ずいぶん、しんどくなってきた。
僕は周期的にそういう時期がやってくる。生きていることが、しんどい。
「生きている価値なんてないんだ」みたいな鬱々とした状態というのとはちょっと違い、世の中全てのことがうっとおしく、邪魔に感じられてくる。
頭の回転が落ちているのだろう、マルチタスクが極端に苦手になり、同時に複数のことができなくなってくる。いや、できなくはないのだけれど、軽いパニックと恐怖心を感じるようになる。
とはいっても些細なことだ。朝、シャツの袖に腕を通しながら、今日のソックスは何にしようと考える・・・そんなレベルのマルチタスクでさえ、焦る。「どれが一番最短ルートで、正解な動作なのか」と考え、二の足を踏む。
ソックスを決めてからシャツを手にしようか?それともシャツに腕を通しながら、その伸ばした手の勢いそのままにソックスが入っている籠に手を伸ばそうか?
本当にどうでもいいことに、悩む。こういうのが一日中チクチクと続くと、さすがに疲れてくる。ああ、しんどいなぁ、と。
同じことは過去に何度もあった。肉体的にキツかったときもあったし、精神的にキツかったときもあった。それを全て救ってくれたのが、僕にとっては「温泉療養」だった。
2014年12月に、僕は那須湯本に行って2泊の療養を行った。
そこで、ずいぶんと助けられたものだ。このあと、毎月のように温泉療養を行い、心身ともに快方へと向かっていった。
ひたすら、湯につかる。そして、食事は宿任せ。旅行とはいえ、観光は殆どしない。敢えて観光地ではない温泉宿に籠もる。
そうすることで、「あれもこれも、やらなくちゃ・・・」という日常生活の選択肢から解き放たれる。好き勝手にできる生活というのは、時にはストレスになる。むしろ制約が多い方が良いこともある。僕の場合は特にそうだ。
ただ、この「温泉療養シリーズ」、2014年~2015年シーズンは大変に満足感と達成感を覚えることができたものの、今になって当時の文章を読み返してみると、怪しい精神状態だったことがよくわかる。
温泉療養シリーズ第三弾となった「岩手県・大沢温泉」編。
それまで2回の温泉療養を経てずいぶん体調が良くなった、という話の中で、僕はこんなことを書いている。
アラームを一日のうちあちこちで鳴らすことにしてみた。
潜入、湯治宿【大沢温泉】
起床時間にアラームが鳴るところから一日が始まる。これは誰しも一緒。
朝、休みの日ならついついゴソゴソしてのんびりしたり、テレビをぼんやり見たりしてしまいがち。しかし、起床時間から30分後にはまたアラームが鳴る。朝食を食べる時間だよ、という合図だ。
11:50になるとまたアラームが鳴る。そろそろお昼ご飯の時間だから今やっていることの区切りを付けなさい、という予告だ。で、12時になったらアラーム。お昼休みだ。ここでお昼ご飯を食べよう。
13:00にアラームが鳴るまでは、意識的にのんびりとする。午前中にやってきた、娯楽でもブログ更新でもなんでも一時中断。で、13時になったら再開してよろしい。
17:50にまたアラーム、18:00には「今やっていることを打ち切って風呂に入れアラーム」、19:00には「夕飯食えアラーム」。
24:00になったらルータの設定によりネットが自動的に遮断される。以降、翌朝7:30までネットは使えない。さらには、頭上のLEDシーリングライトが24:30に自動消灯されるので、だんだん24:30に向け部屋が暗くなってくる。強制的に、だ。なので就寝準備を進めないといけない。24:30にはお休みなさい。
この様式を会社に行かない日は取り入れてみたが、とても具合が良かった。
鬼気迫る変なことを、「快適に生活できる方法を見つけたぞ!」とペラペラ喋っている。今振り返ると、やっぱりまだ調子が悪かったようだ。
いずれにせよ、2018年1月は「日常生活の選択肢があること」に押しつぶされそうになり、その状況が2015年のときと酷似していた。だったらまた、温泉に行かなくちゃ。
宿を新たに探すのも「選択肢」だ。もうそれだったら、一番最初に行った那須湯本温泉の、同じ宿でいいや。
2018年01月28日(日) 1日目
09:10
今回の温泉療養は、日曜日発の2泊という変則的なスケジュールになった。
特にこの曜日がいい、というわけではない。単に、宿の空きにあわせただけだ。
前回同様、那須湯本の宿は「松葉荘」を利用する。内湯なしの4部屋しかない、こじんまりとした宿だ。スッと部屋の予約がとれるわけじゃない。
