遍路はつづくよどこまでも【倉敷八十八カ所礼状巡り】

現在地点の確認のため、地図を参照しつつ読み進むと一層味わい深くなります。

○さらに進めば林を抜けて民家あり 最後の下り坂降りた広い舗装の所

繁多寺から道を進むと、林の終わりが見えてきた。コンクリートの駐車場が前方に見える。これで遂に山岳ステージ、終わりだな。

ガイド本にも「最後の下り坂」という表現が使われている。ごっつあんです。

その下り坂を下りたすぐ左手の茂みに、ひっそりと目指す石手寺はある。

[51番札所:石手寺] 15:53

いや、「ひっそりと」じゃないな。いざ正面に向き合ってみると結構堂々としたたたずまいをしていらっしゃる。これを「ひっそり」と形容したら、今まで山岳ステージ中にあったあのお堂たちは一体何なんだ。

石堂脇にはなぜか高名なお坊さんとおぼしき石像が野ざらしになっていた。この方は誰ですか。どうしてここにいらっしゃるんですか。石手寺と何か縁がある方ですか。

謎だ。

石堂の中には、本尊の薬師如来と弘法大師が仲良く並んでいる。だから、この「野ざらし僧」は弘法大師ではないと思われるが・・・。

とりあえず、失礼の無いように「南無大師遍上金剛」と唱えておく。

住宅地の中を歩く

いやー、民家の中を歩いてるよぉ。

なんだかうれしくなってくる。

いや、普通だったら「山の中を歩いている方が癒されて気持ち良い」んだろうけど、今は違う。山歩きを否定する気はないし、楽しかった。でも、山岳ステージが終わって、いよいよ最終ステージに入ろうとしている気配むんむんなこの住宅を見ていると楽しくなってくる。

見知らぬ町を散歩する気持ちで、歩く。

○そこから遊園地のそばを通って天城街道へ出る。歩道を船倉方面に向かってセンバモータース過ぎる。右手へ入る道行かずそのまま渡り、歩道沿いの右手一段高いところ(まわりは墓地)

なんだか難しい指令が出てきたぞ。

とりあえず遊園地なるものを探すと、あったあった、「名田遊園」という札がさがっている・・・公園が。

まあ、「遊ぶ園の地」、というわけだから間違ってはいないな。別にジェットコースターや観覧車が無いと遊園地とは呼べない、なんていう法律はどこにもない。

それにしても見よ!広々とした砂場、斜面を2面備えたツインすべり台。さすが遊園地を名乗るだけあるぜ。惚れたぜ。

といいつつ素通り。

天城街道に出る。

天城、と聞くと関東東海の人間は伊豆半島を思い出してしまうが、この地・倉敷にも天城はある。

おー、車がばんばん走ってるよぉー。

ちょっと感動した。

この遍路を始めてから、車が頻繁に通る道を歩いたことは無かったからだ。

どんどん俗っぽくなってきたぞ。それは、ゴールが近づいてきた証でもある。最後の札所である80番新町大師堂(国分寺)はJR倉敷駅から近いところにある。つまり、街並みが栄えれば栄えるほど、ゴールは近づいているということだ。

ガイド本の長い指令だと、「右手へ入る道・・・行かず」など、フェイントかましてくれているわけで、とにかく道を間違えないように進む。

といっても、結局は天城街道を真っ直ぐ進むだけなのだが。

だが、石堂はちょっとマニアックなところにありましたぞ。

「まわりは墓地」というガイダンスがあったから気付いた。一段高くなったところに、墓石に紛れて札所発見。

[53番札所:円光寺] 16:02

お墓に紛れるように円光寺。個人のお墓の方が立派でデカい。

特にこの円光寺はこじんまりしていて、コンクリートブロックの上にちょこんと乗せました、という感じ。紫色の垂れ幕も小さい。中の本尊を拝むために下からのぞき込まないといけない。

○そのまま北へ旧火葬場への上がり道登って、30m左のガレージの裏

いや、そう言われましても、「旧火葬場」というのを知らないんですが。この山に火葬場があったということを今知ったばかりでして。

ええーと、地図を便りに行くと、福森石材のところで右に曲がるんだな、と。

ぐいん。

んー。ここであっているのかしらん。

指示通り30mほど進んだところ。ええーと、札所らしきものは見あたらないな。そもそも「ガレージ」って何を指しているのだろう。

遂に札所をロストしてしまい、あたりをうろうろしてしまう。

ガレージと呼べるものは、この目の前の錆びた建物だけど・・・。

あ!

