「でけぇなオイ!」
壁には、巨大なクロマグロの魚拓が張ってあった。伊豆大島ってマグロが釣れるのか。知らなかった。
あれだけ絶滅危惧だのなんだの言われている割には、あっちこっちに薄く広く生息しているんだな。だから、伊豆大島で「地魚の刺身」を頼んでマグロの赤身が出てきても怒っちゃいけないってこった。実際に地物かもしれないわけだし。
「体重61キロ、だって。どうやってルアーで釣り上げたんだよ。しかも磯釣りってすげえな」
「釣り人の名前の他に、『確認者』の名前も書き加えてあるんだな」
「これは偽物ではありません、という証明なんだろう」
確かに、築地でマグロを競り落としてきて、魚拓作ることだって可能だ。だから、連帯保証人みたいな人がいなけりゃ、魚拓としての価値は下がるのだろう。もっとも、築地のマグロは尻尾が切り落とされているのですぐにバレるんだが。
60キロの魚を岩場の磯でどうやって釣り上げたのか、想像すらつかぬ。タモは当然使ったのだろうが、60キロの魚を支えられるタモって何だ?あと、釣り上げた後もどうやって傷つけずに運んだんだろう。こんなものが入るクーラーボックスなんてないだろうから、トロ箱を持参していたのだろうか?
待ってると、「ざこ定食」がやって参りました。
「ほほー、ええねえ」
これに何の不満があろうことか。「海の玉手箱」でがっつりざっくり、丼をかきこむよりもはるかにゴージャス感が漂う。
ご飯、お吸い物、お新香という定食の定番を従えて、おかずはというと鯖の煮付け、明日葉のおひたし、たたきあげ、そして刺身3点盛り。
たたきあげ、というのはいわゆるさつま揚げのことだが、伊豆大島の名物。われわれの目の前にあるのはムロアジすり身のたたき揚げだった。別注すると、イカと明日葉のたたき揚げというのもある。
で、こちらがお刺身。定食全てを一枚の写真に収めきれなかったので二枚に分割した。うれしい悲鳴だ。
カンパチと、べっこうと、アジ・・・なのかな。真ん中が、大島名物「べっこう」。確かに唐辛子醤油で漬け込まれているのでてらてらしている。マグロ赤身の漬けはどす黒くなるが、こちらは色が鮮やかで小躍りしたくなってくる。今この勢いなら言える、べっこう音頭というのがあっても良いくらいだ。
で、こちらが別に注文してあった「島魚のフライ」。
フライ一個一個が大きくて食べ応え十分。中の魚はよくわからなかったが、アジの類だと思う。多分。
添え物のキャベツ千切りもたっぷりだし、ナポリタンもついている。このお店、「貧相」「とりあえず」という言葉が似合わないおみせだ。充実しまくってるなオイ。
しぶちょおは
「このね、ナポリタンがまたイイんですよ」
とニコニコしながらナポリタンを食べていた。何がイイのかよくわからないのだが、イイというのには同意だ。中にはケチャップまみれででろでろなやつもあるからな。
「レモン搾るぞ」
「おう。頼む・・・ってあれれ?やけにこれ、大きいレモンだな」
「グレープフルーツか?」
「えええ。聞いたこと無いぞ、グレープフルーツをフライにかけるって」
もちろん何らおかしくないお作法だとは思うが、こういう「パセリ的なフライのツマ」状態のレモンに、敢えてグレープフルーツを採用するというのが驚きだ。こっちの方が安い・・・のか?
