16:20
通洞にある足尾銅山観光を後にし、もうすこし足尾銅山の中核部に切り込もうと決めた。観光気分でトロッコに乗っても、銅山を見た!という気にあまりならなかったからだ。
もっと奥まで行けば、銅山隆盛期の名残があるはずだ。
まずは、わたらせ渓谷鉄道の「足尾駅」を訪れた。
地図を見る限り、足尾駅にはさほど集落がないように見える。そして、通洞のような坑道入り口があったわけでもない。しかし、ずばり「足尾」という地名が冠されているのだから、昔はこのあたりが地域の中心だったのだろうか?それを確認するために訪れた。
16:22
無人駅の足尾駅は静かだった。
ホームに足を踏み入れてみると、駅舎に隣接したホームだけでなく、島式ホームがもう一つ別にあった。そしてその外側にも線路が複数見える。昔はここを貨物車や客車が行き交っていたことがうかがえる。しかし、今となってはそれが「何故?」と思えるくらい、その余韻は残っていない。
16:24
駅前もがらんとしている。
なにやらレンガの洋館がちらっと見える。あれが今回訪れそびれた、「掛水倶楽部」。
16:28
足尾からさらに渡良瀬川上流を目指す。
この先、わたらせ渓谷鉄道の終着駅「間藤駅」があり、そのさらに先に足尾本山がある。足尾本山には、今でも精錬所の施設が取り壊されずに残っている。
間藤駅は、とんがり屋根の駅舎が特徴的なのだけど駐車場が見当たらなかったのでそのままスルー。間藤駅周辺は、古河系の工場がいくつかあるようだ。しかし、基本は山あいの静かな集落だ。この先は行き止まりの土地だからだ。
そんな中なのに、比較的大きなアパートが建っていたりする。一戸建てでも全然おかしくない場所なのにアパートなので、一瞬ギョッとする。これも鉱山華やかなりし頃の余韻、なのだろう。
まだ住んでいる人はいるのかな?通り過ぎた限りでは、よくわからなかった。
16:29
ところどころ、レンガ造りの防火壁があるのがこのあたりの特徴。社宅が建っていたエリアだということだけど、防火壁だけは残っている。
防火壁を作らなくちゃいけないくらい、このあたりは建物が密集していたのだろうか?
16:38
集落にはちゃんと人が住んでいる。ただし、見かけたのは全てご高齢の方だった。昔は鉱山関連のお仕事をされていたのだろうか。
16:30
足尾本山。渡良瀬川を挟んで大きな建物が見える。そして、古河橋という橋がかかっている。
昔は間藤から足尾本山まで貨物専用電車が走っていたそうだ。今でも線路などは残っているということだ。
巨大な建物だけど、一体何が行われていたのか、中の様子はまったくわからない。銅山観光でトロッコに乗るよりも、こういう精錬所跡の中を一般開放した方が面白いんだけど、それはさすがにやっていないようだ。
昔はこの近くに「本山坑」という坑道があり、備前楯山を挟んだ反対側に「小滝坑」があってまっすぐに繋がっていたという。そして、その坑道にまっすぐぶつかる形で、通洞坑があって、「Tの字」型の大きな坑道があったとのこと。
16:34
ここから先は、谷のどん詰まりになって道がなくなるだけだ。でも、行けるところまで行ってみようと思う。
車を谷沿いに走らせると、精錬所の側面が見えた。
古河橋のところから見える「巨大な建物」よりもよっぽどインダストリアル感があって、ワクワクさせられる光景がこっちにはあった。
煙突が見えるが、あの煙突が周囲の山をはげ山にした諸悪の根源だろうか?見る限り、コンクリートの塊っぽくて、あんまり環境に考慮した装備がなさそうに見える。まあ、かなり古いものだから当然といえば当然なのだけど。
精錬するための火力用として周囲の山々の木を伐採し、さらには酸性雨を引き起こす煙を工場から出し、そのせいで周囲の山はずるむけに。そして大雨や台風の度に山が崩れ、洪水が起きたり有害物質を含んだ土砂が下流に流れて農作物を駄目にしたりとさんざんな有様だったらしい。
16:37
そんな名残がまだあるのか、一見普通の山のように見えるけど植生が乏しい山肌が、あちこちに見える。
正面の山は、岩山でもないのに緑が薄いし、崖崩れ防止のための造作があちこちに施されている。
16:38
精錬所からわずか数分で、行き止まりになってしまった。ここから先もずっと松木渓谷と呼ばれるなだらかな谷が続くのだけど、ゲートがあって関係車両以外は立ち入り禁止になっていた。
この松木渓谷は日本百名山・皇海山を源流に持ち、航空写真を見る限り広い河原を持っているようだ。普通なら、キャンプ場や観光釣り堀といったレジャー施設があってもおかしくない地形だけど、それがない。要するに、ここから先は汚染された土地だから、ということだ。
16:39
ゲートの近くに、「足尾の治山・治水事業」という看板があった。
見てみると、松木渓谷をはじめとする渡良瀬川上流全般に、かなりの手が加えられていることがわかる。足尾駅のあたりからずっと、かなりの広範囲だ。
もちろん、「治山・治水」というのは全国あちこちで行われている日常的なものだ。しかしここ足尾が特殊なのは、地図のベージュ色のところが「荒廃地域」と記載されていることだ。つまり、銅山の影響で荒廃してしまった範囲がこれだけあるよ、ということだ。すげえ。
ここからはるか先、松木川上流には「観測監視区域」と指定されたエリアが広範囲にわたってある。まだまだ現在進行形で監視対象になっている、ということだ。
銅山観光の坑道で見たような、「チョンマゲ時代の古い話」じゃなくて、まだまだ現在進行形で負の遺産は引き継がれている。
16:40
うわ、これはひどい・・・。
今ここにいる場所は足尾砂防堤防なのだが、その建設時点の写真があった。
まるでグランドキャニオンにでもいるかのような、荒涼とした山。「草木が一本も生えていない」というのは誇張でもなんでもなく、本当にそうだった。
よくもまあ、ここまで酷くなることができたものだ。
植物というのは本当に力強く、「なんでこんな環境でも育つの?」というくらい、過酷な場所でも根を張り葉を茂らせ花を咲かせるものだ。しかしそんな植物でさえ、さじを投げる場所。それが足尾の上流。
しかし治山事業の甲斐あって、足尾砂防堤防の界隈は緑を取り戻していた。
とはいえ、砂防ダムに堆積している目の前の土砂は、どれだけまだ汚染されているのか怪しいけれど。
砂防ダムから奥を見やると、あー・・・未だに木が不自然に生えていないところが、ちらほら見える。
このあたりは大して標高が高いわけでもない。日当たりが良いのだし、隙あらば「空き地ゲットォォォォ!」とばかりにすぐに草が生え木が成長するはずだ。でも、未だにこの有様。
砂防ダムの下流側を眺めたところ。精錬所の煙突が見える。
この煙突から出た煙が、谷沿いに上流に向けて流れていき、そして山をあんな有様にした、というわけだ。そりゃあもう、キャンプ地なんて作れるものか。無理に決まってる。草すら生えない土地でキャンプなんてやっちゃいかん。
砂防ダムには、「銅(あかがね)親水公園」というのが併設されていた。
資料館と喫茶店を兼ねた建物もあるようだけど、今日は時間が遅くなってきたし、立ち寄るのはやめにした。そろそろ引き上げよう、もう日が傾いてきた。
(つづく)
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