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火山博物館裏の堰堤のようなところに行ってみた。
すると、そこは川が流れているわけでもなく、砂防ダムのようなわけでもなく、低木と草が生えた公園のような場所だった。
ただ、尋常じゃない雰囲気はある。無駄に今いる堰堤の位置が高い。ここからあちら側に行こうとすると、一旦堰堤を下りて、公園のようで公園ではない、なんにもないところを歩くことになる。
火山による溶岩や土砂崩れを防いで、温泉街がダメージを受けないようにしているのだとは思うが、穏やかな今は不穏な空気は特にない・・・いや、なにもない虚無な空間、それそのものが不穏ではある。
「洞爺湖温泉市街地の防災施設」という看板があった。
くもりガラスなのか?と思うくらい、文字も図も何もかも、くすんでしまっている。でも、フォントを見る限り、そんなに古いものではないことがわかる(フォントというのは、さりげなく時代感を色濃く表すものだ)。
つまり、火山性ガスの影響で、この看板が変質してしまったということなのだろう。さっき火山博物館で火山の凄さを五感で体感したばかりなので、ちょっとびびる。
これを見ると、まさに今いるところは「砂防えん堤」というところで、火山による泥流を食い止めるための場所だった。この手のえん堤はあちこちにあり、また、導流堤という、泥流をえん堤の手前にある遊砂地に導くための堤防も何か所かにある。
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なるほど、高さのあるえん堤が作られているのは、やっぱりここに泥流を溜めて食い止めるためなのだな。噴火時のダムとしての役目がある。
そんな遊砂地の底にプレハブ小屋があり、ここから奥に入るためのゲートの役割を果たしている。広い場所だけど、出入り口は、ここしかない。
えん堤を下から見上げたところ。
まあ、こうやって見るとそこまで高さがあるというわけではない。でも、上から見た時はすごく驚いた。なにもない場所に、なんでこんな堤防が?と思ったからだ。そして、大自然を相手にしているだけあって、幅がかなりある。ここで食い止めらなかったら、大変だ。
プレハブ小屋の小屋番さんに挨拶をし、パンフレットを受け取る。英語のトレイルマップだ。
日本語のトレイルガイドの方は、より細かく情報が載っている。英語をはじめとする外国語版は情報が簡略化されているのは、あれこれスポットを掲載して、迷子になってもらってもこまるからだろうか。
トレイルルートは、今いる「金毘羅火口災害遺構散策路」と、少し離れたところに「西山山麓火口散策路」の2つあるようだった。僕は西山の方まで目がいかなかった。せっかくだから、西山にも行っておけばよかった、と思ったけど後の祭り。
金比羅火口災害遺構散策路、というのは、その名の通り有珠山山系のひとつ金毘羅山と西山の噴火でやられた建造物がところどころ残っていて、それを見つつ噴火口まで見に行くルートになっている。周遊でだいたい30分。
ちなみに噴火したのははるか昔の話なんかじゃなく、2000年のこと。まだ四半世紀すら経っていない、つい最近のことだ。
遊歩道に沿って歩いていくと、とんがり屋根が特徴的な遺構にたどり着いた。
ぽつんと建っていて、異様だ。
この建物だけが取り残されたわけではなく、周囲の施設は取り壊されたのだと思う。広島の原爆ドームがそうであるように、火山の記録として意識的に残したものだろう。
もともとは、日帰り入浴施設だったそうだ。「やすらぎの家」という名前なのだから、シュールだ。
これは勝手口だろうか?
重たそうな鉄扉、ひび割れた鉄扉がある。
・・・いや違うな、「御手洗」というプレートが扉に取り付けられていて、半分文字が消えている。まだギリギリ読み取れる。
火山噴火が来ることを警戒していたのか、頑丈そうな建物だ。コンクリートの壁も分厚そうだ。
それにしても、入浴施設っぽくは見えない。今見える場所は裏口かな?
