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旅先でのお昼をどうするか問題。
こういうのは、選択肢が多ければ多いほど悩ましい。今やネット時代で、掘れば掘るほど口コミ情報やら公式サイトやら観光情報サイトが見つかってしまう。「見つかってラッキー」というよりも、「見つかりすぎて困る」というレベルだ。
観光地の場合、「見た目はイケてるっぽいけど、実際のお食事はお値段高くて味はイマイチ」ということが多くある。昔のように、「見るからに一見客を一回限りで釣り上げて、そこで儲ければいいや」という店は減った。そのため、審美眼ならぬ審店眼、というのが必要となる。
で、あれこれ調べはじめるときりがないし、疲れる。特に僕の場合、「選択肢がいくつもある」ことがストレスだ。もう、いっそのこと飛行機の機内食みたいに、「Fish or Beef?」くらいしか選択肢がない、というのが良いくらいだ。
いずれGoogleあたりがAIを使って、そういう「旅先でのメシ屋のリコメンド」をやらないかな?旅行先のルートからあんまり外れないロケーションで、ちょうど昼メシ時に通過するくらいの場所で、僕自身の好みを見越して提案してくるというサービス。
ああでもダメだ、Googleは営利企業の広告代理店みたいなところだから、そのリコメンドは必ず「広告料を払ったお店」になる。それじゃあダメなんだ、広告料を払わないような、ちっぽけだけど良いお店、というのが知りたいのだから。
そんなことを考えつつたどり着いたのが、「NAOZO」という石窯パンのお店。テイクアウトだけでなく、イートインもできるらしい。ここでちょいとパンでも食べていきますかね。
https://risonare.com/nasu/experiences/naozo/
「高原といえば牧場」と、僕はさっき書いた。あまりに安直な発想だと我ながらウンザリするけど、そう思ってしまうから仕方がない。そして同時に、高原にパン屋があったら、なんだかそれってうまそうに感じてしまう。買いたくなる。不思議なものだな。
結局、牧場にしろパンにしろ、「高原」というのは非常に「洋風」のイメージに偏っている。やっぱり、明治期に貴族金持ちが別荘を作った、といった歴史があるからだろうか?
別に「すいとん」とか「山菜天ぷら」でも構わないのだけど、あんまり「高原」という言葉とはマッチしない。高原というのは、やっぱり「教会」みたいな西洋のイメージだ。不思議。
NAOZO外観。
中に入ると、レンガ造りの釜がお出迎え。まさにたき火がガンガンにくべられ、パンを焼いている真っ最中。それを奥に見ながら、手前のテーブルのパンを選ぶというのはすごく臨場感がある。思わず「全部買います」と言いたくなってしまう。アカン、それはやめろ。
見ただけも垂涎、というのは正直言いすぎだ。普通にうまそうだ。
しかし、奥のかまどの演出効果も含めると、すごくすごーく、美味しそうになる。たき火の香りがする、というのも効果的だ。
NAOZOのメニュー。かぼちゃのスープが390円である。
パンとスープを合わせると幸せなランチになりそうな予感しかしない。
お金に余裕があるならば、デザートに自家製のヨーグルトをつけると最高。
カフェスペース。
さほど広くないので、あまり客席数はない。
雨が降ってきた。天井がガラス張りになっていて、お天気が良いときはとてもすがすがしいだろう。
こじゃれた雰囲気のお店に、若干ソワソワ気味のおかでん。
時折、すいーっと車でやってきたお客さんが、当たり前のように、日常の1シーンのようにパンを無造作に買って、またすいーっと立ち去っていく。
「おい、別荘族だぞあれ。別荘住んでるんだぞ。明日の朝食かな、今日のお昼ご飯かな」
気になって仕方がない。
なるほど、別荘住まいなら、パンで食事というのは楽ちんだし美味しいし、よいセレクトだと思う。
NAOZOのパンとかぼちゃスープの組み合わせ。いやあ、いいねえ。
なんなのこの充実してる感。スープがあるというだけで、これだけ優雅な雰囲気になるなんて。
・・・と、さっきから「~感」とか「雰囲気」という表現でぼかしを入れている。やっぱり、心底自分がリア充になっているという実感は乏しい。自己評価が低い人なので。
(つづく)
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