
14:40
洞窟観音から高崎駅に向けて歩く。
高崎白衣大観音がある山を下り、平地に向かう。
その道中は何の変哲もない住宅地を歩いていくのだが、なかなか楽しい。
やたらと広い、郊外一戸建てという風情でもなく、かといって東京にありがちな「建ぺい率と容積率を限界ギリギリまで追求しました!」という家とも違う。適度な自由度がある家なので、面白い。
そんな平凡かつ当たり前のことを「面白い」と言うだなんて、バカみたいだと我ながら思う。でも、本当にそう思う。
東京の自宅近辺を散歩していて、「おっ、建物を壊して空き地になった場所、戸建て住宅が建つのか!」という光景に出くわすことは時々あるが、大抵オープンハウスが手掛けているのには驚かされる。本当にオープンハウスは、東京界隈では猛烈な営業力と建築力を持っている。
それはともかく、写真の建物は面白い。建物が接道している部分と、石垣の上の部分に分かれていて、その間を渡り階段で繋げているからだ。どうしてこういう家をつくろうと思ったのか、とても興味深い。
だって、渡り階段を作るよりも、平地部の建物を3階建て、4階建てにしたほうがいろいろ楽だろう?高さ規制とか、いろいろ制約があるのだろうか。
こういうのは、別に回答がわからなくてもいい。「なんでだろう?」とあれこれ考えることが、楽しい。
不案内な土地に行くと、こういう「なんでだろう?」がいろいろ見つかって、楽しい。そしてその「なんでだろう?」を解決しなくても構わない気楽さが、僕の心をリラックスさせる。

やあやあ、すごい豪邸がでてきたぞ。長い長い外壁、そして壁の中の建物も大きい。
なんだろう?と思ったら、ラブホテルだった。なるほど。
壁があるために中の様子がまったく見えないのだが、ホテルの部屋に直接車で乗り付けることができるモーテルタイプなのかもしれない。

ホテルヨコハマの向かいには、すでに閉業したと思われるラブホテルがあった。
いや、看板は外されているので、これがラブホテルだったという確証はない。でも、この外観でラブホテルじゃなかったら不思議すぎる。ありえない。
なぜこういう場所にホテルが並んでいるのかは不明だが、観音山に夜景ドライブで訪れたカップルが、夜景を見たあとにここに来る、というシナリオなのは想像に難くない。男からしたら、夜景なんてどうでもよくて、その後の方が重要だったりする。

14:53
どうせ駅に向かって歩くなら、路線バスが通る大きな道よりも路地を歩いた方が楽しい。
路地をてくてく歩く。

「おっ、川があったぞ!」
これくらいのことで喜んで、写真を撮っている。あとから見返しても大して資料的価値はないのに。
黙々と歩き続けていると、風景の変化があるとそれだけで嬉しくなって、カメラを構えてしまう。

15:01
高崎から退却する前に、名物の焼きまんじゅうを食べようと思っていた。
「小板橋」というお店が良さそうだったので訪れてみたが、小さなお店の周辺には焼き上がり待ち、オーダー待ちのお客さんがいっぱい。待つのが嫌いな僕は、その光景を見て断念した。
そうだった、焼きまんじゅうというのはたいやきのように作り置きができないので、オーダーが入ってから焼き始めるんだった。人気店なら、当然出来上がりを待つことになる。

15:07
烏川を越え、高崎市役所近くまでやってきた。

15:24
高崎駅の近くにある「茶々」というお店で、焼きまんじゅうを頼む。

待つこと5分程度で、まんじゅうが焼き上がった。

焼きまんじゅうは、肉まんの生地部分に相当する、フカフカした食べ物だ。それを焼き鳥のように焼き、そして甘辛いたれをたっぷりつけて食べる。
味は濃いのだけど、食感がフカフカ、そして焼き立てだと表面の硬さもあり、面白い食べ物だ。珍しくない味の組み合わせだけど、全部組み合わさると「ありそうで、ない」食べ物となる。
これを食べるとなんだか楽しい気持ちになるので、僕は焼きまんじゅうが好きだ。そして今回のまんじゅうも、うまかった。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
応仁の乱の西軍の総大将山名宗全につながる山名氏は、この地方の豪族が発祥だそうです。
歴史を感じる地名ですね。
ゆうどんさん>
おおーーー山名宗全!久しぶりに聞いた名前だ!赤入道!
僕は高校時代、社会の選択は日本史だったんですが、
・明治大正あたりで時間切れになって、戦後まで習わなかった
・明治時代に入ってから文化・芸術・政治・経済・世界情勢が入り乱れ、わけがわからなくなった
・南北朝・応仁の乱あたりのゴタゴタをちゃんと記憶できなかった
ということで今や殆ど覚えていないです。みなさんはどうなんですかね?覚えてます?日本史。
一応学生時代に日本史の成績は良かったので、当時は記憶力のみでなんとかなっていたんでしょう。でも、すぐに忘れてしまったのは残念。