ひたすら観光、ただただ観光

2004年09月22日(水曜日) 4日目

しぶちょお宅で一泊させてもらい、英気を養う。・・・とはいっても、1時半くらいに就寝で、起床は6時半。正味5時間の睡眠時間だ。朝から晩まで車で揺られていた身からすると、まだまだ疲れはとれない。

「まあいいや、今日は午前中に下呂温泉がある。そこで疲れた体を癒そう」

と決めた。しかし、しぶちょおは

「いや、下呂温泉ではくつろげないぞ?何しろ、露天風呂は橋の上から丸見えな河原にあるからな?」

と脅す。下呂温泉を訪れたことはないが、そんなに恥ずかしい露天風呂なのだろうか。気になる。

立体駐車場

朝7時6分、立体駐車場から車がヒーローものテレビ番組のようににゅーっとでてきた。今日もまた爆走するぞ、と。

本日の予定はこうなっている。

日本三大名城:名古屋城>日本三大山城:岩村城>日本三大トンネル:恵那山トンネル>日本三大名湯:下呂温泉>日本三大朝市:高山>日本三大名瀑:称名の滝>日本三大奇橋:愛本刎橋>輪島あたりで一泊??

こうなれば、最終日である明日は

日本三大朝市:輪島>日本三大庭園:兼六園>日本三大銘菓:長生殿>日本三大松原:気比の松原>日本三大古関:愛発の関

くらいまではいけるだろう。案の定、当初計画と比べると全然数を稼げていないが、仕方がない。福井県まで制圧できていれば、次回第二弾をやるときは滋賀県からの再開となる。近江牛を食するところこあら企画再開、なんて結構すてきだ。

とはいっても、まずは本日、日本列島で一番分厚いところを横断しなければならない。途中、立ち寄り地点も多数ある。頑張らないと。

【No.25 日本三大名城(その1):名古屋城(愛知県) 09/22 07:16】

本日一発目の観光満喫場所は、名古屋城だ。

名古屋城

「面倒臭いなー、今更名古屋城に行ってもなあ」とぼやく二人。特に、名古屋在住のしぶちょおにとっては何らありがたみのない観光名所だ。しかも、この時間は天守閣に上がることができないのはわかっている。では、何をもって名古屋城を満喫したこととみなすのか?天守閣直下まで行って、初めて成立?だとすると、広大な敷地内を歩くだけでも結構な手間だ。

入り口のゲートが閉められていた。

・・・あれ?

入り口のゲートが閉められていた。

てっきり、公園部分は出入り自由で、朝も早くからジョギングしたり体操する人がいるのかと思っていたのだが。

うーん、これはある意味ラッキー。

「じゃ、これで名古屋城は満喫できた、ということでいいね?」

「うん、今僕たち十分に天守閣をみているし、大丈夫」

「金のしゃちほこは見えてるかい?」

「ばっちり見えてる。名物はこれで堪能できた」

天守閣

格子の隙間からカメラをつっこんで天守閣を撮影。

こんなので「観光名所を満喫」と呼ぶこと自体、すでに企画趣旨からはずれてしまっている。しかし、いつの間にか「いかに観光名所の数を稼ぐことができるか」という目的になってしまっているので仕方がない。

本来であれば、開門時間まで待つべきなのかもしれないけど・・・しったことか。

名古屋城の地図

満喫ついでに、名古屋城の地図。以上、おしまい。

・・・おい、本当にそれでいいのか。

高速道路に入る

日本三大山城である「岩村城」に向かうため、高速道路に入る。高速の行き先表示看板に「↑長野」と書いてあるのをみて、軽くめまいを覚えた。そうか、このあと恵那山トンネル越えがあるので、いったん長野県に入らないといけないのか。長野県は一昨日の時点で通過、終了したつもりでいたのでこの現実を目の当たりにするとちょっと萎える。

いかにこの行程が、ぐにゃぐにゃと大回りしながら進んでいるか、ということだ。誰か助けて。

岩村城がある城山にとりつく

中央自動車道を恵那ICで降りて、下道を走る。岩村城がある城山にとりつくと、がぜん道は狭くなった。観光バスでの通行は不可だ。ということは、「日本三大山城」という肩書きを持ちながら、団体観光客には蹂躙されていない、静かな観光地ということがいえる。
こういう観光地も満喫できるのが、われわれの旅の強みですなぁ。