おかずだらけ。どれ食べても美味いというだけでなく、量がそもそも多い。ご年配の方や食が細い女性なら、食べ残しがでそうだ。
でも大丈夫、そういう時は食欲増進用の苦みばしった明日葉のおひたしを。
「おおう」
「伊豆諸島に来た、って感じだよなあ」
苦いので嫌いな人は嫌いだろうが、他には替えがたい美味さなんだよなこれが。
「何で本土では栽培しないんだろう?スーパーで売られていないんだろう?」
「売れないんじゃないか?」
「そうか?僕だったら買うぞ。春菊が食べられる人はこれくらいイケるだろ?」
商品開発や仕入れにお悩みの流通小売業バイヤーさん、明日葉を仕入れてみては如何ですか。健康にも良さそうだし(=おかでんの勝手な思いこみ)、売り方次第で売れるような気が。
ところで大量のおかずに包囲されてしまったしぶちょおだが、「ご飯おかわりお願いします」と店員さんになにやら宣告。「ご飯が足りんくなった」と言う。どうやらご飯はおかわり自由だったらしい。
昼からがっついております、われわれ。
対するおかでんだが、しぶちょおとは違ったアプローチでこのおかず包囲網突破をはかっている。
「すいません、ビールを追加で。・・・今度は生ビールにしてください」
「生?でよろしいですか?かしこまりました」
いったん引き下がる店員さん。
「生ビール頼んだらなんだか若干動揺してたぞ」
「普通、生頼んで、そのあとで瓶だもんな。順番が逆の頼み方をしたので、にわかには信じられなかったのかもしれない。でもそれがいい」
何がイイんだかわからん。
結局、おかでんにおける最初のいっぱい目は非常にピッチが早い。それに尽きる。だから、とにかく量が一番多いビールを持ってきてください、ということだ。生か瓶かは問わない。そうでないと、テーブルにジョッキが届けられて2,3分後に「すいませーん、ビールもういっぱい」って再注文になる。注文する側は兎も角、忙しいお店の人に迷惑はかけたくない。
今回瓶ビールを最初に頼んだのは、生ビールの値段と比べて明らかに「割高」だったからだ。ということは裏をかえせば、生ビールは相当量が少ないのだろう、という推測が働いたのだった。
ただそれが正しいのかどうかが気になるので、ちょっと落ち着いてきた二杯目は生でGO。
「あれれっ?」
ジョッキが到着するやいなや、「ビールの容量評論家」おかでんが異変に気がついた。
「これ・・・中瓶サイズとほとんど変わっていないぞ」
念のために瓶と並べてみたが、あまりサイズに違いが見受けられない。恐らく、一般的な中ジョッキ(475ml容量)だと思われる。泡の容量をさっ引くとしても、この生ビールのコストパフォーマンス良さは一体何だ。
「初めて見たぞ、生と瓶とが対等に渡り合っている値段というのを」
一人静かに興奮するおかでん。多分酒を嗜まないしぶちょおからみれば「せこい拘り」に見えていたと思うが、おかでんにとってはコペルニクス的発見だった。牛丼の大盛りと並盛りは、ご飯の量は一緒なんだよ!と聞かされて「えーそうだったんだー」という驚きとはまたちょっと次元が違う。
なぜこんな事になっているのだろう。
「ひょっとして、ここが島だからだろうか?空き瓶を本州に送り返す手間とコストを考えれば、生樽の方が都合が良い・・・とか?」
「うーん」
今後伊豆大島でビールを飲む際は気をつけよう。案外瓶ビールが高いかもしれん。
隣のテーブルは団体さん用に、来店前に配膳が進められていた。注文は全員「海の玉手箱」。そのおかげで、まじまじと玉手箱の中身を見ることができた。見た瞬間に浦島太郎みたいに一気に老け込むということはなかったと思う。多分。
ふむ。確かに美味そうだ。ただし、やっぱり丼いっぱいに凝縮されているのはなんだかもったいない気がする。これはしぶちょおも同意見で、
「オレらの選択で良かったな」
と頷きあったのだった。お互い、満足行く食事の後なので大変に顔のつやがよろしい。
「島に着いたらまず食事。」くらいしか予定が立っていなかった。なにせ島のスケール感がわからん。ちゃっちゃと移動できるものなのか、思ったよりも島がデカくて難儀するのかが把握できていない。
「今日はここに行って、次にアッチ行って・・・」というのはまあ今日はいいや。今日のところは「雰囲気を掴む程度」で。
そうなると、とりあえず行っておこうという話になったのが三原山。
天気予報は相変わらず見ていないんだが、今日の夕方くらいから天気が悪くなるらしいので山には早めに行っておいた方が良さそうだ。「後でもいいや」にしておくと、離島するまで結局行けず仕舞い、に終わる可能性が高い。
ひとまず山頂に行く前に、その手前にある「山腹割れ目火口」とかいう場所に行ってみる事にする。事前知識がないので、とりあえず、とりあえず。
割れ目火口なる場所に向かう道路は、三原山登山道路から分岐するやいなや急に悪路になった。
