
11:38
山海荘を目指す。しかし、その道中、いろいろな景色が目についてたまらない。
「あっ、これは20年前に写真を撮った場所?」
「こんなの、当時はあったっけなあ?」
一向に前に進まない。
「やめろやめろ、まずメシを食うのが先だ。いろいろ見るのはその後にしよう」
気になるけど、今はストップ。
山海荘は、狭い道路の奥にあるようだ。「こんなところにあるんだ?」と思いながら、アワレみ隊一同は路地を進む。

11:39
あった、山海荘。建物の半分は山の斜面に接している。入口は建物の角にあるという、ちょっと強引な作り。
なにやら玄関先に人だかりができている。繁盛しているようだ。

11:42
玄関先の人をかきわけ、われわれは山海荘の食堂に入る。食事の予約をとっておいて、大正解だった。玄関先にいるのは、「お昼ご飯を食べたいんですけど」と飛び込みでやってきた人たちだった。しかし、キャパに限界がある山海荘、
「既にご予約のお客さんでいっぱいなんですよ、13時以降でしたら御案内できるんですが」
とやってくるお客さんを必死でさばいていた。そうか、神島で食事をしようと思っても、これといってめぼしいお店は限られるからな。山海荘に人が殺到してしまったらしい。
教訓。神島に行くなら、食事の手配はきっちり済ませておこう。

11:52
われわれが予約しておいた、お昼の定食。1,000円だったかな。webサイトには、1,500円の定食が掲載されていたのだが、予約電話の際に、「夜の料理と重複しますよ」と言われたのでやめにした。また、われわれはこれとは別に「たこかつバーガー」を食べようとしているわけであり、定食の量は少しでも良かった。
値段が値段だけに、派手な料理が並ぶというわけではないが、それでも満足な食卓。

11:54
神島の名物はたこ、ということになるのだろう。ご飯は、白米ではなく、たこ飯だった。普段食べないものなので、ちょっとうれしい。4人で食べるのは量は十分すぎるほどある。これなら、「ご飯てんこ盛り」のしぶちょおでも満足の量だ。

11:56
早速食べよう。
「いただきます」
手を合わせて、ご飯に向かうアワレみ隊一同。・・・あれ。なんか違和感が。ええと。ああ、そうだ、いつもなら「いただきます」なんて言わないんだった。当たり前のように、人間が息を吸うように、「乾杯!」って言ってたんだった。そうかぁ、あらためて自分の体に染みついている習慣に驚く。考えてみりゃ、旅先じゃよっぽどのことがなけりゃ、昼からビール飲んでたんだったな。
今回のように、旅先!離島!海の幸の食事!となれば、ビールを頼まない訳がない。でも、たこ飯にそのままありついちゃってるもんな。これは、断酒したおかでんだけでなく、他のメンバーも同じ。黙々とご飯を食べている。うーん、アワレみ隊20年にして、地殻変動が起きたな、と思う。まさかこういう形になろうとは、思いもしなかった。
でもまあ、これくらいで済んでいて、良かった。「ちょっと待ってて。インシュリン打つから」とかいう人がいたら、それはそれでしんみりしてしまう。今のところ、そういう隊員はいない。

11:57
おかでんが、酒を失った中でも、しぶちょおは健在。てんこもりのたこ飯を頬張っている。「他の人に、面白半分に盛られた」のならともかく、これは自分で、自分の欲しいだけを盛りつけたもの。しぶちょおはまだまだ戦える。一人になっても頑張れ!

12:10
お食事が一段落したところで、気になるのは「たこかつバーガー」の存在。そういえば、食堂の壁に「とばーがー」というポスターが貼ってあるぞ。
とばーがーとは?
(1)地元の食材を使用しています。
(2)作りたてをご提供いたします。
(3)鳥羽市内で販売されています。以上を定義としたご当地創作バーガーです。
なんだそうだ。定義としては相当緩い。「食材として、必ず○○を使うこと」といった縛りはない。そのため、「とばーがー」といっても様々なハンバーガーがあるらしい。食べ歩くと面白いかもしれない。

12:11
で、お待たせしました、とばーがーの山海荘バージョン、「たこかつバーガー」の登場。

でかい。さすがに、チェーン店のハンバーガーを見慣れていたら、これがゴージャスに見える。1個500円だったかな?価格は覚えていない。バンズがしっかりしていて、ばばろあはこれがお目当てでもある。
具は、たこかつと、千切りキャベツ。

11:13
カツの中身は、たこのすり身と、ぶつ切りのたこが混ぜられたもの。食べ応えがある。バンズも、見た目通りしっかりしていて、まさに「かぶりつく」状態で食べる事になる。これ1個で、お昼ご飯としては十分だ。でも、われわれは定食を食べたのち、さらにこれを食べる訳で。健啖でよかった。あと20年後じゃ、こんなには絶対に食えんぞ。
いや、20年後を心配する前に、その頃にゃ誰か死んでるかもしれん。時間の流れというのは残酷だ。20年なんて、そう軽々しい月日の流れでは、ない。

12:26
たこかつバーガーをおいしく頂いたので、一段落したところでいよいよ出撃することにした。神島、島一周巡り。しかし、せっかくだから荷物は宿で預かって欲しい。宿の人にお願いしてみたところ、まだ早いけど、部屋に通してくれるという。それは助かる。では、ご厚意に甘えて、部屋に荷物を置くことにしよう。

