島流し御赦免ツアー

[No.ヌ 末吉道ヶ沢温泉 2005年05月02日 16:51]

末吉道ヶ沢温泉

洞輪沢漁港から丘を登っていった先に、やけににぎわっている場所がある。

通称、みはらしの湯と言われている温泉。日帰り入浴施設として立派な建物が建設されており、広い駐車場もある。その広い駐車場で車を停める場所に難儀するくらい、繁盛していた。先ほどの洞輪沢温泉がわれわれの独占だったことを考えると、このギャップには驚かされる。

今日三回目の温泉。

明日に先送りしても良かったのだが、「みはらしの湯」と言われる所以である眺めの良い露天風呂は男女日替わり入れ替え制になっており、今日が男性の日だというのを耳にしていた。明後日には八丈島を後にしなければならないので、入るなら今日だ。

ついさっき入ったばかりの洞輪沢温泉のぬくもりが冷めぬうちに、またもや温泉に突入。ちなみにここは入場料500円。

末吉道ヶ沢温泉を満喫

「ふぃー」

さすがに連続のお風呂はのぼせた。

良いお風呂、というより人があまりに多すぎて、そっちでのぼせてしまった感じ。なんでここまで人が殺到しているのかよくわからなかったのだが、周囲をみるとサーフィン、ダイビングを終えてやってきた人が結構多いようだ。なるほど、17時頃ということで、ちょうど本日のマリンスポーツ終了、っていう時間帯だったわけだ。

おかげで、露天風呂は人がぎっしり。その露天風呂に隙間ができるのを待って、裸の大人達が露天風呂入口で立ちすくんでいるという怪しい風景が展開されていた。結局われわれが入ることができたのは、全然眺めがよろしくない、目の前が壁になっている部分だった。これは「みはらし」とは言わない。

男女入れ替わり制の名物露天風呂は、結局人の多さに圧倒されてしまって、入らずじまいで退却。

[No.F 尾越の水汲場 2005年05月02日 17:31]

尾越の水汲場

島中央部ではメットウ井戸のように地中深く大規模に掘り下げて、苦労して水を確保していた。ここ末吉地区では、そのような必要は全くないらしい。岩の隙間から水がわき出ていた。

ここが、尾越の水汲場。

狭い道の脇にひょいっとある、気づかずに素通りしてしまいそうな場所。まさかこれが「観光地図」に載るようになるとは、昔この水汲場を利用していた人たちは想像すらしなかったことだろう。

水汲場解説

八丈島の集落の形成は、水汲場を中心になされていることがあきらかである。この水汲場は水量が豊富で水質もよく、現在もなお近所の人々に利用されていながら、比較的よく原型が保持されており、水汲場考究の貴重な存在である。

ということなんだそうで。水汲場評論家ではないわれわれにとっては、「へー」の一言で終わってしまった。

水を汲んでみた

へー、の一言で終わらせるのは申し訳ないので、とりあえず水を汲んでみた。

しばらく水で遊んでいたのだが、どうやらこの周辺は大量に蚊が潜んでいたようだ。数分後には、二人とも「かゆい、かゆい」と言いながら体中をかきむしっていた。

[No.52 水海山 2005年05月02日 17:46]

水海山看板

末吉集落から、島周回道路を反時計回りに進み、われわれの宿がある三根集落に戻るルートをとった。そろそろ日没だ。早く宿に帰らないと、夕食を作って待ってくれているおばちゃんに怒られてしまう。

さて、本日ラスト2カ所の観光地巡り、そのうちの一つめは「水海山」というところだった。

「でたぞ、また山だ。わけがわからんのだよなあ、山って言われても・・・」

昨日、われわれは「神止山」という、判断に苦しんでしまう単なる小さな山を観光してきた。今回も、また同じようなものを見せられるという事なのだろう。

「イマイチ乗り切れないねぇ」

「まあ、常にこの旅行の場合、そうだけどな」

「ははは」

そうはいっても、行かなければならぬ。気が乗らないからといって見過ごすと、「完全制覇」の目的が達せられない。

・・・とはいっても。

「あのですねしぶちょおサン」

運転をしているしぶちょおに話しかける。

「あの、われわれが走っている左手、これ全てが山なんですが。何をもって水海山、と称するのかがさっぱりわかりませぬ」

「なにー」

観光地図をよく見ると、地点標34番と35番の間、500m以内にどうやら水海山なる場所が存在するようだ。

「今、34番を通り過ぎたぞ。見逃すな」

「おう。・・・といっても、全部山だぞ、このあたり」

山の中を走っているのだから当然だ。

「あ、あの看板がそうじゃないか?」

なんだか、いきなりきれいな看板が道路脇にあった。降りて確認してみたら、「こん沢林道」と書かれている。

「・・・水海山、と書いてあるな」

「そうだな。これはどう見ても水海山、としか読めない」

「小学校の教科書に書いてあったよ、これが水海山だって」

適当な理由をつけて、今日たった今からこの地が水海山であることになった。強引に記念撮影。

こん沢林道

そのこん沢林道なるものを見てみる。

うーん・・・この奥が水海山、なのだろうか?