ハンドルを握るしぶちょおが
「なんだこれぇッ。メンテ全然してないじゃないか。どうなってるんだコレはっ」
と文句を言う。実際、路面はガタガタだ。
「噴火の際の熱で路面が溶けた、とか」
そんな馬鹿な。だいたい、直近で噴火したのはいつの話だよ。僕らが子供の頃の話(1986年)じゃないか。もう24年も前の話だ。
途中で展望台のようなところがあったので、いったん車を降りてみた。
「富士見・・・峠?」
名前を見る限り、富士山がここからよく見えるんだろう。
「ええとですネ、富士山以前に伊豆半島すら見えんのはどうしたものか」
それほど天気が悪いというわけでもないのだが、空全体がぼんやりと霞んでしまっている。何も見えない。これだけ見ると、絶海の孤島のようだ。
「実際には、伊豆半島があってぇ、箱根の山があってぇ、その先が富士山だろ?冬の空気が澄んでいる時に年何日か程度しか見えないんじゃないか?」
そういえば、東京にも「富士見」を名乗る場所はあるが、実際そこから富士山が見えるのは年に何日あることやら。それと一緒か。
「あっれえ?行き止まりだ」
丸太型の火山シェルターがあるねぇ、まだこの地は火山に対して臨戦体制なんだねえなんて話をしながら進んでいたのだが、目の前は行き止まりになっていた。遊歩道と思しき階段がその先に続く。
「おい、聞いていないぞ」
手元の地図だと、そのまま道が続いているように書かれていたのだが、まさかそれが「途中から遊歩道でございます」だったとは。こういう「地図のいい加減さ」は島ならではだ。
道を塞ぐとはまったくけしからん、と言いつつ車を降りてみたら、「割れ目噴火」という解説看板が出ていた。
割れ目噴火とはなんぞや。聞いたことがない概念なのだが、富士山のように山頂からドッカンと爆発する山でない場合、側火山のあちこちから噴火口が現れるんだそうで。それが隊列を組むように並んで出現するので、「割れ目噴火」。
実際はちょっとこの説明にはうそが混じっているけど、分かりやすくするために勘弁。そんなところだ。
「ということはアレか?この先で噴火が起きちゃったものだから、道路が潰れてしまったということか」
急に薄気味悪くなって、胡散臭いものを見る目でこの先の遊歩道を眺める。
そういえば思いだした。小学生の時にTV中継でやっていた三原山噴火の実況映像、あれは盛大に火柱が上がっていたな。言われてみれば、たくさんの火柱が連なっていたっけ。あれこそが割れ目噴火だったのだろう。子供の時、あの中継には釘付けだったっけ。この看板によると1986年11月21日16:15に噴火を開始し、21:16に活動を停止している。たった5時間のでき事だったが、そのインパクトたるや絶大だった。東京からTV局のヘリコプターが上空取材のためにやってきて中継するのだが、「燃料切れのためにいったん戻ります!」なんていって引き返していったりして、それが緊迫感を助長してたっけ。
一体この遊歩道がどこまで続くのかわからないのだが、「とりあえずちらっと見てみるだけ行ってみよう」と坂を登ってみることにした。
今上天皇も行幸されたそうだし。
アップダウンが結構激しい。
ぺっこん、と凹んだところがどうやらその噴火口になるようだ。今となっては、草が生えており言われなければ噴火口には見えない。
写真を・・・と撮ってみるのだが、単なる山のでこぼこにしか見えない。よっぽど上から見下ろすような場所か、魚眼レンズに近いくらいの広角レンズでないと無理だ。
「うーん、フォトジェニックじゃないねえ」
しぶちょおがぼやきながらカメラを操作する。
遊歩道はまだ続いている。
「で、僕らどこまで歩けばいいのよ?」
折り返し地点の見極めがよくわからない。
「この道をずっと進めば、行き止まりには大きな滝があります」
というなら非常に分かりやすいのだが、ちょっと分かりにくい割れ目噴火口が並んでいて、その間に遊歩道があって、の連続。そのまま歩いていくと、反対側の車道に出てしまう。
しぶちょおの膝は手術の余波で相変わらずいつパンクしてもおかしくないので、あまり遠出はできまい。ええと、どうしたもんかな。
眼下には元町の集落が広がっていた。
急峻な崖にへばりついている岡田と違って、なだらかだ。しかしこの割れ目噴火口からこれほどまでに丸見えになっているとうことは、溶岩が流れていったらイチコロ、というわけだ。よくぞ生き残ったものだ。
実際、前回の噴火では島民が全員島から脱出したわけであり、確かにこりゃしゃれにならん。
元町の海沿いに、巨大な岸壁が突き出ている。今日は使われていないが、高速船やフェリーの船着き場だ。おいおい、防波堤に囲まれていないじゃないか。これだと、ちょっと時化ったら波が岸壁を洗いまくるぞ。
「道理で、今日は岡田港なわけだ」
非常に納得する。でもそれだったら防波堤作ればいいのに、と思うのだが、多分素人が考える以上に難航する土木事業になるのだろう。ピラミッド一つ作るくらいの人月とコストがかかるのかもしれん。