宿の人は、しきりに「狭くて申し訳ないです」と言う。本当に、何度も何度も。次の日、チェックアウトの際にも同じ事を繰り返していた。で、どんなに狭いのかと思ったら、通された部屋は8畳だった。え?4人で八畳?いや、全然狭くないですよ。「一人二畳」あるんだから。
・・・という発想は、山小屋に慣れてしまったおかでんならではか?
いや、違う。アワレみ隊全員が、この部屋には十分満足していた。狭いなんて、誰一人として思ってはいない。むしろ、これ以上広くてどうするんだ、くらいの勢いだ。ある程度狭いほうが、お互いの意思疎通が図りやすいのでむしろありがたい。
「いえいえいえ、これだけあれば十分ですって」
と宿の人に伝える。

12:32
部屋の窓から外を眺める。遠方に海が見える。建物が幾重にも重なっているので絶景とは言えないが、やや高いところに建物が建っているので、気持ちが良い。
部屋の鍵はないようだ。貴重品は、部屋に備え付けの金庫に入れてから、いざ出発。

12:42
宿を出て、島の目抜き通りに出る。
子供が多い。この島は、限界集落とはほど遠いようだ。でも、たまたまこの場所に子供が多いだけなのかもしれない。ちょうど目の前にブランコがある。ここくらいしか、島には子供が遊ぶ場所はないのかも。

12:44
島を反時計回りに歩き始める。
歩き始めてすぐのところで、立ち止まる。このあたりで、20年前に写真を撮ったはずだ。えーと、どこだったかな。

20年前の神島。
何が撮りたくてこの写真を撮ったのだろう?今のように、デジカメでバシャバシャ撮影できる環境ではない。24枚撮りのフィルムで、一枚一枚慎重に撮影したものだ。撮影が終わったらお金を払って現像しなくちゃいけないし、いざでき上がりを見て、しょーもない写真だったり失敗した写真だったらすごくがっかりしたりして。だから、無駄な写真は当時、一枚も撮っていないはずだ。・・・これ、「タコを干物にしている」のが珍しくて、撮影したのかな?

12:46
それはともかく、2013年の神島。
何度もスマホに表示させている20年前の写真と見比べながら、場所を特定していく。ほぼこのあたり、というのを見極めてから、今度はカメラの向きとか、ズームとか、そういう微調整。写真左奥に見える建物は、月日の流れに耐えてみせたので、それを基準に「当時とそっくり同じ写真」を撮ろうとする。
何度か試行錯誤した末、撮影できたのが上の写真。タコは2013年にはない。その他、微妙にあれこれが変わっている。でも、2013年の写真って、本当に一体何が撮りたいのかわからん風景だな。

12:53
古里ヶ浜に向けて、ぽっくりぽっくりと歩いて行く。
「こんなに傾斜きつかったっけ~?」
誰かが悲鳴を上げる。集落から先は、いきなりの急坂からスタートする。道路は車一台が通るのがやっとの幅。舗装は崩れ気味。20年前もこんな感じだったっけ。あんまり覚えてないなあ。
「ああ、あったあった。20年前もこれはあったよ」
途中、無線アンテナが立っている箇所があったが、それは以前からあったらしい。そうだったっけ。僕はあんまり記憶がない。

13:00
しばらくうねうねと歩いていたら、正面が開けてきた。おお!これだ!古里ヶ浜だ!20年前、天幕を張った場所。間違いない。砂浜に横たわる、巨大な岩が目印だ。やあ、相変わらずだなあ。さすがに人工物ではない天然物だったら、20年の月日は感じさせないのかもしれない。さあ、砂浜に下りてみよう。

13:04
「ええと、どこから浜に下りるんだっけ?」
若干手惑いながらも、ようやく砂浜に下り立つ。20年前、一日中何度も何度も、ウロウロしていた砂浜に。
・・・あれれ?
えーと。記憶が甦らない。なんか、違うような気がする。こんなんだったっけ?

13:08
いや、明らかに違う。こんなブロック、昔はなかったぞ。このあたりにテントを張ったはずだから、ここは20年前は砂地だったはず。なのに、なのに、2013年バージョンの古里ヶ浜は、砂は全くなくなっていて、ブロックが剥き出しになっていた。なんだ、これ?
「以前もこれはあったんだよ。何かの理由で、上を覆っていた砂が全部剥がれちゃったんだ」
「だなあ、海面との高さの関係は多分これで間違っていない。われわれの後にこのブロックを積んだとはちょっと考えられないな」
「どうしてこうなった?」
「台風か何かで、波が砂浜を洗ったのだろうか?」
うーん、まさか砂浜がこんなことになっているとは。20年なんて、自然を前にすりゃ大した年月じゃないと思っていたのだが、変わるところはあっけなく変わっちゃうんだな。

1992年12月の古里ヶ浜。
砂浜が広がる。写真中央あたりに、1993年にアワレみ隊はテントを二張、張った。

13:17
「うわあ!」
1992年と同じ場所から撮影をしようと、岬の岩場をよじ登ってみたら思わず声が出てしまった。古里ヶ浜、随分と変わってしまったぞ・・・。
21年前の写真が干潮時、そして今が満潮時という違いがあるのかもしれない。だとしても、全然違う。砂浜が、思いっきり減ってしまっている。われわれがテントを張った時は、ここまで波打ち際は迫ってきていなかった。明らかに、砂浜が浸食され、海に沈んでいるのだった。
「これは、絶句・・・」
今、古里ヶ浜でテントを張るのは、ほぼ無理だ。びっくりだ。ああ。
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