灼熱の台湾

時刻が表示される電光掲示板が、あまりの熱気のせいか表示がおかしい。

この国は旧暦(太陰暦)をいまだに使っているし、中華民国(中国大陸時代)ができた年を「元年」としているので年号も判りにくい。ちなみに台湾における今年は「96年」ということになるそうだ。

そんなわけで、時刻も24時間制ではなく、48時間制にでもなっているのかと思ったが・・・

「いや、違うぞ、あれは気温を示しているんじゃないのか?」

そうジーニアスに指摘されてようやく理解できた。ああ、36度だ。紛らわしい表示だ。というか、時計用の電光掲示板を流用するなよなあ。「:」印がそのまま生き残っているから紛らわしい。

そっれにしても36度か!7月下旬とはいえこの気温だったら、8月になると40度になるぞ。生命の危険だ、体温よりも外気の方が高いなんてことになると、人間まともに生きていけぬ。

で、8月が40度なら、9月は45度くらいまでいって、12月になると・・・考えただけで恐ろしい。

「おい、あれを見ろ!」

あっつい中キャリーカートをダラダラと転がしていたわれわれだったが、ジーニアスが急に元気な声を出す。

指さす方向には、シェラトンホテルがあって・・・その奥に、「世界一のビル」と名高い、TAIPEI101が見えた。

「見ろ、あのぬぼーんと一つだけ高いビル。無意味だよなあ。他にあんなに高いビルないのに」

「世界一、を作りたいという執念だったのかねえ」

「それにしてもあんなオフィスビル作っちゃったら、床面積だけでも相当なモンだぞ。周囲のオフィス賃料ががた落ちじゃないのか。いや、そもそもオフィスが埋まらないんじゃないか」

「あり得るな。確かに高層ビルって、この台北にはほとんど存在しないみたいらしいぞ」

「そりゃそうだろ、都市人口から考えて作る必要ないだろうし。それに、この国だって日本同様地震があるんだぜ?知ってるか?作ってる途中、地震があって途中でぽっきりあのビル折れたらしいぞ」(注:実際に折れたのは工事用の支柱であって、ビルそのものが折れたわけではない)

「それでも作り続けたわけだな」

「もうね、世界一になりてぇーッという執念以外ありえんね。必要ないもん、あんな高いの」

ジーニアスは旅行開始前から、このTAIPEI101には激しく興味を惹かれていた。彼にとって今回の台湾遠征の最大イベントはTAIPEI101に行くこと、と言って過言はないようだ。高所恐怖症だと自称しているジーニアスだが、「早くのぼりてェ~」なんて遠方のビルを眺めながら言っている。

TAIPEI101には、2日目の午後に訪問する予定になっている。それまで、お預け。

さすがに「駅から徒歩5分程度」にホテルがあるとはいえ、この熱気では地上を歩く気にはならなかった。面倒でも一端地下に潜り、地下街を歩いていくことにした。

「ふぅー、生き返る」

「生き返るというか、これが当たり前って感じだよな」

地下街の各店舗からは強烈な冷気が吹き出ていて、たいそうなご馳走だ。日本にも巨大な地下街を誇る名古屋や梅田があるが、それは「地上に場所が無いので地下に商店街を作りました」「雨が降らないので便利ですよね」などの理由で作られたはずだ。しかし、この灼熱の台北、「暑さから逃げるためには地下街が必須」と言える。

後でニュースを見たら、この日の最高気温は38.6度、湿度78%だったという。温度もしゃれにならんが、湿度の高さも尋常じゃない。

台北は盆地に位置するらしく、京都の夏同様ものすごく蒸し暑くなる場所なんだとか。それを帰国後に知った。なるほど、と感心したが、さらに感心したのが「そういえば旅行代理店が企画しているツアーパンフを見てると、夏休み期間中でも値段がそんなに高くなかったなあ」ということだった。普通、夏休み中はツアー価格が一気に跳ね上がるのに、そうならなかったのは・・・まさにこの灼熱が回答だろう。

地下街を歩いていて思ったが、やたらと女性下着店が多い気がした。これはデパートに行ったり他の商店街に行ったときも気になったのだが、今台湾女性は下着が大人気なのだろうか?