結果的に平日にまたがる宿泊になるわけだけど、そのほうが人が少なくて気が楽だ。毎度毎度感じることだけど、「療養するなら最低2泊」「平日泊はゆったりできる」というのは真理だ。
朝、上野駅から宇都宮線に乗る。那須に行くにあたり、公共交通機関に依存するというのは療養の勘所だ。那須高原はあちこちに飲食店・観光施設が点在している。自分で運転できる車があると、ついあちこちウロウロしてしまう。それでは療養にならない。
ウロウロできないことへの諦めがあってこそ、腰の座った療養ができて効果が出る。
09:16
宇都宮線のグリーン車2階席に乗り、ノンアルコールビールで謎の祝杯を上げる。何に対して乾杯しているのか、わからない。
新幹線を使って那須塩原までビューンと高速移動しないのは、やっぱり「2泊も温泉に泊まりに行く」ことに対して、自分なりの罪悪感があるからだ。「療養」と称して贅沢しやがって、という気持ちがあるので、その罪滅ぼしで在来線を使う。
でも、グリーン車に乗ってるわけで、これはこれで贅沢だ。しかし、通勤電車のロングシートに座るより、はるかに疲労感が少なくて済むし気持ちが落ち着く。
10:16
上野から1時間も走れば、雪が広がる大地が車窓から見えるようになった。
駅間が長いので、電車が加速・減速することが少ない。それが単調なリズムを生み出し、心を癒やしてくれる。
11:04
電車は2時間弱で宇都宮に到着。
観光の計画をぎゅうぎゅうに詰め込んでいるのでなければ、宇都宮方面に観光に行くなら、新幹線じゃなくて在来線で十分だと思う。パソコンを広げてあれこれ作業をやっていれば、あっという間だ。
11:05
前回、那須湯本に温泉療養のため向かった時、宇都宮で餃子を食べよう!とドン・キホーテ地下にある「宇都宮餃子会 来らっせ」に行ったものだ。
土地勘がなかったのでバスで移動したけれど、「バスに乗るまでもなかったな」という距離だったっけ。
今回も、JR宇都宮駅から東武宇都宮駅方面に向かう予定だけど、バスは使わないでいく。
あくまでも「温泉療養」が目的の旅だ。あれこれ観光を旅程に入れるのはご法度だ。とはいっても、さすがに二度目の那須湯本ともなれば、少し色気が出てきた。ちょっとだけ、食べ歩きをさせてください。
今回の目的は、「宇都宮焼きそば」だ。
宇都宮といえば、餃子の町というイメージがある。でも実は、それに隠れるように、密かに焼きそばも庶民に愛されているそうだ。へえ。全く知らない。
単なる焼きそばならノーサンキューなのだけど、宇都宮の焼きそばは独特の「渋さ」があるということなので、何軒か行ってみることにした。
11:08
駅から歩いていく途中にも、焼きそば屋が見えた。
へえー。驚いた。
宇都宮には、餃子専門店があちこちにある。それだけでなく、焼きそばの専門店もあるのか。面白い。
看板に「やきそば 定食 酒」と書いてあるのも面白い。「やきそば定食」ってどんなものだろうか?焼きそばをおかずに、白いごはんを食べるのだろうか?
11:19
最初に訪れたのが、「石田屋やきそば店」というお店。駅から歩くと、それなりの距離がある場所。でも、その分宇都宮の街歩きが楽しめてよかった。
見るからに老舗!という外観。
焼きそば屋だからといって、ちっこいお店ではなくしっかりした間口を持っている。それだけお客さんがやってくる、ということだろう。
おお、渋いねえ。壁も、机も、椅子も、調味料入れも、全てが渋い。
観光客としては、こういう食堂に入れることに喜びを感じる。
恐るべきことに、このお店は本当に焼きそばしかメニューがない。
バリエーションとして、具の種類が違うだけだ。
東京で「焼きそば屋」って、殆ど見たことがない。高島平に「あぺたいと」というスゲー美味い焼きそば屋はあるけれど、人口の多さの割には、焼きそば屋の存在はマイナーだ。
せいぜい、あったとしても「酒もあります、つまみもあります」というスタイルのお店だろう。そうやて客単価を上げていかないと、焼きそばで商売が成り立つだなんて想像がつかない。
いやあ、潔すぎて、このメニューが眩しく見える。すごい。
石田屋のやきそばの場合、ベースとなる具は「野菜」らしい。これで450円。
ここに、玉子、ハム、肉という具を加えるかどうかで値段が変わっていく。全部のせになると、「石田屋特製ミックス」という名前になる。
サイズは4パターン。並・中・大・特大。
「小」という概念はない、というのが微笑ましい。お腹いっぱい食べていってくれよな!というお店の愛情がひしひしと伝わってくる。
それにしても、「肉」と「ハム」が両方とも入っているって、すごい肉祭りだな。
(つづく)
コメント