11:15
石田三成が陣取っていた丘にやってきた。
敵が入って来られないように、先が尖った柵がぐるりと丘を取り囲んでいる。
陣地であったということを知らなければ、むしろ「丘の上に人を閉じ込めていた」ように見える。
関ケ原古戦場史跡案内図。
現在の地図の上に、各戦国大名が陣取っていた場所がプロットされている。
こういう陣地図というのは、戦国時代を解説する資料でよく見かけるのだけど、実際はどんな感じで兵士がいたのか、全然イメージができない。
凸という形で陣地が示されるのが通常だけど、そのまんま凸という形で兵隊が密集していたわけではあるまい。実際はもっとダラっとしたまとまりになっていたはずで、戦闘が始まるまでの間は何なら煮炊きをしている場所があったり、トイレがあったりもしただろう。
何千人何万人、という兵隊が密集していて、トイレ問題というのはどうなっていたのだろう?「ちょっとごめん、トイレ行ってくるわ」といっても、なかなか大変そうだ。
11:16
石田三成が陣取ったとされる笹尾山の麓に、「笹尾山交流館」というのがあった。
ここもスタンプラリーのポイントになっていたので、立ち寄ってみる。
中は、イケメン武将たちのポスターがずらり。
信長の野望みたいだ。
ここは史実に基づいたノンフィクションの世界だと思っていたのに、ケレン味たっぷりのポスターでびっくりした。
武将たち、みんな男前すぎて男の僕でも惚れてしまいそうだ。でも実際こんな顔なわけがないのだけれど。
ずらりと甲冑が並ぶ。
改めて笹尾山の麓で、関ヶ原の戦いをおさらい。1600年の出来事だから、かれこれ400年以上前の話だ。
裏切り者が多数出たので形勢逆転した、というざっくりとしたことしか覚えていない。雑だなあ。
つくづく思うのだが、知識というのは学生のうちにしっかりと脳細胞に固着させないと駄目だな。おとなになってから改めて書物などで勉強しても、全然記憶に残らない。今回もそう。
11:24
実体験をもって、記憶を定着させよう。笹尾山に登ってみることにする。徒歩5分とお手軽だし。
それにしても理不尽だ。伊吹山登山に要した時間と大して変わりない。
笹尾山の山頂。休憩ができるようなベンチと東屋、そして石碑が立っていた。
笹尾山山頂から関ケ原を眺めたところ。
なるほど、これは見晴らしがいい。各大名の動きがよくわかる。
「ここにいればだいじょうぶ」と思っていたのだろうけど、予想外の裏切りにあってこのあと石田三成は背後に逃走することになる。
11:50
笹尾山をあとにして、米原方面に向けて車を走らせる。
途中、伊吹山が雄大な景色を見せた。さすが独立峰、目立つ。
しかし左側の山肌が、不思議な形になっている。あそこは滋賀鉱産という会社がセメント採取のために石灰石を採取している場所だからだ。おかげで山の形ががらりと変わってしまっている。
同じような山に、埼玉県は秩父市の武功山がある。この山も、山頂直下から思いっきりダイナマイトで切り崩され、石灰石が三菱マテリアルによって採取されている。おかげで山が半分消えているような有様だ。伊吹山は今後どういう山容になっていくのだろう?
(つづく)
コメント