今年も北海道のハタケを目指す。
渋谷と三軒茶屋にお店を構えるカフェ、「カフエマメヒコ」が持つ農園のお手伝いだ。これまで何度も、そのときの滞在記をこのサイトで記事にしてきた。
北海道のハタケ作業は、都会ぐらしでは得がたい経験だ。なのでできるだけ参加したいと思っていた。しかし、なにせ費用がかかる。時間は捻出できても、北海道往復と宿泊の費用は僕の財力では捻出が難しかった。結局、2017年は1回だけの訪問だったし、2018年もシーズンが終盤の9月にようやく訪問する目処が立った。
収穫時期である秋のハタケ仕事というのは、僕にとっては「おいしいことどり」に感じる。やっぱり、春の種まきだとか、夏の雑草処理といった作業をやってこそ、収穫が楽しくなる。成長を見届けた、という達成感があるからだ。
たぶん僕の行動原理は「ビールを愛してやまなかった」20年近くの体験にもどついている。夜、うまいビールを飲みたい。そのために、14時過ぎから水断ちをし、ちょっと走ったりもして、自分をじらすためにゆっくり風呂に入って、それでようやくビールにありつく。うはああぁぁぁ、これがいいんだよこれが!という展開。カタルシスがほしい。
不本意ながらも、お恥ずかしながら一兵卒おかでん、2018年シーズンのハタケは9月の訪問となった。
腹積もりとしては、2017年に画策して失敗した「羊蹄山と、樽前山の登山とハタケ仕事をセットにする」という企画の仕切り直しだ。今年こそ、羊蹄山に登っておきたい。北海道なんて、そうそう気安く来られる場所じゃない。ハタケにかこつけて、北海道にある日本百名山を早く登っておきたいと思っていた。
そう思っていた矢先・・・
2018年9月6日、北海道胆振地方を震央とする最大震度7の大地震が発生した。後に「平成30年北海道胆振東部地震」と呼ばれる地震だ。胆振地方というのは新千歳空港からほど近く、苫小牧と千歳の間あたりを指す。この地震の影響は甚大で、数十名の死者、倒壊した家屋多数、停電と土砂崩れが広範囲に渡って発生した。
もちろん、千歳にあるハタケも影響を受けたという。
余震の可能性もあるし、ハタケの現状がどうなっているのかわからないということで作業の開催が危ぶまれたが、ハタケ遠足そのものは「やる」ということになった。
ただし、ハタケ作業は初日に行うだけで、そこでは地震の後片付けになるのだという。そのあと、全員で知人のつて、ということで月形に行き、一泊し翌日も滞在するのだという。
月形?
よく知らない土地だったので調べてみたら、札幌と滝川の間の広大な土地だった。こんなところに行くのか!
観光客目線では、まず訪れる機会がない場所だ。こういう機会があってありがたいことだが、それにしても移動だけでも大変だ。千歳からだと、車で1時間半ほどかかる距離だ。こりゃぁ、今回の北海道は大移動になるな。
2018年09月15日 1日目
2018年9月15日。東京の日暮里駅から、京成スカイライナーに乗って成田空港を目指す。LCCのバニラエアに乗って新千歳空港を目指すからだ。
奮発して特急のチケットを買ったのは、朝早い便だったためにこれしか選択肢がなかったからだ。急行だの各駅停車だのに乗っていたら、飛行機に間に合わない。
急きょ予定が組み替えられた今回のハタケ遠足は、初日のうちに千歳のハタケを整理して、その日のうちに月形に移動する必要があった。そのため、ハタケ集合の時間が繰り上がっていて、必然的に早朝出発せざるをえなかった。
羽田空港から出発する仲間たちは、もう少しゆっくりとした朝を迎えられたと思う。ケチな僕は、LCCに乗るために早朝起床で、お高いスカイライナーに乗る。あれ?果たしてお得だったのだろうか。
なお、この地震によって、登山計画は完全にすっ飛んだ。札幌2泊+ニセコ1泊の予定だったけど、全てキャンセルを入れた。なぜなら、地震の影響で登山道がふさがってしまったからだ。羊蹄山も、樽前山も。「雨」ならば、ワンチャン晴れるかも?という淡い期待が持てるけれど、「地震による土砂崩れや倒木で通行止め」となればどうにもならない。
今回、ニセコでは「ニセコ昆布温泉」に泊まる予定だった。その名もズバリ、函館本線「昆布駅」近くにある宿を予約していて楽しみにしていたのだけれど、登山どころじゃなくなっちゃった。また次の機会を楽しみにしたい。
07:31
成田空港第三ターミナル、バニラエアのチェックインカウンター。
相変わらず第三ターミナルはひっきりなしにアナウンスが流れている。搭乗締め切り時刻に厳格なLCCは、やたらと脅すようにアナウンスを繰り返す。まったく気持ちが落ち着かないので、ゆったりとした旅を楽しみたい人はLCCは不向きだ。・・・当たり前か。
09:31
飛行機は北海道に差し掛かった。航路はちょうど地震があった胆振地方の上を通るので、災害の状況が気になる。
09:32
厚真、安平といった地震の被害が大きかったエリアを通るが、人口密集地帯ではないので上空からは状況がよくわからない。
・・・と思ったら、ああ!
