伊豆大島討伐

どんどん先に進む

島一周道路はいわゆる「バイパス」。整備されていて大変に走りやすく快適だが、あっという間に通過してしまい風景の印象が残らない。できることなら、極力脇道に逸れ、地元民の方々が使っている日常的な光景とふれあいたいものだ。

・・・と思っていたら、あれれ、集落に到着しちゃったよ。差木地集落。道中で脇道に逸れるタイミング、逃した。

「あちゃー」

施設

とか車内で言っているうちに、次なる目的地である「貝の博物館 ぱれ・らめーる」に着いてしまった。あちゃーと言う暇すら与えられない。そもそも、観光地図上では「だいたいこの辺」としか博物館の位置が記されていないので、実物を発見すると「えっ?えっ?この建物?これがぱれ・らめーる?」と慌てちゃったくらいだ。まったく気が抜けない。

貝の博物館、というからには海沿いにあったり、貝の飼育がされている水槽があったりしそうなものだ。しかし、実際の場所は高台の一角にある、かしこまった建物。

「博物館っぽくないなあ・・・」

どう見ても、公民館の類な建物だ。公共施設、とくに一昔前のものは、それなりの美学というか建築基準があるようで、民間の建物と比べて重たい雰囲気がある。この建物が、まさにそれ。そもそも、何で伊豆大島で貝の博物館?

「伊豆高原(伊豆半島中部)に、博物館が乱立しているのと一緒か?」

そう考えれば非常にわかりやすい。伊豆高原には、ねこ、アンモナイト、テディベア、オルゴールその他たくさんあり、博物館が過当競争しとる。

館内のご案内
スタンプを押す

建物の中に入ってみると、「大島町勤労福祉会館」と書いたプレートがあった。ありゃ、やっぱり公民館的な場所だったか。

「なぜにここに貝の博物館を?」
「いや、それ以前に、昔は元町にぱれ・らめーるはあったらしいんよ。いつの間にかこちに移転しとる」
「え?そうだっけ?」

慌てて手元のガイド本を見てみる。これは八丈島に行った時に買ったものなので、ずいぶんと情報が劣化したものだ。確かにガイド本だと、ぱれ・らめーるは元町集落にある、という記述がある。

「だから、いつこっちに引っ越したんだろ?って思ってたんよ」
「あぶねー。僕ら、観光協会の地図見ながら移動していたから問題なかったけど、ガイド本見ながらだったら路頭に迷っていたな」

ガイド本と観光地図とで内容が変わっているし、紹介されている観光地の内容も違うし、常に複数種類の紙媒体を見比べないといけない。今回はそこが大変。観光地図の方が情報が新しいので、そちら一本に統一したいところではある。しかし、あくまでも「地図」に過ぎず、ソコのナニがドウ良いのかがさっぱりわからないのだった。だから、ガイド本も併用しないといけない。

まずは入り口でスタンプを押す。着実にスタンプが貯まっていくな。スタンプラリーをやると、どうしてこうも人間って血が騒ぐのだろう。

がらがらごーん。
ゴロゴロゴロ・・・

ん?何か奥の方で変な衝撃音と、何かが転がる音がする。しかも結構な音量で、響いている。この音は何度も聞いたことがある音だぞ。

「まさか?」
「まさか?」

二人とも顔を見合わせ、隣の部屋に首を突っ込んでみる。

館内にボウリング場がある

うわあ。

そのまさか、だった。ボウリング場がこんなところに!

4レーンのみの細長いスペースだが、れっきとしたボウリングだ。「点数計算は自分でやれ」とか、「倒れたピンは手作業で直せ」なんてものではない。れっきとしたボウリングだ。いや、二度繰り返して言う程の事ではないのだが。でもそれくらい、びっくりした。