ガレージの左脇の茂みに、白いのぼり旗が立っているのが見えた!あれか!

写真だと識別しづらいが、実際ナマの目でも非常に識別しづらい。

えええ、あんなところに札所ですかい。

どうやって行くのよ、おい。ヒトんち不法侵入するんかい。

微妙な細道

おーう、よく見るとガレージ入り口すぐ脇に、微妙な細道があることが判明。この道を使ってあそこに行けというわけだな。

ガレージの壁に沿うようにして侵入。

人の庭に勝手に入り込んだような悪い気持ちになる。札所があるんだし、巡礼しているわけだからまさか不法侵入というわけではないと思うが。

よくぞこんなところに、という場所に札所三連発。せっかく地主の許可が下りたんだ、一度に3つ作っちゃおうぜぇ、という「調子に乗ってしまいました」感を感じる。いや、考えすぎっすけど。

[54番札所:延命寺] 16:10
[55番札所:大通智勝仏(南光坊)] 16:13
[56番札所:泰山寺] 16:16

一つの札所をお詣りしたら、すぐに2歩ほど左にずれて、次の札所にお詣り。それがすむとまた二歩ほどずれて次の札所。産業革命時代の工場生産はかくありなん、といわんばかりのベルトコンベア型巡礼だ。

こうやって三つ並べて見ると、似ているようで屋根のデザインが違うことに気付いた。建立された時代が違い、その時の「トレンド」を取り入れたからだろうか?それとも、寄進した人の趣味が反映された?不思議だ。

現在地点の確認のため、地図を参照しつつ読み進むと一層味わい深くなります。

泰山寺から坂を下り、公道に復帰する。復帰する途中、工場のようなところの敷地内を通る。工場の人にとがめられないかちょっとびくびくするチキン野郎。

○小町トンネル下の信号渡る。そこから山(トンネルの上)へ上がる道20m登って左側入る 地蔵院墓地管理所の奥、がけの下の大きな堂

なんかまたややこしい指示が来たぞ。

まずはいったん天城街道に復帰し、小町トンネルに通じる道を横断する。

小町トンネル方向を見やる。あの山の中を今日は歩き回っていたのか・・・。と感慨深い。

小町トンネルへの道の側道、といった位置づけの道に入る。こちらはトンネルで山にそのまま突撃するわけではないので、山の斜面に沿ってぐいぐい登っていく。

多分この道であってると思うんだがな。

「地蔵院墓地管理所の奥」ということだったので、管理所を探す。

しかし、見つからない。

どうやらロストしたっぽいなー、と思い、ふと脇の墓地を振り返ると、石だらけの墓地に不釣り合いな木造建築が目に入った。中にはお地蔵さんのようなものが見える。

まさかあれが札所なわけは・・・と思ったが、あれれ、よーく見るといつも見かける紫の垂れ幕がさがっている。あれか!

管理所、どこだったんだよ。行き過ぎたよ。

どうやらこれが管理所だったらしい。

物置じゃん。

手桶やバケツが並んでいる。

そうかぁ、これが管理所かぁ。見逃すわけだ。妙に感心する。

[10番奥の院:切幡寺] 16:27

他の札所と比べてゴージャスな、ゆったりとした造り。

コンクリートの壁に半分埋まるような形でお堂が建てられている。

面白いのは、弘法大師像正面なんぞのお墓には「南無阿弥陀仏」と書かれていることだ。ここは浄土真宗のお墓なのだろうか、それとも宗派問わずのお墓なのだろうか。

[57番札所:八幡寺] 16:32

○その真上に見える石堂 墓地の中を左から一度折れて上がる

なにやらややこしそうなルートだが、切幡寺の崖上にその石堂が見えているので道に迷うことなし。丘を一段あがり、八幡寺へ。

八幡寺から「管理所」を見下ろす。

ただのゴミ集積所に見える。

建物の入り口には「ゴミは各自持ち帰る用お願いいたします」とわざわざ書いてあるんだけど、ゴミを捨てていく不届きものがいるんだな。

やっぱ、下からみても上からみてもこれは「管理所」に見えないっすわ。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14

コメント

コメントする

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください