【注意】このページには、ショッキングな内容を含む写真があります。動物の死骸を見ることに抵抗がある方は見ないほうがよいと思います。
けもの道トレッキング、最後は水仙畑の中を下っていく。
勝手に咲いている水仙のように見えるけれど、そういえば周囲の木々が少ない。強風が吹いたり火山性の地質の場所ではないので、ほっとくとすぐに樹木が成長し雑木林になるはずだ。そうなっていない、ということはここがれっきとした「水仙畑」であり、人によって管理されている場所だということになる。
とはいえ、イノシシにしろシカにしろ、そんな人間都合は知ったこっちゃないのでグイグイと侵入してくる。奴らにしても悪気はないのだけれど、人間と損得勘定が一致しないので駆除するのは仕方がない。
お。民家が現れた。
ほら、こんな山の中に民家が。そして家の前には畑が。
こんなことを書くと「何をバカなことを言ってるんだ」と言われることを承知で書く。「自然と、人間の営みがこんなに近接していることに驚いた。」いかに都会暮らしで感覚が麻痺しているか、ということをまざまざと知る。
「家の近くに公園があって、自然豊かなんです」とかちゃんちゃらおかしい。コンクリートの町の中に人工的にこしらえた公園で、そこだってせいぜい木が何本か生えているだけだ。それで「自然」とか言ってる時点でおかしい。夏になればセミくらいは出てくるけれど、イノシシもシカも出てこない。
午前中の座学も、午後の視察も、大変に学びの多いワークショップだった。「うーん」と唸りっぱなしだった。
もっと僕が若く、無鉄砲だったらこういう害獣対策に心ときめかせ、使命感をもって現場に飛び込むことを考えたかもしれない。でも僕は歳を取りすぎた。都会から身動きがつかない。なにしろ、持ち家が東京にあるのだから。うーん。
そういう人のためにも、「クラウドハンター」のような取り組みは今後グイグイ発展していって欲しい。単に「害獣駆除に賛同し、募金します」というのは腰が重たいけれど、ふるさと納税のように「なんらかのリターンがあります」という形だと、お金を出しやすい。
トレッキングの出発地点に戻ると、「意見交換会」の準備が行われていた。地元の方々との交流のために、用意されているのはバーベキューコンロ。これからイノシシ肉焼き肉大会になるようだ。
コンロはドラム缶を真っ二つに割り、そこに鉄板をかぶせたものだ。いちいちこういうのがワイルドでいい。
長机にずらりと並んだイノシシ肉。すごい!これが市場に流通できるなら、結構な額になる。
しかし、保健所公認の処理場を経由していない肉なので、世に出回らないのだから惜しい。
精肉する際に、薄切りにして細かくパック詰めし、冷凍保存している。で、食べる前に自然解凍して提供される。
それぞれのパックにはキッチンペーパーが敷いてあり、肉から出るドリップを吸うようにできている。冷凍保存する前に、冷蔵保存しながらキッチンペーパーを毎日交換しておくと肉が熟成されるそうだ。
「肉を熟成させる」って、エイジングビーフが流行る前から一般的によく使われている言葉だ。でもその実態が何なのか、ふと自分の無知に気がついた。
調べてみると、肉の余計な水分を抜き、旨味を凝縮させることなのだそうだ。なるほど、だからキッチンペーパーを使うと熟成されるのか。
ちなみにエイジングビーフの場合は肉をむき出しにして冷蔵庫で保存する。ドライエージングというやり方だ。
おっと。コミュニティセンターに横付けされた軽トラの荷台には、仕留められて間もないシカが入っていた。びっくりした。
でかい!こんなのと死闘して仕留めないといけないのだから、本当に猟師さんたちは命がけだ。娯楽ならまだしも、生活と先祖から受け継いだ土地を賭けて戦っているのだから頭が下がる。
このシカを見ると、後ろ左足が血で染まっている。ここにくくりわながヒットしたのだろう。
