一人旅で心のリフレッシュ、ひたすら歩く歩く旅【高崎】(その1~14)

2021年9月、おかでん家に赤ちゃんがやってきてだいたい半年が過ぎた頃のおはなし。

パートナーのいしは弊息子タケが生後4ヶ月になった時点で新しい職場に就職した。4ヶ月目から働くために出産3ヶ月後には就職活動を開始し、都内どころか都外にも面接に行ったり職場を見学しに行っていた。

その間の子どもの面倒は僕が見るとはいえ、まだ出産に伴う体力の衰えが回復していない時期なので彼女は大変だった。出産前にいた職場に復帰する、という選択肢もあったのだが、これを機にジョブチェンジがしたい、という本人の希望で慌ただしい日々だった。

生後4ヶ月という早い段階で弊息子が保育園に通うようになったのは、共働きを持続させないと我が家の家計が厳しい、というのが正直なところだ。正社員として育児休職に入っていれば、いろいろな休業補償制度を活用できただろう。しかし、いしは出産とともに退職(というより、契約社員の契約期間満了による円満退職)だったため、専業主婦状態だった。

来年4月に弊息子を家の近所の認可保育園に入園させたい、と願ったら、我が自治体では「共働き実績が4ヶ月以上あること」という条件をクリアしていないといけない。認可保育園の入園願書を役所に提出するのは11月なので、それまでに安定して働いているという状態を作っておく、ということになる。逆算すると、この時期に共働き開始=子どもが保育園入り、という段取りとなった。

0歳児保育を実施している保育園は、全保育園の一部だ。そして0歳児はとても手間がかかるので、定員が少ない。4歳児、5歳児を20名近く預かっている保育園でも、0歳児クラスは5名程度、というのはザラだ。このため、我が家の近所で0歳児クラスの空き定員がある保育園は見つけられず、自転車で15分かかる遠方の認証保育園のお世話になることになった。

翌年4月に転園するまでの8ヶ月間、毎日自転車で往復30分かけての送り迎えとなった。なお、抱っこ紐で赤ちゃんをおんぶして自転車を運転するのは、道路交通法上問題ないことは確認済みだ。ただし、自分の身体の前に赤ちゃんを抱っこして運転するのは確かアウトだったと記憶している。安全第一。


保育園に通う、ということは、赤ちゃんが病原菌と遭遇するということでもある。

なにせ、これまで家にいてママにべったりの赤ちゃんは病気に対する抵抗力をほとんど持っていない。その状態で子ども達が集結する保育園に行くと、もちろんあっけなく病気に感染する。

もともと、赤ちゃんは生まれた時点で母親から譲り受けた抗体を体内に持っている。しかし、その貰い物の抗体はだんだん効力を失い、生後半年くらいになれば病気になりやすくなるという。逆に言えば、生後半年もすれば病気に罹っても自分でなんとかできる、という進化の歴史の結果だろう。

で、案の定弊息子タケ、高熱で倒れた。

病院に行って検査してもらったら、RSウイルスだった。

育児は初めての経験なので、「RSウイルス」だの「アデノウイルス」といった言葉は初耳でびっくりする。なにか特殊な病気なのかと身構えてしまうが、先生は「風邪の一種です」とあっさり仰る。はあ、そういうものですか。

こんな仰々しい名前が付く病気なので、なにか特殊な抗生物質や対処療法の薬があるのかと思ったが、特にないとのこと。解熱剤、咳止め、たんや鼻水をサラサラにするということでカルボシステイン、といった処方があった程度だった。

発熱から数日、僕は会社を休んだりしながら子どもと一緒に過ごす日々を送った。就職したばかりのいしは年次有給休暇を一日も持っておらず、休むことが不可能だったからだ。

子どもが熱を出して寝込んでしまうと、看病する僕も家に足止めを食らってしまう、ということを今更知った。子どもが寝ている間に家を留守にして買い物をしてくる、というのはさすがに気の毒だ。まだハイハイすらできない月齢なので、どこかに行って危険に晒される、ということはない。しかし、2020年代の今、子どもを置いて親がどこかに行く、というのは明確な児童虐待だ。ずっと一緒にいないとだめだ。

さらに、2021年といえば新型コロナウイルスの流行真っ最中の時期で、日本国中「人を見たらコロナと思え」という状況が続いていた。子どもの病気はRSウイルスである、と確定診断を受けているとはいえ、家族に病人がいる状態で外出をする、というのは周囲の人から白い目で見られることになる。


数日の看病で、僕はそれなりに疲弊してしまった。肉体的、というよりも精神的に、だ。ガッツリと他人を看病した経験なんて、過去にほとんどない。しかも、今回の相手は「一歩間違えるとあっけなく死んじゃうかもしれない」赤ちゃんだったということもあって、気が抜けなかった。

数年経ってからこのときのことを振り返ると、「何をこの程度で・・・」と思う。生後半年だったら、もともと起きているよりも寝ている時間のほうが長い。赤ちゃんが寝ている間に大人はあれこれ家事をする時間がある。これが2歳くらいになると、お昼寝時間が少なくなるし、遊びを求めてくるし、退屈すると泣くし、歩く。そして親が見当たらないと泣く。0歳児のときよりも手間がかかったかもしれない。

でもとにかく、2021年のおかでんは初めての赤ちゃんの看病で疲れた。帰宅したいしに看病をバトンタッチした後、夜にテレワークを開始することもやっていたので、ますます疲れたのだろう。しかも、「よし、もう大丈夫だ。保育園の登園を再開だ」と彼を保育園に送り届けたら、数時間後に保育園から電話がかかってきて、「体調がまた悪くなったので連れて帰ってください」と言われたりもした。「やれやれ」という気持ちから「またか!」という気持ちが来ると、どっと疲れる。

