關山の展望台に登る。ちょうど日没が迫っていて、空の色がだんだん赤く染まっていく。さすが南国、空がきれいだ。
展望台の北側には、ハワイのダイヤモンドヘッドみたいな高台があった。のんびりとした雰囲気で、荒々しさが無いのが心地よい。
Fish母は、休日になるとここまで自転車でやってきて、半日くらいぼーっとして過ごすことがあるそうだ。なんて優雅なんだ。
展望台は海にせり出しているわけではなく、眼下に海沿いを走る道路が見える。その脇に、何か石でできた円形のトーチカが見えた。結構ごつい。何だろう、あれは。
聞くと、お墓だという。以前ヨーロッパ人の知人が恆春に来たとき、大層珍しがって写真をたくさん撮影していた、とFish母は苦笑しながら教えてくれた。
台灣海峡に沈む夕日。
いいもん見させてもらった。今まで、「日本海に沈む夕日」は見たことがあったが、それ以外の海に沈むのは見たことが無かった。ちょっと得した気分。
夕日が沈んでいくのを静かに眺めていたら・・・あれ、次行くんスか?あ、はい。わかりました移動します。
Fish母が「次へ行こう」と言い、先に進み出した。先ほどから何か急いているようだったので何だろうと思ったが、まだ次の「見どころ」があるらしい。
おおおっと。
駐車場に戻る途中、先ほどの修学旅行生の団体さんを発見。しかし今度は全員女の子だ。どうやら、男子組と女子組に分かれて行動しているらしい。風紀の乱れは許しません、ということだろうか。それともクラスがそもそも別なのか。
あんまりじっくりとその風景を愛でたり、ズーム最大で写真を撮りまくっていたら変態紳士なので、一枚だけ遠景を撮影してその場を立ち去った。さすがにFish母に「この人、変態紳士だ」と思われるのはまずい。
それにしても、目の毒というか至福というか、多くの女子学生が短パンで生足なのが気になる。日本でも、女子学生がミニスカートの制服に生足というのが定番ではあるが、短パンというのは滅多にお目にかからない。短パンの方が体のラインをしっかりと見せるので、生足感が大変に強く感じられる。しかも彼女たちソックスはいていない人が多いし。スニーカー、臭くならないのだろうか?
台灣女性は足が奇麗だ。細く、長い。もちろん、例外が時折いるので一概には言えないのだが、平均的に見て日本人よりも奇麗だと思う。何が違うのだろう?と思って首をひねっていたのだが、どうも台灣女性は太ももが細いようだ。日本人女性よりも肉付きが良くない。そして、太ももが特に長く見える。これは、ヒップのトップ位置が日本人よりも高いところにあるからかもしれない。
あと、日本人女性が、X脚気味の人が多いのに対して、台灣人女性はすっと膝がまっすぐに伸びている。生まれ持っての体型なのか、生育環境に依存するものなのかまではわからない。
ただ、この評価は「うわっ、若い女性がたくさん生足!」と若干興奮しているおかでんの主観によるもの。もう少し冷静になって見れば、違った判断になるかもしれん。
足が長く見えるのは、単にサンダル履いているからだ、だったとか。
そういえばすぐ傍らにいるFishも足のラインが奇麗だ。このまま日本に在留し続けたらどう変化するのか、気になる。日本的な足の形に変化していくのだろうか?
急げ急げ、といった雰囲気で車は走る。今度はどこへ?
さっぱりわからないまま、車は闇に包まれつつある駐車場に停車した。土産物屋があるが、もう本日は店じまいを開始している。駐車場はがらがらだ。
そこから歩いてすぐの展望台が、目指す場所のようだ。この「ようだ」というのが今日の旅程の最重要キーワード。相変わらず説明が無い。
着いたところは、貓鼻頭(マオビートウ)という岬。
ネコの鼻?何だそれは、と思ったら、「ほらあれを見て」と前方を指さされた。そこには、何の変哲も無い岩がある。あれが「貓岩(マオヤン)」。よく見ると、ネコを左斜め後ろから見たような形になっている。Fishの解説によると、ちょうどネコがこっちを振り向いている状態、とのこと。おお、なるほど。確かに言われてみればそう見えるぞ。ちゃんと尻尾もついているし。
中華的発想だと、大げさなネーミングが好きなので「ネコじゃなくて虎にしよう」なんてなりそうだが、ネコに落ち着いた辺りがかわいい。台灣人、なんだかいいぞ。
Fish母は、關山で夕日を見て、日没までの僅かな間にここに到着しようとしたわけだ。なかなかの策士だ。
貓鼻頭で、台灣海峡はおしまい。
貓岩の先は、巴士(バシー)海峡と名前を変える。巴士?なぜバスなんだ。それよりも何よりも、その海峡ってどことどこの間の事を指すんだ?普通、「関門海峡」とか「津軽海峡」のように、海峡ってのは狭いものだろう?