看板らしきものは全くみあたらない。

空はだんだん薄暗くなってきた。

これ以上探索する気にはなれないなあ・・・。

「どうせ山だろ、発見したって」

「ま、そういうことだ」

「ならば・・・」

疲れ果てて下山

「いいか、できるだけ疲れたーって感じで写れよ」

「やらせ写真か!」

「やらせって言うな。よりシチュエーションをわかりやすくしようとしている演出だ。今、たった今、水海山から徒歩で帰還して参りました、大変な道のりでした、って感じでここはひとつ」

で、撮影した写真がこれ。

[No.52 登龍峠 2005年05月02日 17:54]

登龍峠

本日最後の目的地、登龍峠に到着。登る龍、と書いて「のぼりょう」と読む。

三根からここまで登ってくる道がつづら折れになっていて、まるで龍が天に昇っていくかのようだからこの名前が付いたのだという。

手元の観光ガイドブックには、八丈島の紹介ページ中唯一「必見」の吹き出しがつけられていた。すなわち、このガイドブックの編集者は、八丈島で最も見どころである、と思ったわけだ。

どれ、どんなものだか見ようじゃないか。

登龍峠からの眺め

「おー」

思わず声をあげてしまう絶景だった。

正面に、八丈富士、その背後に八丈小富士が見える。丁度日没時間だったということもあり、とてもきれいな光景が広がっていた。

写真だとこじんまりまとまってしまって見えるが、実際にこの景色を目の当たりにすると、誰しもが「おー」と声を出してしまうだろう。確かにこれは必見だ。

八丈富士の山頂からの景色も素晴らしかったが、この場所だと八丈富士と小富士の位置関係がとてもきれいで、より素晴らしい。

三根あたり

宿がある三根、そして船着き場がある底土あたりを見下ろす。

「いけねぇ。もう18時、食事の時間だ。早くしないとおばちゃんに怒られる」

「とはいっても、離れがたきはこの光景」

しばらく、写真を撮ったり、景色に嘆息したりして時間をすごす。

登龍峠解説

登龍峠解説。面倒なので文章の書き写しは省略。

宿の夕食

30分ほど遅刻して食堂に戻ってみたが、まだ同宿の人たちで戻ってきていない人もいるようだ。いや、それ以前に宿のおばちゃん、お手伝いの娘さんがいない。どうやらお通夜だかなんだかがあって不在のようだ。

その代わり、今朝からいる、宿の常連さんとおぼしきおじさんが我が家かのようにあれこれ指示を出してくれたので、食事は事なきを得た。・・・だれた、この人。宿に住み着いているヘルパーさんとも思えないし。そういえば今朝、宿の人たちはこの人のことを「先生」と呼んでいたっけ。

いろいろ話を聞いてみたら、「鳥島から戻ってきたばかりだ」と言う。鳥島といえば、火山爆発によって住民が全滅し、今やアホウドリの楽園として有名な無人島だ。本州からは500km近く離れており、当然定期観光船など就航していない。この人、もしや敵国のスパイかそれとも宇宙人か。

尋問を厳しくしてみると、漁船をチャーターして鳥島まで学生を連れて研究に行ってきたのだという。あれ、本当に先生でしたか。その人の名は長谷川教授。そのときは「ふーん」と聞き流したのだが、自宅に戻って調べてみたら、アホウドリ研究の第一人者として著名な人であることが判明。東邦大学教授。驚いた。そんな凄い人だったら、もっと話をあれこれ聞いておくべきだった。何でか、長谷川先生とは「焼酎の水割りを作るとき、水を先に入れるべきか・後から入れるべきか」なんていうしょーもない議論をしてた。

ちなみにこの先生、結構こだわりの人らしく、「焼酎は後から水を入れた方が絶対にうまい」と言ってきかなかった。で、この宿に「ボトルキープ」してあった一升瓶の情け嶋をぐいっと。

鳥島に研究に出かける際は、どうしても八丈島で食料調達や役所への届け出などの準備期間、後処理時間が取られるらしい。そのため、この宿を常宿として数日間滞在し、もろもろの手続きをしているとのこと。今回は鳥島から戻ってきたところで、学生たちは早々に本土に引き上げたけど先生だけは残務処理で八丈島に滞在しているのだった。

それは兎も角、夕食がめっさ豪華なんですけど。麻婆豆腐なんてものもあるぞ。驚いたなあ。この宿、おばちゃんの気まぐれなのか、日によって料理の質と量にばらつきが大きい。ロシアンルーレット的で大変によろしい。

