2016年の登山シーズンは、6月に筑波山を登頂することで幕を開けた。
この後しばらくは梅雨のシーズンとなり、様子見だ。天気が安定するまで登山は控えておこう、なんて考えているうちに、夏が過ぎ気がついたら秋の虫がリーンリーンと鳴く季節になっているのが例年のパターン。今年もまさにそのパターンを踏襲する予感がする。
せっかく重い腰を上げて筑波山に登ったのは、「今年中に山中一泊登山をやりたい」と思ったからだ。そのためには、まだ体力が足りない。なによりも気力が足りない。もっと鍛錬して、高山に霜が下り始める前に3,000mクラスの山を目指さないと。
そんなわけで、8月にひとつ山を突っ込むことにした。
どこに登ろう?と考えた際、思いついたのが四国の百名山だった。四国には二座、百名山がある。徳島県の剣山(つるぎさん)と、愛媛県の石鎚山(いしづちさん)だ。どちらもさほど難しい山ではないのだが、なにせ「四国」だ。東京在住の身としては、行けるときにえいやっと行っておかないとまずい。
僕の歳がすでに42になっていることを踏まえれば、実はあまり時間が残されていない。死ぬまでに百名山を全部登頂するためには、面倒くさい場所の山も随時組み込んでおかないといけない。お手軽な首都圏近郊の山ばかり食い散らかしていたら、歳を重ねるにつれどんどん「行くだけで面倒な場所ばかり」の山が残ってしまう。
結局、今年は石鎚山に登ることに決めた。ちょうどお盆の帰省先は岡山だ。瀬戸大橋を渡って、実家から日帰りで登山してくればよかろう。調べてみたら、登山口から往復6時間の行程らしいのでちょうど手ごろな規模感だった。
一方の剣山だが、こちらはもっと難易度が低い。リフトがあるので、それを利用すればずいぶん楽に登れそうだ。こういう楽なものは後回しにするに限る。
・・・ああ、こうやって自分は老いを実感するのだな。昔の自分なら、「まず楽なほうからやろうぜ、面倒だし」とヘラヘラ笑いながら即決していた。しかし、自分の体力が衰え始めているのを実感するようになると、「きついヤツこそ先に対処しないと」と思えてくる。それもこれも、自分という存在がいつかは死ぬものである、ということを認識しはじめたからだ。ああいやだねえ、生きるって切ないねぇ。
2016年08月17日(水)
09:07
朝8時ころ、岡山の実家を出発する。瀬戸中央自動車道に乗り、瀬戸大橋をひとっ走り。
気軽な一人登山なはずだけど、「実家を踏み台にして遊んでいる」ということがなんとなく罪悪感を覚える。とっとと登山を終え、とっとと帰宅しようと若干焦り気味。
独身の僕は、いまだに両親からすると「未熟な子供」に見えているらしい。車を借りるまで一苦労だったし、借りたら借りたでさんざん「車の運転は気をつけなさいよ」「無茶しなさんなよ」と諭されまくっている。帰宅が遅くなったら、「遅くまで何やってるの」といわれかねない。42歳にもなって、親からあれこれ言われるのは結構イヤなものなので、早く帰宅したい。
岡山から石鎚山の登山口までは2時間ちょっと。車でヒョイといける時間なのだが、瀬戸大橋を渡るのでお金が結構かかる。よっぽどJRの特急列車で行こうかと思ったけど、登山口にアプローチするバスの便が少なく、断念した。1日4便。往路はまだしも、復路をうっかり逃すと山の中で立ち往生となる。まあ、バスの便がボトルネックになるというのはどの山においても一緒なのだけど。
当初、下山後JR伊予西条駅から深夜バスに乗って東京に早朝帰着、というプランも考えた。実家に戻らず、そのままおいとまするというわけだ。東京への交通費という点でもメリットがあったのだが、さすがに登山後、汗臭いヤツがバスに乗って一晩中同じ車内にいる、というのは周囲の人にとっては大迷惑だろう。マナーとして、やめておいたほうがよさそうだ。
途中、高松自動車道の豊浜サービスエリアに立ち寄る。ふだん、首都圏のSA・PAしか利用しないので、こういう地方のSAにびっくりしてしまう。えっ、これってPAじゃないの?って。感覚が麻痺してるんだな、きっと。「トイレと自販機だけなのがPA、それ以外の付帯施設があるならSA」くらいなのが世の中一般の平均のはずなのに。
ここで本日の食料を買っておく。水も。そういったものを現地調達しようというのはずいぶん舐めた態度だと思うが、許せ。実家にいると、なんとなくそういう雰囲気じゃないんだよな。登山靴を持って帰るのがやっとで、それ以外は特にこれといった装備は持っていない。せいぜいヘッドライトくらいだ。
石鎚山の山頂には、有人の山小屋があるという。日帰り客にも食事を提供しているという話なので、ここでお昼ご飯を食べたいところだ。「山小屋一泊」はまだ時期尚早でも、「山小屋でメシを食べる」ことでその雰囲気を味わいたいからだ。
しかし、山小屋で万が一メシの提供をやっていなかったら悲惨だ。「昼でもメシを提供するのはお盆までですよ」とか「週末だけですよ」なんてことがあったら、飢えてしまう(普通はありえないけど)。また、道に迷って遭難した場合、予備の食事を持っておくことは必須だ。