「フィリピンとの間だよ」
Fishは事もなげにいう。ええー、フィリピン。結構距離あるぞ。それを海峡と言ってのけますか。しかも、この巴士海峡の幅が非常に狭い。ここ貓鼻頭と、墾丁の先・台湾最南端の岬「鵝鑾鼻(ヲールアンビー)」との間10kmが、巴士海峡の横幅となる。そんな強引な。ルソン島までに、太平洋だか巴士海峡だかわからなくなってしまうぞ。
なお、鵝鑾鼻から東は太平洋だ。図解では、黒潮がどかーんと鵝鑾鼻にぶつかっている。黒潮って、英語では「kuroshio current」と言う事を初めて知った。そんなわけでこの辺りは潮の流れが複雑で、珊瑚の海であるとはいえダイビングには要注意なのだそうで。
貓鼻頭から墾丁方面を眺める。
既に日が暮れているのではっきりとは見えないが、海岸線に沿って町の明かりがずっと伸びているのがわかった。墾丁、というのは集落の名前ではなく、あの辺り一帯の事を指すようだ。
恆春が、城壁に囲まれた所とその周辺の集落を指しているの比べると、ちょっと違う。明日はあのあたりを探索だな、多分。
次の目的地に行く前に、お手洗いに立ち寄る。
独特の手洗い場になっていたので、思わず写真を撮影してしまった。たくさん蛇口がついているが、これを同時に使う事ってあるんだろうか。
便器は、水洗式。ちゃんと近代化されているが、これは自動水洗にしておかないと流さない人がいて、清掃が面倒になるからという事情があるのだろう。
日が暮れた。というわけで夕食時だ。先ほど關山に移動途中見かけたお店へと向かう。その前に、Fish母が携帯でどこかに連絡していると思ったら、Fish曰く「親戚が参加するよ」と言う。おいおいおい、何だそれは。誰ですか、その親戚とやらは。聞くと、Fishのおじさん・おばさんにあたる人(Fish母の義理の兄弟)が来るという。容赦しないな、この国の人は。いろんな人が惜しげもなく登場してくる。今回の旅では、Fish母が前面に出てくるだけでも驚きなのに、さらにその上を狙って親戚登場とは。一体、その親戚にはおかでんの事がどういうニュアンスで伝わっているのだろう。
後日、Fishに「何であの時親戚が出てきたの?」と聞いたが、「さあ?」などと言って要領を得ない。そんなこと、当たり前過ぎて意味を聞かれても困るくらいの雰囲気だ。とはいえ、日本人としては気になるので、いろいろ嗅ぎ回り、分かった事を要約すると
・Fish母と親戚は、もともと近日中に食事でもしようという話があったらしい
・ちょうど娘が帰国中だし、娘が日本の友達を連れてきたので外食をしよう
・そうだ、せっかくの外食だから、親戚も呼んじゃえ←今ここ
のようだ。なんてフランクなんだ。
さて、訪れたお店は周囲に何もないところにぽつんとある、「照利」というお店。「核三廠斜對面」と書かれている。要するに恆春原発の斜め向こうにありますよ、ということだ。大変に分かりやすいが、原発を目印にする飲食店って日本では例がないと思うので、何だか面白かった。
さて店名の横に、「全台第一家刺鮭米粉」と書いてある。これは来店時には気がつかなかったのだが、後で写真を見直して「ん?何だこれは?」と気がついた。Fishに聞くと、「第一家」とは「初の」という意味で、「刺鮭」は「ふぐ」。米粉は言わずと知れたビーフンだ。要するに、「元祖ふぐビーフンの店」ということだ。ふぐビーフンって何だ?