いや、別に下着に目移りしちゃって気になった、というオチではないぞ。実際に多かったんだから。

地下街から地上に出るときは、少しだけ勇気が必要だった。地上に登る階段の途中で、むわっと熱気がくる。「うっ」と思わず声が出る。

しかし、地下街出口からは比較的近くにホテルがあったので助かった。

今回、2泊お世話になるのは「華華大飯店」というところだった。中国語読みすると「フアフアダーファンディエン」になるそうだが、英語名はずばり「HOTEL FLOWERS TAIPEI」。やっぱり「華華」と「華」が二文字あるから、英語も複数形になってるんだろうか、なんてどうでもいいことを考える。頭が熱気でぼーっとしているようだ。

本当は、より台北車站に近い「天成大飯店(コスモスホテル)」を予約しようとしていたのだが、こちらは予約でいっぱいだった。

ジーニアスが熱気でイライラしながら、

「コスモスだとかフラワーとか、花ばっかりじゃないか。どうなってるんだこの国のホテル事情は」

とぼやいていた。

ちなみにホテルがそういう名前なのは偶然の一致だ。他のホテルは別に花の名前とは関係がない。

「アップルワールド.com」という海外ホテル予約サイトで予約・決済・バウチャー発券まで済ませてあったのでチェックインは楽だ。さらにフロントの人は簡単な日本語を理解できる。さすが台湾。

自分たちにあてがわれた部屋はツインルーム。ジーニアスが

「どーせ一日中外に出て観光してるんだろ?立派なホテルじゃなくてもいいと思うのよ僕は。そこそこ清潔で、眠ることができりゃいいよな、それで立地条件が良ければ最高」

と言っていたので、その条件に沿っておかでんが選んだホテルだったのだが、「ツインルーム1部屋1泊7,000円(=1泊一人3,500円)」で駅から至便というのに正直疑いを持っていた。思いっきりボロいんじゃないか、と。

しかし先に中に入ったジーニアスが

「ああ!これなら十分。十分すぎるじゃん!」

と驚きの声をあげる。

確かに、日本のビジネスホテルよりも広いスペースが確保され、中級シティホテル並みの広さがある部屋だった。

「これで一泊3,500円?・・・日本の物価より半分、って話だから、台湾人にとっては7,000円の価値か・・・うーん、まあこんなもんか」

「いや、でも日本で一泊7,000円でこれだけのツインルーム、なかなか無いと思うぜ?何しろ台湾の中心地から徒歩5分だからな」

「東京駅前のホテルで一人7,000円のツインルームがありますか、ってことか。無いなそりゃ」

さすが台湾。ちょっと感動した。

テレビと冷蔵庫。さすがに日本の最近のホテルのように、薄型テレビに鞍替えはしていないか。TATUNGという聞いたこともないブランドのものだった。台湾製だろうか?

冷蔵庫の中はカラだったが、以前はドリンク類が入っていたらしい。飲んだ分だけご請求パターンだ。何らかの事情があって今は廃止となったであろう痕跡が、冷蔵庫に張ってあった。

シールごと剥げば良いのに、「品名」の一部分だけ縦に破って字を読めなくしているあたりが大変に香ばしい今日この頃。しかも日本語の訳がついているので、何が入っていたのか一目瞭然だ。

コカコーラ、ビール、ジュース、オロナミンC、水、ポカリスウェット、あともう一品は謎。わからん。ビールで1本40元。160円ということだ。ホテル価格でこの値段ということは、実際お店で買うともっと安いんだろう。ぐいぐいビールを飲みまくるには最適な国だろうな、きっと。ちょっと今からわくわく。

麦酒飲み人種であるおかでんとしては、「台湾麦酒」を飲むのが今から楽しみなのである。今晩は夜市で屋台料理を食べる予定になっているので、台湾麦酒を飲みつつ台湾庶民の味を満喫することになる。想像しただけで、もうたまらん。

街のいたるところにはセブンイレブンが存在していた。あと、ほんの時々ローソンとファミリーマート。圧倒的にセブンイレブン強し。というか、密度が濃すぎる。一店舗あたりは小さいのだが、数で勝負といった感じだ。

ありがたいことに、セブンイレブンにはATMが完備している。台湾元が足りなくなったら、ここでキャッシングして現金を追加すれば良い。「しまった!両替商か銀行を探さないと!」ということはこの台北ではあり得ない。

まずはそのセブンイレブンでドリンクを購入することにした。水分を持参しないと、途中で熱射病で倒れる。

あり得ないといえば、このくっそ暑いのにおでんが売られていたということ。「関東煮」というのれんがさがり、見慣れたおでん鍋が店頭の目立つところに据え付けてあった。店頭にあるということは、売れ筋商品ということなのだろう。マジですか。

「ひょっとしたら冷たいつゆに具が浸っているのだろうか?」と思って顔を近づけてみたら、見事に湯気を吹き上げていた。おい、熱々だぞ。この炎天下、誰がこのおでんを食べるんだ。

ちなみに「関東煮」という表現を台湾で使い始めたのはセブンイレブンが最初だそうだ。この写真を見た台湾の友人は「あ、セブンイレブンだ」とすぐに言い当てていた。

さらにちなみに、だが、台湾には「黒輪(オレン、と読む)」という煮物もあり、いずれにせよ日本の「おでん」がルーツだ。意外なところに日本統治時代の名残が残っているものだ。

