2021年09月25日(土) 2日目

08:13
高崎療養、2日目の朝。
大浴場付きのホテルなので、夜も朝も何度も入浴している。お陰で、体が楽だ。
やっぱり長湯はいいものだ。そして、何度も繰り返し風呂に入るのはとてもいい。医学的には正しくないのは承知で、他人に奨められないけど、僕にとっては少なくとも肉体・精神双方の回復効果があると感じている。
あと、何よりも「夜、何時に寝ても構わないぞ!だって、翌朝に特に予定がないからな!」という自由さが凄まじく僕の昨晩をリラックスさせた。同棲、結婚、子育てを経た数年間、夜を過ごすときはいつも翌朝の予定を気にする日々だった。
当たり前すぎる話なのだが、40歳過ぎまで独身だった僕にとって、人生の半分以上が一人暮らしだった。お陰で、仕事がある平日はともかく、週末などは自由を満喫したものだ。
その感覚を久しぶりに実感すると、嬉しいと同時に照れる。
こういう体験をさせてもらえるのも、家で弊息子タケを相手どっているいしのお陰だ。
ただ、いしはいしで「タケと二人っきりで過ごす」ことを大変エンジョイしており、僕にしろいしにしろ今回の体験に満足している。我が家は夫婦ともに子煩悩で、タケちゃんタケちゃんと子どもを取り合っているような状態。むしろ子どもを独占できるというのは嬉しかったりする。
ホテルの部屋の窓から外を見ると、目の前に大きなマンションがそびえていた。その他にも、アパートや一軒家がたくさんある。百貨店や市役所がある駅西口側と比べて、駅東口側はのんびりした場所っぽい。便利だな、新幹線駅に徒歩でたどり着ける。

08:27
朝食ビュッフェを食べに行く。
「人を見たらコロナと思え、モノを見たらコロナを疑え」という時代だ。そういえば、ビュッフェのトングなどでウイルスが感染するんや!不特定多数が行き来してモノを触るビュッフェは危険!とかいう研究が発表されていたな。
しかし、後日、「コロナウイルスが接触感染することは少ない」という研究結果も発表になり、2020年~2022年頃までクッソ必死になって机をはじめとする什器やらなにやらをアルコール消毒しまくっていたのが無駄な努力だったということが判明している。
コロナウイルスがビュッフェレストランのいたるところに付着する、ということがあったとしても、そのウイルスが誰かの手に付着し、さらに口なり目なりの粘膜から体内に侵入し、体内の免疫機能をかいくぐって増殖する、というのは大変なことだ。
「ビュッフェでコロナが伝染る!」というのは、可能性としては有りえても、確率としては低い、というわけだ。
この手の「やばい!感染するゥゥゥ!」と可能性をやや大げさに示唆する研究というのは、当時枚挙に暇がなかった。そこで大活躍したのがスーパーコンピューター富岳で、こいつが「人の口からブボボボボとウイルスを周囲に飛散させるシミュレーション動画」というのを当時の国民は散々見せられていた。
「ランニングしている人と道路ですれ違う際、ランニングの人がもし陽性者だったら・・・ッ!ブボボボボ、とウイルスが空気中に飛散し、通りすがりの善良なる市民にもウイルスが付着するぅぅぅぅッ!キャアああ!」
というようなシミュレーションが発表になると、それ以降はハアハアいいながら走っている人でさえもマスクを着用し続ける羽目になった。これもまた、ウイルスが空気中に飛散するけれど、それがどの程度の確率で自分の体の中に入って増食しますかね?というのはあまり考慮されていない。
まあ、日本人という性格ならでは、なのだろう。今思えば。「もし問題が起きる可能性があるなら、その可能性は潰しておかないと」と針小棒大にものごとを捉え、社会制度が複雑化したり社会維持のコストが増える。

わたくしの朝食。
「食べたいものを選びました」というわけではなく、「そこにあったものを(ほぼ)取ってきました」という状態に。
1回の巡回でほぼ全種類の料理を取り切れる規模のビュッフェ、僕は好きだな。気合が入りすぎてあれもこれも料理があったり、料理が並ぶビュッフェカウンターが複数あるのは頭が混乱する。あれこれ食べたいけど、「一巡目はこれを取って、二巡目は・・・」などとあれこれ考えたくない。
一度にほぼ全部の料理を取ってきた結果、鮭の塩焼きの隣にクロワッサンがあったり、カレーライスがあるのに海苔や納豆、生卵といったご飯のお供があったりする。さあて、これ、どうやって食べようか。

