世界も、日本も、そして我が家もゲームチェンジャーとして新型コロナウイルスが登場して恐怖のどん底に陥れた2020年春。
いしはアフリカ赴任を断念せざるを得ず、新しい職に就いていた。
そして訪れたご懐妊のお知らせ。
僕にとってはとてもうれしいことだった。でも、これにてアフリカの夢が(少なくとも当分の間は)断たれてしまったいしの心境を思うと、あんまり喜んでもいられないような、微妙な気分だった。
とはいえ、「このコロナ情勢じゃ、アフリカは無理だね」「そうだね」という会話をした翌月に妊娠が判明、というのは確信的ではある。なにせいしの基礎体温は常に僕も把握していたので。
春先まで夜勤シフトがある仕事をしていたいしだったが、4月から働き始めた職場はデスクワークの日勤だった。本人は「生活リズムが整ったおかげで、体調(生理周期)も整った」と言っていた。
妊娠がわかってからしばらくの間は、親に言わないことにしていた。しばらくの間は母胎に非がなくても自然流産の可能性があるので、両親に妊娠を伝えるのは時期尚早だと思ったからだ。
でも、いしが産婦人科で妊娠の確定診断を受けたあと、二人でちょっとしたお祝いをしよう、と近所の寿司屋に行った際、寿司屋の対象に「私、今日妊娠が分かったんです」と自慢し始めた。おいちょっと待て、両家の親より先に、初対面の寿司屋の対象にしゃべっちゃうのか。
「いいんです、面識がない人だったら」
まあ、そうだけど。
妊娠の事実は8月中に両家に電話で伝えられ、たいそう喜ばれた。
おかでん家の場合、電話に出た母親に「大事な話があるのでお父さんに代わってほしい」と伝えたところ、「お父さん?何?ひょっとして子供ができたの?そうなの!?やった!ばんざい!」と勝手に察し、前のめり気味に喜ばれた。
「ばんざい」と言って喜ばれるなんて、めったにないことなのでびっくりした。そしてこちらも嬉しかった。
ただ、「お盆に帰省できなかったし、改めて対面で妊娠のご報告のために帰省を」という提案に対しては、「まだ駄目だ」という判断だった。
2020年9月、この時点で東京モンというのは地方の人からするとゾンビが徘徊している場所だと思われていた。まだおかでん家およびその周辺エリアにおいては、東京モンが家の敷居をまたぐということに対しては人様の目が気になって、できなかったようだ。
一方で、静岡のいし家は受け入れてもらえた。静岡は比較的東京から近いということもあって、東京モンだからといって危険極まりない保菌者と一律でみなすほどの風土ではなかった。
とはいえ、いし家には老人や子どもを相手にする職業に就いている家族がいる。いし家に泊まって一家団欒、というのはさすがに無理だった。泊まるどころか、家の中での滞在もNG。
なにせ、ワクチンなんて全くない時代だったし、PCR検査センターもなかった時代だ。旅行に出る前にPCR検査や抗原定性検査を受けて陰性を証明する手段がない。
じゃあ、ということで、僕らは静岡市内に一泊し、赤ちゃんを授かったことを墓参してご先祖様に伝えることにした。お墓に向かうついでにいし家に顔を出し、仏壇にもご挨拶し、そこでちょこっと家族と立ち話程度、という腹積もりだ。
僕らは急いでいた。
なにせ2020年7月から、緊急事態宣言でダメージを受けた観光業の振興策として「GoToトラベル」事業が展開されていた。旅行金額の最大半額を国が助成するという、頭がおかしいとしか思えないハイパーお得施策で、人は他人の目を気にしつつも、じわじわと旅行に繰り出していた。東京都民は保菌しているゾンビ野郎扱いだったため、この恩恵を受けることができたのは10月に入ってからだった。
また、飲食店新興として「GoToイート」(25%割引)が9月下旬から開始されることになっていて、このままいけば秋に感染者が増えるだろうなーというのが素人でも予想できた。だってみんな浮足立ってるんだから。割引!うおおおお、みたいな感じ。そしてお店や宿の側も「客に来てほしい!うおおお!」となっているので、こりゃあもう感染者が増えないわけがない。
なので、人流が本格化する前に、人目を忍んでこっそり帰省する必要があった。ならば9月しかあるまい、ということで静岡に帰省した。
2020年09月05日(土) 1日目