「おお!伊豆大島にもこんなレジャーが!」

びっくりした。しかも、元町や岡田といったこの島の玄関口ではなく、島の裏側にあたる波浮にボウリング場があるなんて。隠れたレジャースポットなんだな。

こんな調子だと、裏道を探せばTSUTAYAがあったりするかもしれん。

軽食コーナー

ボウリングというアーバンライフ満点な施設なので、当然軽食コーナーなんぞも洋風なものがある。

ポテト200円、ハンバーガー300円、フィッシュバーガー350円・・・。

しかしそのあとに「焼魚定食700円」などと続くところが、やっぱり島ならではだ。

「ここで(我々が)ハンバーガーを食べたら、ある意味勝ち組だな」

しぶちょおがメニューボードに感心しながら唸る。

「確かに。伊豆大島にきて、あえてハンバーガー食べるってすごいよな」

有限の胃袋と、財布。旅行者はその中でうまいことやりくりをする。まさか伊豆大島に来て、「ハンバーガー」はないだろう。一週間くらい滞在していたら、いい加減明日葉にも魚にも飽きてハンバーガー食べたくなるだろうけど。

しかも、マクドナルドでハンバーガーが100円ちょっとで買えるご時世。300円のハンバーガーを敢えて島民ではないわれわれが買う必然性がないのだった。

そういう点を踏まえても、敢えてハンバーガー買ったやつは真の勇者だと思う。

すぎの子

しぶちょおがトイレでカメラを取り出し、なにやら撮影を開始。盗撮ではない。堂々としている。なぜなら、撮影しているのが目の前のトイレットペーパーの山だから。

「いやね、この島きてからずっと、どこのトイレもこの『すぎの子』っていうトイレットペーパー使ってるなあ、と思って」

なるほど。確かに言われてみればそうだ。しかもこのトイレットペーパー、見たことがない。伊豆大島特産だろうか?多分違うと思うが・・・。

受付
階の博物館チケット

別にわれわれ、貝好きでもなんでもない。お昼に食べたメッカリの風味はまだ鼻腔内に残ってはいるけど、あれは「食べ物」だから好きなのだ。貝を博物館にしました、と言われても、いまいちピンとこない。そもそも伊豆大島って貝の宝庫か何かでもあるまい。

聞くと、貝の研究家が大島町に貝の標本をたくさん寄贈したことがこの博物館の由来、らしい。大量の貝を譲り受けた大島町も最初は戸惑っただろうな。「これ、どうする?」って。

おかでんだったら、多分「インチキ貝塚を作り、そこに世界各国の貝を入れて保存。数千年後、世界の研究者がその貝塚を見て「ここの島民は一体どんな活動をしていたんだ?」と首をひねるように仕向けるな。性格悪いな。なにせ4,500種類もの貝だ、未来の考古学者は混乱するだろう。

ではなぜ、時間が逼迫している中この博物館に立ち寄るのかといえば、単に「ガイド本に掲載されていたから」だ。さらに、スタンプラリー対象ポイントになっていれば、立ち寄らないわけにはいくまい。陸続きでない孤島ゆえに、島の中にある観光資源は全部見て回る・体験して回るというのがわれわれの原則。そうでないと、なんだか損した気分になっちゃう。スタンプラリー的要素を自らに課しているわけだ。

それにしても「ぱれ・らめーる」という施設名は風変わり。ついつい二人とも

「らめ~」
「らめれす~」

と連呼していた。

*わからない人に説明しておくと、萌え系アニメ・漫画キャラがよく「駄目」という言葉を「らめ~」という。

展示物1
展示物2

受付が若干「とってつけた」感があったし、そもそも貝なんて見ても面白いもんかよ、というメンタルだったのでさっさと見て回るつもりだった。どうせ、自己満足的で、ひたすら学術的なマニアック陳列なんだろう。田舎にある、かび臭い考古博物館みたいな感じで。

入り口入ったところに、潜水夫のパネルがあって「ほらやっぱり安っぽいぞ」としたり顔だったのだが、いざ奥へと足を踏み込んでみて驚いた。きれいに陳列されているではないか。ややや、予定外。

貝1
貝2

貝の展示、これが予想以上に面白い。

巻き貝、二枚貝、一枚貝などいろいろ種類があるわけだが、われわれが知っているいわゆる普通の貝とは全然形が違う貝も結構いる。ドリルのようなやつ、ウニみたいなとげとげが出ているやつなど様々。同種類のものでも生育課程のものを並べて陳列すると、なるほど貝というのはこうやって育つんかいな、と感心する。たんに棒状のものをうんこ状に丸めればできあがり、というわけではない。

