灼熱の台湾

地下道を歩く

瑞芳駅の地下連絡通路。

コンクリートむき出しのところどころに、昔の写真をパネルにしたものが貼ってある。

九份ゴールドラッシュ時代の写真

こんな感じ。

九份は1893年に金脈が見つかり、一時はゴールドラッシュが起きた場所となっている。それ以前は数十名の住人しか住んでいなかった寒村だったらしい。

金脈はいずれ掘り尽くされ、また静かな寒村に戻っていったのだが、その当時の街並み(山の中なので、階段沿いに建物が建っている)が今でも残っている。

この場所が有名になったのは、ベネチア映画祭金獅子賞グランプリを1989年に受賞した「悲情城市」という映画の舞台になったからだ。もう映画上映から20年が経ようとしているが、いまだに一級観光地としてその名をとどろかせている。

「悲情城市」は、1945年の日本国敗戦/台灣統治断念から中国国民党支配に切り替わるまでの動乱中の悲恋の話である。映画の舞台はこの九份と、もう少し山奥にある鉱山の街、金瓜石(ジングワシィ)。

非情ではない。悲情だ。間違いやすいが、何か悲惨なでき事があったかのような意味になってしまうので、この違いは重要。

時間があれば金瓜石まで足を伸ばしてみたかった。坑夫宿舎やトロッコ道などが残されているという。ただ、ジーニアスが「前日の『足満足』で足の筋をやられた」ということで歩くのを嫌がっていた。そんなわけで、今回は九份の見どころだけを見て行くことにした。

瑞芳の駅前

瑞芳の駅前。バスで九份までだと約15~20分程度で20元(80円)。駅は平野部分にあるので、金山があったとされる九份には山に分け入る事になるのだろう。それにしては近い。

バスで行く事も考えたが、これだけ近いならタクシーに乗っても問題はあるまい、ということで豪勢?にタクシー乗り場に向かう。

駅前は結構開けている。それだったらもう少し早い自強號に乗ってここで昼食にすれば良かったか、という気がしたが後の祭りだ。

タクシー運賃表

タクシーの運転手さんに「九份までいくらだ?」と聞いてみたら、なにやら看板を指さす。見ると、価格表がちゃんとあった。94年11月15日から適用されたようなので、2年前だ。右下には台北県政府、と書かれているので、県庁に相当する公的機関が価格統制を行っているらしい。

肝心の九份は150元(600円)。頭割りすれば300円なのでまあ問題ない値段でしょう。お願いすることにする。

坂道を登るタクシー

最初のうちはなだらかな道を走っていたタクシーだが、5分もしないうちから急にぐいぐいとやる気みなぎる登り道を走り出した。一気に標高があがる。僕らも座席の背もたれに重心がかかる。

途中、軽いバス停でのバス出発待ち渋滞があったりしたが、ほぼ15分弱で「ここですよ」という意味の運転手の言葉で車は停車した。途中、「駐車場あります」といった主旨の看板を持ったおじちゃんおばちゃんが結構いた。狭い山道、そして九份は階段の街。駐車場の確保だけでも一苦労だろう。自家用車で行くにはちょっとつらい場所かもしれない。

見晴台

降ろされたところにちょうど見晴台があったので、見下ろしてみる。短い時間で標高稼いだなあ、と感心する。

海が見える。太平洋だろうか。

泳げそうな砂浜を探してみたが、どこにもそのようなものは無かった。火山隆起した島のようだ。台東地区はずっとこんな感じで、海水浴場の類は無いらしい。

九份入口のセブンイレブン

さて、九份観光だ。

一般的なルートは、極端に言うとΛ字型に歩くことになる。旅行代理店のツアーパンフを見ると必ず載っている、階段街が広がっているゾーンと、お土産屋が軒を連ねるゾーンに分かれている。

こちらの希望としては、階段街を下から眺めつつ登っていき、お土産物屋ゾーンをくぐり抜けて観光終了、という段取りだった。しかし、どうもタクシーの運ちゃんはわれわれを土産物ゾーンの方に先にご案内申し上げちゃったらしい。階段はどこにもないぞ。

冷静になって考えてみれば、まっすぐ山の斜面を貫く階段を上るのはとても疲れる。でも、土産物街は階段が無く道がうねりながら標高を稼いでいくので段差がない。土産物街からスタート、で正解なのかもしれない。

だとしても、その土産物街だけど、あのセブンイレブンと建物の隙間の事を指しているってことで良いね?狭い。うっかり見落としそうだ。タクシーが目の前で停まっていなかったら見逃していたところだ。