店に入ると、衝立のように立ちはだかる大きな店名看板がお出迎え。
その両脇には、なにやら呪文のようなものが書いてある。
「牛轉乾坤」「財運滿灌」だって。お目出度い赤色を使った、正月飾りだ。ハイネケンの瓶やタンブラーの写真があることから、ハイネケンの台灣法人が販促グッズとして取引先飲食店に配布したものらしい。所変われば営業の仕方も変わるんだな。日本だとハイネケンってちょっぴりクールなイメージがあるので、このような事は絶対にやらないだろう。何しろ、門松にハイネケンって書いてあるようなものだ。
ところでこの言葉の意味だが、どういう事か。困った時のFish頼み、これも後日聞いてみた。
「牛轉乾坤」とは、「丑年は状況をひっくり返すぞ」という意味。ひっくり返す、といってもご破算にするという意味ではない。貧乏な人は富めるように、既に富んでいる人はもっと富めるようにということだ。今年の旧正月はこの言葉が街中に溢れていたとか。なお、太陽暦の正月(1月1日)の時には、「HAPPY 牛 YEAR」という表示だったようだ。「太陽暦」という概念は西洋文化だ→だったら英語を使ってお祝いしちゃおう、というわけだな。
左側の「財運滿灌」はもう言うまでもない、「お金ががっぽり入ってきますように」というお願い。お金稼ぎに対して、ここまであっけらかんとしているのは中華系文化の国だけではなかろうか。
そんな看板を尻目に、席へと向かう。店内はやたらと広い。一体この客席が埋まることがあるのだろうか、と疑わしくなるくらい広い。そして、どのテーブルも大きくて、席数が多い。一人旅で「あのー、一人ですけど、食べられます?」なんて訪問したら、居場所がなさそうな予感。もちろん空席はたくさんあるので食べるのには不自由しないが、場違い感満点。
1テーブルあたりの椅子の数の多さからして、この国の人は「たくさんの人数で会食する」のが当たり前だということが伺える。現に、奥の方では20名近い集団が食事をしていた。
日本で10名を越える人数での食事となれば、大抵「宴会」であり、お酒を飲んで騒がしいものだ。しかし、その集団はあまりお酒を飲んでいないようで、大人しかったのが逆に印象的だ。日本が特殊なんだろう、きっと。
円卓に着席する。Fishに、「ええと、こういう場合どういう着席順になるんだ?」とこっそり聞いたのだが、「どこでもいいと思うよ」とあっけない。「いや、でも例えば来客と主催者の位置関係だとか、そういうのは?」「特にない」「上座・下座は?」「無いよ、円卓だから」ああそうですか。
厳密に言えば、テーブル作法があるのかもしれない。ただ、こういう席ではこれといったルールはないようだ。とはいえ、何か粗相があってはいかん。食事時のお作法ができているかどうかで、その人の育ちが分かる。「何かマナー違反や改善点があったら、その都度教えて頂戴」とFishに念押ししておく。
Fish母から「何か飲むか?」と聞かれたので、啤酒を頂くことにした。ここも、お昼の時同様ドリンクはセルフサービスで持ってくる仕組みだ。台灣ではこのスタイルが一般的らしい。
「ええと、こういうのは一度は遠慮したほうがいいのかな」
「気にしなくていいよ」
どうやら気にしすぎらしい。とはいえ、おかでんがビール瓶抱えてぐいぐい一人で飲むのはどうかと思うので、Fish母に「何かお飲みになりませんか?」と聞いてみた。すると、「じゃあ」という感じでFish母が冷蔵庫に行き、ドリンクを持ってきた。そこには、オレンジジュース、1リットルの紙パック。なんとざっくばらんなお店なんだ。瓶とかペットボトルではなく、紙パック。ああそうか、団体で食べに来るから、紙パックで注ぎ分けた方が費用対効果がよろしいということか。合理的ではある。
そのオレンジジュースは、「5℃」という名前。果肉入りオレンジジュースらしい。しかし果汁は20%。台灣といえばフルーツ天国という印象があったので、20%にはちょっと驚いた。当然100%だと思っていたからだ。不思議。
店員さんであるおばちゃんがやってきてFish母となにやら会話をしている。知り合いらしい。あれこれ注文をしているようだが、当然全く聞き取れない。ただ、どうやら今日はリーベン(日本人)がいる、という事は分かった。
おかでんをリーベンと知った気さくなおばちゃんは、ニコニコしながら英語でこっちに話しかけてきた。うわ待て何をする。油断していた。しかし一応昨晩Jennyとインチキ英会話はやって免疫ができていたので、なんとか会話は成立した。聞くと、以前埼玉大学の近くに住んでいたよーなんて言ってる。ああその横はよく車で通りますよ、なんて返すとえらく喜んでいた。
オバチャンは絶好調で、
「日本にいるとき、一番便利だなーと思った言葉は『すみません』よー」
なんてご機嫌に言う。
「何か困った時は『すみません』って言えばなんでも通じるのよ!すごい言葉よね」
だって。あはは、言われてみればそうだ。こちらは、語彙力が無いので「多くの日本人は『すみません』という言葉を愛しています。魂の言葉です」などとうそっぱちな回答をしてしまった。ごめんなさい日本の皆さん。日本文化を間違えて海外の方に教えてしまいました。
われわれから遅れることしばし、「親戚夫婦」が合流し、ぎこちないあいさつ。その後、食事がずらずらと卓上に並び始めた。
まず回転卓に並べられたのは、魯肉飯と白米の小椀。ええと、白米3つ、魯肉飯2つなんですがこれは?
