[No.33 伊郷名 2005年05月01日 14:19]
またわけのわからん観光名所だ。これは何だ、地名なのか何かの碑なのか、川なのか滝なのか山なのかさっぱりわからない。
島周回道路から外れた、狭い道を走ってみる。大坂トンネルができるまではこの道が島南部に向かうための幹線道路だったのだろう。そんな道だが、思った通りで何もありゃしない。わずかに民家が数軒ある程度だ。「伊郷名→」なんて書かれた看板があるのではないか、と淡い期待を抱いていたのだが、そんなにユーザーフレンドリーなわけがないのであった。
唯一看板があったのが、「人捨穴 →」というものだった。ひ、人捨て穴!?おい、何だかわからん伊郷名よりよっぽどこっちの方が観光地っぽいし、歴史を感じさせる何かがあるぞ。
「まさか、人捨穴と書いて伊郷名と読む、なんてことはないだろうな?」
「いくらなんでもそれは無理があると思う」
「でも、多分このことだよな?伊郷名って、この人捨穴のことだよな?」
「・・・さあ?でも、このあたり、何往復してもこれ以外目に付くものが無いからなあ」
「何もない。全く無い」
そういえば、島周回幹線道には「伊郷名」という名前のバス停があった。・・・地名、なのか?
とりあえず、車を降りてその人捨穴に行ってみることにした。
ここが人捨穴。
姥捨て山みたいな話がこの地でもあったようだ。
「捨てる」というから縦穴なのかと思ったが、横に広がっているほら穴だった。ちょっと薄気味悪いし狭いので、中に入るのはやめにした。
入り口にお地蔵さんが門番をしているのも、気が引けた理由。
人捨穴のすぐ横には、水たまりとなっている穴があった。
この水たまりの周囲には真っ赤な花が咲いていたが、その真っ赤が何やら毒々しく、どきっとさせられる。
後で民宿のおばちゃんに話を聞いてみたら、ここは昔の集落があった場所というそうだ。ただ、それだけ。昔は温泉が出ていたらしいが、地殻変動か何かで温泉が出なくなり、集落としては廃れたそうだ。
「おい!人捨穴を観光地とするなら兎も角、『元集落』というだけで観光地にして良いのか!?」
全く不思議な選考基準だ。
[No.36 六日が原砂丘 2005年05月01日 14:38]
次は「六日が原砂丘」というところを目指す。観光地図上では、最寄りに道路が存在しない。一体どうやって行けというのか。
とりあえず「怪しいけどこの道しか考えられまい」と言いつつ、舗装されていない道をゴトゴトと走ってみる。どんどんワイルドな旅になってきたなあ。観光名所巡りをやっているとはとても思えない。
行けるところまで行ってみたら、そこはちょっと広い草地になっていた。ここで車を置いて、あとは歩いていくしかあるまい。幸い、さらに奥に進む道はすぐに見つかったので、道無き道を進まなくてもよさそうだ。
「とはいっても、砂丘、だろ?砂丘って海岸線にできるだろ」
「そうだねえ、鳥取大砂丘とか」
「こんな断崖絶壁の島に、砂丘なんてできるのか?」
「さあ?」
全く想像できない。しかも、遠くから潮騒が聞こえてくるのだが、その音ははるかに足下から聞こえてくる。しかも、絶壁に波が打ち付ける音だ。
・・・要するに、この地は断崖の上にあるわけで、とてもじゃないが砂浜が広がる鳥取大砂丘のような場所ではない、ということだ。
「道間違えたか?」
「いや、でもここしかあり得ないんだが・・・」
疑心暗鬼になりながら歩くこと5分程度。海が見渡せる開けた場所に出てきた。
あ!