前方の山が何やら不思議だ。ゴルフ場がやたらとあるな?と思って目を凝らしてみたら、ゴルフ場のコースではなく山のいたるところで土砂崩れが置きていた。
なんだこれは。見たことがない規模で、いたるところの山肌がずり落ちて土がむき出しになっていた。これはひどい。
09:38
飛行機は一旦北広島の方まで北上し、そこから360度方向転換をし、北から南に向けて新千歳空港に着陸していく。
なので、窓から景色を見ている人にとっては、今見えている場所がピンとこない。あとになって地図と見比べて、ああ、あそこがアレなのか、とわかる。
たとえばこの写真、うっすらとしか写っていないけれど、中央奥に特徴的な独立峰が見える。美しいシルエットなのと、山頂部分が溶岩ドームなのか一部尖っている。おそらくあれは恵庭岳だ。
いいなあ、北海道は非日常感あふれる山がいっぱいあって、登りたいなあ。
ちなみに飛行機の航路をリアルタイムで参照するwebサイトがある。「FlightRadar24」というサイトだ。
https://www.flightradar24.com/multiview/2865eee2
これを見ると、空の上にも鉄道線路のように定められたルートがあって、飛行機がその上を律儀に飛んでいることがよくわかる。世界中の飛行機が今どこを飛んでいるかリアルタイムでわかるので、かなり面白い。暇つぶしに最適だ。
特に圧巻なのが、夕方の羽田空港だ。日本全国の空港から飛んできた飛行機が、ギリギリまで間隔を詰めて、隊列を組んで次々と着陸していく。風向きによって着陸する向きが変わるけれど、伊豆大島から房総半島を経由して、木更津上空から羽田空港まで、飛行機がびっしりと並んでいる様子は圧巻だ。
09:37
そろそろ着陸。恵庭~千歳あたりの上空だと思う。
きれいに区画整理された、タイルのような畑が並ぶ。さすが北海道だ。
これが明治以降になるまでは、多くが未開拓で原生林のままだった、ということが到底考えられない。昔の屯田兵の人たちは、どれほど気の遠くなる思いで木を切り、石を取り除き、根っこを引っこ抜いてきたのだろう?
09:56
新千歳空港到着。
地震が起きて一週間ちょっと。まだ傷跡は生々しく残っていた。非常灯は傾き、建物の一部は歪み、ビニールで応急処置をしているような場所があちこちにあった。
新千歳空港といえば、ショッピングモールレベルか、それ以上の規模のお土産物店・飲食店街が楽しみの一つだけど、飲食店街は営業休止中だという。あらら。ライフラインがまだ復旧できておらず、物販はまだしも飲食店の営業は間に合っていないらしい。
11:08
レンタカーを借り、ハタケにやってきた。
今年のハタケは、いつもと違って殺風景だった。本来ならびっしりと農作物が植わっているはずの大地に、雑草が生えている。
本当は今年の春、例年通り種を蒔いていた。しかし、連作障害で植物の生育が非常に悪く、今年の収穫を諦めた経緯があるからだ。
このハタケで育てているのは、主に豆だ。大豆、花豆、小豆などを毎年育て、収穫されたものは東京のお店で調理され料理として提供されてきた。
これら植物は空気中の窒素を葉っぱから取り込んで地面に送り込む性質があり、荒れた土地を改良してくれる良い植物だ。しかし、毎年同じ科の植物を植え続けると土の性質が変化し、育ちが悪くなってしまう。これが連作障害と呼ばれるものだ。
豆科の植物が連作障害が起きやすい、ということは当然承知の上で計画を立てていたのだけれど、予想よりも早く連作障害が起きてしまったのだった。有機栽培を志していて、化学肥料を与えていなかったのも連作障害を早めた原因の一つかもしれない。このあたりは僕はよくわからない。
連作障害だとわかれば、「せめて少しでも収穫できれば・・・」などと未練がましいことはいわずに、大胆に全部更地に戻して土地を休ませる。そういう作業を既に夏前に済ませていた。なので今、ご覧の通り雑草だけの大地になっている。
輪作にすればいいじゃないか、と思う。せっかくのハタケなんだし、別のものを育てれば、と。でも、あくまでも本業は東京のカフェであって、農家ではない。お店で使いもしない植物を育てても販路の確保が難しいし、新たなる野菜の維持管理で人手がかかる。
このハタケは基本的に無人で、時折東京から人がやってきて作業をするというスタイルになっている。なので、「土地がもったいないから」という理由だけで新たな植物を植えるというわけにはいかない。
防風林を越えて、もう一つのハタケを見に行く。D型倉庫があるエリアで、ここも何も植えられていなかった。
ここからは見えていないけれど、D型倉庫の奥に、ちょっとだけ花豆が植えてあった。
経年劣化でボロボロなD型倉庫は、「よくぞ地震に耐えたものだ」と感心させられる。しかしなにやら形が以前と変わった気がする。
そして、開口部の中央にぶらーんとぶら下がっていた鉄骨が姿を消していた。
以前はこのD型倉庫、ちゃんと「つっかえ棒」となる鉄骨がアーチの頂上と地面とをつないでいた。しかし長年の風雪で鉄骨の地面部分がサビて消失。ぶらぶらとぶら下がっているだけのアクセサリーになっていた。この鉄骨がいずれ落下するのは時間の問題、と思われていたが、今回の地震でそれが現実のものとなった。
(つづく)
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