09:33
いよ西条ICで高速道路を下りる。
国道11号に合流するところに、「石鎚山登山口」という大きな看板が出ていた。とても親切だ。おお、待っていてくれたのか友よ。
なんでわざわざ登山口のご案内がインター出口にあるのかというと、登山口には石鎚神社があるからだ。看板の主は、この石鎚神社というわけだ。
石鎚山というのは険しい山で、標高1,982mは西日本で最高峰となる。この事実は今回登るまで知らなかった。てっきり最高峰は鳥取県の伯耆大山だと思っていたからだ。あと、鎖場があちこちにあるような岩山で、それ故に修験道の聖地ともなっている。登山をするのに不足はない。前回の筑波山とはうってかわって、ガッツリとした山登りが楽しめそうだ。
そんなわけで、山麓および山頂に石鎚神社があり時期によっては大層賑わっているのだという。山伏みたいな人がいっぱいいるのだろうか。火渡りの儀式とかやるのだろうか。今日、そんな人にはお目にかかれるのだろうか。わからない。
そもそも、山岳宗教ってのが謎だ。仏教なのか神道なのかさえ、よくわからん。まあいいや、無礼のないよう、聖なる山を歩かせてもらおう。
09:59
しばらく国道11号線を松山方面に進んでから、ぐいっと曲がって山の方向に向かう。
一気に田舎道に変わる。
途中、なにやらカラフルな絵が描かれたシャッターの建物があった。
「霊峰石鉄山岳伝説」と書かれている。「石鉄山」ってなんだ?恐らく「石鎚山」を簡単に書くと「石鉄山」なんだろう。
シャッターには、「神仏習合」と書かれていて、大日如来(真言宗における最高の存在)が鎮座してらっしゃる。あと、天狗の絵とか象の絵とか。なんだか謎だ。むしろこのシャッターの方が伝説めいている。あと100年保存できてりゃ、伝説確定だな。
09:59
ああ、そうか!
ここはへんろ道でもあった。黒瀬湖を横目に見てすぐのところに、「六十番 横峰寺」と書かれた分岐表示がある。ということははるか昔、お遍路の際にここを通り過ぎたということか。
調べてみたら、石鎚山で修行をしていた修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ=役行者)ゆかりの寺なんだとかなんだとか。へー。
10:00
四国は絶景の国、とよく言われる。もともとテレビ番組「水曜どうでしょう」での名ゼリフなのだけど、実際に走ってみるとそれがよくわかる。ちょっと山道になると、すぐに人里離れた山奥感が醸し出されてくる。一体ここはどこなんだ、という気持ちにさせられる。
石鎚山はどこじゃーい。
10:17
道路は分岐し、石鎚山の登山口となる場所で行き止まりになる道を走る。集落らしき集落もないし、行き止まりだしで地味な道なのだけど「県道12号」を名乗っている。かなり早い段階から整備された道なのだろう。それだけ昔から重要な道だった、ということだ。
そんな道の果てに見えて来たのが、「歓迎 ロープウェイ入口」というアーチ。かなり古めかしく、おんぼろだ。これぞ昭和レトロ、っていう感じ。
セミの鳴き声がこだまする中、静かにこの光景がたたずんでいる。詩的なシチュエーションにも見える。人の気配はあまりない場所だ。
このアーチの左側には大きなひさしがせり出している平屋があり、「京屋旅館」を名乗っている。旅館っぽくはないけど、旅館らしい。で、このひさしが商店街のアーケードのようになっていて、奥へと進むことができる。看板によると、この京屋旅館の奥に駐車場があるらしい。
えー、なんか私有地の敷地に停めるの、やだなー。ここからロープウェイが走っているわけだし、ロープウェイ用の無料駐車場ってないの?それとも、自治体が運営するコインパーキングとか。
あ、ないんですか。そうですか。
この地において駐車場は、ここしかないらしい。いや、他にもあるのかもしれないけど、とにかく目にとまるのはここだけ。
京屋旅館のアーケード両脇には土産物屋がある。食堂もある。
売られているものは微妙で、ちょっと僕の趣味ではなかった。昭和レトロすぎる。
アーケードの途中で「一時停止」の看板があった。ここで待ち構えていた親父さんにお金を払うことになる。この先の駐車場は有料。「土産物を1,000円以上購入したら無料」なんて温情はなく、容赦なくお金を取る。
700円だからかなり高いと思う。
700円の駐車場。山を開拓して平地を作った努力は買うが、「いい商売してるな」と思う。独占的に儲けられるわけで、観光の人、修験道がらみの人、そして僕のような百名山登山の人。仮にここの駐車料金を1,000円に値上げしても、相変わらずみんな駐車すると思う。だって代わりになる場所がないのだから。
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