食パンなどをお店に運ぶために使うケース(番重ばんじゅう、という)の巨大版みたいな容器にシカが収められている。トラックの荷台にそのまま積むと荷台が体液で汚れるからだろう。
あと、仕留めたところから車まで運ぶ際、こういうケースに入れいてソリみたいに地面を滑らせて運ぶこともあるという。
いずれにせよ、こんな重たいものを一人で運ぶのは到底無理だ。トラックまで運べたとしても、荷台に積むところでギブアップだ。これは仲間の協力がないと、どうにもならない。
以前、「仕留めた害獣をその場で埋めることも多い」と聞いて「えー」と思ったけど、改めて実物を見ると「そりゃそうなるよな」と思う。自家消費用の肉が十分にあるならば、わざわざ下界に運ぶ必要はない。
会場となったコミュニティセンターの脇に倉庫のような場所があるのだけれど、今はその扉が開放されている。見ると、さばかれたイノシシが逆さ吊りになっていた。これもびっくり。
お腹を尻から首元まで裁かれ、内蔵をごっそり抜かれている。あばら骨がちらっと見えている。いわゆるスペアリブになるわけだが、こういう形で見る経験が初めてなのでギョッとした。そうか、これをおいしく食べているわけか。
スーパーや精肉店にいくと、見目美しく整形されパック詰めされた肉が売られている。そこで気にするのはグラム単価と量だ。そういえばこの肉ってもともとどうなっていたんだろう、なんて考えたことがない。ましてやイノシシ肉なんて。
こうやって逆さ吊りにして血抜きをして、皮をむいて部位ごとに解体して、食べる単位に保存・・・とこれからあとの作業も大変だ。
一方の僕らはというと、苦労して精肉してくださった肉をこんな感じでどんどん食べさせていただく。いやあ、人生でもっともイノシシ肉を食べている瞬間だ。
でも、テンションが上がってウキウキ!ということはない。むしろ、今日学んだ一連の知識のせいで、神妙な気持ちになりながら肉をいただいた。
でも、次々と肉が追加されるのだから、おそるべし鋸南町。
そして恐るべしイノシシの存在。狩っても狩っても、どんどん現れるのだから困る。鋸南町で組織的に駆除をしていても、よその地域から移動してくるのだからきりがない。町の周囲を電気柵で完全に包囲すれば・・・などと夢想してしまうが、電気柵のメンテも大変だということはすでに学んだ。難しい。
そもそも、山を電気柵で覆っても、たぶん奴らは夜の車道を通り抜けて突破するぞ。車道までゲートで封鎖するわけにはいかない。
ひたすらイノシシ肉を食べても飽きないから、すばらしい。それもこれも、飼育された豚肉と違って歯ごたえがあって、旨味があるからだ。
地元の人が言うには、「鋸南町の山は豊かだから」とのこと。皮肉なもので、イノシシが美味しく肥える土地ということで、よそから害獣を呼び寄せてしまっている。
肉から出る大量の脂のせいで発火。
おい、見たことあるか?イノシシ肉で、だぞ?すごいよな。
それでもまだ焼かれ続ける肉。わんこ状態だ。
地元の人たちは、僕らワークショップ参加者をもてなすためもあってか、あまり箸が進んでいない。というか、おそらくイノシシ肉は飽きるほど食べているからだろう。
地元でイノシシを食べるときは、殆どこうやって塩胡椒で炒め、つけあわせでネギを炒める程度だという。至ってシンプルだ。
「ぼたん鍋とか作らないんですか?」
と聞いてみたら、
「作らないですねえ」
とみんなで顔を見合わせて言う。本当に作らないらしい。
むしろ、「ぼたん鍋」なんていうのは、普段イノシシと縁遠い人間が、観光客として食べたい料理なんだろう。まあ、確かにぼたん鍋は頻繁に食べたいものではない。シンプルな調理のほうが、飽きがこないで食べ続けられる。だからこその塩胡椒なんだろう。ネギと組み合わせる、というのが意外。
(つづく)
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