併設されている漁港だけは、小さな防波堤に囲まれていた。さすがに小さな漁船だと、波に洗われたらイチコロなので「これだけは死守しなければ」ということなのだろう。
荒波に立ち向かう漁船、なんてのは演歌の世界だけで十分であり、リアル漁船にとっては「たまったもんじゃない」。
割れ目火口近辺は吹きっさらしの場所なので、風がもの凄く強い。伊豆大島でいう「吹きっさらし」とは、即ち「太平洋から何も遮るものなく、容赦なく吹き抜ける」事を意味する。何かのアトラクションじゃないか、と思わずにはいられない風、紛れもない「突風」だった。
写真のしぶちょおはジャケットを羽織っているため、特に上半身の自由が奪われて歩くのも難儀していた。今時こんなに背中が曲がっているお年寄りはいないぞ、というくらい腰をかがめて、かろうじて歩いている状態。頭を風上に向け、できるだけ風にあたる面積を減らさないと大変だ。特にしぶちょおは、ジャケットがそのままタコがわりになって空高く舞い上がるかもしれん。数日後カムチャッカ半島で発見、なんてなったら大変。
「膝は大丈夫なのか?」
見ていてハラハラする。どうしても踏ん張らないと立っているのさえ難儀なので、右膝半月板に爆弾、というか活火山寸前のやつを抱えているしぶちょおはいつ噴火してもおかしくない。
「あんまり良くない」
「なぜサポーターをしない?」
「サポーター、医者から貰ってはいるんだけど、足のサイズに合わないんだわ」
「まじでっ!?」
ラグビーかアメフトをやらせたい体格のしぶちょおだが、その結果膝をフォローするサポーターに適当なサイズが無いとは。プロレスラーとか、アスリートが使うようなサポーターを特注しないといけないのだろう。
「大丈夫か?この後三原山登山なのだが」
「今日は無理だろ?この風だぞ?」
確かにそうだ。今この時点で体が浮き上がりそうなのに、山頂まで行くとなると一体どうなることやら。
「おかでんはデジカメを1年に一回買い換える」というのは、デジカメを使い始めた頃からずっとだ。ただ、初めてデジカメを手にしたのが1998年で、現在多分9代目なので「かろうじて2年保った」時もあったようだ。それくらい、頻繁に壊す。
一番多いのが、「セルフタイマー中、三脚が風に吹かれて倒れる」という事象。トンカチで地面を殴りつけるようなものだ、デジカメ単体による単なる落下だと、ゴロゴロとデジカメが地面を転がるので衝撃が少しは緩和される。が、三脚付きだと無反動で衝撃がデジカメに直撃する。
既に遡ること9カ月前、現行デジカメはこの「セルフハンマー」により破壊寸前になっている。三脚用のねじ穴が壊れるだけで済んだが、その結果現行デジカメでは「三脚を使ったセルフタイマー撮影」が極端に減った。なにせ三脚上でカメラがグラグラするから。
今回、離島の旅ということでワクワクしていたので、ぜひ三脚写真を撮りたかった。窮余の策が、「歩道脇にある木の杭の上にデジカメを載せ、セルフタイマー作動」という作戦だった。ちょっとグラグラするけど、10秒くらいは我慢してくれよ・・・
がしゃん。
「ああああー」
我慢してくれなかった。大自然に「我慢しろ」とはお前はなんて不遜な輩だ、と神様からの叱責だったのかもしれない。突風が吹くまでもなく、自らスローモーションでダイビングしなさった。
おかでん激しく失望。沈胴式レンズでよくある、「レンズがゆがんで本体に収納できなくなりやがりました」状態。電源を何度も入れても、レンズを動かそうとするモーター音だけが虚しく響き、そして風にかき消されていった。あーあーあー。
旅行初日でデジカメピンチ。そりゃもうテンションだだ下がりっすよ。写真撮れない旅行なんて、辛抱できんっすよ。
「押し込め!力任せでねじこめ!」
しぶちょおから野蛮なアドバイスがある。以前もおかでんはまったく同じ事をやらかしたことがあるのだが、その時「力任せでレンズを本体にねじこんだ」時に「ぱきっ」と僅かな音が。あああー、レンズが何だか斜め向いているんですけどー、という事態に。結局修理工場行きと相成ったのだった。
そんな過去があるので、ひるむ。
「なんだったら俺がやるぞ」
しぶちょお、やる気十分。おかでん完全に及び腰。「もう無理しちゃだめだ、静かに見取ってやらないと」状態。しかし、しぶちょおに瀕死のデジカメを渡し、本当にばきっと言わせてしまったら随分後で後悔しそうだ。どうせ壊すなら自分の手で壊そう。それなら諦めが付くってもんだ。
デジカメ相手に力こぶを作るという異様な状態のなか、力任せにねじ込んだら、これが意外や意外、ちゃんとレンズがひっこんでくれた。そのあともちゃんと作動する。驚いた。やってみるもんだ。
「三脚にカメラをくくりつけるというのはどうだ?」
しぶちょおが言う。でもどうやって?