と、ひとまず喜んでみる。

曲がりくねった道をぐいぐいと走り、高度を稼いでいく。

日本最高所の山城

岩村城は、標高721mの高さを誇る日本最高所の山城だという。城自体も高低差が180mもあり、霧が発生しやすい土地柄とあわせて難攻不落の名城だったらしい。

【No.26 日本三大山城(その1):岩村城(岐阜県) 09/22 08:45】

うわ、これはすごい。立派な石垣がお出迎えだ。よくぞまあ、これだけの石を山の上に運び込んだもんだ。執念を感じる。

岩村城の城壁

本丸は海抜721メートルあり、日本の山城の中で最も高地にある。その歴史と広大さと要害堅固さから日本三大山城の一つとされている。東曲輪からも二の丸からの入口も埋門を通じてやっと進入できる。本丸には二重櫓と納戸櫓があり、二重櫓は城主の最後の拠点となる重要な建物であった。多門は三つあり、東西の石垣に沿ってあった。山城のため天守閣は無かったが城内の要所要所に11の櫓(2階建又は3階建)又は櫓門があって常時各方面を監視しており、しかも全部が本丸に統一掌握されるようになっていた。本丸の柵門のそばに岩村城創業者加藤景廉公が植えた松があったが安政年間(1854)年頃に大風のため折れて消滅した。

本丸に向かう

土に埋もれた石垣をちょっと眺めて、「ほー、ここが城跡ねえ」と言って退却するつもりだったのだが、どうしてどうして、これは非常に立派なお城だ。ちゃんと整備されていることもあって、チら見で引き上げるなんてもったいない状態だった。しばらく、岩村城をうろついてみることにする。

本丸に向かう。

赤時門址

城のあちこちには看板が立てられ、以前ここでは何があったのかを解説してくれた。ちなみにここは「赤時門址」。別名「不開門」だったらしい。

順路

こういう山城址であっても、ちゃんと「順路」があるのだな。

本丸へ入る搦手門は埋門となっている。石垣のなかに一階部分は埋まり、門の上にこれに跨って長い多門があって監視と防備の役目を果たした。また敵が攻めて来たとき土や石で門を埋めてしまうこともできるので、他の門に比べて埋門は堅固であった。

埋門の石垣は野面積み(自然石を積む)打込ハギ(自然石を石垣の外側のみ平にする)切込ハギ(切石を使う)の三種を一度に見ることができる。これは岩村城の変革を示す貴重な遺構で野面積みが一番古く、切込ハギは享保3(1718)年にあった大地震のあと修復したものである。埋門左側の長い石垣は土岐坂につぐ古いもので、一見粗雑であるが意外と頑丈である。

広場

本丸にあがると、野球ができそうな広場になっていた。

小学生の遠足に最適だ。ここでお弁当を広げるとさぞや気持ちよいだろう。

岩村城解説

岩村城は別名を霧ヶ城といい、天然の峻険な地形を活用した要害堅固な山城で、海抜721メートルに位置し、全国の山城の中で最も高地にあり、日本三大城の一つである。
岩村城の創築は鎌倉幕府初代将軍、源頼朝の重臣加藤景廉が、文治元(1185)年に遠山荘地頭に補せられたのに始まる。景廉の長男景朝が岩村に移り、加藤の姓を地名の遠山に攻め、以降遠山氏が代々居城した。

戦国動乱の時代に入り、武田信玄の臣秋山信友が天正元(1573)年に岩村城を奪取して入城したが、同三年に織田軍に敗れ、以降城主は川尻鎮吉と森蘭丸、森長一、森忠政の森三代、田丸具忠と28年間に目まぐるしく交替した。

慶長5(1600)年関ヶ原合戦後、西軍に属した田丸氏に変わって松平家乗(大給松平家)が城主となった。江戸時代の城主は松平氏2代、丹羽氏5代の後、大給松平分家の松平氏7代を経て明治維新を迎えた。

城郭は中世城郭を近世城郭へと修築し、本丸、二の丸、出丸、帯曲輪、東曲輪、八幡曲輪等々が設けられ、丸と曲輪は石塁や自然の断崖をもって区画され、要所に櫓、塀、城門が構えられた。