「好きな方を選んでいいよ」
ということなので、とりあえず魯肉飯の方を選ぶ。ご飯の量が少ないのは、台灣においてはデフォルトのようだ。昼の海鴻飯店も、ご飯は小さなお椀で供されていた。
その次に出てきたのが、海草のようなもの。醤油で味つけしているっぽいが、何だろう、これは。わかめ・・・?
この正体は「雨來菇」というらしい。Fish「菌類だ」という。この周辺の名物らしい。菌類?この黒っぽいのが?聞くと、雨が降った次の日になると、草が生えているところにこいつが出現するらしい。雨が降ったら現れるので、別名「恋人の涙」なんだと。どさくさに紛れてロマンチックな名前をつけたな。
味?いや、もう全然覚えていないのでその点については聞かないで。何しろ、「どういう順番で料理は取れば良いのか?」だとか、「テーブルは時計回りに回した方がいいのか?」とか、そういうので頭がいっぱいだったから。あと、みんなの会話にはついていけないが、雰囲気で状況を察知しようとしていたので気が張りっぱなし。味なんて、二の次だ。魯肉飯は八角の味が強かったですか?という基本的な問いにすら答えられないくらい、記憶に残っていない。
これがふぐビーフン(刺鮭米粉)。この店の看板メニューだ。後になって知ったが。
食事中は、単なる麺入りスープだとしか思わなかった。ふぐが入っていたのか。確かに写真を見ると、ふぐの身が汁の中に沈んでいるのが伺えるが、その時は気がつかずにスープだけ飲んでいた。
魚の腸を調理したもの。料理名不明。なお、料理名は後日Fishに照会したり、webで調査して同定している。当日その場でも聞いたはずだが、全然覚えちゃいない。そりゃそうだ、覚えられる訳がない。メモ帳にメモでもしないと。
webでこのお店を調べてみたら、結構な有名店らしい。知らなかった。大きな客席が満席になるなんてことがあるのか、と先ほど書いたが、本当に満席になってしまうとのこと。
なお、このお店に行こうと思ったら、公共交通機関はないのでタクシーで行くか、レンタルバイクでどうぞ。
蒜爆水母。「水母」とは、くらげの事。
「肉絲炒不辣小辣椒」。万願寺唐辛子のように、辛くない唐辛子の炒め物。
おかでんがテーブルを回転させる際、対面に座っているおじさんが手伝ってくれる。こういう気遣いがテーブルマナーなのかと悟り、以降は誰かがテーブルを回す時は即座にお手伝いをした。なんだか忙しい。
あと、啤酒をFish母から何度も注いで貰ったのには恐縮。Fishに「台灣ではお酌ってするものなの?」と聞いたら、「普通は手酌だと思うよ」とのこと。Fish母の手元にある啤酒瓶を何とか手元に引き寄せ、手酌に切り替えたかったが、まさかFish母から瓶を奪うわけにもいかず、結局最後までお酌をしていただき恐縮。
飲んだ啤酒は尿にならず、なぜか全部汗になってしまった。一人だけダラダラと顔から汗をしたたらせ、同席した方々から「なんでそんなに汗だくなんだ?」と笑われた。それだけ必死だったということだ。
テーブルマナーについて補足しておくと、実際のところ「テーブルを回す方向は時計回り」が正しいそうだ。帰国後調べた。ただし、ちょっと先の料理を取るくらいだったら、その限りではないとのこと。
それから、席次はやはり上座と下座があって、主催者が上座、来客は下座(入口側)に座るのが正しい。おかでんの座った場所は下座にあたるので正解。お客さんが上座、じゃないところが面白い。
あと、ご飯茶碗は手で持ち上げても良いが、取り皿は持ち上げない。他にもレンゲの持ち方だとかいろいろあるようだが、きりがなさそうだ。
何か他にいるか?と聞かれたが、アレをください、これが食べたいですなどと言えるほど知識があるわけではない。「日本では食べられないものを」とリクエストしてみた。
すると、出てきたのがパンみたいなもの。タレにつけて食べるらしい。
サンドイッチ状になっていて何かを挟んでいるので、何だろうと思って中を開けてみて大いに納得。これ、豆腐だ。揚げ出し豆腐のようなもので、もっと表面がぱりっと、かりっとなったものだ。その中に、アーモンドの粉末と香草を刻んだ物が入った代物。料理名は「炸豆腐」と言うらしい。
早速食べてみたら、これが大層美味い。もともと香草が好きだということもあるが、ぱりっとした豆腐の食感が気に入った。「これは美味いです。よいものを頼んで下さってありがとうございます」と感謝。
・・・って、おい、まだ出てくるのか。ちょっと追加注文しすぎのような。
これは炒石斑魚という料理らしい。「石斑魚」とはなんぞや。ハタの一種らしく、中華圏ではよく食べられる魚のようだ。
こっちは生炒旺螺。何かの巻き貝が炒められている。日本人にとっても濃い味付け。聞くと、客家料理の一つだという。客家、濃い料理が好きだな。
それにしても、こちらの料理は昼の萬巒同様、とても口にあった。最後の貝のやつは濃すぎたけど。うれしくなって、一同に
「前回台北を訪れた時は薄味のものばっかりだったので、台灣って薄味好きの文化だと思っていました。今回台灣南部に来て、日本人と同じ味覚の料理がたくさん食べられて幸せです」
と感情を吐露した。しかし、相手は曖昧な笑みを浮かべるだけで、特に「そうだねえ、北の方は味が薄いから」などという賛同の意は得られなかった。あれ、僕何か大きな勘違いしてますか?
