんというスピード感。
その分、頭が簡単に切り替わらない。てくてく歩いている肉体的疲労だけでなく、脳の疲労も結構なものになってくる。
15:02
あと、展示物を見ていると、失礼ながらどれも同じように見えてくるのだった。頭がぼんやりしてくるからだろう。あと、骨董品に対する造詣のなさがこういうときに如実に現れる。新鮮な驚きと興奮をキープできなくなってきた。
ばばあろあは骨董市を見て回るのが趣味なので、こういう「大量の骨董品を一度に眺める」ことに耐性があると思う。しかし、彼をして「いやあ、欲しいものは特にないのぅ」と言わしめている。
ばばろあは以前、ふらっと立ち寄った長野県のそば屋にあった一輪挿しだか徳利だかを一目惚れし、それを譲ってほしいと店主に直談判したような人だ。
それくらい、欲しい物があったら値段を気にせず買う男だけれど、今回ばかりはちょっとジャンル違いだったようだ。僕としては、密かにばばろあが「よっしゃ、買うで!」と言うのを期待していたのだけれど。
15:03
美術作品を鑑賞するよりも、むしろお店の外観・内装が面白い。お店ごとにいろいろ趣向が凝らしてある。
15:09
ビルの中にあるお店の場合、こんな急な階段を上らないといけない。ちなみにお店は、踊り場の右側の扉。わずかに東京アートアンティークのポスターが見える。
たぶん正面から撮影したかったと思うけど、距離が近すぎて全然画角に収まらないので、ここまで下がって撮影したんだと思う。そんなお店。
15:19
どんどん見て回る。
15:26
絵を展示しているギャラリーだと、ちょっとほっとする。陶器とか壺とかだと、なんだか神妙な顔になってしまうからだ。じっくり眺めて、「うーむ」と唸ったりして、納得するようなしないような感じ。
一方絵だと、ひょこっと見て、「うん、いいね」みたいな感じで、さーっと見ていくことができる。雑だけど、今回みたいなイベントのときこそこういう雑な美術鑑賞はあってよいと思う。そうやってたくさんの作品を見ていくうちに、だんだん自分自身の経験値が上がっていくから。
15:29
立ち飲み屋でもこんな狭い間口のお店はあるだろうか?というような幅のお店。これもれっきとした美術商。
15:30
お店によって、値段が提示されているところ、されていないところがある。要お問い合わせ、というわけだ。
商売の性質上、通りすがりの人がふらっと立ち寄って、値札を見て「うん安いね、じゃあ買おう」なんて衝動買いすることはないだろう。だから、値札なんていらないのかもしれない。
15:41
本当にいろいろなお店があるものだが、どちらかというとミドル層以上が好みそうな作品のお店が多い。ポップカルチャー的なものを扱っているお店は、僕らがこの日巡った中にはほとんどなかったと思う(随分記憶が曖昧)。
15:43
そういえば、これまでの人生で「古美術」と銘打ったお店に入ったことって、ほとんど無いか初めてかもしれない。なにせ、完全にお門違いだと思っていたので。
こういう機会に、いろいろな作品を拝見できてありがたいことだ。
(つづく)
15:52
建物1階、かつガラス張りのお店だとちょっとした安心感がある。人間、外からお店の様子が伺えると気が楽になるものだ。
どっちにせよ、今回のイベントのような機会がない限りはなかなか店内に足を踏み入れる機会はないのだけれど。
雑居ビルの上層階に入っている居酒屋を思い出して欲しい。エレベーターを降りた瞬間、「しまった、これは僕が望んでいた雰囲気とは違う」とすぐに気がつくあの状況。でも、無情にも店員さんから「いらっしゃいませー」と声をかけられ、「まあ、いっかぁ・・・」と思いつつお店の中に入る。
飲食ならこういう「チョイスミス」はあってもいいけど、美術の場合はなかなかそうはいかない。いや、別に買わなければよいのだから、どんどんチョイスミスをしても良いのだけど、なんだか落ち着かない、というか居心地の悪さを感じてしまう。
だから、こうしてお店の外から様子が見られるお店が、なんと安心なことよ。
15:55
どうだこの迫力。
イベントでないときに、このお店に「ふらっと立ち寄る」ことができるならその人は相当デキる人だ。
お店としては、冷やかし客はほぼ皆無だと思う。
15:58
ここも狭いお店。伊万里だろうか、大皿が店頭に展示されている。
15:58
ビルの急な階段を登っていく、探検している感がたまらない。
16:04
一方、こうやって開放的なガラス戸のお店も現れて、ちょっと安心したり。
16:05
店名の読み方がちょっと難しいお店もあったりする。これは・・・「かけい」と読むのか?
16:05
このお店のすごいところは、道路を挟んで真向かいに別のお店がある立地だ。
お互い客を食い合う、ということはないのだろう。むしろ、今回の我々のように、お店を巡ることができるので、美術商が固まっているほうが集客に向いているのかも。
16:06
で、真向かいのお店がこれなんだけど、古い建物の1テナントとして入っているので地味だ。外に立て看板が出ていなければ、ビビって中に入るのをためらうレベル。
16:12
和テイストなお店だなと思ったら、ここも抹茶茶碗。
お茶碗を愛でる人って、この日本にどれほどいるのだろうか?実は結構いるものなのか、それとも殆どいないんだけど1つ売れたら随分良い儲けになるからお店がなりたつのか。謎だ。
16:15
珍しく現代美術を扱っているお店もあった。ちょっと一息。
(つづく)
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