「輪ゴム」
ほらよ、としぶちょおは輪ゴムの束をウエストポーチから引っ張り出してきた。四次元ポケットですかそのポーチは。
「なるほどそれはイケる!」
とがぜんやる気を出してカメラを三脚台にくくりつけてみたが、やっぱりグラグラする。
「貸してみ?もっとここをこうやって・・・」
としぶちょおがよりタイトに、輪ゴムを何本も束ねてあちこちを縛り付けた。おお、すごいぞ、なんだか使えそうな気がする。
しかし、実際に使ってみると、レンズを塞いでしまい電源ON時にレンズが出てこられなくなり、モーターがうんうんうなりをあげるハメに。また、シャッターの縁にゴムが這っているので、勝手に最大ズームしたりなんやらかんやら。ダメだな、これは。
ナイスアイディアではあったが、カメラの構造上無理だった。
そんな中、一応三脚を使って写真撮影したのが写真左。一応二人の記念撮影としては成立しているのだが、「アワレみ隊、割れ目火口にて」とは到底思えない写真だった。こればっかりはどうあがいても無理。三脚で少々高いところから見下ろすように写真撮影すれば、もっと噴火口っぽさが出ると思ったんだが。
「あれ?」
そんな写真を撮っていたら、遊歩道の向こうから人影がぞろぞろと現れた。われわれは「これ以上行ってもきりがないから引き返そう」としていたのだが、なんだか気になるじゃないかこの野郎。でも、われわれが駐車しているところには車は一台も無かったはずだが?
気になって進んでみると、前方に観光バスが何台も連なっていた。ありゃ、遊歩道の終点はあそこだったのか。狭いところにバスを折り重なるように駐車させ、団体観光客ご一行様御案内。クラブツーリズムお疲れさまです。
「水戸偕楽園の梅と伊豆大島の椿を見る」だかなんだか、というツアーだったようだ。なるほどこの時期なら両方楽しめるかもしれないが、えらく場所が飛躍したな。結構移動尽くしで大変そうなツアーだ。
添乗員さんが、なにやらお客さんを歩道から逸れた脇に案内している。何かがあるらしい。
「とりあえずあそこまで行ってみよう」
ということで、引き返すつもりだったのをやめ、「怪しい場所」まで行ってみた。そこは、割れ目噴火の火口の一つで、バスを降りた場所からもっとも近くにありますよ、ということで案内していたらしい。
「なるほど、火口ですな」
われわれは先ほどまでさんざん火口をすり抜けるようにして遊歩道を歩いてきたので、今更驚きはない。ただ、火口の縁ぎりぎりまで近寄れる、というのはここが一番かもしれない。
「せっかくだから写真を撮っておこう」
ということで写真を撮ってみたのだが、ご覧の通り、何だかわからん写真だった。無理だ!人間ごときのスケールと、火山の規模が同時に横に並んでも、比較のしようがない!一枚の写真に収まる訳がない!
「やっぱりフォトジェニックじゃないねえ」
「フォトジェニックじゃないねえ」
自然のスケールに感嘆しつつも、嘆息する二人。
しぶちょお一人によるセルフ撮りの場合。
草木と、ヒゲ。以上。これを火口と理解するのは無理だ。
人を排して、火口だけ撮影した場合。
草木が茂る山。以上。
結論:何やってもダメじゃん。
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