テーブルの回し方やお酌などに気を遣ってしまったが、それ以外にも細かい点で気になった点がいくつかあった。
まず、取り箸が存在しないのだな。お昼もそうだったが、ここでもそう。各自、自分の箸で取る。「取り箸なんて面倒じゃん」ということのようだ。まあ、日本でも、正式には取り箸を使うけど、居酒屋で大皿料理を取り分ける時なんて自分の箸を使うもんな。そんな感覚なんだろう。
それから、グラスもあるのだが、紙コップも用意されている。肝炎の危険性を心配する人は、紙コップを使ってくださいということだろう。
あと、料理の数に対してお皿が少なかったのには困った。テーブルには、汁椀、平皿、そして魯肉飯が入っているお椀だけ。つまり、実質使えるのは平皿一枚だ。それで全部の料理を食べるのには苦労した。
ただ、自分以外の他人を見ていると、全く困ったそぶりは見せない。当たり前のように食事を進めている。どうもご飯茶碗にコツがあるようで、ご飯の上を「料理一時保管所」にしていた。これだと、汁気がご飯に吸い込まれるので、料理を順番に食べても味が混ざることはない。なるほど。
そういえば、日本でFishと食事をしていて、お行儀が悪いと思っていた事がある。それは、「ご飯の上に、料理を複数種類載せる」事だ。日本における食事作法としては、ご飯の上にちょん、と汁気を切るためにおかずをタッチさせることはOKだが、そのまま乗せてしまうのはあまり美しくない。ましてや、置きっぱなしにして、なおかつ別のおかずまでお越し願うのは少々見苦しい。だから、Fishの食べ方を見て「変な食べ方をするなあ」と思っていた。
しかし、この料理を前にして納得した。大皿料理主体の食文化の国だと、ご飯の上がマイ料理置き場になるのね。高級なお店に行けば、潤沢に取り皿を用意してくれるだろう。しかし、普通はそんな面倒な事を店はしてくれない(言えば出してくれるだろうが)。だから、限られたお皿で、効率よく食べるとなるとオンザライス方式がベストだった、というわけだ。自分の分、料理がお皿に並べられて目の前にあるというジャパニーズスタイルとは発想の根本が違うのですな。
食後、親戚の方も交えて記念撮影して、お店を後にする。
結局、結構残してしまったぞ。もったいないなあ・・・。でも、この国の人はあまりそういう「もったいない」という感覚がないようだ。それはおかでんが遠方から来た客人であり、来客をもてなすために、いろいろな種類の料理を胃袋キャパシティ関係なく振る舞ったという背景もあるだろう。とはいえ、あまりにあっけなく大量に残しているのを見るにつけ、残して当然、という感覚があるように見える。
中華圏では「少しくらい残すことで、満腹の意を伝える」という事は一般常識として知っている。ただ、それとは違う次元で大量に料理が残っているのは圧巻だ。
多分、なんやかんや言っても食には恵まれている国なのだろう。「残すともったいない」という日本とは世界が違う。そもそも、ご飯をあまり食べずにおかずを中心に食事を構成している時点で、日本より豊かだと思う。
ただ、おかでんとしては「ご飯を残すとお百姓さんに申し訳ない」と叱られるような国に生まれて良かったと思っている。収穫されたものを残さず食べることで感謝の意を表するという文化は素晴らしいと思う。
あっ、いけない。Fish母にご馳走になってしまった。おいおい、今日は電車代以外全くお金を使っていないんですが。
レストランからの帰り道、關山に行く際に見かけた健康歩道で車は停まった。せっかくだから体験していらっしゃい、というFish母の配慮だ。
