
13:46
このすぐ近くに、「苗木城」という場所がある。山城好きなばばろあなら、「是非行きたい!」と言いそうなものだが、何やらそっけない。聞くと、行ったことがあるし、結構時間がかかるので見て回るには難しいんじゃないか、ということだった。
まあそうはいっても代案がないし、見過ごすにしてはあまりに現在地から近場なので、サクッと立ち寄ることにした。時間があるようで、案外時間は残されていないし。

駐車場に車を停めて、歩いて行く。

道中、展望台があるということなのでルートから少しだけはずれ、なんの気なしにそこからの景色を見たら・・・

ええ?なんだありゃ。
目の前に見えたのは、岩山の上に立っているやぐらだった。あれが、苗木城。
山城、というのは世の中たくさんあったのだろうけど、ここまで清々しく岩のてっぺんに建っているはどれだけあったのだろう?まさにサル山のような場所に、お城がある。
お城、といっても、我々が想像するような天守閣ではない。なんだか、ジャングルジムのように木が組んであるだけの建物だ。いや、建物?屋根もない。そこまでは復元していないらしい。
いずれにせよ、凄い場所にあるお城だ。
やりやがった、ばばろあめ!
こんなエキサイティングな城であることを内緒にしておいて、僕らをびっくりさせたな!いい演出だ。あらかじめ「苗木城は凄いぞ、場所がとにかく驚くぞ」なんて聞かされていたら、今このような興奮は感じなかっただろう。

「苗木城跡は断崖の地にあり、急な斜面に守られた城でした」と書いてある。
そしてその脇に、昔のお城の復元図。
まるで写真のような図で、一瞬こういう建物が実際に建っているのかと思ってしまう。
「よく作ったな、でも実際にこんな建物はないぞ?」
しぶちょおが実際の景色と見比べて言う。

マップを参照。「戦国アスレチック」だってさ。なんだよ戦国アスレチックって。つくづくすごい城だな。

石垣の脇を歩いて行く。

石垣。時折、石垣評論家でもあるばばろあの解説を聞きながら。

このあたり一帯が既にお城の中。

大門跡の表示。単なる物見やぐら的な位置づけではなく、れっきとしたお城だったのだろう。

興奮していろいろ写真を撮っているけど、説明は割愛。





ポコーンと周囲から突き出た山のてっぺんを目指しているので、当然坂道を歩く歩く。お年寄りはしんどいと思うので、足腰がしっかりしているうちにぜひどうぞ。
「エレベーターがないのはけしからん!」とか言うなよ?無理だから。



それにしてもこんな山の上に、よく作ったもんだなあ。
見てよこの石垣。執念だな、下から石を運び上げるだけでも大変だ。
「昔の人は偉かった」と過去形で語っておしまい、というわけにはいかない。もしこれが風雨で劣化して、補修しなくちゃいけないとなると、今度は現代人が大変なことになる。
車なんて入れない場所だから、石とかの資材を全部下から運び上げなくちゃ。どうするんだよ、それ。ヘリコプターで石を運ぶなんて、お金がかかりすぎるから大変だし。

眼下を見下ろす


天守閣直下。


山のてっぺんからの眺め。
木曽川に二本の橋が渡っている。おそらく手前の橋が、北恵那鉄道の廃線なのだろう。

14:01
最後の登り。
駐車場からだいたい15分といったところ。


てっぺん。
天守閣再現!とはいかず、展望台のような作りになっている。

この天守は、昔は三層からなっていたらしい。

岩の上に乗っかってるぞ、オイ。
岩に穴をあけて、そこに柱を差し込んでいるというわけではない。本当に、「乗っかっている」だけだ。うっかりズレて、天守が崖下に落ちるんじゃないか?と心配になるような作りだけど、案外頑丈らしい。
今の建築基準法?の範囲内でもこういう建物を再現できているのだから、安全には間違いあるまい。へええええ。

天守からの眺め、東側。

床下には、岩。

天守からの眺め、西側。

天守からおりていく。
見よ、この開放感。
天気が悪いと、こりゃ天守から一歩も外に出られないな。
いや、そもそも天守には常時人が住んでいたわけではないだろう。物見櫓的に使われていたのだと思う。

天守を支える岩。

かろうじて乗ってる。半分は宙に浮いてるぞ、おい。

さすがに岩だけでは不安定なので、人工的な石垣で補強がしてある。
本当に手間暇がかかっている。昔の棟梁は、殿様から「あそこのてっぺんに城を作れ」と言われたとき、困っただろうな。

馬洗岩、というのが天守の直下にあった。

これ。なんで?というネーミング。
かつて城攻めにあって、水脈を断ち切られた際にここに馬を立て、コメで馬の体を洗う姿を敵兵に見せつけたのだという。遠方から見ると、豊富な水で馬を洗ってる!なんと!水断ちが失敗してるぞ!と見えたらしい。
・・・ほんとかな?
(つづく)
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