建物は明治維新により廃城され、後明治6(1873)年に取り壊された。

岩村城址

岩村城址、とかかれた看板があったので、記念撮影。その看板の横には、「本丸址 日本三大山城 海抜721メートル」とかかれた看板も立てられていた。

「おー、日本三大を名乗ってるぞ」

今まですっかり岩村城に圧倒されていたわれわれは、ようやく「日本三大巡りの旅」をやっていることを思い出した。

「そうか、そうだよな。日本三大だもんな」

立身出世の鐘

本丸から降りたところに駐車場があるのだが、その片隅に「立身出世の鐘」なるものが設置されていた。何でも、ここ岩村は非常に学問が盛んで、以前はたくさんの著名人を輩出したのだという。
それと鐘と何の関係があるのかわからないが、まあとにかく鐘をカンカン鳴らせばとても塩梅がよろしいそうで。では、早速鳴らしてみるか。

俗にまみれて鐘を鳴らす

周りに誰もいないことをいいことに、二人して鎖を奪い合いながら、カンカン鳴らした。

「立身出世させろぉ!」
「金もっとよこせぇぇぇ」

非常に現実的かつ世俗的な欲望がむき出しだ。

恵那山トンネル

岩村城を後にしたわれわれは、中央自動車道恵那ICからまた高速道の人となり、一路長野を目指した。

長野を目指した、といっても長野県にちょっと入るだけなのだが。目指すは恵那山トンネル。日本三大トンネルに名を連ねている交通の難所だ。・・・交通の難所かどうかはしらんが。

今回の旅で、初めて「日本三大」の3つをすべて満喫できるものが登場だ。4日目にして、ようやくだ。うーん、あと1日しか残されていないのにこの状況はいったいどういうことだ?想定と全然違うぞ?

「おい、あれ恵那山トンネルじゃないのか」

物思いにふけっていたら、目の前にトンネルが現れた。あわててカメラをとりだす。

「・・・違うぞ、これ?」

看板には、「神坂トンネル」と記されていた。恵那山トンネル本体に入る前に、前衛のトンネルがいくつかあるようだ。

【No.27 日本三大トンネル(その3):恵那山トンネル(岐阜県-長野県) 09/22 09:45】

恵那山トンネル

さて、これが本物の恵那山トンネル。「長いトンネルだぞ、覚悟しとけよ」という意思確認用の信号機が青くともっている。間違いない。制限速度が70km/hに指定されている。8,649mの旅、今まさにスタート。

恵那山トンネルの中

ま、とはいっても中に入れば何の変哲もないトンネルなんですけどね。

日本三大トンネルのなかでは一番短いので、これといった驚きや興奮はなし。ただ、「初めて日本三大をコンプリートできたジャンルが登場」ということで、社内で拍手は起きた。

園原IC

以上、恵那山トンネルでしたー。

トンネルをでてすぐのところにある園原ICで高速道路を離れる。

本当は、すぐにここでUターンし、また恵那山トンネルを通って岐阜県に戻るルートが正解だ。中津川ICから、下道で下呂温泉を目指すルート。

しかし、しぶちょおが「高速イヤ。下道を通ろう。下道でも大して変わらないはず」と主張したため、その提言に疑問を感じながらも下道で行くことになった。

下呂を目指す

園原ICから国道256号線を経由して下呂を目指す。

しかしこれがスピードが乗らない道でして、なかなか思うように前に進めない。

「作戦失敗、ということでいいね?」
「うん、どうやら作戦失敗だったらしい」

下呂温泉

園原ICから1時間40分ほどかけて、下呂温泉に到着。駅前に、大きく「歓迎下呂温泉」とかかれている。

時刻はすでに11時30分。うわ、下呂温泉はいいとしても、この次に高山の朝市が控えているんですけど・・・。朝市ピンチ。これからどんなに頑張っても、高山に到着できるのは午後イチになってしまうんですが。

【No.28 日本三大名湯(その2):下呂温泉(岐阜県) 09/22 11:35】

下呂温泉は、河原に無料の露天風呂があるという。何度も下呂を訪れているしぶちょおに導かれて、その河原に向かってみる。

河原に無料の露天風呂

なにやら遠くに、人だかりが見える。石畳が組まれているあたりだ。まさか、あれが露天風呂?