ありがたい。おかでんは三度の飯の次くらいに健康歩道が好きなんだ。・・・と、今決めた。きっとそうだ。前回台灣を訪れた際も、真っ先に健康歩道を探したくらいだ。Fish曰く、そんなもの台灣のどこにでも当たり前のようにあって、珍しくもなんともないらしいのだが。
もの凄い長大だ。さすが、万里の長城を作るような人たちの末裔(台灣に住んでいる民族と全然違うかもしれないけど)だ。滅法長くて、終わりが見えない。夜のため暗いせいだ、というわけではない。本当にそれだけ長い。
早速はだしになって歩いてみる。うん、最初の2,3歩は大丈夫なんだよな。しかし・・・きたきた、ガツーンと痛みがやってきた。うわああ、歩けないってば。歩くのも拷問、その場で立ちつくすのも拷問。へっぴり腰になるしかない。すごい威力だよな、これ。
足裏マッサージはあまり興味がないし、TVなどで悶絶している芸能人を見るにつけ「そんな馬鹿な」と思っている。しかし、こうやって健康歩道を歩いて脂汗を垂らすということは、やはり足裏マッサージは痛いのだろう。この痛みを我慢し続ければ、じきに体調が良くなるのだろうか?それとも、体調が悪いところが分かるだけなんだろうか?後者だったら、もう体が悪いのは分かりましたから許してください、だ。前者だったら毎日でも通い詰めたい。日本の公園にもぜひ設置して欲しいものだ。公共事業削減の折、それは無理?いや、それだったら1時間100円とか有料制にしてもらっても構わない。
本当は、我慢しつつ、このアホみたいに長い歩道を往復し、最後はガッツポーズでキメたかった。しかし、その間お二方を待たせるのも悪いし、特に何かFish母は先ほどから時間を気にしているようだ。適当なところで切り上げないと、申し訳ない。
「この後は・・・僕の荷物を運び込むんだよね?」
この先の段取りをFishに確認する。
「そうだよ。その後、四重渓溫泉に行く」
という回答が返ってきた。想像していた回答の150%増しだ。あ、これから四重渓溫泉ですか。明日あたり、Fishと二人で行くつもりだったのだが前倒しですか。
また話がどんどん先に進んでいっているぞ。
ただし、四重渓溫泉に行きたい、と口にしていたのはおかでん本人であり、段取りの自由は本人にないものの、忠実にこちらの意向を汲み取ってくれている。これで事前説明と本人の最終意向確認というプロセスを経てくれれば最高のセッティングなんだが。
Fish母が時間を気にしていたのは、そういうことだったのだな。この後解散、ではなく後の予定があったからだ。だったらその旨伝えてくれれば、こちらも食事を切り上げるなど配慮したのに。なんだか、食事の後半からなにやらFish母がそわそわしはじめたんだよな。うわ、酒飲みがチンタラ飯食いやがって、と思われたかもしれん。申し訳ない。基本的にも応用的にも、会食の席において日本人の方が台灣人と比べてはるかに長っ尻だ。
車は、この町一番のホテルに横付けされた。正面の入口から入るのかと思ったら、おや、脇へと逸れていく。そこには、きらびやかなガラス張りの入口とは別に、標識も何もない用途不明の入口があった(写真は翌朝撮影したもの)。回転ドアの前には自転車が駐輪されており、このドアは使っていないようだ。回転ドア左にある、開け放しの入口から中に入る。
中にはエレベーターだけがあり、上の階へと通じている。なんとも怪しい。これ、ホテルの一角・・・じゃないのか?
