ふたたび温泉療養に戻る【那須湯本療養2】

13:22
道を進んでいくと、確かに橋があることがわかった。しかも、渡れそうだ。廃れた橋で、鉄骨だけが残されていた・・・なんてことはなさそうだ。特に通行止めのフェンスがあるわけでもない。

とはいえ、なにしろ雪で足元が見えない。ここから先は慎重にいかないと、うっかり落とし穴のようなものを踏み抜いてしまうかもしれない。

このあたりは除雪も圧雪もされていないので、ツボ足になってしまう。登山用のくるぶしまで隠れる、ハイカットシューズをを履いているにもかかわらず雪が足に入ってきて冷たい。

湯川を対岸に渡れる、橋。

へえ、本当に渡れるぞ。でも、今この段階でもこの道がどこに繋がっているか、わからない。廃墟と廃墟の隙間に潜り込むように、道は伸びているようだった。

この廃墟、昔語り館の横に建っていたヤツだ。かなり大きいのが残ってるな!という印象だったけど、裏側からみると建物がとても薄っぺらい。ビジネスホテルみたいな奥行きのない客室が、昔はこの建物内に並んでいたのだろう。

13:25
建物の隙間をすり抜けて、民宿街に戻ってきたところ。

あ、やっぱりここか。予想通り、昔語り館に隣にあった廃墟だった。マッチ箱のように四角い客室棟(実際はL字型になっている)と、三角屋根の玄関部分とのギャップが独特で印象的だった。

それにしても、こんな隙間から対岸に渡れる橋が伸びているとは気づかないよ。おかげでぐるっと大回りをしてしまった。

雪がなければ、もう少しわかりやすかったのだろうか?

老松温泉、本当に神秘的な場所だった。

13:34
民宿街に復帰ついでに、昨日は中に入れなかった「那須温泉昔語り館」に入ってみることにする。今日は鍵がちゃんと開いている。

中は特にスタッフさんが待機しているわけでもなく、無人だ。さほど広くないスペースに、那須温泉の歴史を紹介する写真や図が掲示されていて、なかなか面白い。

那須岳の山腹には、那須湯本のほかに大丸、北、八幡、高雄、三斗小屋などいろいろ温泉地がある。そういった場所の写真が見られるのはとても興味深い。

昔は混浴が当たり前だったので、女性がオパイ丸出しで写真に写っているのが見られるから、じゃないぞ?

実際にそういう写真はある。ああ、本当に混浴だったんだな、という感心と、男女ともにバスタオルを腰巻きにしているのも感心させられた。つまり、混浴だからといって性器そのものを丸出しにするわけじゃない。でも、女性においてふくよかな胸、というのはさほどセクシャリティな存在ではなかった、ということなのだろう。

時代とともに文化は移ろい、何をもって性的だと感じるかは変わる。

話が前後するけれど、これを書いている2021年1月は新型コロナウイルスが大流行している。みんなマスクをしているわけで、すっぴんの女性どころかマスクを外した女性を見ることさえ機会が減った。この状態がずっと続くと、いずれ「女性のくちびるはエロい」という性的な存在になっていくだろう。

「いや、でも食事をするときはマスクを外すし。エロくなりようがない」と思うかもしれない。でも、「くちびるはエロい」という方向に世の中が向かい始めたら、そうなっていくのだよ。マスクとは、エロいくちびるを隠すための下着となる。

那須湯本の鳥瞰図。「洛中洛外図」のようだ。

いつの時代のものだったか、確認を忘れたけど昔から立派な温泉街が形成されていたことがわかる。

今の地図と照らし合わせてみたいのだけれど、なにせ遠近感のない和風な描き方だし、随分デフォルメされているっぽい。写実主義とは真反対だ。そのせいで、この建物が立ち並んでいるのが今のどこにあたるのかさえ、よくわからない有様だった。

温泉旅館に挟まれる場所に、まっすぐ護岸工事された川が流れている。これが今のバス通りだろうか?そして、絵の上のほうにもう一つ、自然の流れな川がある。おそらくこれが湯川だ。

旅館名が書かれているので、地図と見比べてみた。しかし、現存しているものは殆どないようで、「新小松屋」と「松川屋」だけが確認できた。

面白いのは、当時の共同浴場が護岸工事された川岸に、規則正しく一定の距離感をもって並んでいることだ。上流から「行人の湯」「鹿の湯」「御所の湯」「中の湯」「河原の湯」と続く。絵の縮尺が正しいとは到底思えないのだけれど、かなり近い距離同士で共同浴場が並んでいたことが伺える。

賽の河原の入り口あたりだろうか?「元湯」と書かれた場所がある。しかしここはもくもくと煙を上げている岩が描かれていて、おそらく入浴する場所ではなかったのだろう。あと、その近くに「滝の湯」という共同浴場も見受けられる。

あっちこっちで、幌馬車が走っている様子が描かれている。黒磯方面からの往来として、バス代わりによく使われていたのだろう。塩原温泉も幌馬車で人を輸送したというから、ここと一緒だ。

なお、老松温泉はここには描かれていなかった。老松温泉は大正9年には存在していたらしいので、この絵は明治時代のものだろうか。

こちらは明治21年のもの。

絵の内容は先程のものと殆どかわらないが、もっとこっちの方が雑に描かれている。

2つの絵がともに似た構図と内容になっていることから、おそらく実際に那須湯本はこうやって温泉宿が長屋のように立ち並んでいたのだろう。

この絵にも、行人湯からはじまる共同浴場がずらりと並んでいるのが描かれている。

この当時は「宿の中に内湯がある」という文化はなかったので、旅館に泊まる人たちは外の共同浴場に出かけていたはずだ。そもそも、明治時代だったら宿で食事が出たかどうかも不明だ。昔は、素泊まりが当たり前で、療養のために訪れた人たちは自炊をして過ごしていた。

13:37
滝乃湯に戻る。

昔と比べて、滝乃湯の場所は変わったようだ。そもそもこの湯は「行人の湯」が源泉だ、と成分表に描かれていたが、それは一体どこにあるのだろう?と不思議だった。しかし、先程の明治時代の地図を見ると、行人の湯は確かに存在していたことがわかる。今は、そういう名前の共同浴場がなくなってしまったけど、源泉名としては残されている。

さて、滝乃湯脇に、「芭蕉の足湯」と書かれた看板が見える。これは一体なんだろう。ためしに行ってみた。

当たり前だけど、たぶん足湯があるのだろう。

しかし、雪で埋もれていて、足湯どころじゃなかった。

どうも、この界隈で足湯をたのしみたければ、湯本バス停すぐ近くの「こんばいろの湯」一択になるらしい。

14:27
冷えた体を滝乃湯で温め、ほっと一息つきつつ部屋に戻る。

夕食まで何もやることがない。素晴らしい。この「やることがない」というのが、いかに心を癒やしてくれることか。

もちろん、結果的にパソコンを立ち上げてあれこれ作業をやるんだけれど、「家事が」とか「買い物を」とか「美術館が」といった俗世間を気にしなくてよいのが、本当に気楽だ。

気楽すぎて、つい昨日買ったパンを食べちゃったよ。お昼、既に蕎麦を食べていたのに。

kanel breadのパン。

おいしゅうございました。

(つづく)

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