ちなみに保育園の登園基準はいくつかあったが、その中に「水様便だとNG」というのがあった。もともと赤ちゃんは硬い便が出ないので、毎朝、夫婦揃って彼のオムツを覗き込んで、「これは普通弁か、下痢便か、水様便か」という相談をしていた。

彼がほぼ回復するまで一週間。疲れ果てた僕を見かねたいしが、「どこか山に行ってきたら?」と言ってくれた。

「山か・・・」

登山、というのはそう簡単に行けるものじゃない。結婚・コロナ・妊娠出産で山から遠ざかって久しく、機材がまだ使えるか、服は大丈夫か、といったチェックをするだけでも面倒だ。そしてどの山に登るのか、検討をするのもおっくうでたまらない。山、というのは登山口に至るまでの交通手段を考えるだけでも、まるでパズルかサスペンスのように複雑だ。精神的に疲れ果てた人には負担が重すぎる。

面倒だな、しんどいなとグダグダと愚痴をこぼしていたら、いしは「じゃあ、温泉に泊まりで行ってきたら?」という。うん、それも悪くない。悪くないんだが、ぱっと行きたい温泉が思いつかない。

昔、温泉湯治をしたときを思い出す。

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このときのように、公共交通機関を使って温泉地に向かうとなると、これもまたあれこれ検討が必要だ。なんにも考えずにゆっくりできるような秘湯であればあるほど、交通が不便になる。

何もかも面倒。温泉地に行く、というのも諦めた。

結局、よく回らない頭を使ってあれこれ考えた結果、「高崎に一泊」することにした。

なんでいきなり「高崎」なのか?というと、はるか昔に高崎の奥にある温泉宿で療養する計画を立てたことがあったので、なんとなくこの界隈になにがあるのかを調査していたからだ。

そして、結婚して初めての妻子を残しての一人旅であり、罪悪感がある。飛行機に乗って遠くに行くとか、高級宿に泊まるというのは気が引ける。東京から電車で一本で行けて、お金があまりかからない、そんな場所として高崎は最適だった。

高崎の駅前にあるビジネスホテルに宿を確保した。新型コロナウイルスの流行により、世の中では観光客が激減している。そのせいで、ホテルはやたらと安く手配できた。駅前にもかかわらず、1泊朝食付きで4,700円。激安だが、2021年当時はこれくらいの価格帯でホテル泊が可能だった。今となってはもはや昔話の世界といっていい、あり得ない値段だけど。

2021年09月24日(金) 1日目

弊息子タケは保育園に復帰している。今日の保育園送り迎えはいしにお任せし、僕は一人上野駅のホームに立った。

今日と明日、高崎で過ごす。「何も考えずにのんびり」とできれば最高なのだけど、僕の悪いクセで、あれこれ行き先が決まっている。ただ、車を借りて動き回ると際限なくあちこち行けてしまうのでそれは今回は禁止。あくまでも公共交通機関と徒歩、それだけで過ごそうと思っている。

久々の一人旅なんだし、ひたすら歩き回ることに誰も反対しない。

出発は金曜日の朝。いしからは「2泊してきてもいいんですよ?」と言われているのだが、1泊で帰るつもりだ。一人だけ楽しい旅をすることへの罪悪感もさることながら、生後半年の赤ちゃんがかわいいのでできるだけ離れていたくない、という親バカの気持ちがあるからだ。

幸い、我が家はいしも僕も赤ちゃんを取り合うようにしながら育児をしており、どっちかに負担が偏るということはない。だからできるだけ早く僕は家に帰りたいのだった。

08:45
高崎に行くために、JR高崎線に乗る。

上越・北陸新幹線に乗ればあっという間だ。しかしお金を節約したいのと、旅情を楽しみたいのとであえて在来線を利用する。僕が宇都宮に行くときと一緒だ。

ロングシートやボックスシートに座って高崎まで移動、というのはちょっとしんどいので、グリーン車を使う。

グリーン車は二階建て車両なので気分がいい。お金が余計にかかって新幹線と金額差が縮まるが、それでもまだグリーン車のほうが安い。いい気分に浸りながらほんの少し節約できるので、僕は在来線グリーン車が好きだ。

しかも、在来線ならではの、沿線の様子をつぶさに車窓から観察できるのも楽しい。

電車の中で、今回の旅で読む本を開く。

今回は「今を生き抜くための70年代オカルト」という本と、「選手村マンション『晴海フラッグ』は買いか?」という2冊を用意した。

著:前田 亮一
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著:三井 健太
¥1,900 (2024/11/26 13:43時点 | Amazon調べ)

本をぼんやり読みながら、電車の中での時間を過ごす。

10:33
高崎の一駅手前、倉賀野駅で下車。がらんとした駅だ。

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コメント

コメント一覧 (2件)

  • 応仁の乱の西軍の総大将山名宗全につながる山名氏は、この地方の豪族が発祥だそうです。
    歴史を感じる地名ですね。

  • ゆうどんさん>
    おおーーー山名宗全!久しぶりに聞いた名前だ!赤入道!
    僕は高校時代、社会の選択は日本史だったんですが、
    ・明治大正あたりで時間切れになって、戦後まで習わなかった
    ・明治時代に入ってから文化・芸術・政治・経済・世界情勢が入り乱れ、わけがわからなくなった
    ・南北朝・応仁の乱あたりのゴタゴタをちゃんと記憶できなかった
    ということで今や殆ど覚えていないです。みなさんはどうなんですかね?覚えてます?日本史。
    一応学生時代に日本史の成績は良かったので、当時は記憶力のみでなんとかなっていたんでしょう。でも、すぐに忘れてしまったのは残念。

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