11:46
剣山登山リフトの終点、西島に到着。
標高1,750メートル。
リフトの運転時間は、朝が8時から、最後が17時45分。こんな山深いところなのに、案外遅くまでやっている。日没近くまでこのあたりの山を散策することだってできる。
ただし、忘れちゃいけない、ここがすごい場所だということを。
17時45分の最終リフトで下山したら、見の越に到着するのは18時。そこで旅はゴールじゃない。狭くて暗い、街灯なんてない山道をウネウネと走って宿なり家がある場所まで下りていかないといかない。
日帰りで登山を考えるなら、どこを起点するにしても、遅くとも15時くらいには下山をしておきたいところだ。
まあ、登山するならスゲー当たり前の話なんだけど。どの山域であっても「下山予定が18時です」なんていう登山計画書があったら、「お前ちょっとこっちに来い。考え直せ」と説教されて仕方がない。
夏の山だと、日没が遅いかわりに夕立ちや雷が多くなる。のんびりと日が暮れるのを山の上で眺めてるというのは、得策じゃあない。
それはともかく、なんなの「西島」って。
もうちょっとリフトを伸ばす予定はなかったのかね、と開発業者さんに聞きたくなるほど、特に何もない。
いや、正確に言うと、「西島キャンプ場」というのがこの近くにある、と地図には書いてある。でもそのキャンプ場目当てでここにリフトを作ったわけではあるまい。
ここがすっかり、平地になっているとか、尾根のてっぺんとか、山として一区切りついた場所なんだと思っていた。しかし、目の前に広がる光景は、「さあ、これから登ってもらいまっせぇ!」という傾斜。
やってくれるじゃねぇかこの野郎。そうこなくっちゃ、登山とはいえねぇぜ。ああ、登ってやるとも。ここまで楽をさせてもらったんだからな。
といいつつも、若干冴えない顔をしているおかでん。
「リフトを降りたら、もうそこは山頂が目前に見える」くらいの甘い考えだったからだ。
なにせ、登山地図を見ると、本当に目と鼻の先っぽく見える。でも実際は、そこまで甘くはなかった。当たり前だ。
でも許してくだせぇ、ちゃんと真面目に登る気はあるんです。みてくださいこの格好。半袖短パンではあるけれど、全身登山用のウェアで固めてます。速乾性や防臭抗菌に心がけております、はい。
昔のように、「全身ユニクロで登ってもへーきへーき」と言ってられないんですよ。やっぱり、たとえお金がかかっても、登山用に開発されたウェアを着てしまうとユニクロには戻れないんすよ。
こうやって人間ってダメになっていくんだな、と思う。
なお、下に履いている短パンはネット通販で買ったのだけど、どうも履き心地が独特だ。裏側がメッシュ地になっていて、どうも違和感がある。改めて、この商品名を見ると「キャニオンショーツ」と書いてあった。ああ、沢登りなど、水に濡れる時に使う短パンだったのか。水着みたいなものだ。道理で、違和感があるわけだ。濡れない場所で履いていると、若干モッサリ感を伴う。
教訓:便利だからといって、通販で安易にものを買ってはいけない。
まるで小学生みたいなレベルのことを、今更書き留めておく。
11:52
リフト駅から見上げたら、急斜面の直登が待ち構えているかのような山容だった。
でも、実際はちょこっと登ったあとは、ごらんのような歩きやすい道に。なんだこの楽ちんな道は。「国道」と名前を付けても良いのではないか、というくらいよく整備されているではないか!
11:53
そんな「オレ的国道」を歩いて行くと、ちょっとした尾根に出た。
西島から先山頂までは、高い身長の木々があまり多くない。さすが標高が2,000メートル近い山だけあって、植物としては生きていくのがしんどいらしい。
とはいっても、森林限界からはほど遠いので、笹が生えていたり、木々が生えていたり、まだら模様だ。
※ここで「木々」と書いて、何の木なのか具体的に名前を書けないところが、おかでんのクソダサいところだ。
笹が茂る中の石段。
晴れていればさぞや気持ち良い登山なのだろうが、それならそれで暑くてやっていられないかもしれない。これだと、太陽を遮るものが何もない。帽子とサングラスは欲しい。
11:58
登山開始から11分で、「刀掛の松」という場所にやってきた。
松の倒木がどーん、と横倒しになっている。
ここは、十字架のイエスキリストを刺して処刑したという「ロンギヌスの槍」が置かれた場所。
・・・待て、それはおかしい、先ほど見た記事だと、十字架の人物は替え玉で、本物は逃げてここまでやってきたはずだ。ロンギヌスの槍があることは矛盾する。
ではここは一体!?
解説によると、源平合戦で屋島の戦いに敗れた平家が、安徳天皇を連れてここに逃げたのだという。そして、源氏討伐のための願掛けのため、この山に宝剣を奉納したのが「剣山」という名前の由来だとかなんとか。
さらに、その宝剣をずっと持っていて汗だくだった従者を哀れんだ安徳天皇が、その剣を松に立てかけて汗をふくように、と声を掛けたという話があり、それがここ、「刀掛の松」なんだと。
源平合戦は屋島からそのまま壇ノ浦に合戦の場を移したのだと思っていたけど、こんなところまでやってくる余裕があったのか?で、また海上に戻って、船で戦った?えらく行ったり来たりしているのだな。
安徳天皇って、壇ノ浦の合戦の際に入水自殺した非業の天皇だよな?確か6歳で崩御されたはずだけど、「刀が重いだろうから下ろして汗を拭き給え」と侍従に気遣いができるほどの人格者だったのか。それは驚きだ。僕が6歳のころなんて、うんこちんこしっこ、という言葉で大爆笑していただけのクソガキだったのに、大違いだ。
ちなみに、宝剣ってことは天皇継承の象徴である三種の神器の一つのことだよな?そんな大事なものを松に立てかけちゃっていいのかな。というか、むき出しで持ち歩いていたのか?
いろいろ不思議だ。この山には、不思議な伝説がいっぱいあって楽しい。「嘘っぱちだ!」なんて一刀両断しないで、むしろ「なんでだろうね?」と首をひねったほうが、いいに決まってる。
ちなみに、壇ノ浦の合戦で宝剣そのものは本当に紛失してしまい、それ以降の朝廷は替わりとなる刀を「二代目・宝剣」として伝承していったというのは史実らしい。
(つづく)
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