店頭のおでんだけでも度肝を抜かれたが、その横にはローラーがびっしりと水平に並んで回転している機械が。ローラーの上では、絶妙にローラー間のはざまに挟まってその場でお行儀よくくるくるとまんべんなく360度こんがりと暖められている巨大ソーセージ。

・・・おでんも驚きだが、熱々の肉料理にも仰天。こんなデカいソーセージをテイクアウトして食うのか。

自宅用だよね?きっと。冷房が効いた家で食べるんだよね?そう思わないと、とてもじゃないけど目の前の光景が信じられない。

日本の流通小売業だと、「気温が○度以下になったらおでんを欲する人が増える」などのマーケティング理論を独自で持っている。その理論に基づき、気温にあわせておでんの具材仕入れ量を増やしたり減らしたり撤去したりする。そういうきめ細かいマーケティングを仕事上見てきたおかでんとしては、灼熱の台北でおでん鍋が湯気吹いている光景がどうやっても信じられないのであった。

どうやら暑さに関する耐性、というか感覚が日本人(東京在住)と台湾人では根本的に違うようだ。屋台のような店の店頭で、なにやらでかい鍋で炒め物をやっているオバチャン発見。さすがに熱そうだが、平然とした顔をしている。

そういえば台湾人でデブはあまり見かけなかったが、ひょっとしたら「猛烈に汗をかく」「暑さに耐えるためには太ってなんていられない」という事情があるからなのかもしれない。

さっきからびっくりしてばかりだ。この気温にびっくりし、おでんにびっくりし、おばちゃんの店頭調理にびっくりし。見よ、この巨大中華鍋。これいっぱいになにやら炒め物作ってるんだぜ。おばちゃん周辺の気温は50度以上になりそうだ。

蒋介石を記念して1980年に作られた中正紀念堂が最初の目的地だった。近場なので歩いてでも行ける距離だったが、さっそく暑さにやられたジーニアスが

「タクシーで行こうぜ、殺される」

と悲鳴をあげる。

彼曰く、

「オレ最近運動もしてないのよね。オフィス内でも、デスクと、上司の席と、トイレくらいしか移動しないから」

なんだそうで。そりゃ確かに、タクシーに乗らないと殺されそうだ。また、「タクシーなんて軟弱だ、歩くぞ」と頑固におかでんが否定したら、おかでんが殺されそうだ。

進行方向に進みながらタクシーがやってくるのを待っていたが、裏道ということもあってなかなか捕まらない。「あっ、タクシーが来た!」と思って捕まえようとするが、目の前には鈴なりに縦列駐車・・・じゃないな、横列駐輪されたバイクが邪魔をしてタイミングを逃してしまう。

結局二人とも諦めて、とぼとぼと中正紀年堂まで歩いていくことにした。幸い、歩道脇のビルは歩道に向けてひさしを張り出しているので、日陰になっていて助かる。

中正紀念堂に行く途中、総統府に立ち寄る。

総統府といえば、早く言えばアメリカのホワイトハウスみたいなもので、大統領に相当する「総統」が執務するところだ。おお、どさくさに紛れて駄しゃれが成立している。ちょっと感動した。

すまん話がずれた。

もともと1919年の日本統治時代に、台湾総統府として作られたものだったが、戦後も利活用され、今でも台湾行政の最高府として使われている。

三脚を立てて記念撮影をやった後になって気づいたが、警官がずっとこちらの様子を監視していた。

そりゃそうだ、遠くからだと三脚立てたカメラが「総統府を狙う何かの新型破壊兵器」に見えてもおかしくない。一応は警戒していたのだろう。

なんでもないよーと警官に手を振って、横を通り過ぎる。

それにしても暑い!いや、もう「暑い」という日本語は正しくない。「熱い!」。あえて間違った日本語を使っても、多分正解だわ、これだと。何しろ総統府前、遮蔽物何もない炎天下なんだもの。

台湾の歩行者用信号機は面白い。残り秒数がちゃんと表示されるのだ。歩いて良い時間がカウントダウンされるので、いやが上でも「急いで渡らなくちゃ!」という気になる。また、これから渡ろうとしている人は「無理して渡るのはやめよう」という諦めにもなるので、交通安全上良いと思う。

日本の場合、青信号が点滅することで「急げ!」とせかすが、それよりもはるかに合理的だ。

ただ、信号のしかけはそれだけじゃない。

秒数に余裕があるときは、青信号のところに投影される青色人形はゆっくり歩いているアニメーションなのだが、時間が迫ってくると駆け足になるのだ。あともう少しで赤だよ、というときは「うぉぉぉー」と全力疾走しとる。