また、ホタテの貝殻のように見慣れた貝であっても、色を人工的につけたり、大きさごとにずらっと並べたらとてもきれい。これ、オッサン二人で見るのも良いけど、女性ならさらに楽しめると思う。おデートなんぞにぜひどうぞ。

それにしても、観光客が全然いないんだよなぁ・・・島全体的にそうなのだが、一体この三連休みんなどこへ行った?飯屋でしか見かけないくらいの勢いだ。貝の博物館なんて興味ないか?みんなウェットスーツ着て海に潜るか、ライフジャケット着て岩場で釣りだろうか。

不思議な貝

ぱれ・らめーるを代表する貝。チケットの図柄にもなっている。名前?忘れた。

写真のものは、貝の上に珊瑚が生えちゃいました-、というとってもカジュアルなコーディネート。あなたも明日からレッツトライ。

20100320-558
貝を胸当てにする

実際に貝を手にすることができる、研究室のような一室があった。あわびの生育過程を、1年単位で陳列してみたりいろいろ面白い。

ただ、悲しいかな、そのあわびを二つ手に取り、「ビキニ!」などとやっているありさまで。そんなおかでんに対し、しぶちょおはしぶちょおで「もっと胸元寄せないと。その幅だと、垂れ乳みたいに見える」などと冷静な指摘をしたりなんかして。「やっぱり7年もののあわびは胸のおさまりが良い」とかなんとか、遊びたいだけ遊んで満足して貝をもとに戻したところで、研究員さんが偶然部屋に入ってきた。

「ああ、すいません、ちょっと不在にしていました」

うはー、研究員さんが常駐している部屋だったのか。痴態を見られなくて良かった。

赤面してしまったおかでん、この後取り繕うようにあれこれ学術的に貝について質問しまくってフォロー。

ぱれ・らめーるで予想以上の満足感を得たわれわれは、なんだか心温まる気持ちで次の場所へ移動。次は、ぱれ・らめーるからすぐ近くにある波浮港。

波浮港周辺の地図

漁港であり、旅客輸送は行われていないが昔は相当栄えたらしい。島の南東部に位置しており、冬の西風による高波を避けることができる地の利が幸いしている。

あと、写真のように入り江が奥まっていて、天然の良港となっている。ちょっと変わった入り江だと思ったら、もともと湾内は噴火口跡であり、海ではなかったらしい。で、数百年前、津波で噴火口跡と海との境目が決壊し、中に浸水。その結果あら有り難や、港ができちゃったというわけだ。もっとも、その境目部分は掘ったりあれこれ人工的な細工を施したらしいが。

そんなわけで、波浮港がある海水面近くは、断崖絶壁の下に位置している。写真の地図を見れば、湾のすぐ外周を道が走り、その外側をもう一本道が走っているのがわかる。外側の方が島一周道路で、そこから崖を100m以上垂直降下しところに、湾岸道路があるという構図。(ちなみに地図は南北が逆。南が上に描かれている)

波浮港

波浮港。

羽田空港のハブ化、なんて世間を賑わせた時期もあったが、それとこれとは全く関係ない。

さすが噴火口だけあって、確かに絶壁に三方を取り囲まれている。あの崖の上に島一周道路がある。崖の下は当然のごとく非常に狭く、車道があるだけだ。

波浮の集落

絶壁と海に囲まれている狭い場所なので、非常に生活は不便だと思う。しかし、漁業を営んでいる人は、わざわざ崖の上に住むのもかったるいだろう。そんなわけで、海と崖に挟まれた狭いエリアに、集落ができていた。

日曜日の昼下がりということもあってか、通りには誰も歩いていなかった。猫一匹、いない。がらんとした町並み。でも、俗っぽくなくて、これは非常に味わい深い。おかでんが篠山紀信なら、ここにヌードの女性を立たせて、写真撮影するな。
*注:この伊豆大島にいくしばらく前、写真家篠山紀信氏が青山墓地で裸婦の写真を撮影した、ということで公然わいせつ罪で逮捕されている。

宿場町のように昔の面影を残す町並み、というわけではない。ごくごく普通の民家が並ぶ。堂々と飲料の自販機なんぞも軒先にある。しかし、どうしてここは味わい深いのだろう?