目的のフロアに到着すると、真っ暗だった。ますます怪しい。肝試しをしている気分になる。
どうやら、ホテルと同じ建物だけど、完全に別の仕切りとしてリゾートマンションが存在しているらしい。そして、このリゾートマンション棟(といっても建物は同一)は、1フロアに少しの世帯しか入居しておらず、しかもその性質上住人は常時滞在している訳ではない。そのため、若干うらぶれた感じになるようだ。
Fish親の知り合いという部屋にお邪魔した。ええと、まずは靴、靴。どうすりゃいいんだ。部屋の中に入っても、Fish家同様段差無し。しかし、土足じゃ駄目なんだよな。室内履き貸してください。
全員一人ずつ玄関の扉に並び、靴を脱いで、室内履きに履き替えて、はい次の方どうぞとなるわけではない。結局みんながどどどっと部屋の中に入ってしまい、適当に玄関周辺で靴を履き替えている。・・・事実上土足で立ち入っているじゃん。なぜ「外界」と「屋内」を明確に分ける「境界線」、日本では玄関の段差を設けないのか理解ができない。どう考えても論理的行為ではない。
日本だと、靴を脱いで家に「上がる」。そのため、室内では畳だろうがフローリングだろうが、床に座る事は不潔な行為とされない。しかし、台灣では靴を脱ぐが、床に座るという文化はない。だったら西洋同様、土足で良いではないかと思うのだが、どこでこういう和洋折衷なスタイルになってしまったのだろう。
話は逸れるが、以前Fishの引っ越しの手伝いをしに行った事がある。その際、ベッドの上にあった布団をフローリングの床の上に移動させたのだが、後でえらく叱られた。室内だしいいじゃないか、と怒られている理由が全く理解できなかったのだが、台灣生まれのFishとしては「床」は室内だろうが、清潔なものではないという認識だったようだ。
それはともかく、室内履きに履き替えているFish御一行様(このときはFish弟もいて、Fish親子3名)は、日本人のおかでんから見て面白い光景だった。外履き=ビーチサンダル、室内履き=ビーチサンダル。同じ類の靴を履き替えているのだった。南国なので、このあたりの人たちはビーチサンダルもしくはサンダルが普段履き。おかでんの革靴なんて、暑苦しくて完全に場違い。
これから2晩お世話になる、この部屋の主にごあいさつ。あ、これ日本土産の鳩サブレでございます、何卒よしなに。
あいさつの後、本日の根城に御案内された。おお、ちゃんと個室があるではないか。すごいぞ。
あてがわれた部屋は、8畳以上はあろうかという広い部屋だった。真ん中にベッドがある。セミダブルくらいのゆったりサイズだ。そして、タンスと、テーブル。おや?部屋の脇にドアがあると思ったら、この部屋専用のユニットバスまであるではないか。こりゃすごい。いや待て、ということはここのご主人(以降「陳さん」と仮称する)は用を足す際にこの部屋に入ってくるのか?夜中目が覚めそうだな。
ちょっと心配になったが、トイレはもう一つちゃんとリビング脇にあった。何だこの部屋の作りは。
部屋の作りは、日本人的感覚からいったら全く思いつかない突拍子もないものだった。玄関でまずびびるが、それは文化の違いということですぐに納得は行く。ただその他が変だ。玄関入ってすぐがリビングダイニングスペースになっているのだが、これがやたらと広い。20畳、いやもっとあるかもしれない。無駄に広すぎて、もてあまし気味だ。しかも、L字型になっていて、玄関正面には何と中華料理でおなじみ、回転する円卓がずどん。7~8名は座ることができる。使っている気配はなかったけど。そして、玄関左手に広いリビングがあり、ソファや机が置いてある。こちらも広すぎて、そして床がタイル張りなので殺風景に見える。リビングの奥には陳さんの寝室。陳さん、結局この部屋にテレビを持ち込んで、そこを専らの根城にしている気配。あとは、二部屋来客用?の部屋があり、そのうち一部屋を今回おかでんに提供してもらったことになる。この来客用部屋にはバストイレ付きだ。しかし、陳さんの部屋にはバストイレがなく、リビングに面した共用のものを使っているから何だか不思議。おかでんだったら、自分の根城が便利な方がよいので、バストイレ付きの部屋を選択するのだが。ああ、でもそれだと来客が来ない時は、二つのトイレ掃除が必要になるので面倒だな。やっぱりできるだけトイレは共用のものを使うと思う。
これだけ巨大な部屋だというのに、キッチンは非常に狭く、一人暮らし用アパートの様相。あまり炊事はしない事を前提にしているらしい。
激しくカルチャーショックを受けているおかでんを尻目に、Fish母がてきぱきとベッドメイキングを始めた。ああいけない、僕も手伝います。何かFish母が大きなケースを家から持参していたなあと思ったら、このベッドのシーツだったんだな。
あと、ベッドメイキングが終わったら、3リットルは入ろうかという水のボトルをデン、と机の上に置き、「喉が渇いたら飲みなさい」という趣旨の事を言った。あ、そうか、水道水は飲めないからな。ご配慮ありがとうございます。危なく、飲み水に困ってしまうところだった。このあたりは、さすが地元民ぬかりがない。