建物を回り込んでみる。遊歩道はしっかりと作られているので、「好奇心に駆られて、歩道からそれてしまう」なんてことはない。
ああ、こっちから見て納得だ。これは風呂っぽい。半円形になっている建物なんて、大浴場があったに違いない。
バリバリにガラスが割れているところも当然あるけれど、割れずに残っているところが多くあるのが驚きだ。まだほとぼりが冷めていない廃墟、といった感じがする。
周囲は草が生えている。まだ噴火から17年だと木が生える余裕なんてないのか・・・と思ったら、建物脇にしっかり生えている木がある。この木は生命力が強く、あっという間に育つのか、それとも、噴火のときに泥流にサーフィン状態で木がまるごと運ばれてきて、ここでストップしたのか。
廃墟というのは、男心をくすぐるものだ。昔ここにはなにがあったのだろう?と推測しながらうろうろするのは楽しいだろう。ただし大抵の場合は私有地の不法侵入になるし、そもそも廃墟は危険だ。なので、興味はあるけれど見に行ったことはない。
しかしどうだ、この廃墟は、こんなに間近に、しかも公に、じっくりと見ることができる。人の気配もほとんどない。
物見櫓のようなものが、この建物には2つある。おそらく、大浴場の湯気抜き用の煙突として使われていたのだろう。
窓枠がバキバキになっていて生々しい。
そして、驚くべきことに土がこの建物の中にみっちり、埋まっている。
噴火によって崩れた山の土は、この建物を本格的に埋めてしまったということが、これでわかる。
ガラスが割れたまま残されている。もちろん、ハリボテではないので危ない。でも、危ないからといってこれを取り除いたり、「危険」と書かれた黄色いテープを張りめぐらしたりしないのが、いい。ぐにゃっと歪んだ窓の縁など、災害のリアルを克明に残している。
北海道だからこそできるのかもしれない。これが東京界隈なんかにあったら、悪さされる場所になる。
こんな感じで、「立ち入っていい場所」と「立ち入っちゃ駄目な場所」とが区切られている。
作られたのは1988年ということだけど、わずか12年でこうなってしまった。
年とともに風化が進んでいく。2017年版はこんな感じ。年々、劣化は進んでいき、いずれ崩れ落ちることになるのだろう。
ここも半円形の構造がある。
床が完全に土砂に埋もれていて、湯船があったかどうかなんて、全然判別がつかない。
しかし、真ん中に見える柱に、丸い照明が取り付けられているのが確認できる。ああいう照明はロビーや休憩室に設置するとは思えないので、ここが浴室だったことが推測できる。やっぱり、この半円形のスペースは、大きな湯船があったんだろう。
昔は、洞爺湖を見下ろせる眺望が自慢の入浴施設だったらしいけど、今は全然それどころじゃない。えん堤ができてしまっているし。
コインロッカーが並んでいるのが見える。
床から1段。
そんなロッカー、あるわけがないので、実際はここから下に何段かロッカーが埋もれているのだろう。山側を向いている方向は、埋没が著しい。
なんだかわからない空間だけど、壁に
「お帰りの節は自他共にはき物のお間違えのない様くれぐれも注意して下さい。」
と書かれているのが読み取れる。どうやら、ここが下駄箱だったらしい。
ああ、言われてみると、その注意書きの下に下駄箱らしきものが見える。土砂でふさがってしまっているので、下駄箱らしく見えないけれど。
「やすらぎの家」という木の看板が生き残っていた。
入り口はおそらく2/3近く埋もれている。あーあーあーあー。
解説によると、1メートルの泥流で埋まってしまっているのだという。被災する1年前に改修したばかりだというのだからあーあーあーあー。
(つづく)
コメント
コメント一覧 (2件)
「内海湾」ではなく「内浦湾」ですね。
つまらない指摘でごめんなさい。実は10年以上前から愛読してます。
米こうじさん、間違いの指摘ありがとうございます!こういうアドバイス、地味にありがたいことです。これからも愛読をよろしくお願いします!