それにしても驚くべきはセブンイレブンなり。こんな「観光地の入口、超一等地」を店にしてしまっているんだから。素晴らしいぞ日本の資金力・・・じゃなくって、みっともないからやめなさい。観光地でセブンイレブンがお出迎えじゃ萎える。風情ってものを考えないと駄目よ。日本でも、景観条例がある場所だと茶色い看板のセブンイレブンが存在するわけだが、そういう工夫くらいはして欲しかった。

どうでもいいが、車道の傾斜がきついので、セブンイレブンが傾いて見える。このあたりで建物を建てるのは相当苦労しそうだ。平地がない。

狭い通路に人だらけ

うわ。

一歩土産物道路に入ったら、この人混み。台灣人、昼間は活動していないかと思ったらとんでもない。昼でもたくさん生命活動をしているではないか。

それもそのはず、通路は狭い上に九份観光をする人はほぼ必ずここを通ることになるため、こんなことになるんだった。

アーケードの上には、赤い提灯がぶら下がって風情がある。夜ここを通るとそれはそれでいいものだろう。明かりが点灯しないです、これは単なるイミテーションですと言われたら悲しいけど。まあ、多分灯が点るとは思うが。

そんな中、セブンイレブンの看板は無粋。再考を強く促したい。

なんて一人憤っていたら、アーケードに先に侵入したジーニアスが「うわ」と声を上げた。

「この臭いは・・・」

ん?あっ、確かに、これは毎度おなじみのものだ。

臭豆腐屋

臭豆腐。アーケード状に屋根がある一角なので、臭いがどこにも逃げられずに周囲10mくらいに充満している。おい、これ公害じゃないのか。臭豆腐に抵抗が無いおかでんであっても、この強烈な臭いには一言申し上げたい。

この臭豆腐屋、看板を見ると「ナントカ金山民宿」と書かれている。民宿も経営しているようだ。しかしこの建物、これだけ臭豆腐を豪快に毎日焼いていたら建物に臭いが染みついていそう。ファブリーズでどうにかなるレベルじゃないぞ。そもそも、夕食は売れ残りの臭豆腐、朝食はできたての臭豆腐が振る舞われそうでちょっと怖い。

繰り返すが、臭豆腐を昨晩おいしく食べた僕でさえ、この臭豆腐という食べ物には恐怖に近い念を持つのであった。それくらいの強烈さだ。

臭豆腐が焼かれている

あー、豪快に焼かれてる。

ジーニアスが

「早く行こうぜ、近くに居たくない」

と急かすが、

「ちょっと待ってくれ、写真を撮ったら行くから」

と待ってもらう。ジーニアスにとっては地獄のひととき。

ここの臭豆腐は、どうも油で揚げて厚揚げ状態になったものを串に刺して、それを何度も何度も特製タレで付け焼きにしているという調理法だった。下から臭豆腐があぶられるものだから、臭いが沸き立つ。これは強烈だ。ちなみに一串20元(80円)。小腹が空いた方は、歩きながらでもどうぞ、ということだろう。

それにしてもこの焼きっぷりはどうだ。焼き台がいっぱいいっぱいになるまで臭豆腐を並べて焼いている。大繁盛ではないか。そういえば、人混みで気づかなかったが、周りには焼き上がりを待つ人がぐるりと半円を描いて立ちつくしていた。凄いなあ。

焼き台のカウンタには、豆板醤とおぼしき調味料が2種類並べられていた。ホント、この国は麻辣の國だ。麻(しびれる)はまだ見ていないけど。塩辛いのは食べないで、hotな辛さは好物なのね。日本人と逆の嗜好性だ。

中華風な土産物店

臭豆腐を見てしまった後なので、こういう中華風な土産物店を見かけると心が和む。本当は中に入っていろいろ見てみたかったのだが、そんなことすら思いつかないくらい人が多かった。また、小さい店舗がたくさんありすぎて、目に入ってくる情報量が多すぎるので、それらを拒絶しようと自然に脳がコントロールされてしまったようだ。今考えると惜しい事をしたが、素通り。

筆を売っている店

筆を売っている店もありました。
元金鉱の街だから、てっきりキンキラしたものがたくさん売られているのかと思ったが、そのようなことはなし。もともと名物なんて存在しないんだから、金でも売ればいいのにと思う。筆をここで買う人はいるのだろうか?

花生捲

ぴかぴかに磨かれたステンレスの台でなにやら作業をしている男性がいる。作っているのは、日本では見たこともないお菓子?らしきもの。生春巻きの要領で、いろいろなものを詰めていた。ここも結構人気店。製造が追いついていなかった。まあ、そりゃそうだろう、これだけの人の数だ。

いや、ひょっとしたら台灣の人って、屋台をハシゴする感覚で、「食べ歩き」を当然としている可能性がある。あっちでちょっと食べ、こっちでまたちょっと食べ、と。そうじゃなきゃいくら客足が多いからって、こんなに売れるだろうか?