目の前に、真っ黒な大地が見えた。
なるほど、溶岩だ。火山性の砂が広がる場所を「砂丘」と称していたのだった。これは予想外だった。
振り返ってみると三原山の勇姿。
むかし、この山が噴火して、吹き出た石や砂が堆積して、この六日が原砂丘ができたのだろう。
近くまで寄ってみる事にする。
ざくざくした音を立てて歩く。見ると、足下の地面が黒い砂になっていた。これが砂丘の原材料というわけか。
観光地化が全くされていない場所だったが、申し訳程度にパイプが組まれていて防護柵になっていた。気を付けないと、この砂を誤って滑り降りてしまうとそのまま海に転落してしまう。ナイス防護柵。これがないとちょっと怖い。
記念撮影をしてみる。
んー、砂丘、というにはちょっと幅が狭い。
アングルをあれこれ変えてみる。
うむ、これだったら砂丘っぽい感じがする。
背景の海とのコントラストが何とも謎めいている。
いやー、砂丘といってもいろいろあるもんですなぁ。
感心しながら、この地を後にした。ちょっと消化不良気味の観光名所の後だったが、これですっきりした。
[温泉ロ、ハ 樫立向里温泉スタンド「ふれあいの湯」「ふれあいの湯 だんらん」 2005年05月01日 14:59]
さてお楽しみの温泉だ。八丈島は温泉が豊富というのがうれしい。海よし、山よし、温泉よしだ。
「温泉スタンド」という名前なので、ひょっとしたら湯船が存在しない温泉で、単にお持ち帰り用の湯を供給しているだけではないか、と不安になったが大丈夫だった。ちゃんと入浴施設があった。
「ふれあいの湯」が一般客向けで、「だんらん」が体障害者向けの個室入浴施設。別棟になっている。わざわざ障害者用の入浴施設があるというのが素晴らしい。
泉温57.8度、PH6.40、ナトリウム-塩化物強塩温泉。湧出量386リットル/分(動力)
と記されている。さすがに島ということで、温泉は「塩水」だ。しかし泉温57.8度とは立派なものだ。
入湯料300円の割には立派な施設だった。広い内湯と露天風呂を備えている。
お湯は青みがかった色をしている。
旅程に温泉が組み込まれていると、とても癒される。民宿のお風呂だと、どうしてもくつろげないから。
こちらは露天風呂。亜熱帯の植物を眺めながらの入浴は、今までありそうでなかったシチュエーションだ。
[温泉イ 樫立向里温泉スタンド 2005年05月01日 15:26]
駐車場の隅に、お持ち帰り用温泉スタンドもあった。自宅でも温泉を楽しみたい方はぜひどうぞ、ということだろう。
ただ、入浴料300円でこれだけゆっくりと手足を伸ばしてくつろげるのだから、温泉をお持ち帰りするよりも「ふれあいの湯」に浸かった方が良いと思う。
[No.34 不受不施僧の墓 2005年05月01日 15:32]
お風呂でさっぱりしたので今日はもうお終い、というわけにはいかない。もう少し先に進んでおかないと。
体はさっぱりしたけど、頭脳は相変わらずさっぱりしない観光名所がまだまだ続く。次は「不受不施僧の墓」だという。
「不受不施僧?なんだ、それ。受けず、施さず。僧侶として駄目じゃん、という気がするのだが」
「いや、そういう宗派があるんだよ、仏教に」
「へぇ?そうなんだ?」
初めて聞いた。いやぁ、勉強になるなあ。踊る宗教みたいなものだろうか。
えーと、看板があるぞ。
不受不施派は日蓮宗の一宗派で、僧は信者でないものを供養せず、信者以外から布施は受けない、という宗制を固守し幕府に逆らったため危険視され、寛文6年(1666)キリシタン同様禁断の厳命が下り、多数の信者が磔、斬、流などの刑に処せられた。
八丈島にも多数の流刑者が送られてきたが、それらの墓に終戦前まで本山の妙覚寺から清掃料が送られてきたという。
封建時代における宗教弾圧のむごさを、目の当たりに見せられる墓標群である。
昭和58年に、島内各地にあったものも集められ改修整備されたものである。
なるほど、そういう宗教なのか。そりゃあ時の施政者からすると異端扱いしたくなる気持ちも分かるが、何も流刑にしなくても良いだろうにと思う。別に他人に害を与えるわけでもなかろうに。
解説文には「封建時代における宗教弾圧のむごさを、目の当たりに見せられる墓標群」と、この世の終わりのように語っているが、見る限りは普通にお墓が並んでいるだけだ。宗教弾圧のむごさまで思いを馳せられない僕の想像力の無さがダメなのか、それともこのお墓を大げさに表現している看板にむちゃがあるのか。どっちだ。
不受不施派の特徴として、うねうねとのたうったフォントが使われているようだ。不思議な字体だ。
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