
高崎市を歩く。何気ない賃貸アパートも、東京の常識とはちょっと違う建築様式で、見ていて楽しい。
高崎だけが特殊なのだろうか?と考えてしまったが、そうじゃない。単に僕が地方都市を街歩きする、という経験が乏しいからだ。東京以外を知らなかった、ということなのだろう。
広島出身の僕は、広島のいわゆる旧市内と呼ばれる中心地は路地の一本一本まで歩き倒したことがある。メンタル的に病んでいたのか、いっとき「あらゆる道を完全制覇したい」と思いたち、すべての道を歩くことをライフワークにしていたからだ。
その時は道路地図を片手に、歩いたところを蛍光ペンで塗りつぶし、完璧に道を歩くことを心がけていたものだ。
そんな僕でも、広島の建物に対して違和感は感じなかった。でも、ここ高崎では「これは面白い建物だな!」というのにいっぱい出会う。ということで、東京以外のどこでも、高崎風の建物というわけではないのだろう。
おそらく、広島は平野部が狭くて建物を立てる場所が限定的だ。その点では東京に近く、あんまり遊びのない建物の作りになっているんだと思う。素人の推測だけど。
で、写真のアパートだが、入居者募集中となっている。いったいいくらで借りられるのだろう。
2階にはバルコニーというか、室外機を置く程度の小さなテラスがあるのだが、1階の部屋にはそれがない。ガラガラっと掃き出し窓を開けると、すぐに外にでられるようになっている。防犯上大丈夫なんだろうか、と少し心配になる作りだ。
一方で、その掃き出し窓を塞ぐように駐車スペースが用意されているので、部屋の目の前のスペースを確保できれば、車で買ってきた大きなお買い物を窓からそのまま部屋に搬入できて、便利だろう。

なんでこんなところに広い道路が?
・・・いや、広い道路、じゃない。中央分離帯がやたらとデカく、車道自体は広くない。
中央分離帯には大きな木が生えている。街路樹、と呼ぶにしてはデカすぎる。よくみると、このまっすぐな道の真上には高圧電線が通っていて、その真下は木が植えられているのだった。電気の通り道が木の列になっている、というのは面白い。

植物の実に興味を持って写真を撮っている。柄にもない行為だ。
それだけ、今この時間をエンジョイしている証拠だ。
いつもなら、セカセカと次の目的地に向かい、移動中も「今日やるべきタスク」が頭からこびりついて離れない。僕の最大の相棒は妻でも子どもでもなく、自分のToDoリストだ、という笑えない現実がある。
ところがどうだ、こうやってひたすら歩いていると、だんだん心が落ち着いてくる。
耳にはイヤホンを付け、これまで聞けていなかったポッドキャストをずっと聞いている。なので情報過多な状況が改まったわけではないのだが、それでも淡々と同じペースで歩き続ける、ということがどれほど心に平安をもたらすことか。
「歩いて心を癒やす」という行為は自然豊かな山の中でないと実現しないものだと思った。でも、街歩きでもそれが可能だということを今回知った。
ただし、東京のように家だらけで、変化に富みすぎている環境だと駄目だ。高崎は、適度に家があって、自然があって、僕にとっては気持ちの良い街だった。

団地。
おそろしくデカいパラボナアンテナがベランダの柵に取り付けられていた。外国出身の方が自国の放送を受信するために設置したのだろうが、だとしてもデカい。耐荷重は大丈夫なのか?と心配になるレベル。
どうでもよいが、2021年に子どもが生まれるタイミングで僕ら家族は引っ越しをした。僕は既にテレワーカーだったので、都心に時々通える場所ならどこでも良かった。一方、いしは転居先が再就職先となるわけで、僕よりもシビアな場所選びが求められた。
僕は「もういっそのこと、東京であくせく暮らすのは止めにして高崎とか那須塩原とか、そういう場所に移住してもよいのではないか。なんなら軽井沢でもいい」といしに伝えていた。実際、藤沢や茅ヶ崎の物件も検討していたくらいだ。しかし、それが実現しなかったのは、いしが「群馬は土地勘がないし、嫌だ」と言ったからだ。そして結果的に、今でも東京に住んでいる。
一歩間違えれば高崎に住んでいたかもしれないなぁ、と思うとこの街の景色も感慨深い。とはいえ、具体的に高崎のどのあたりに住みたいとか、具体的に住みたい物件や土地を見繕っていたわけではないので、結局は縁遠い土地だったとは思うが。

