13:10
分岐の看板が見える。どうやら、ここが「二の鎖」の分岐らしい。
右に行けばウキウキな迂回路、左に行けばワクワクの二の鎖。さあ、あなたはどっちに向かう?
・・・考えるまでもないな、一の鎖をスルーした以上、いまさら二の鎖は登れない。せっかくなら全部踏破したいじゃないですか。
「下りのときに鎖場を使う、というのはどうか?それで三の鎖から一の鎖まで全部踏破すれば、修行したことになるのではないか?」
という気がする。しかし、こういうのは上りよりもむしろ下りのほうが危険かもしれん。滑落して「あっ」と後悔したときは成仏しているような岩場なので、自信がないならやめておいたほうがいい。どうせ煩悩まみれの僕が、いますぐここで解脱できるわけでもないし。ああ、うまいもん食いたい。(やけになって、無理やり煩悩まみれになってみる)
そうはいっても、ひとまず二の鎖さんにごあいさつはしておかなくちゃ。横を通過するのに、「どうも」の一言も声がけしないのは失礼。「うひょー、こりゃすげえ斜度だ!こいつァ登れねぇ!」という驚きと納得をしたい。
いったん、二の鎖の分岐に入ってみる。
しかし、ちょっと分け入った程度では、鎖の姿は見えなかった。もう少し登った先から鎖場がスタートしているらしい。
そこまで歩いていくのも面倒なので、鎖さんにご対面する前に折り返した。体力を消耗したくないんだ、少しでも。
二の鎖分岐のところに、お地蔵さんのような石像がいらっしゃった。
お地蔵さんが赤いよだれかけ(のようなもの)を身にまとうのに対し、こちらのお方は白い。仏教系ではなく神道系なので白、なのだろうか?よくわからない。
いずれにせよ、二の鎖での修行の無事を願っての信仰の対象なのだろう。「すいません今回は鎖には行きませんが、ご容赦を」と頭を下げておく。
13:13
ここからが一気に階段がキツくなる。
これまでも感心するくらいに階段続きの山だったけど、それに勝る階段尽くし。まるでビルの非常階段だ。
「バカめ!鎖場を迂回したら楽だと思っただろう?そうはいくか!」
とばかりに、グイグイと階段で真正直に標高を稼いでいく。
13:15
もうね、階段に躊躇がないんだわ。「どうしようかな、普通の登山道では対応できないっぽいからそろそろ階段にするかな」なんてためらいがない。スパーンと階段、しかもハシゴ段にしてしまう。
13:15
すばやく標高を稼いでくれるので、グイグイ登れて気分的に楽ではある。しかし、体力的にはキツいに決まってる。うはあああ、しんどい。
13:22
案内看板が見える、と思ったらここが二の鎖上部。やっぱりここも、迂回路からは鎖場そのものを見ることはできない。
残り400m。
登山の場合、この距離ってのはあまりあてにならない。400mといっても、標高差がごっついある400mもあれば、水平移動に近い400mだってあるからだ。
13:24
←鎖道
と書かれた看板がある。三の鎖への誘い。いや、すいません辞退します。
13:24
三の鎖分岐。やっぱりここも、鎖の姿は見えず。
三の鎖を上りきった先が山頂直下のはずなので、もうこの登山は大詰めなんだと思う。しかしそれは鎖を使って直登した人の話であって、迂回する人はもう少し階段めぐりをお楽しみください。
13:26
面河(おもご)渓からの登山道と合流。こうやってあちこちからの登山道が合流するということは、山頂が近いということだ。
こうやって自分を励ます。
13:27
階段のすごさは笑っちゃうしかないのだが、特にこれなんてどうよ?
宙をまたいでいるぞ。こうなってくると、階段とかハシゴとかの類ではなく、「橋」みたいになってる。
どうも自分が歩いている頭上から人の話し声が聞こえてくると思ったら、階段が見上げるような場所にあるからだった。
よくこんなところに登山道をこしらえたものだ!
昔は鎖場しかなかったのだろうな。だから、今やこうやって階段が整備されているのは、贅沢かつ軟弱なご時世なのだろう。昔だったら、石鎚山の山頂に立てる人、というのは鎖場を使った勇者に限られていたに違いない。
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