今日も自販機でビールを買い込み、ぐいぐいと飲む。うん、焼酎も良いが、空きっ腹にはやっぱりビールが似合う。

このころになると、毎晩夕食後には同宿の仲間たちと観光地図を囲んで「作戦会議」をやるのが常となってきていた。「今日はここに行ったけど、明日はどういう順番で回れば良いんだろう?」なんて話をしながら。

カナダからやってきた一人旅の女の子は、明日裏見ヶ滝温泉に行きたいと言っていたので、じゃあ現地まで車で送ろう、ということになった。それにしてもカナダとかアホウドリとか、多彩な人が泊まっているなあ。そういえば、初日には欧米系の人が一人で宿泊していたので話を聞いてみたら、某大手独国企業勤務の人だという。自家用飛行機でここまでやってきた、というのだから面食らった。そんな人も、こんな人も、みんな同じ一つのテーブルでお食事。民宿ならではの光景だ。ごった煮状態。

2005年05月03日(火曜日) 4日目

朝食

朝食。

「おおう」

二人そろって思わず顔を見合わせた。素晴らしい。シンプルすぎるぜ、この朝食は。(実際には、この写真の料理に加えておみそ汁が供された)

昨晩頑張ったから今晩はその分楽しました、というこのデコボコ感が楽しい。しぶちょお、おかでん共に若干のマゾ気質があるので、こういうのはむしろ「旅の良い思い出」としてほほえましく思う方だ。

「まあね、旅館なんぞの朝食のおかずの量が異常なんだよ」と言いながら、納豆、玉子、海苔を効率よく使い分けながらご飯をお代わりする。おかずでご飯を食べようと思ってはいけない。なぜなら、すぐに食べきってしまう量だからだ。おかずは、おつけもの同様「ご飯をほおばる合間の箸休め」と考えるべし。

[No.45 三原山 2005年05月03日 09:14]

三原山を目指す

今日もまた、旅が始まる。天気はまあまあ良いようだ。

カナダの女の子を裏見ヶ滝まで送り届け、われわれは観光地巡りを開始した。

「三原山山頂に立たないと、やっぱり三原山に行ったことにはならんだろう」

昨晩、宿の仲間達と「明日の行き先検討会」をやっている最中にしぶちょおがこんなことを言い出した。三原山は、「登山口」と書かれた看板の前で記念撮影をしたので、もう終わりにしていた観光地だ。それを、今更蒸し返したので僕は驚いた。山登りを趣味としている僕自身からの提案なら兎も角、しぶちょおからの提案だったというのにも驚きを助長させた。

「うは。面倒な提案じゃのぅ。でも、その心意気や良し。大変に良いので、明日は朝一発目に三原山に登ろう」

ということで決定となったのだった。

で、今、登山口の前にいる。うは、やっぱり面倒じゃのぅ。

遠くに電波塔

なんか、結構遠くに電波塔が見えるんですけど。

あそこが山頂だとすると結構歩くぞ、これ。

あらためて、しぶちょおを振り返ってみると、出走直前の競走馬のような気合いの入った顔をしている。

「その心意気や良し」

今日何度目かの言葉を口にして、歩き始めた。

明日、羽田に戻る飛行機が出るまでに、よっぽどのアクシデントが無い限りは全部の観光地は回りきる目処が既にたっていた。下手にさっさと観光地をコンプリートしてしまうと、その後が暇になってしまう。こういう「時間がかかるイベント」を挿入することは、われわれの時間の有効活用という観点からも重要なのだよキミィ。

ゲートをくぐり抜け

一般車両通行禁止、のゲートをくぐり抜けて、山頂に向かう道に入る。

何だか、マツタケ山の盗掘でもこれから始めるかのようなドキドキ感を覚える。

「僕ら、ブレーキの壊れたダンプカーだからな。一般車両通行止、という表示だったら通っちゃいけないんじゃないか?」

「誰がダンプカーだよ。せいぜい軽トラックだろ」

「ブレーキの壊れた軽トラック。それはそれで破壊力満点だけど、怖くない呼び方だなあ」

コンクリート道

亀の甲羅のような、六角形の文様が刻まれたコンクリート道を登る。

「こういうところになぜお金をかけるのかね?お金の無駄」

しぶちょおが不思議がる。

「冬は凍結するからじゃ・・・と思ったが、この島じゃ凍結って滅多にないだろうなあ」

電波塔が間近に迫ってきた

15分ほど散歩したところで、電波塔が間近に迫ってきた。

「気を付けろ、敵の衛兵がいるかもしれない」

「何を守ってるんだ、何を」

ようやく登山道

山頂は、電波塔の脇の小道を登っていくらしい。

ここまでは山登りっぽくなかったのだが、ようやく登山道にスイッチ。

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