
09:40
身支度をしてホテルを出発。児島方面を目指す。
倉敷美観地区とは全く生活圏ではかぶらないけど、児島もれっきとした倉敷市だ。JR瀬戸大橋線が走っていることもあり、どちらかというと児島の人は岡山市の方にシンパシーがあると思うけども。
車の前方に、児島駅行きのバスが走っている。デニムのケツがずっとこちらを誘惑しているのが悩ましい。しかし、多分これ男のケツだな。セクシーさはないので、ここで「うおおお」と叫びながら突撃してはいかん。本当に「おかまを掘る」ことになってしまう。
実際に児島の中心部をジーンズバスという名のバスが巡回していて、児島エリアに点在するジーンズ工房の有名どころをハシゴすることができるらしい。そして、そのバス自体も、外装がごらんのとおりのデニム絵だし、社内にもデニムがぶら下がっていたり座席がデニム職人の手によるものだったりするとのこと。へー。

10:11
「倉敷」といえば、全国区の知名度としては圧倒的に「観光の町」だと思う。しかし実際はかなりガチな工業地帯だ。臨海部である水島地区には、日本有数の石油化学コンビナートがある。
この市の財政がどうなっているのか調べたことはないのだけど、美観地区の観光で儲けつつ、ガッツリと水島のコンビナートでも稼ぎ、そして児島にいるジーンズや帆布の職人という「キラリと光る技」もある。これで農業も強ければ1次産業から3次産業まで総なめにしてしまう自治体だ。
車は県道393号線を走る。
昔は「鷲羽山スカイライン」と呼ばれた有料道路だったけど、1990年代に無料開放され、今に至る。山の上を走る道なので、気持ちの良いドライブができる。・・・のだけど、無料化になったあおりなのか、展望が思った以上によくない。
展望台として車が駐車できる場所が少ないし、木々が茂っていて走りながら景色を楽しむ、というのはあまり期待できない。運転する人は楽しいひとときだけど、助手席の人はいまいち盛り上がれないかもしれない。

10:13
とはいえ、展望台がないわけではないので、そこに車を停めて眼下の水島コンビナートを見下ろす。
かなりの迫力。
「倉敷市なんだから、全部なまこ壁で瓦屋根にしなさい」なんて言われない、無骨なまでに油であり、鉄であり、そして埋め立て地だ。
そもそも新田開発で、美観地区のあたりからどんどん浅瀬を埋め立てていき田んぼを作っていったのが江戸時代。それが昭和になって、究極的にはこんな石油化学コンビナートを作っちゃった。江戸時代の倉敷の商人や農家はびっくりだ。こんな倉敷を誰が予想できただろうか。

もうね、わちゃーっとしていて訳がわからないです。
「ほらごらん、あれが●●で、こっちがあの▲▲で有名な企業の××で」
なんて説明が出来るほど、わかりやすく区分けされていない。
ざっくり言うと、手前がJXと三菱ケミカル、その奥がJFEスチール。さらに奥はかすんでほとんど見えないけど、高梁川を挟んだ玉島地区に中国電力の火力発電所などがある。
それから、三菱自動車の工場があるのだけど、ええと、どこだろう。もう、わけがわからない。
ちなみに僕は2017年夏、JFEスチールの工場見学をさせてもらったが、いやあすごい迫力だ。キングオブ工場、と断言していい。ひっきりなしに材料を運ぶ鉄道が場内を行き来しているのもワクワクさせられるし、真っ赤な鉄が数十メートル先を通過するだけで、周りの気温が一気に上がるのがわかる。
工場見学が好きな人は、「食品工場に行けばお土産が貰える♪」なんて言ってないで、とっとと製鉄所に行け。いいか、ガチだぞこの世界は。五感に訴えかけるぞ。

10:23
しばらく先に進むと、今度は山を挟んで水島とは逆方面、児島の市街地が見下ろせる場所があった。
案外児島は大きい。
児島の遙か沖に、三角形のピラミッド型をした島影がうっすらと見えている。大槌島(おおづちじま)という。あそこが香川県と岡山県の県境であり、香川県がかなり瀬戸内海では「制空権」ならぬ「制海権」を握っていることがわかる。
言い伝えでは、岡山と香川で県境を決める際、海に樽を流してたどり着いたところを県境にする、ということにしたのだという。そうすると潮の流れで大槌島に流れ着いてしまい、不平等な県境になったという。もちろんこれは伝説であって本当の話ではないはずだけど、それくらい香川県さんは岡山県に近づいている。
同じことは広島県と愛媛県にも言えて、「えっ、ここって広島県じゃないんスか?」みたいな島までが愛媛県だったりする(大三島など)。四国は本当に油断がならない。

10:33
山を下り、海沿いを目指す。児島のジーンズを見て回る前に、瀬戸大橋のたもとにある「下津井漁港」に立ち寄るつもりだからだ。
正面に瀬戸大橋が見える。
道路脇の看板に、「波切不動教会」と書かれた案内看板が出ていた。なんだそれ。
「不動」というからには、お不動さんなのだろうから仏教だ。なのに「教会」というキリスト教が絡んでくるとはびっくり。これぞリアル神仏習合だ。西洋と東洋の融合だ。
珍しいものを見た!と喜んでいたのだけど、後で調べてみたらこれはキリスト教とは全く関係のない仏教施設だった。あー、そうでしたか。
弘法大師が唐から帰国する際、嵐に巻き込まれ、その際に不動明王が現れて波を鎮めてくれた逸話があるそうだ。同じ名前の施設が、豊橋や京都にもあるらしい。