いやー、静岡は近い。都心に向けて通勤するにはちょっと遠いけど、普段岡山だの広島だの、中国地方に帰省している立場からするとめっちゃ近いわー。東京駅から新幹線「ひかり」でほぼ1時間。
静岡って新幹線の便数が多いかと思ったが、案外そうでもない。1時間あたり、ひかりが1本、こだまが2本というのが基本的なダイヤになっている。ひかりだと1時間で移動できるが、こだまになると1時間半もかかってしまう。途中の駅でビュンビュンとのぞみ号を通過させるため、駅の停車時間がとても長いからだ。なので、実質的に東京~静岡の移動は1時間に1本のひかり号、ということになる。
静岡駅は改札を出たところに立派な商業施設がある。買い物や食事には困らない。
のぞみ号ばっかり乗っている身としては、静岡という第二の故郷ができるとちょっと新鮮だ。なにせ、「いつも素通りしかしていない場所」であり、おみやげ物一つとっても珍しい。
いしが「これは美味しい」などとあれこれ力説するお菓子を見ても、全部「へえ、そんなのがあるんだ」としか言いようがない。「えっ、『こっこ』を知らないの?」と絶句されたくらいだ。いやー、静岡土産って、うなぎパイとバリ勝男クンのイメージだなぁ。甘いものは詳しくない。
「『ひよこ』みたいなお菓子?」
と聞いてみたが、全然違う、という。名前が似ているから「ひよこ」を想像したんだけど、あまりにナンセンスすぎる発想だったようで呆れられた。
どちらかというと、「萩の月」の系統に属するお菓子っぽい。

「へー、そんな銘菓が静岡にはあるのか」
と単純に静岡について学んでいきたいのだけど、店頭には「ガンダム40周年記念こっこ」が売られているのでややこしい。
「ええと、これは袋を開けるとガンダムの形をした『こっこ』が出てくるのだろうか?」
「たぶん形はふつうと一緒だと思う」
「えっ、じゃあこのロゴいり包装だけガンダム仕様なの?」
たぶんそうだ。サンプルとして展示されている「こっこ」を見る限り、どう見てもガンダムRX78-IIの形はしていない。せいぜい、ボールの形だ。
そもそも僕がお菓子の形を気にするのは、やっぱり「ひよこ」のイメージを引きずっているからだろう。
なんで静岡銘菓とガンダムがコラボしているんだ、というと、ガンダムのプラモデルを作っているバンダイの工場が静岡にあるからだ。
僕なんか、静岡といえばバンダイのおひざ元、くらいに考えていたのだが、静岡の人たちに「模型といえば?」と聞くと全員が「タミヤ!」と答えた。おう、タミヤも静岡だったのか。
タミヤといえば、車や戦車といった乗り物のプラモデルに強い。ミニ四駆でも名が知れている会社だ。これぞまさに静岡。ちなみにバンダイの本社は東京の浅草にあるので、静岡県民からするとよそ者のイメージなのかもしれない。

10:09
静岡駅。立派な駅ビルがそびているわけじゃない。
駅の北側は駿府城があって、県庁や市役所がある繁華街。一方、南側は駅前からちょっと離れたら戸建て住宅が広がる、穏やかな土地。海まで数キロの間平野が広がり、道はたいてい碁盤目状。そして高層住宅が少なく、空が広い。美しい街並みだけど、散歩するには物足りないという印象が僕にはある。
静岡市と清水市が合併し、(新)静岡市となったことで政令指定都市になっている。しかし、僕の出身地・広島市のように狭い平野部にギューッと人も商業も集中しているのと違って、土地がある分のんびりとした空間だ。心なしか人も穏やかな気がする。
静岡でタクシーに乗ると、行先を簡単に告げるだけでシューっと行くのでびっくりする。そして、電話でタクシーに来てもらう際、「〇〇町▲丁目の××ですけど、車一台お願いします」で話が通るのにもびびる。当たり前だけど、東京じゃあり得ない。東京が複雑すぎるんだ。
そういえば僕が広島に住んでいたころ、父親がタクシーに行先を告げる際はマンション名を伝えていたっけ。マンション名だけでたどり着けてしまうというのは、今思うとすごいことだ。地方って、そういうものなのだろう。

10:14
いしの実家には車がある。そこで車を借りてお墓に向かうのが一番手っ取り早い。でも僕らは駅前でレンタカーを借りた。
理由は二つある。
(1)僕らが静岡に一泊するということは実家に伝えていない。日帰りで墓参するという認識でいる。一泊しておきながらちょこっとしか実家に顔を出さないのは連れない感じがするので、内緒にしている。じゃあ一泊して何をするのかというと、いしが「自分の地元を僕にあれこれ紹介する」という計画だ。日本平や久能山、焼津など行くためにレンタカーがあったほうがいい。
(2)静岡ナンバーの車に乗ることで、東京から来たことをカモフラージュしたかった。いっそのこと東京でレンタカーを借りて一気通貫で静岡入りしても良かったのだけど、それだと東京のナンバープレートが悪目立ちしてしまう。そんな車がいし家の軒先に駐車されていたら、周囲から変な噂を立てられかねない。東京ロンダリングのために、静岡でレンタカーを借りることに意味があった。
レンタカー屋さんに「うわっ、東京モンがやってきた!」と身構えられたらどうしよう?と思ったが、さすがレンタカーという商売をやっているだけあって、顔色一つ変えずに我々を受け入れてくれた。そういうレベルで心配しなくちゃいけないのが、2020年9月の現状。