水が入っているのは白い巨大なボトルで、まるで大きなサラダ油入れのような取っ手がついていた。わざわざ買ってくれたのだろうか?フタを触ってみると、開封されてあった。ということは、容器は使い回しで、中身を後から詰めたものらしい。後日調べてみると、台灣では水道水をそのまま飲むのはよろしくないが、湯冷ましにすれば飲めるようになるらしい。恐らく、この水は湯冷まし水道水だろう。それにしても台灣の人大変だな。毎日湯冷ましを作らないといけない。
では温泉に行く支度をして、四重渓溫泉にGOだ。
車は、主要道を通らずに脇道を通っていく。途中いろいろ建物があるが、結構別荘が多かった。恆春はそういう土地らしい。暑い国なのに、一番最南端までやってきてますます暑いではないか、と思うが、そうでもないようだ。
車は何だか変なところで停車した。あれれ、どうするんだ。すると、助手席に座っていた陳さんが「じゃあ行ってくるわ」みたいなことを言って、すたすたと車から降りていった。そして、目の前の建物の、閉まっているシャッターをガラガラと開けて中へと侵入。おいおい、何が始まろうとしているんだ。さっぱり状況が理解できない。陳さん、僕と一緒に溫泉に入っていろいろレクチャーしてくれるんじゃなかったんか。
聞くと、「今から散髪するから、10分ほど待っててね」だそうで。はあ、なるほど。でも、シャッターが閉まっている散髪屋に飛び込んで大丈夫なのだろうか。「大丈夫、予約を入れてあるらしいよ」
なるほど、先ほどからFish母が急いでいたのは、この予約の時間を知っていて、それまでに陳さんを散髪屋に連れていかなければ・・・という事だったのだな。それにしても10分て早い散髪だな。QBハウスみたいだ。この後溫泉なので、洗髪は不要だけど。
シャッターの脇には、「美髪工作室」という看板が出ていた。日本のように、赤と青の渦がくるくる回る標識はない。
「この散髪屋のご主人、ベトナム人と結婚したんだよ」
とFishが教えてくれる。
台灣は現在、男性が結婚できなくて困っている。女性のキャリア志向の高まりと、男性のプライドの高さと女性の高望みのミスマッチで結婚相手がいない状態。その結果、中国、タイ、ベトナム、フィリピンなどから「お嫁さん」を斡旋してもらうことが増えてきている。正確な数字は知らないが、数パーセントレベルの話ではなく、何割というレベルでそういう国際結婚があるらしい。大丈夫か、台灣。
待っている間、星を見ようと近くの畑に行く。星が奇麗・・・なのかどうか、目が慣れる前に時間が来た。すぐそばには小さな公民館のようなものがあり、卓球の練習が繰り広げられていた。おお、卓球が普及しているな。
陳さんと合流し、車は四重渓溫泉へと向かう。
四重渓溫泉。スィーヂョンシーウェンチュェンと読む。台灣四大溫泉の一つとされるほどの名湯だ。泉質:アルカリ性炭酸泉。台灣最南端の溫泉でもある。
そんな温泉ならぜひ、と思う人もいるだろうが、交通の便が悪すぎて普通の旅人はまず無理だ。何しろ、恆春からバスが出ているものの、一日2便、しかも06:10と16:00発しかない。人を乗せる気、無いだろこのダイヤ。行きはまだ16:00の便に乗れば良いが、帰りは朝7時くらいの便を逃すと、次は夜だ。タクシーか、レンタルバイクか、地元の知り合いに送り迎えしてもらうしかない。タクシーといったって、流しの車がいるわけじゃないので、呼び寄せないといけないからハードルが高い。
今回、Fish及びFish母のご厚意で連れてきて貰えて、本当に幸せだ。またとない機会だ、楽しませてもらおうではないか。
なお、この四重渓溫泉は、昔高松宮(昭和天皇の弟)夫妻が訪れた事があるそうだ。名湯とはいえなんでこんな辺鄙なところに、と思うが、日本統治時代には高雄州の州庁招待所として使われていたらしい。四重渓溫泉の話をした時、Fishからも、陳さんからも「日本の皇族が泊まった事があるのを知っているか?」と聞かれたので、この地方の台灣人にとって誇らしい(?)でき事として刻まれているようだ。
とはいえ、この四重渓溫泉にはもう一つの顔がある。若干温泉街から外れるが、この辺りで「牡丹社事件」が起きている。牡丹社事件についてはあまり歴史の教科書では詳しく語られないが、日清戦争よりも前の1874年に日本が台灣に出兵した事を指す。詳細は長くなるので、wikipediaなどで調べてみてください。こんなところまで漂流しちゃった人がいるのか、とまずは驚く。
昼間、単独で訪れていたなら慰霊碑を訪れて黙祷を捧げたかったが、今回はやめておいた。歴史がからむと話がややこしくなる恐れがあるので、あまりそっち方面には話がいかないようにしたかった。
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