コロナ時代、帰省を諦めテントを張って川で過ごす【みよりふるさと体験村1】

2020年は「新型コロナウイルス(COVID-19)」が急速に流行し、4月には政府による緊急事態宣言が発令されるほどの事態となっていった。

その当時は1日あたり数百名規模の感染者数で大騒ぎしていたが、翌年2021年、2022年になると1日に数万人の感染者が出るような展開へと発展していく。

医療体制がまだ脆弱だったこと、政府や自治体もこの未知のウイルスに対して対処の仕方で混乱したこと、そして何よりワクチンがまだこの時点では存在していなかったことからとにかく世間はゴタゴタしていたし、ピリピリしていた。

他県からやってきた車に対して、石を投げて「よそ者は来るな!」と嫌悪感を示す人がいた、というできごともあちこちで発生した。東京から実家に帰省したら、近所から「あそこのおうち、東京から息子さんが帰ってきているらしい」と噂され、ウイルスを撒き散らされるのではないか?と警戒された、という話もあった。

冗談のような話だけど、リアル2020年ではそれが現実的にあちこちで起きていた。針小棒大でSNSでそういう事例が拡散しているわけではなく、地方というのはそういうマインドだったと思う。

当時、岩手県は他県と違って感染者ゼロをずっと誇っていた。毎日ニュースで報道される、都道府県ごとの今日の感染者数の情報では岩手県だけゼロのままだった。これは岩手県における排外性の現れなのか、それとも実際に感染者がいるんだけど陽性の確定診断をする医療体制が整っていないか、もみ消す勢力がいたのか、謎だ。

首都圏から里帰り出産をしようとした妊婦が断られた、という話もあった。東京は感染者がゾンビのようにいる危険地帯であり、そこから人がやってくるのはまかりならない、という考えだ。

いずれにせよ、後日岩手県で陽性者が出たという報道があって、県内外の人はむしろ一様にほっとしたのではないか。「最初の一人」にはなりたくない、と誰しもが思っていたからだ。

最初の一人になった方は肩身が狭かったとは思うが、その方の存在があったからこそ、後の感染者は精神的に救われたという要素がある。

当然、僕らはこの年のお盆に帰省することはできなかった。実家の親が帰省をお断りしてきたからだ。「我々は後期高齢者なので、もし何かあったら困る」という理由からだ。「家には泊まらないで、近くのホテルに泊まってちょっと顔だけ出すのはどうか?」と代案を出したけど、それもNGだった。世間体を気にしてのことだ。

世間体といっても、僕の両親は近所付き合いが希薄だ。なので、近所の誰かから文句を言われるとか、陰口を叩かれることを気にしているわけではない。でも、「内なる世間体」というのが人間には存在する。「規範」とか「思い込み」と言い換えてもいいけれど、その内なる世間体を気にすると、たとえ誰から文句を言われなかったとしても「東京から来た人が家の門をくぐることはNG」となる。

この「内なる世間体」の基準というのは科学的見地だとかエビデンスというのとは違うレイヤーに存在している。なので、「マスク着用で会話をしよう」とか「2メートル以上離れよう」とこちらが代案を出したところで受け入れられない。

さあ、どうしようか。

そんなとき、同じく帰省難民となった僕の兄貴から、「家族でお盆にキャンプに行くことにしたけれど、よければ一緒に行くか?」と打診があった。これには大賛成だ。

コロナの一回目の流行は落ち着きつつある時期だったし、「三密をさけよう」と言われている中、キャンプは最適だった。実際、これまで世の中で流行の兆しがあったグランピングが2020年はとても人気になったらしい。

最後にキャンプに行ってから1年。できることならテント生活は年に何度かやっておきたいと思っているので、この話に乗ることにした。

指定された場所は、栃木県の「みよりふるさと体験村」という場所だった。なにそれ聞いたことがない。

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