看板を見ると、「花生捲+冰淇淋」と書かれていた。何のこっちゃさっぱりわからん。

ソーセージ

アーケードが無くなり、露天になったところにあったお店。

・・・また肉だ。どうだ!とばかりにソーセージが売られていた。相変わらず1本が太くで長いなあ。若い女性だったら、あれ一本食べただけでおなかいっぱいになっちゃうよ。

「暑いのにやっぱり売ってるんだな」

「肉、好きねぇ。日本だったらこの暑さだとせいぜい冷しゃぶってところだぜ」

呆れてじりじりと今まさに地獄の業火に焼かれているソーセージを遠目で眺める二人。

あれ、でもここお客さんいないや。店員も場を離れている。さすがに、臭豆腐ほどは人気が無いようだ。焼かれている本数も少ないし。(これだけのソーセージを焼こうと思うと、5分じゃきかない時間がかかる。にもかかわらずこれだけしか焼かれていないことは、その程度の客足ということだ)

ちりめんじゃこ

「あ、これいいな」

おかでんが目を輝かしたのが、こちらの商品。ちりめんじゃこを売っているのだが、唐辛子入りなのだった。唐辛子の量に応じて、小辣、中辣、大辣となっているのだった。これは酒の肴にもなるし、ご飯のお供にもなりそうだ。ちょっと食指が動いたが、なにせ猛暑の中では購買意欲も落ちる。写真だけ撮影して、そのまま素通りした。ちょっともったいないことした。

なんかさっきからもったいないことばかりしているような。故宮博物院で居眠りしているように、今日のおかでんは疲れ果てているようだ。

ハエよけの回転ボンボン

これは台灣屋台のどこでも見かけることができるものだが、一応紹介。

生魚を扱っているお店の場合、ハエがたかるのが一番良くない。というわけで、展示されている生ものの上にこういう「チアリーダーのボンボンの一部が抜け落ちた」ようなものがぶら下げられ、モーターの力でくるくる回転しているのだった。生ものの上でヒラヒラされるので、ハエは嫌がって近づかない、という訳だ。日本ではありそうで無い商品だ。結構ナイスアイディアだと思う。日本でも、ハエ対策で導入してみては如何か。いや、そこまでハエに困っているお店は無いかな?

人が密集している

道はゆるやかに登りながら、進んでいく。これだけの観光客が来ることを全く想定していない道幅なので、人が溢れている。まあ、道路拡張なんてやったら風情が無くなってしまうのでやるべきではないけど。

ヤきそば

食堂を見つけた。

なぜか炒麵だけ日本語が併記されているのだが、惜しい!「ヤきそば」だって。「や」が「ヤ」になってますよ。文字が一文字違ってる。とても惜しいので残念賞進呈。

それにしてもきれいな日本語だ。看板業者は、日本語フォントを持っているのだろうか?香港で見たものはいい加減で見よう見まね、っていう感じだったけどな。台灣で見かける日本語は全て形がおかしくない普通のフォントだった。

台灣茗茶 タイクン ミン チセ

そして、香港のようなむちゃくちゃな「見よう見まね日本語」ではない、正しい日本語が使われている印象を持つのが台灣。日本統治時代があったから、日本語を正しく訂正してくれる人がいるからだろうか。
とはいっても、1945年の日本語教育終了から既に57年。日本語なんて知らない人が圧倒的に多い国に台灣はなっている。

お茶屋さんがあったのでちょっとだけ覗いてみた。お茶は今回ぜひお土産で買って帰りたいと考えているからだ。まあ、こういう観光地では買わないつもりだけど。値段高いだろうし。

それはともかく、看板に書かれている「台灣茗茶 タイクン ミン チセ」には首をひねった。

「中国語ではこう読むのかね」

「いや、さすがに台灣はタイワンと読むだろ」

「あ!タイクン、じゃなくてタイワン、なんだ!」

「おお、そういうことか」

こうやって謎解きをしていくと、「タイワン メイ チャ」としたかったところが、なぜか後半ぐだぐだになってしまい字が崩れまくった事が判明した。カタカナを実際に書いてみて見比べると、ああなるほど元の言葉はこうだったのか、というのがわかる。

それにしてもこれでは残念賞すら与えられない。インパクトはあったが、頭をひねってしまい理解するのに時間を要した。あまり爆笑できなかったのでがっかり賞進呈。

見たことがないお菓子

葛かなにかの透明な生地にくるまれたお菓子が売られていた。涼しげでとてもきれいだ。やはり観光地は甘い物なんだなあ。日本も一緒だ。
それを考えると、やっぱり臭豆腐とソーセージは異様だ。

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