進雄(すさのお)神社にやってきた。
立派な参道。立派な鳥居。
山があるわけでもなく、なぜここに?と思うが、歴史はかれこれ1,000年以上ある由緒ある神社だ。
日本って、神社になると途端にケタが1つ多いレベルで案外歴史を持っているからびっくりさせられる。

やはり祭神は須佐之男命だった。
しかし、明治期は牛頭天王(ごずてんのう)が祀られていたということなので、神様というのは途中でバトンタッチをすることもあるのだろう。
ちなみにスサノオも牛頭天王も何者なのか、毎回文献を読んではすぐに忘れる。
日本の神話にでてくる神様は、ほとんど忘却の彼方だ。これはとても惜しいことだと思う。まだ頭が柔軟な若いうちに、日本の国作り神話にまつわるストーリーは学校でちゃんと教えてほしい。「信教の自由」だとか「神道を教えると軍靴の音が」とかどうでもいい。これだけ日本各地に神社があって、ナントカのミコトとかアマテラスとか書いてあるのに、日本人の多くがその由来を全然わかっていない。
神社の片隅に掲げられている神社の由来や、祭神の説明を僕は読むのだが、何一つ覚えられない。高校時代、「世界史を選択するのはやめよう。アメンホテプ3世、とかわけのわからん名前をいちいち覚えるのは無理!」と思ったのと全く同じ状況が日本の神話でも感じる。

立派な神社。

大きな絵馬に描かれたスサノオを見て、「ああ、ヤマタノオロチを退治した人なのか」と知る。
あと、粗暴なスサノオにおそれをなしたアマテラスさんが岩戸に隠れてしまった事件の張本人。
せっかくなのでWikipediaでスサノオについて勉強しようとしたが、途中で投げ出した。「古事記によれば」「日本書紀によれば」と、でてくる文献によって内容が違うからだ。この歳になって、これを覚えるのはおっくうだ。漫画でなら読めるけど、漢字たくさんの文章で理解するのは難しい。

須雄神社の北側に、高崎駅前までまっすぐズドンと向かう幹線道がある。こんどはこの道を歩いて、高崎駅を目指す。
脇道をひたすら歩いて、道路や建物の作りを観察するのはとても楽しい。しかし一方で、大きな通り沿いにどんな商店があるのかを見るのも楽しい。馴染みのない街は、どこを歩いても発見がいっぱいだ。
道を歩いていると、「おっ?」と気になるアパートを発見した。
一見何の変哲もない2階建てのアパートのようだが、とても長い、やたらと長いという特徴があった。この手のアパートなら二階外廊下に通じる階段は1つだけが一般的だが、このアパートは長すぎるので、2つ階段があった。
あと、玄関ドア同士の間隔が広い。こういうアパートだと比較的狭めの間取りになっているイメージだが、ここは横幅がたっぷり取られた、広い間取りの家らしい。さすが高崎。

この白い家と白い塔はなんだろう?
広い庭がある家だ。
キリスト教協会と鐘楼?
謎の建物がときどき見つかるのも、街歩きの面白さだ。こういう建物はGoogleマップを見ても正体がわからない。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
応仁の乱の西軍の総大将山名宗全につながる山名氏は、この地方の豪族が発祥だそうです。
歴史を感じる地名ですね。
ゆうどんさん>
おおーーー山名宗全!久しぶりに聞いた名前だ!赤入道!
僕は高校時代、社会の選択は日本史だったんですが、
・明治大正あたりで時間切れになって、戦後まで習わなかった
・明治時代に入ってから文化・芸術・政治・経済・世界情勢が入り乱れ、わけがわからなくなった
・南北朝・応仁の乱あたりのゴタゴタをちゃんと記憶できなかった
ということで今や殆ど覚えていないです。みなさんはどうなんですかね?覚えてます?日本史。
一応学生時代に日本史の成績は良かったので、当時は記憶力のみでなんとかなっていたんでしょう。でも、すぐに忘れてしまったのは残念。