09:25
チェックアウトして、高崎駅の西口に向かう。
これまでの僕の人生は、ビジネスホテルに泊まることは少なかった。もっぱら、温泉旅館だった。旅館の場合、朝食後もチェックアウト時間までもうちょっと部屋でダラダラする余韻があるものだが、ビジホというのはそういうのがない。
部屋が「寝るための場所」でしかないことに今更驚く。

今日も、昨日から引き続いて歩け歩けの一日にするつもりだ。
高崎で有名な場所といえば、達磨で知られる少林山達磨寺、天高く白くそびえる高崎観音だ。地図で見ると、この2つは近くはないのだが、その気になれば歩ける距離だった。
せっかくだから、この2つを歩いてみることにした。そうなると、高崎観音から高崎駅も歩けるな・・・と欲がでてきて、どんどん一筆書きの距離が伸びていく。
じゃあどうやって一筆書きをしようか、と地図をじっと見ていると、ジェラートが食べられる「みるく工房タンポポ」があったり、高崎市染料植物園、洞窟観音といった施設があったりする。せっかくだからそういうところも立ち寄りつつ、ゴールとなる高崎駅を目指そう。
「るるぶ」といった本はノイズでしかないので一切見ていない。見ているのは、Googleマップだけだ。なので、事前情報がとても少ない。でも、「一筆書きで歩くきっかけ」があれば僕は満足なので、目指す中継地点が大して面白くなかったとしても全然平気だ。

今日の街歩き、といっても大半が山歩き、のスタート地点になるのが少林山達磨寺だ。
さすがにそこまで歩いていくのは面倒だったので、バスでお寺まで行くことにした。
西口のバスターミナルには、ピンク色の屋根がとても目立つ「くるりん」という小型バスがあちこちに停まっていた。
どうやら高崎市は、大きな乗り合いバスよりも小回りがきくコミュニティバスを多く活用しているらしい。

09:24
目指すバスを見つけたので、乗り場に向かう。4番乗り場。
バスというのは地元民の利便性のために作られているため、外部の人間から見ると意味不明なルートを走ることが多い。グネグネと路地を分け入ってみたり、Uターンしてみたり。時刻表を見ると余計頭がこんがらがる。
達磨寺行きは4番。それさえ覚えておけばオッケー。

09:56
ということで約30分後、達磨寺の前のバス停で下車。少林山入口バス停。

縁起だるま発祥の寺、なのだそうだ。
赤いだるまがお出迎え。おっ、両目が入っているな。
黄檗(おうばく)宗。えーと、なんだっけ。あんまり馴染みがない仏教の宗派。
このややこしい漢字の読み方を知っている、ということは学生時代に日本史で学んだのだろうが、全然覚えていない。
ちょっと調べてみたら、臨済宗、曹洞宗と並ぶ禅宗の一派だということがわかった。ああそうか、だるまは坐禅だもんな、当然禅宗か。今頃になって気がつく。
そしてこの黄檗宗、江戸時代になってから隠元禅師を中国の福建省からお招きして始まったものだった。道理で、日本史で習ったはずなのに記憶が薄いわけだ。
隠元和尚といえばインゲン豆を日本に伝えた、という言い伝えがある人だ。それは覚えていた。おまけ話の方だけ覚えているとは。
旅って良いよな、こうやって古い知識を脳の奥から蘇らせたり、新しい知識を追加できる。家とその半径数百メートルだけで生活していたら、なかなかこういう知的な出会いを得にくい。

元禄時代に曹洞宗のお寺として作られたが、享保年間に黄檗宗に改宗した、と書かれている。
伽藍の作りはちょっと変わっている。黄檗宗ならではの作りなのか、山の中にあるお寺なので土地の都合上たまたまなのかは不明。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
応仁の乱の西軍の総大将山名宗全につながる山名氏は、この地方の豪族が発祥だそうです。
歴史を感じる地名ですね。
ゆうどんさん>
おおーーー山名宗全!久しぶりに聞いた名前だ!赤入道!
僕は高校時代、社会の選択は日本史だったんですが、
・明治大正あたりで時間切れになって、戦後まで習わなかった
・明治時代に入ってから文化・芸術・政治・経済・世界情勢が入り乱れ、わけがわからなくなった
・南北朝・応仁の乱あたりのゴタゴタをちゃんと記憶できなかった
ということで今や殆ど覚えていないです。みなさんはどうなんですかね?覚えてます?日本史。
一応学生時代に日本史の成績は良かったので、当時は記憶力のみでなんとかなっていたんでしょう。でも、すぐに忘れてしまったのは残念。