10:36
海沿いに出る。巨大な瀬戸大橋を正面に眺めつつ、下津井を目指す。

10:40
下津井は現役の漁港として今でも漁業が盛んだ。地図を見ればわかるが、かなり大きな漁港を有している。
「瀬戸内海=波が穏やかで、チョロい海」という印象があるかもしれないが、場所によっては潮の満ち引きがとても大きく、そのため海流が早いところが多い。また、瀬戸大橋界隈は島がいくつもあって美しい眺めだけど、その分海中には暗礁が潜んでいることもあり、昔の船乗りにとっては難所とも言える場所だった。
対岸の香川県には、「金比羅さん」がある。森の石松がお参りに行ったことでもおなじみの神社だ。その金比羅さんに行く前に、旅人は児島の背後にある山、由加山にお詣りして、道中の安全を願ったという。それくらい覚悟が必要だった場所だ。
何が言いたいのかというと、そういう海から獲れる魚介は美味い、ということだ。
瀬戸内海は全体的にタコがよく獲れるのだが、下津井のタコは特に美味いという。早い潮流に流されないように、吸盤でギューッと海底や岩にへばりついているので、「短足で、身が詰まっている」のだという。
タコの味の評価は僕はできないけど、絶品なのはなんといっても下津井のサワラだ。「鰆」と書いてサワラと読む。岡山県を代表する魚だ。歯が鋭く人相が悪い生き物だけど、味は相当にいい。
一般的には西京焼きまたは塩焼きにして食べる。というのも、生のままでは身が柔らかく、遠方への流通が難しいからだ。しかし、絶品なのはまさに刺身で、脂がのっているサワラの刺身は、寒ブリに匹敵するかそれ以上の美味さがある。
サワラの刺身はなかなか食べられないので、もし飲食店でこのメニューを見かけたら、是非食べてみて欲しい。ただし、鮮度がよいものに限る。鮮度が落ちると残念な味になる。
「魚へんに春」と書くので、春が旬だと勘違いしやすいけど、旬は冬だ。春は産卵期で、むしろ味が落ちる。冬に岡山界隈を旅行をする予定がある人は忘れなく食べるように。

10:42
車を下津井集落の端っこにある駐車場に停め、そこから歩く。
「むかし下津井回船問屋」ののぼりが見える。今回のお目当ては、これ。その名の通り、江戸時代の廻船問屋の建物が一般公開されているという。
これまでも近くを通りがかったことはあったけど、この問屋に入ったことはない。海沿いの県道から一本入った旧道に問屋はあり、その旧道がかなり狭い道だからだ。途中で諦めたこともある。

10:43
回船問屋の外壁。美観地区と同じなまこ壁。修復が加えられていて、きれいだ。
美観地区には、結構汚れたなまこ壁と白壁の家もある。「もったいない。ケルヒャーを使って高圧洗浄すれば一気に綺麗になるだろうに」と思うが、多分ケルヒャーを使ったら、壁が壊れると思う。

広島県福山市にある「鞆の浦」も回船問屋があって港町として栄えた場所だけど、そこまでの風情はここにはない。しかし、立派な回船問屋が一軒、現存している。
昔は漁業、北前船の寄港地、そして金比羅さんに向かう渡し船の発着点として賑わったのだろう。

これが「むかし下津井回船問屋」。
この道路沿いは町並み保存地区に指定されていて、比較的古い町並みが残されている。
玄関脇には木の格子がびっしり。これは、「外からは中が見えないけど、中からは外が見える」というレースのカーテンのような役割を果たしていた。

入館料は無料だった。100円くらいお金をとってもいいのに、もったいない。
中に入ると、往年の店の様子などがわかる。

建物内の様子。
広々としているけど、たとえば手前の部屋は四畳半。一部屋一部屋は思ったより広くはない。
あと、もう見るからに冬は寒い。今は夏なので涼しいけど、これは冬どうするの、という建物だ。だって、石油ストーブもなければ床暖房だってない。囲炉裏があるわけでもないので、せいぜい炭で暖を取るくらいしかできない。
絶対、昔の人の方が寒さ耐性があったと思う。でないと、今の時代に至る前に人類滅亡だ。

あと、昔の人はたくましかったんだなー、とつくづく思うのが、この階段。
階段の下を有効活用するために、箪笥になっているというのがいかにも日本人の発想なのだが、それはさておきこの階段の急なことよ。そして当たり前だけど手すりなんてついていない。
そういえば僕の祖父母の家も、古い家なのでこういう急階段があったな、と思い出した。二本足で上り下りをするんじゃない。両手も使って四本足で登る。そして二階との境目のところには引き戸があって、階段を使わないときはガラガラピシャン、と階段を封鎖することができた。僕は幼いころ、その家を訪れるたびに二階が怖かったものだ。何か不気味な気がして。

違い棚や床の間、掛け軸などを鑑賞。

台所。
こうやって見ると、煮炊きが出来ると言っても非常に限定的なのだな、ということがわかる。二つあるかまどの口のうち一つは、ご飯炊き専用になっている。なので、あとは煮物を一品、もう一つの口で作る程度だ。鍋釜をとっかえひっかえ、あれこれ調理をするには向かない。
流しだって、当たり前だけど昔は水道なんてないわけで、いちいち洗い物をするために井戸から水を汲んでこないといけない。食器洗いなんて、大変だったと思う。
もっとも、昔は「食器の油汚れ」があまりなかったはずなので、そこまで食器は汚れなかったのかもしれない。

下津井の町並みを見ながら、駐車場に退却。
(つづく)
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