10:56
時刻は11時前。いしの実家に「墓参ついでに立ち寄りました」というのはまだ早い。お昼ごはんを食べに向かったのは、丸子宿(まりこじゅく)だった。
静岡駅から西に向かって安倍川を渡った先、これから山越えがありますよ、という場所に丸子宿がある。東海道五十三次の宿場があったそうだ。

朝から静岡にやってきて、まず目指したのが丸子だったというのは、いしが「自分の出身地をあれこれ紹介したい」と意気込んでいるからだ。
振り返ってみると、いしと知り合ってから静岡を訪れたのは今回で5回目だ。
結婚したいと両親にご挨拶に訪れたとき、結婚直後の正月、いし家親族への結婚のお披露目会、親戚の法事。いずれも日帰りで、僕は静岡について未だにあまり詳しくない。
駅から実家、実家からお墓までの道筋はすぐに覚えたけど、それ以外の静岡的ニュアンスというのをほとんど知らない。そういえば、「静岡おでん」すら食べたことがないな。

それで、いしが「丁子屋におかでんさんを連れていきたいのだ」と言う。
丁子屋。なにそれ。
聞くと、丸子宿でもっとも有名なとろろ汁のお店だという。
あー、そういえば歌川広重の版画、「東海道五拾三次」でとろろ汁屋が描かれている絵があったな。それが丸子宿なのか。ぼんやりとしか覚えていなかった。

丸子宿は、岡部宿と府中宿との間に位置する。

丸子宿散策マップを手にする。こういうのが用意されている、というのが東海道の宿場町のすごいところだ。歴史があるし、その歴史を活用して現在でも人気がある。
実際、僕の知っている人でも「東海道五十三次を徒歩で実現」を達成した人がいる。羨ましい。僕も時間と暇ができたらやってみたいものだ。
その人の場合、週末にちょっとずつ、こま切れに歩いていた。今回は○○宿から○○宿まで、というのを何度も何度も年に何回も繰り返し、トータルで五十三次を達成した。交通費も、所要時間も相当必要となるやり方だけど、一気通貫で歩こうとする無謀さよりははるかに現実的だ。

丸子宿。
宿場町としての面影は殆ど残っていない。しかし、こういう旧宿場町の街並みって、いいよな。
多くの場合、近くを車線が多い「国道○号線」がドーンと走っていて、宿場町があったところは旧道になっている。そのせいで車の往来は少なく、それが味わい深い。
東京近郊でも、たとえば千住宿とか板橋宿、品川宿を歩くと少し楽しい。内藤新宿は・・・あれ、宿場町の面影って残ってたっけ。ブラタモリ的視点で詳しく街を見ないと宿場町っぽさを発見できなさそうだ。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (4件)
おじまるです、お久しぶりです。
今回は地元静岡ということで、興味深く見ています。
「まるしま」さん残念ながら、廃業されました。
奥様がおっしゃるとおり、昔は6時半から開いていましたね。
静岡のおにぎり屋には、たいてい「おでん」がありますね。
静岡人はそれを普通と思ってます(笑)
おじまるさん>
あー、まるしま、廃業でしたか。残念。
いしが楽しそうに思い出話を語るので、いつか訪れてみたかったのですが。
あと、いしが「夏、プールに行ったらよくおでんを食べていた」と言っているのは、おそらく大浜公園プールのことなんだと思いますが、それも今は閉まっているようですね。これもまた残念。
FDA、なんと小松にも来てたことあるんですよね。
「誰が使うねん(w」と言ってたら数年で撤退しちゃいましたけど。
今はチャーター便のみが飛来するようになりましたが
小松空港の手荷物受取所には『FDA』の名札が輝いております。
チャーター便のスケジュールまで公開してる珍しい会社でもありますね。
ティータさん>
FDA、面白い航空会社ですよね。
これまでいくつもあった地方航空会社は、経営の多くを羽田便に頼っていたと思います。なので、JALとかANAに戦いを挑まざるをえなかった。
しかし、静岡空港という場所柄、羽田便を就航させるメリットがない。なので、静岡からその他地方空港、または地方空港から地方空港、という独自性の強い路線が生まれている。
今後どうなるのか楽しみです。