西川寿司

西川寿司。多分この波浮港の集落では唯一の飲食店じゃないか?場所柄、地物の良いネタを使っているらしく、伊豆大島を代表する寿司屋として名高い。ただ、有名である故に「宿が、ワンボックスカーで宿泊客をまるごと西川寿司に護送」なんて事もやっているところがあるらしく、結構食事時には混むとのこと。われわれが波浮に着いたのは営業時間外だったので、のれんは外されていた。

夜営業もやっているが、地元民以外でここで食事を食べようとすると相当ハードル高そうだ。

ここは漁港が目と鼻の先なので、いい魚を仕入れることができるだろう。・・・ただし、水揚げがあったときは、の話。水揚げがない時は、この地の利が逆に仇となって、魚の仕入れが面倒になる。元町などからわざわざ運んでくるとなれば、結構面倒だ。

みなとや
みなとや玄関

われわれが大慌てで波浮にやってきたのは、波浮にある「伊豆の踊子資料館」の閉館時間が迫っていたからだ。ガイド本によると、16時で閉館となっているので急げ急げ。

湾沿いにある集落から少し階段を登った、崖の中腹にその「伊豆の踊子資料館」はある。もともと、「みなとや旅館」という旅館だったらしい。

・・・って、あれれ。工事中、の看板がある。大きく両側に開くガラス扉の玄関など、大変にそそられるのだが、なんか中で工事をやっているっぽい。ええと、これは「工事中につきお足元にご注意ください」レベルなのだろうか。

のぞき込んでみたら、駄目だった。拝観中止中だと。そうだったのか・・・。まあ、仕方がない。

中が見られない、ということでようやく冷静になったのだが、なんで伊豆大島で伊豆の踊子?あれって、湯ヶ島とか天城峠あたりの話じゃなかったっけ?

ガイド本によると、ここ「みなとや旅館」では、在りし日は夜な夜な宴席が設けられ、踊り子さんたちによる歌や舞が披露されていたんだという。漁業で羽振りがよかった時代は、伊豆大島にもあったんだな。「ニシンで御殿が建った」という話を松前あたりでは聞くけど、伊豆大島もまたしかり。こっちはアジ御殿か、それともくさや御殿か?

で、ここにいた踊り子さんが旅芸人として伊豆半島の方にも出張っていたんだって。確かに伊豆半島へはすぐにいける距離なので、季節や人の往来にあわせてあちこち出張していたのだろう。

いかんな、川端康成の名著「伊豆の踊子」は子供の頃に当然読んでいるのだが、ほとんど記憶がない。唯一おかでんの記憶として残っているのは、「踊り子さんたちが露天風呂に入っていて、主人公に気がついたので裸体を見せながら手を振ってきた」というくだり。当時のおかでんを漢字熟語で表現するなら、「悶々」以外思いつかない年頃。踊り子さんが肢体をさらしながらこっちに向かって手を振った、というシチュエーションを想像しただけで興奮したもんだ。若かったなあの頃は。

崖の上にも集落がある

崖の中腹にある「みなとや」だが、集落は崖の上にもある。さすがに噴火口由来の港だけあって、海沿いで人が住める場所は猫の額程度の狭さ。だから、このあたりで生活を営んでいる人の多くは広い崖上に住んでいたらしい。

で、「みなとや」で宴席があるときは、崖を縫うようにつけられている階段を踊り子さんたちがしゃなりしゃなりと降りてきたんだそうな。きっと、この地にいた踊り子さんは「カモシカのような脚」ではなく、鍛えられて「ニホンカモシカのような脚」だったに違いない。

崖を上る

われわれも当時に思いを馳せながら、階段を登ってみる。いやうそです、当時に思いを馳せようにも、踊り子さんと芸者さんと舞子さん、さらには「あんこ娘」との違いがわからん。

それ以前に、ノスタルジーを阻害する要因があちこちにあった。観光客が写真撮影をやっていたからだ。観光地だから人がいるのは当然なのだが、その人たち、なにやらカメラを抱えたまま、神妙な顔付きで立ったりしゃがんだり、左右にちょっと移動したりして相当異彩を放っているのだった。

写真を趣味としている人なんだろうな、ここはフォトジェニックだからな、と最初は気にしていなかったのだが、あまりに写真週刊誌の盗撮カメラマンよろしく「みなとや」の前で凝固していたりするので、だんだん薄気味悪くなってきた。なんだこの人。冬眠からまだ目覚めていないのだろうか?

