「ちょっと、百名山に寄ってくわ」【伊吹山】

11:15
石田三成が陣取っていた丘にやってきた。

敵が入って来られないように、先が尖った柵がぐるりと丘を取り囲んでいる。

陣地であったということを知らなければ、むしろ「丘の上に人を閉じ込めていた」ように見える。

関ケ原古戦場史跡案内図。

現在の地図の上に、各戦国大名が陣取っていた場所がプロットされている。

こういう陣地図というのは、戦国時代を解説する資料でよく見かけるのだけど、実際はどんな感じで兵士がいたのか、全然イメージができない。

凸という形で陣地が示されるのが通常だけど、そのまんま凸という形で兵隊が密集していたわけではあるまい。実際はもっとダラっとしたまとまりになっていたはずで、戦闘が始まるまでの間は何なら煮炊きをしている場所があったり、トイレがあったりもしただろう。

何千人何万人、という兵隊が密集していて、トイレ問題というのはどうなっていたのだろう?「ちょっとごめん、トイレ行ってくるわ」といっても、なかなか大変そうだ。

11:16
石田三成が陣取ったとされる笹尾山の麓に、「笹尾山交流館」というのがあった。

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