近づいてみると、推測が現実となった。うわ、これは強烈。少しは、脱衣場があったり男女のしきりがあったり、お風呂っぽくしてあるのかと思っていた。しかし、こりゃ本当に何もない。遮るものが全くない、究極の開放感だ。公園や緑地の池と何ら変わりがない状態ではないか。

「あ、いや、その。橋の上から見られたりするって話は聞いてたけど、これ・・・すぐそばに人だらけではないか」

動揺したおかでんが、すがるようにしぶちょおに話しかける。さすがにこれは相当恥ずかしい。若い女の子なんぞも結構いっぱいいる。

転じてしぶちょおはご立腹だ。

「いつの間にこの露天風呂はヌルくなってしまったんだ。何だこいつら。足湯として使ってるじゃないか。ここは足湯じゃない、歴然とした露天風呂だ。足湯に使うくらいなら来ンな」

確かに、湯船を取り囲んでいる人たちは「恥ずかしくて入るのを断念した」という風体ではなかった。ただ単に冷やかしにやってきましたーという感じだった。風呂に入ることを目的としてやってきたわれわれにとっては、このギャラリーたちはじゃま以外の何者でもない。じゃま、というか羞恥心をかき立てる対象だ。

意を決するしぶちょお

「僕ぁ入るよ、風呂はいるためにここに来たんだから」

と言って、しぶちょおはずかずかと衣類を脱いで湯船に浸かった。女性を含む、周囲全員の視線を一身に浴びる。

潔いが、その視線の集中度合いを見てますますおかでんは萎縮。こ、これはハードルが高い!

下呂温泉露天風呂

とはいっても、自分もここで湯船に入らなければ「日本三名湯を満喫」したことにはならない。しばらく逡巡したが、意を決して衣類を脱いで湯船にダーッシュ。

すると、湯船のへりにいったおっちゃんに

「おい兄ちゃん、ちゃんとかけ湯しなくちゃだめじゃないか」

とオコラれてしまった。

あっ、かけ湯をするの、忘れていた。あわてて、股間丸出し状態でかけ湯を。あああ、視線が痛いぜ。

湯船に浸かって、ようやく一安心。それにしても、周囲にいる女たちは何がしたいんだ。湯船に足をつけるでもなし。誰もいなくなったら裸になって肩まで浸かろう、と考えていて、人気がなくなるのを待っているのだろうか?それとも、僕らのような裸体を待ちかまえているのか!?

まあ、それはどうでもいいのだが、記念撮影を撮ろうということになって、衣類のそばにおいてあるカメラと三脚を引っ張り出した。三脚をセットし、アングルを調整している間、これまた股間がもろだし状態。視線も集中。うーん、勘弁してくれぃ。

いや、視線がもろに集中してるのではなく、「チラ見」で集中するもんだからまたますます微妙な感じがしてイヤーン。

露天風呂から下呂大橋を見上げたところ

露天風呂から下呂大橋を見上げたところ。

通行人から、時々「どうですかー、いい湯加減ですかー」なんて声をかけられる。

この露天風呂で豪快に風呂を楽しめるようになれば、どこの温泉にいっても怖いものなしだ。

天下の三名湯です 入浴の方はお互いにきれいにしましょう

あっ、こんな看板発見。

「天下の三名湯です 入浴の方はお互いにきれいにしましょう」

おー。三名湯。

注意書きの看板

湯船の脇には、注意書きの看板が掲示されていた。

「公共衛生上衣類(下着)等の着用を禁じます」

と書いてあるのに、

「女子に限り水着の入浴を許可します」

と書いてある。どういうこっちゃ。女子の水着は公共衛生上問題ないということか。そんなわけはない。変な理屈だ。女性でも露天風呂を楽しめるように、という配慮が、「公共衛生」より勝っていることになる。

まあ、いずれにせよ水着をどこで着用するんスか、という問題があるわけで、結局女性でこの風呂に入る人はほとんどいないであろうことが想像できた。

温泉旅館街

川を挟んで、温泉旅館街を眺めたところ。

さっぱりした

日本三名湯である下呂温泉を満喫し、さっぱりした状態で次に向かう。

とにかくわれわれ、ひたすら車中にいる上に朝早く・夜遅くの行動だ。どうしても顔が脂っぽくなるので、お風呂イベントは大歓迎だ。

さあ、次は「日本三大朝市」である高山だ。

下呂を出発した時点で、もう12時。うーん・・・朝市、まだやってるかな?

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