で、赤信号になると「もうダメー。ブブー」って感じで、デーンと真っ赤な人型が立ちつくす絵に切り替わる。有無をいわさず、「もう歩くんじゃねーゾ」感があって大変によろしいと思う。

「それにしても青信号の人、すごい走ってたな」

「前傾姿勢だったぞ。もう必死になって走ってんの。そんなに焦んなよ、ってくらい焦ってたな」

「芸が細かいよな、秒数に余裕があるときは直立姿勢なのに、時間が無くなると前傾姿勢でダッシュだもんな」

二人とも台湾の信号を大絶賛なんである。

なんだかわからないけど豪華な建物があったので、写真撮影しておいた。

後で地図を見てみたら、「台北賓館」と記されていた。迎賓館だろうか?

背景には、われわれのホテルのすぐ近くにある新光三越のビルが見える。これもなかなかな高層ビルだ。

「なんだ、TAIPEI101以外にも高層ビルあるじゃん」

と思うが、いやいや、TAIPEI101と新光三越ビル以外はこんなに高いの、存在しないですから。どっちのビルにしても、どうしてこんなに高いのを作っちゃったの、というのが謎でしょうがない。

「あちーなー」と最初は愚痴っていたが、「暑い」と言えばますます暑くなることが判ったので二人とも文句言わずに歩く。そして到着したのが目的地の中正紀念堂。

でかい!

まず、入口の門からしてでかい。薄っぺらいが、幅だけで100m近くある代物だ。この台北市街によくぞまあ、こんな広大な敷地を確保できたものだ。しかも1980年建立だぜ?相当民家や商店を立ち退きさせたに違いない。でないと、こんな広いスペースが街のど真ん中に余っている訳がない。

何しろ、門から紀念堂までまだこれだけ距離があるんスけど。

無駄に広い。イコール、この間、陰一つ無い中歩いて行かなければイカンというわけだ。これには参った。しかし、もう二人ともあきらめがついたというか、なんというか、文句言わずにこの現実を受け入れたのであった。

この巨大広場を使って、2003年11月には1万4,000人が一度に太極拳をやってギネスブックに認定されたらしい。ギネスブックって何でも有りなんだな。

今度はぜひ真夏のお昼に太極拳大会を開いて欲しい。それこそ、ギネスにふさわしい「人類の限界に挑戦」だ。

「おいおかでん、お前まるで水浴びしたかのように全身びっしょり汗かいているぞ」

「あれ?おかしいな、今日は朝から機内でビール1本しか水分摂取していないのに」

「気をつけろ?こんなところで倒れたら困るぞ」

指摘されて初めて気がついたが、全身がどろどろになっていた。もう、ぬかるみ状態。

中正公園の中には、左右対称で立派な建物がある。片方が国家戯劇院で、もう一方が国家音楽庁。音楽庁の前で記念撮影。セルフタイマーが作動するまでの間も、汗が額をしたたり目に入る。撮影の瞬間目を瞑っていたら情けないので、一生懸命我慢。

中正紀念堂は改修工事中らしく、89段の階段(蒋介石の享年と同じ)を登ることはできなかった。登った先には、巨大な蒋介石の胸像があり、毎正時には衛兵の交代式があって見応えがあるらしい。しかし、さすがに改修中とあっては衛兵さんもお休みだ。

階段の両脇を、神社のこま犬みたいな、シーサーみたいな生き物が守っていた。せっかくなので記念撮影をしておく。

ただ、なんとなく守り神に「手を添えている」のではなく、「疲れ果ててもたれかかっている」ような写真に仕上がってしまった。実際そうだったのだろう。

紀念堂の中には入れないのかと思ったら、南側一階に入口が開いていて、そこから中に入ることができた。さすがにこの89段の階段分、全てが石で詰まってますというのは効率悪いもんな。

中は展示スペースになっているようだった。

中は相当に広い。建物の基盤部分とは思えない、広大な空間が広がっていた。

どうやら、台湾の歴史博物館みたいなものがあるようだ。

せっかくなので見に行くことにする。

当然中国語・・・しかも、繁体字なので中国本土でも見かけない、非常に難しい漢字で書かれている看板。

しかしその下にご丁寧に日本語で

特別展示「台湾の自由化と民主化」-自由と民主に向かって」

と書かれているあたりがなんだかくすぐったい。日本人観光客が非常に多いからなんだろうが、当たり前のように日本語がひょいっと出てくると、なんだか外国に来ているようないないような、頭が混乱する。

同時併設展として紙を使った芸術展もやっているようだ。

さすがにこちらは「日本人は見に来ないだろう」と思ったのか、日本語解説は無し。

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