そういう人たちが、この地周辺にいるわいるわ。イナゴの襲撃、といったら彼らに申し訳ないが、静かで人気がないこの集落を闊歩するのは「カメラ軍団」と「アワレみ隊」のみというどっちかというありさま。

その全員の顔付きが真面目すぎて、怖い。というかいったんアングルを狙ったらその場所から簡単に動こうとしないので、邪魔でもある。

「なんだありゃ?」
「全員、なんか高そうなこだわりカメラっぽいのを持ってるけど?」

いわゆるデジタル一眼や一般的なコンパクトデジタルカメラではなく、「僕?最近写真に凝っていてね。ハハハ」とちょっと得意げに首からぶら下げて見せびらかすタイプのカメラ。この集団、全員がその手の「古き良き時代を彷彿とさせる?デザインのカメラ」をぶら下げているから、ますます怪しい光景だ。

波浮港を見下ろしたところ

崖の上の方から波浮港を見下ろしたところ。

集落を歩く
古い建物
歩くおかでん

崖の上は広い高台になっていて、家が並んでいた。一区画が広く、当時波浮港の水揚げやら海運でもうけてました、というのがよくわかる。地面は石畳、そして石積の壁など。

ただ、宅地造成して平らになっている場所ではないため、アップダウンは細かくあるし、区画はバラバラ。迷路として遊ぶにはもってこいな作りになっている。ここで鬼ごっこをすればさぞや楽しいだろう。

とりあえず、カメラを首からぶら下げている謎の集団とアワレみ隊とで対抗戦、やるか?いや待て待て待て、彼らは結構な人数、いるぞ。まるで「数で勝負だ。」の人民解放軍みたいに、あっちこっちから出てくる。この集落は完全に彼らによって陥落しているありさま。

ざっと見ただけでも、20人はいるんじゃないか?マイクロバスか何かでここまでやってきたな、さては。

「旧甚之丸邸」という施設が観光客に解放されているので、そこに行ってみる。

旧甚之丸邸
旧甚之丸邸内部

豪邸。波浮の網元だった人の家らしいが、なまこ壁の蔵と、石造りの蔵が並んでいる。しかもお屋敷の中は太い梁や柱で構成された木造建築。この火山島で巨木を使うなんてのは相当なぜいたくモンなはずであり、当時は相当うはうはだったに違いない。そりゃあ、踊り子さんたちがこの地で商売として成立するわけだわ。人口数百人もいないであろうこの地で、踊り子さんが食べていけたんだから、さながらゴールドラッシュ状態だったのだろう。

道路に伊豆の踊り子

カメラ集団があまりに怪しいので、宿に戻ったあと調べてみた。ネットブックを旅先に持参していると、何でもすぐに調べられるからすごい。

そうしたら・・・ああ、わかったぞ正体が。やはり写真愛好家グループの「写真撮影会」だった。なんだかプロカメラマン?が親分で、その人の指導が受けられるグループらしい。

なんで全員独特のカメラ持ってるのよ、という理由もちゃんとwebに書いてあった。

撮影会では《フィルムでの撮影》《単焦点レンズでの撮影》を基本としています

・フィルムでの撮影=〈モノとしての写真〉を創る
・単焦点レンズでの撮影=撮影者の視点を際立たせる

へー。、へー。だから、「レトロなカメラだなあ」と思ったわけだな。フィルムカメラって、もうおかでんは10年以上手にしたことがないや。やっぱりそっちの方が味があるんですかね。それにしても「モノとしての写真」って、簡単な日本語だけど何を言っているのかが素人にはわからない。

「でも、こんな事言うんだったら、撮影枚数の制限をかけなきゃ駄目だと思うんだ」

しぶちょおが指摘する。さらに、

「単焦点レンズ(要するに、ズーム機能がないレンズ)が撮影者の視点だと言うなら、モノクロ写真を撮るのはおかしくないか?」

このグループの写真アーカイブをwebで見ると、多くの写真がモノクロで撮影されていた。きっと、写真に精通してくるとわかる世界ってのがあるのだろうが、わからない立場からすると何がなんだか、さっぱり。

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